活動詳細
すべて見る23年度末に全通した木津道(こつみち、※1)。 2018年度から、紀北町の登山道整備グループ・NTRCが発掘・整備していた栃山木組林道(通称:栃山林道)沿いの明治道です。 現在はスタート地点近くの林道ゲートまで車で入れるため、忘れられた生活古道です。 (一部は現林道につぶされてしまい、現林道歩きもあります。) 要所要所には石積の道床や橋台が残り、登山道とは違う巧みなルート取りに感心します。 今回はそれら林業遺産を感じ、林道や登山道との交差点などに設置された案内板を再確認しながらの通し歩きでした。 車をデポったゴールの木津(※2)は、銚子川水系で最上流の集落。 森林鉄道の分岐点が置かれたなど、かつては住居も多く林業の基点になった集落です。 9:24栃山木組林道ゲート~<林道歩き>~9:26地蔵下口~9:35清五郎滝4ノ滝9:40~9:51清五郎滝2ノ滝・3ノ滝分岐~10:21中須口~<林道歩き>~10:42水無峠(水無峠口)10:45~11:19ジブツキ口・ジブツキ下口(林道交差)11:20~<11:34昼飯12:16>~12:24害ノ木向口~<林道支線・林道歩き>~12:35滝ノ音橋口~12:44滝ノ門口~<林道歩き>~12:49後谷口~13:16木津登山口~13:17魚飛橋 ※1 木津道 ・今回発掘・整備した道は明治34年(1901年)12月完成の中須山の林道(木馬道)。(海山町町史(昭和59年、海山町役場)、海山町史年表(昭和37年、海山町役場)) ・松浦武四郎は大台ケ原を3回探査(明治18・19・20年)しており、下山時はいずれも木津を通過している(松浦武四郎大台紀行集(平成15年、松浦武四郎記念館)。詳細なルートは不明だが、整備前の明治道との重複区間もあると推測。 ・明治41年(1908年)には相賀町長らが明治道を使い大台ケ原往復。往路では「中須峠(=水無峠)より左傍の山腹を往くこと・・・」など記録が残る(臺原紀行・未定稿(明治41年、櫻井))。 ・今回歩いた木津道と思われるものとして「北山越」の表記もみられる(三重懸紀伊國北牟婁郡地史、(明治22年、野地(昭和48年復刻))の、便山村の地勢の項)。 ・なお、「木津道」としては、樫山ピーク南の銚子川沿いの道を指す資料もある(大臺ケ原山 : 世界乃名山(大正12年、岡本))。 ※2 木津(集落) ・明治32年7月の豪雨による山津波で死者28人、負傷者10余人(海山町史年表(昭和37年、海山町役場))。
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