葛城二十八宿経塚巡行 吉祥草寺と南花内法華経塚 新庄道(仮称)を歩く

2020.09.14(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 12
休憩時間
45
距離
20.1 km
のぼり / くだり
242 / 254 m

活動詳細

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 葛城二十八宿経塚巡行で行けてなかった茅原の吉祥草寺と南花内にあるという経塚を巡ります。 ■南花内の経塚に関して  ボクのブログを見て「あれは葛城28宿の経塚ですか?」と質問してきた人がありました。初めて聞く名前で当然見たこともありません。GoogleMapで見てみるとえらく立派な経塚でした。これは行ってみなければ・・・  しかし、葛城28宿の巡行コースにそんなところは通っていたか?調べてみると、中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」には櫛羅から脇田、林堂あたりを通る高野街道に従って新庄を経由、太田から伏越に登るルートが描かれていました。さらに、調べると歴史的には下記のルートがあり、確かに、新庄を通った(泊まった)事例が載っていました。 1.金剛山から降りてきて、関屋からまっすぐ長柄ー宮戸ー蛇穴ー吉祥草寺に向かう行者道(筋違道、葛上道)があった。(本編p154) 2.界那寺跡ー櫛羅ー里道か、界那寺跡ー葛城山ー岩橋山尾根道を通ったかわかりにくい   (室町時代・京都千勝院・鎮永・葛城嶺中記) 3.櫛羅経塚ー新庄ー大田ー伏越ー平石峠(室町時代・京都千勝院・鎮永・葛城嶺中記) 4・朝原寺ー長柄ー一言主明神ー新庄河内屋治兵衛宅(宿泊)ー當麻寺(江戸前期迎之坊葛城嶺中記) 5.朝原寺ー長柄ー一言主寺(泊)ー茅原吉祥草寺ー新庄ー當麻ー二上山(嘉永三年京都発駕宿継次第) 6.金剛山ー石寺ー船宿寺ー長柄ー一言主寺ー茅原吉祥草寺ー御所ー新庄ー當麻(嘉永二年聖護院宮葛城入峰) 今回は、まだ行ってなかった茅原吉祥草寺ー新庄ー當麻のルートを歩くことにしました。ルートは最短らしいところを適当に選んだので「新庄道」は勝手命名です。 ■新たな第23番櫛羅経塚について  その質問者によると、不動寺を訪問して聞いてこられた話として、「猿目橋から少しバス道を山に上がったところにも経塚がある。ただ かなり埋もれてるようで今では見つけにくい。」そういえば、ボクも昔のブログに書いたことがあります。 『・・・なお、奈良文化財研究所飛鳥資料館倶楽部では、第二十三経塚について、櫛羅の猿目に櫛羅経塚があるが、「バス停・猿目橋を北に約100mいったところにも経塚があった。道路新設工事でたまたま発見されたもので、埋蔵品は橿原考古学研究所に保存されている。この経塚も、葛城二十五(ここは筆者の転記ミス)経塚の一つかと思われる。」』 今、引用先が不明で再確認できませんが、ともあれ、猿目橋BSから北に100mくらいになにがあるか調べてみましょう。  南花内の経塚に関しては、今までの葛城二十八宿経塚巡行で見たこともない立派な、迫力のある経塚でした。その来歴などは不明ですが、実によいものを見せていただきました。役行者生誕の地である茅原・吉祥草寺から新庄を経由して伏越へ至る巡行ルートも重要だったことがわかった気がします。また、猿目橋バス停から少しバス道を山に上がったところにあったという新たな第23番櫛羅経塚については何も手がかりは得られませんでした。引用元のレポートを再確認する必要がありますね。  今回のテーマは葛城二十八宿経塚巡行の他に「飯豊青皇女の故地を巡る」ことも上げていました。あまりに異質なので別途レポートしました。 ■コースタイム 9:58 玉手駅 10:04 地蔵堂(傘堂) 10:07 熊野神社 10:15 10:15 吉祥草寺 10:23 10:25 コンビニ■8分休憩 10:33 10:42 下市街道と土佐街道の分岐 地蔵堂 11:02 鴨都波神社■5分休憩 11:26点 11:31 近鉄御所バス停 11:40(バスに乗る) 11:57 猿目橋BS、経塚跡探索 12:11 12:14 六地蔵 12:22 第23経塚猿目地蔵寺跡 12:28 コンビニ■19分昼食休憩 12:47 13:01 崇道神社 13:18 御所ライフ前 13:37 角刺神社■10分休憩 14:02 14:08 葛城市歴史博物館 14:37 14:44 南花内法華経塚 14:53 15:10 飯豊天皇陵 15:14 15:31 柿本神社 15;40 16:02 山麓線コンビニ■13分休憩 16:15 16:26 太田交差点(前々回踏査接続) 16:34 伏越口 16:37 伏越口2(前回踏査接続) 16:46 竹内交差点 16:53 當麻交差点 17:00 當麻寺駅 ---------------------------------------------------------------------------------------- 22.1km/7時間13分(山旅ロガー読み沿面距離、内休憩約1時間) ■機材 カメラ:TCL10Pro スマホ:UrbanoVO3(GPS、山旅ロガー用)、TCL10Pro(地図ロイド用)

金剛山・二上山・大和葛城山 玉手の駅からスタート、家を7:40頃出たので、なんと2時間半近くかかった。
和歌山線も新型車適用でピタパも使えるようになっていた。これは便利。
玉手の駅からスタート、家を7:40頃出たので、なんと2時間半近くかかった。 和歌山線も新型車適用でピタパも使えるようになっていた。これは便利。
金剛山・二上山・大和葛城山 吉祥草寺山門真正面の角にある地蔵堂。
吉祥草寺山門真正面の角にある地蔵堂。
金剛山・二上山・大和葛城山 説明板。なんと明智光秀の娘さんが供養したという!
説明板。なんと明智光秀の娘さんが供養したという!
金剛山・二上山・大和葛城山 道標があるが読めない。ここは、こいわいさんにご登場願って・・・
左、徒本(本゛?)さ可、道 
本にテンテンなど読めませんわ!つぼさか道。
道標があるが読めない。ここは、こいわいさんにご登場願って・・・ 左、徒本(本゛?)さ可、道  本にテンテンなど読めませんわ!つぼさか道。
金剛山・二上山・大和葛城山 山門、その前にすぐ横にある熊野神社に。
山門、その前にすぐ横にある熊野神社に。
金剛山・二上山・大和葛城山 熊野神社鳥居と拝殿。斉明天皇の時、吉祥草寺の鎮守として熊野権現を勧請した。
熊野神社鳥居と拝殿。斉明天皇の時、吉祥草寺の鎮守として熊野権現を勧請した。
金剛山・二上山・大和葛城山 本殿 
ご祭神は、伊邪那美命・速玉男命・大事忍男命
本殿  ご祭神は、伊邪那美命・速玉男命・大事忍男命
金剛山・二上山・大和葛城山 役行者の産湯の井戸。案内板によると、『伝承には役行者誕生の時、大峯八大童子の一神、香精童子が現れ、「大峯の霊水を汲みて潅浴す。その水、地に滴りて井戸となる。」と伝えています。誕生の時の泣き声は「人々を救うため天から遣わされてきたのだ」と言っているように聞こえたそうです。』
この他に役行者の「こしかけ石」もあります。
役行者の産湯の井戸。案内板によると、『伝承には役行者誕生の時、大峯八大童子の一神、香精童子が現れ、「大峯の霊水を汲みて潅浴す。その水、地に滴りて井戸となる。」と伝えています。誕生の時の泣き声は「人々を救うため天から遣わされてきたのだ」と言っているように聞こえたそうです。』 この他に役行者の「こしかけ石」もあります。
金剛山・二上山・大和葛城山 何?山の字?
何?山の字?
