活動データ
タイム
07:12
距離
20.1km
のぼり
242m
くだり
254m
活動詳細
すべて見る季節が良くなってきたので久しぶりの街歩きです、里歩きかも。 今回は、葛城二十八宿経塚巡行で行けてなかった茅原の吉祥草寺と南花内にあるという経塚を巡ることでした。ルートを調べていると、近くに飯豊天皇陵があり、飯豊青命を祀った角刺神社もあると!これは行ってみなければ! 飯豊天皇は、清寧天皇崩御後、皇位継承者である億計王と弘計王(いわゆる、オケ王とヲケ王、雄略天皇に殺された市辺押磐の遺児であった二人の兄弟)が皇位を譲り合い即位されなかったので(姉君の)飯豊青皇女が(代理で)執政されたことから、天皇であったかもしれないとされている皇女です。彼女は履中天皇の皇女または市辺押磐皇子の王女で、青海皇女、青海郎女とも言われています。 YAMAPの青葉山のレポートで、山麓にある青海神社に飯豊青皇女が禊をされた池があるというんで、「なんで葛城の人が若狭に?」というのが事の発端でした。 青海神社の由緒を調べてみると、 ・飯豊青皇女は海部を御統治になられた。海部は丹後地方を中心にあったとされ、青郷の海部は御料地であり、住民は皇女の私民であった。 ・青海神社の祭神は椎根津彦命で、青郷の人々(青海首)の御先祖であったので、飯豊皇女は椎根津彦命を御祀りになった ・青海神社は、昔の阿遠(あお)郷、現在の青郷、内浦、丹後の大浦辺一帯の総鎮守宮であり、若狭・丹後の海の守護神 彼女は青海皇女、青海郎女とも言われていますが、なんで「青」がつくのか?葛城の故地にも「青」のルーツがあるのか? 歩いた結果、葛城にはどうも「青」はないようでした。大和青垣と言ってしまえばそれは違う! 若狭の青郷に青海神社があって、そこから青葉山を遥拝する。禊をしたシャーマンが飯豊青皇女。若狭や丹後でも冬は空も海も灰色や鉛色で辛い。季節がめぐるとスカッ晴れの日も多くなり、空も海もブルー。山人が雪解けや木々の芽吹きに感動するように、古代の海人もこの「若狭ブルー」に感動したのではないか。彼女が若狭に行ったとして、彼女も若狭湾の青、若狭ブルーに感動した。これが飯豊青皇女「青」の真相ではないかと思えるのです。 さて、次はどこに行くべきか、わかりますよねえ、「青つながり」で。飯豊山ではないですよ。
活動の装備
- その他(Other)TCL10Pro
- その他(Other)京セラ Urvano V03
- ミレー(MILLET)M08842
- その他(Other)ワークマン CS003B AERO STRETCH クライミングパンツ
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