四王寺山(岩屋山・大原山)にて歴史探訪。

2025.02.17(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 25
休憩時間
11
距離
5.9 km
のぼり / くだり
296 / 296 m

活動詳細

すべて見る

大野城は、白村江の戦い(西暦663年)で大和朝廷が唐・高句麗・新羅連合軍に大敗した後、朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古代山城(山を利用して築かれた城)バイ!! どーも、トシローです。 四王寺山(シオウジヤマ)とは、福岡県太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる標高410mの山。最高点のある大城山(オオキヤマ、大野山とも)を中心に岩屋山・水瓶山・大原山と呼ばれる4つの山から構成されると。 今日はその中で、岩屋山と大原山へ。四王寺山の中に大野城趾があるとよ。 ということで、今日は歴史探訪。 で、大野城は、一説には大規模な古代山城としては日本一だったとのこと。 664年に築いた水城の後に、665年(天智天皇4年)、基肄城(キイジョウ、佐賀県基山町の基山山頂)ともに築いたことが『日本書紀』に記載されていると。 この間、斉明天皇、中大兄皇子(後の天智天皇)は朝倉に皇居(朝倉橘広庭宮「アサクラノタチバナノヒロニワノミヤ」)を作り、水城・基肄城・大野城を築き、唐・高句麗・新羅連合軍が攻めてくる事態に備えたんだな。 また別の話しやけど、岩屋山山頂には、戦国時代に岩屋城があったと。 九州制覇を目指す薩摩の島津氏が、大友氏の家臣・高橋紹運が籠る岩屋城を落とした戦いが、「岩屋城の戦い」。 高橋紹運は、豊臣家臣下の際に治めた旧領の柳川に江戸時代初期に柳川藩主となった立花宗茂の父。立花宗茂は、関ヶ原に西軍として参戦し、一度改易されてから旧領に復帰を果たした唯一の大名バイ。 あっ、しまった。山歩後半は下山めしのことばかり考えて、セリバオウレン探すの忘れてた😅

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。