金剛山・二上山・大和葛城山 改めて、吉祥草寺本堂。舒明天皇の創建、役行者の開基とされています。
本堂内拝観可とありましたが、靴を脱ぐのが嫌で遠慮しときました。本尊「五大明王」が安置されていますが撮影は禁止だし。
改めて、吉祥草寺本堂。舒明天皇の創建、役行者の開基とされています。 本堂内拝観可とありましたが、靴を脱ぐのが嫌で遠慮しときました。本尊「五大明王」が安置されていますが撮影は禁止だし。
金剛山・二上山・大和葛城山 薄れて読みにくくなっていますが・・・
平安時代の前期には、理源大師が再建しましたが、南北朝貞和五年(1349)、兵火によって灰燼に帰す。本堂は応永年間(1394~1428)の再建と云えられます。等身以上の木造の役行者倚像・前後鬼坐像は写経場だったかに移したとの案内あり。
薄れて読みにくくなっていますが・・・ 平安時代の前期には、理源大師が再建しましたが、南北朝貞和五年(1349)、兵火によって灰燼に帰す。本堂は応永年間(1394~1428)の再建と云えられます。等身以上の木造の役行者倚像・前後鬼坐像は写経場だったかに移したとの案内あり。
金剛山・二上山・大和葛城山 経塚碑や大峰修行供養塔、庚申碑など多数。
経塚碑や大峰修行供養塔、庚申碑など多数。
金剛山・二上山・大和葛城山 300年ほど前、三輪山より明神の命を受けた白竜大神が飛来しこの木に鎮座したんだと。ムクノキです。
300年ほど前、三輪山より明神の命を受けた白竜大神が飛来しこの木に鎮座したんだと。ムクノキです。
金剛山・二上山・大和葛城山 左手は観音堂 
堂内には千手観音像が安置されています。
公式:http://www.en-chan.com/index.htm
urlにあるように「えんちゃん」と愛称され、さらに役小角奈(おずな?)という公式キャラも祀られています。さらにさらに、Tシャツ販売も。これはちょっとおもしろい動きなのでは!
左手は観音堂  堂内には千手観音像が安置されています。 公式:http://www.en-chan.com/index.htm urlにあるように「えんちゃん」と愛称され、さらに役小角奈(おずな?)という公式キャラも祀られています。さらにさらに、Tシャツ販売も。これはちょっとおもしろい動きなのでは!
金剛山・二上山・大和葛城山 薬の発祥の碑
佐藤薬品工業というのは「さとちゃん」の佐藤製薬とは違うんやね。こちらはカプセルメーカー。当地は役行者ゆかりの陀羅尼助の伝統から発展した薬の街(村?)だったのか。
薬の発祥の碑 佐藤薬品工業というのは「さとちゃん」の佐藤製薬とは違うんやね。こちらはカプセルメーカー。当地は役行者ゆかりの陀羅尼助の伝統から発展した薬の街(村?)だったのか。
金剛山・二上山・大和葛城山 吉祥草寺門前にある「役行者誕生所茅原山」の碑と道標。道標は読めないが、
「右 よしの つ本坂 道」 らしい。
いつも思いますが、道標や石碑前の電柱や看板、もうちょっと配慮せんかなあ。
吉祥草寺門前にある「役行者誕生所茅原山」の碑と道標。道標は読めないが、 「右 よしの つ本坂 道」 らしい。 いつも思いますが、道標や石碑前の電柱や看板、もうちょっと配慮せんかなあ。
金剛山・二上山・大和葛城山 コンビニで休憩後、立派な屋敷街を西に向かう。
長尾街道の交点に来ると地蔵堂があった。堂内に道標があるらしいけど見てない。大きな碑も一応道標で「左 役行者御誕生所茅原山」
コンビニで休憩後、立派な屋敷街を西に向かう。 長尾街道の交点に来ると地蔵堂があった。堂内に道標があるらしいけど見てない。大きな碑も一応道標で「左 役行者御誕生所茅原山」
金剛山・二上山・大和葛城山 鴨都波神社に向かいます。葛城川を渡ってさらに和歌山線を渡る。
鴨都波神社に向かいます。葛城川を渡ってさらに和歌山線を渡る。
金剛山・二上山・大和葛城山 鴨都波神社に来ました。ここは拝殿
http://kamotuba.com/
鴨都波神社に来ました。ここは拝殿 http://kamotuba.com/
金剛山・二上山・大和葛城山 後ろに回ると、これが本殿?えらい大きな本殿です。
ご祭神は積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)で、大神神社におまつりされている「大国主命」のお子神に当たります。いわゆるえべっさん。
後ろに回ると、これが本殿?えらい大きな本殿です。 ご祭神は積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)で、大神神社におまつりされている「大国主命」のお子神に当たります。いわゆるえべっさん。
