和歌山の山一覧

  • 龍神岳

    標高:1382 m

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    1
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    1

    龍神岳(りゅうじんだけ)は、和歌山県田辺市龍神村と奈良県吉野郡十津川村との境にある、標高1,382mの山である。 龍神岳は和歌山県の最高峰であるが、2000年(平成12年)の国土地理院調査で、約700m西の護摩壇山より10m高いことが判明するまでは護摩壇山が最高峰として認知されていた。標高が判明してしばらくは名前が付けられなかったが、2008年(平成20年)に田辺市が全国から名称の公募を開始し、翌年3月3日に、最も応募の多かった「龍神岳」を「雄大・神秘的で親しまれる名称」として命名した。

  • 護摩壇山

    標高:1372 m

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    1
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    1

    護摩壇山(ごまだんざん、ごまだんやま)は、和歌山県田辺市と奈良県吉野郡十津川村との県境にある山である。標高は1,372m。紀伊山地に属する。 落ち延びた平維盛が、高野山を経て逃れてきた時に平家の命運を占うため、ここで護摩を焚いたとの言い伝えからこの名が付いた。 和歌山県の最高峰であると言われてきたが、国土地理院が2000年に護摩壇山の東方約700mの峰の方が10m高い(1,382m)ことを確認し、和歌山県の最高標高地点となるこの峰は「龍神岳」と命名された。いずれにせよ、和歌山県で最も標高の高い一帯であることには変わりなく、周囲は四方八方同じような1,000m級の山々に囲まれている。 高野龍神スカイライン(国道371号)により山頂近くまで車で行くことができるが(バスも通っている)、南国の和歌山県にあって冬季は常時積雪がありチェーン着用および二輪通行禁止の通行制限がなされる。バス停留所の付近には駐車場があり、また土産物屋とともにごまさんスカイタワーという展望塔があり、天気さえ良ければ遠くまで紀伊山地の山々を眺めることが可能で、さらには紀伊水道も望める。さらにそこからはブナ林の間の整備された遊歩道を辿ってすぐに山頂まで歩くことが可能である。なお、かつては標高1,000m以上に広くブナ林があったが、スカイライン周辺から枯死が広がっており、現在ではごく一部が残っているのみである。

  • 難易度
    1
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    2

    大阪府と和歌山県との境に長く横たわる和泉葛城山(標高858m)は、和泉山脈の主峰。古くから信仰との関わりが深く、山頂には、大阪府側と和歌山県側のそれぞれに背中合わせに八大竜王社が祀られている。山頂の西側200mほどの所に円形の展望台があり、北に大阪の市街地、西に大阪湾や六甲の山並みと淡路島、南に紀ノ川や高野山など、360度の眺望が楽しめる。山頂北斜面には日本南限のブナの原生林が広がり、「ボードウォーク」と呼ばれる木道が延びている。登山は通年可能だが、新緑の5月と山頂のススキの原が広がる10月、紅葉と黄葉の11月が特におすすめ。登山道は大阪側からのコースが中心で、牛滝山からのコースの登山口には牛滝温泉がある。

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    1
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    1

    龍門山(りゅうもんざん)は、和歌山県紀の川市にある標高755.9mの山である。龍門山脈の主峰。 古くから和歌山平野に位置する名峰として知られ、紀州富士と呼ばれている。『紀伊国名所図会』に「府下より是を望むに、その形あたかも富嶽に似たり」と記されている。 正平14年/延文4年(1359年)、山頂に南朝方・四条隆俊が3,000余騎を率いて集結し、北朝方の畠山義深率いる30,000余騎と激闘が繰り広げられた龍門山の戦いの古戦場として知られている。 また、日本固有の蝶であるギフチョウの最南端生息地である事や、和歌山県指定の植物キイシモツケも自生しており、豊かな自然が残っている。

  • タンボ山

    標高:763 m

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    3

  • 南葛城山

    標高:922 m

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    南葛城山(みなみかつらぎさん)は、大阪府河内長野市と和歌山県橋本市とにまたがる標高922 mの山である。大阪50山のひとつであり、和泉山脈の最高峰である。 非常に登山者が少ない静かな山である。山頂は木製のベンチやイスがある広場であるが、杉林に囲まれ展望は全く望めない。山頂の付近はササ原に杉が林立している。 山頂近くには、葛城修験道の行場である葛城二十八宿・妙法蓮華経安楽行品第十四番経塚「鏡の宿」という祠がある。 主な登山道は、滝畑ダム→岩湧山登山口→千石谷林道→林間歩道分岐→ノゾキ平→南葛城山、紀見峠→ダイヤモンドトレールを西へ→南葛城山分岐→南葛城山、岩湧寺→岩湧山・東峰→南葛城山分岐→南葛城山、蔵王峠→南葛城山などがある。登山者が少ない上、登山道によっては相当険しい部分があったり、迷い易い箇所があるので注意が必要である。

  • 奠供山

    標高:35 m

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    奠供山(てんぐやま)は、和歌山県和歌山市和歌浦にある玉津島神社の背後の山である。 神亀元年(724年)2月4日に即位した聖武天皇は、同年10月8日に和歌浦へ行幸して14日間滞在した際、「山に登り海を望むに、この間最も好し。遠行を労せずして、以て遊覧するに足る、故に弱浜(わかはま)の名を改めて明光浦(あかのうら)と為せ、宜しくし守戸を置きて荒穢(こうわい)せしむことなかれ、春秋二時官人を差遣し、玉津島の神・明光浦の霊を奠祀せよ」という詔を発した。聖武天皇は和歌浦の景観に感動し、明光浦(あかのうら)と名付け、さらにこの地の景観を守るため守戸を置くことを命じたのである。『紀伊国名所図会』では奠供山を伽羅山とし、東に続く現在の雲蓋山を天狗山としているが、『紀伊続風土記』では「神亀元年御幸の時、登山望海此間最好と、詔し給ふは即此山なり」として、奠供山を詔が発せられた場所であるとしている。 天平神護元年(765年)10月の称徳天皇行幸の際には、南浜に「望海楼」が営まれ7日間滞在したとされているが、江戸時代後期の儒学者仁井田好古は「望海楼」を奠供山の南麓の市町にあったものとし、好古の撰文になる望海楼遺址碑(和歌山市指定文化財)にはそのことが刻まれている。望海楼遺址碑は、元は奠供山麓の市町川沿いに建てられていたが、現在は鄭供山山頂に置かれている。玉津島神社蔵の慶応3年(1867年)改刻の玉津島神社略記添付の「和歌浦玉出嶋社之圖」には、天保2年(1831年)~3年(1832年)に奠供山上に建てられたと考えられる拝所が描かれている。

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  • 俎石山

    標高:419 m

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