金剛山・二上山・大和葛城山 葛城は「鴨族」の本拠。弥生時代の中頃から大きな勢力を持ち始めました。当初は、高鴨神社付近が本拠でしたが、この地に移動し(水稲農耕に適)大規模な集落を形成します。当社一帯が「鴨都波遺跡」であることと合致します(公式サイトより)。役小角の出自も賀茂氏(加茂氏・鴨氏とも)ですね。
葛城は「鴨族」の本拠。弥生時代の中頃から大きな勢力を持ち始めました。当初は、高鴨神社付近が本拠でしたが、この地に移動し(水稲農耕に適)大規模な集落を形成します。当社一帯が「鴨都波遺跡」であることと合致します(公式サイトより)。役小角の出自も賀茂氏(加茂氏・鴨氏とも)ですね。
金剛山・二上山・大和葛城山 境内社:左から天神社(祭神、菅原道真)、猿田彦神社、火産霊神社(かまど三神、金山彦神)。へえー金属の神様も祀ってある。
境内社:左から天神社(祭神、菅原道真)、猿田彦神社、火産霊神社(かまど三神、金山彦神)。へえー金属の神様も祀ってある。
金剛山・二上山・大和葛城山 さて、これから葛城28宿経塚が会ったとされる猿目橋に向かいます。時間がちょうどだったので、バスで。
さて、これから葛城28宿経塚が会ったとされる猿目橋に向かいます。時間がちょうどだったので、バスで。
金剛山・二上山・大和葛城山 猿目橋BSからバス道を北に100mほど登りました。(振り返り)。経塚の痕跡もありません。って、真剣には探してないけど。
猿目橋BSからバス道を北に100mほど登りました。(振り返り)。経塚の痕跡もありません。って、真剣には探してないけど。
金剛山・二上山・大和葛城山 斜面でなく平坦地にありそうなものですが・・・
斜面でなく平坦地にありそうなものですが・・・
金剛山・二上山・大和葛城山 できれば下界がよく見えるあたり。しかしこの草むらでは、探す気も起こってきません。東を見てますが、山座同定もあっち方面は未知なのでできません。
できれば下界がよく見えるあたり。しかしこの草むらでは、探す気も起こってきません。東を見てますが、山座同定もあっち方面は未知なのでできません。
金剛山・二上山・大和葛城山 わからないものは仕方がないので六地蔵を見に行きます。これも第23番経塚と言われています。
わからないものは仕方がないので六地蔵を見に行きます。これも第23番経塚と言われています。
金剛山・二上山・大和葛城山 もうひとつの経塚を見に・・・
もうひとつの経塚を見に・・・
金剛山・二上山・大和葛城山 地蔵寺跡の経塚
地蔵寺跡の経塚
金剛山・二上山・大和葛城山 葛城を見ながらコンビニで昼食休憩
葛城を見ながらコンビニで昼食休憩
金剛山・二上山・大和葛城山 御所に帰ります。立派な石仏が安置されていますが、側にある浄土寺に関連したものでしょう。
御所に帰ります。立派な石仏が安置されていますが、側にある浄土寺に関連したものでしょう。
金剛山・二上山・大和葛城山 千代酒造
 櫛羅(くじら)、篠峯(しのみね)、どぶろくが推奨銘柄とのこと。詳しくは検索!
千代酒造 櫛羅(くじら)、篠峯(しのみね)、どぶろくが推奨銘柄とのこと。詳しくは検索!
金剛山・二上山・大和葛城山 葛城山をバックに千代酒造。
葛城山をバックに千代酒造。
金剛山・二上山・大和葛城山 少々荒れてはいますが、結構好きな風景で・・・
少々荒れてはいますが、結構好きな風景で・・・
金剛山・二上山・大和葛城山 崇道神社に寄ってみました。崇道という限りは崇道天皇が祭神です。日本三大怨霊とは一般に菅原道真・平将門・崇徳天皇(崇徳院)ですが、崇道天皇も怨霊界の大物ですね。なにしろ、桓武天皇が造営中であった長岡京の地を捨て平安遷都、鎮魂のための諡として崇導天皇位を与えたくらいですので。
崇道神社に寄ってみました。崇道という限りは崇道天皇が祭神です。日本三大怨霊とは一般に菅原道真・平将門・崇徳天皇(崇徳院)ですが、崇道天皇も怨霊界の大物ですね。なにしろ、桓武天皇が造営中であった長岡京の地を捨て平安遷都、鎮魂のための諡として崇導天皇位を与えたくらいですので。
金剛山・二上山・大和葛城山 やって来ました南花内の経塚
やって来ました南花内の経塚
金剛山・二上山・大和葛城山 位置を変えると表情も変わる。こんな立派な経塚見たことありません。
威風堂々とはこのことか。
位置を変えると表情も変わる。こんな立派な経塚見たことありません。 威風堂々とはこのことか。
金剛山・二上山・大和葛城山 法華経塚の碑も堂々たるもの。
法華経塚の碑も堂々たるもの。
金剛山・二上山・大和葛城山 祠の中には端正で優しい顔の仏さん、阿弥陀さんかな?
祠の中には端正で優しい顔の仏さん、阿弥陀さんかな?
金剛山・二上山・大和葛城山 発起人の名前が彫り込んであります。
発起人の名前が彫り込んであります。
金剛山・二上山・大和葛城山 来歴、成り立ちの手がかりは得られませんでしたが、立派なものを見せていただきました。
来歴、成り立ちの手がかりは得られませんでしたが、立派なものを見せていただきました。
金剛山・二上山・大和葛城山 さて、ひとつの目的は達したので飯豊天皇陵を見学してから帰途に付きます。西に向かう道は長尾街道ですが、突き当りにお地蔵さん。
さて、ひとつの目的は達したので飯豊天皇陵を見学してから帰途に付きます。西に向かう道は長尾街道ですが、突き当りにお地蔵さん。
金剛山・二上山・大和葛城山 かなり大きいですが、お顔はレリーフっぽく平板。
この先で近道とて線路沿いの道をとりましたが、飯豊天皇陵に行くにしても長尾街道を行ったほうがよかったかも。
かなり大きいですが、お顔はレリーフっぽく平板。 この先で近道とて線路沿いの道をとりましたが、飯豊天皇陵に行くにしても長尾街道を行ったほうがよかったかも。
金剛山・二上山・大和葛城山 飯豊天皇陵、柿本神社を見学して、ひとつ北側の小道を西に入ります。新庄小学校の手前に会ったえらく立派な家屋。この地方の特徴な家屋でしょうか。
飯豊天皇陵、柿本神社を見学して、ひとつ北側の小道を西に入ります。新庄小学校の手前に会ったえらく立派な家屋。この地方の特徴な家屋でしょうか。
金剛山・二上山・大和葛城山 山麓線に向かっています。二上山がはっきり見えてきました。
山麓線に向かっています。二上山がはっきり見えてきました。
金剛山・二上山・大和葛城山 太田の交差点が見えてきました。前々回(2009年)は一言主神社ー九品寺ー櫛羅ー笛吹ー平岡ー太田と山麓ばかり通ってきました。
太田の交差点が見えてきました。前々回(2009年)は一言主神社ー九品寺ー櫛羅ー笛吹ー平岡ー太田と山麓ばかり通ってきました。
金剛山・二上山・大和葛城山 伏越へ登る道に接続。前回(2016/6/10)はもう少し北の斜め道から岩橋峠、岩橋山に登りました。伏越通ってないなあ。
伏越へ登る道に接続。前回(2016/6/10)はもう少し北の斜め道から岩橋峠、岩橋山に登りました。伏越通ってないなあ。
金剛山・二上山・大和葛城山 鍋塚古墳。司馬遼太郎さんによると、なんとナガスネヒコの墓かもしれないということ。地元のお世話している人がそう言ってるんだとか。
鍋塚古墳。司馬遼太郎さんによると、なんとナガスネヒコの墓かもしれないということ。地元のお世話している人がそう言ってるんだとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 竹内から。司馬さんはこのあたりから眺める葛城山が絶品だと書いていました。
「葛城を仰ぐ場所は長尾村の北端であることが望ましい。それも田のあぜから望まれよ。」(街道をゆく)
竹内から。司馬さんはこのあたりから眺める葛城山が絶品だと書いていました。 「葛城を仰ぐ場所は長尾村の北端であることが望ましい。それも田のあぜから望まれよ。」(街道をゆく)
金剛山・二上山・大和葛城山 當麻まで来ました。さあ、後は中将餅まで、もとい當麻寺駅まで降るのみ。
當麻まで来ました。さあ、後は中将餅まで、もとい當麻寺駅まで降るのみ。

活動の装備

  • その他(Other)
    TCL10Pro
  • その他(Other)
    京セラ Urvano V03
  • ミレー(MILLET)
    M08842
  • その他(Other)
    ワークマン CS003B AERO STRETCH クライミングパンツ
  • スカルパ(SCARPA)
    クラックス

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