活動データ
タイム
01:21
距離
5.6km
のぼり
223m
くだり
223m
活動詳細
すべて見るあの日からもうはや4年経った….。 もうあの日を忘れることはない。 自分がYAMAPを導入するに至った理由。 それはこのお山にある…..。 ぐんまちゃんとメル・ゼナが北陸地方の荒島岳を攻略したその頃、ネルギガンテとムフェト・ジーヴァも遠出がしたいと強請ってきた。 そんな時、思いついたのはあのお山である。 東北地方は奥羽山脈の中央やや南部に聳え立つ巨大火山地帯「蔵王山」。 今回そんな蔵王山へ、ネルギガンテ、ムフェト・ジーヴァと共に挑むこととなった。 日がだいぶ昇った朝、御釜駐車場より登り始める。 駐車場のそばにあるレストハウスの脇に、そんな蔵王山の頂へ続く道が延びていた。 序盤はほぼ舗装されていて、石畳の遊歩道を歩いて程なくして御釜展望台に着いた。 そんな御釜展望台からは、早速宮城県が誇る名勝“蔵王の御釜”が一望できた。 蔵王の御釜は、五色岳の山頂に造られた超巨大な爆裂火口。 その名の通り爆裂火口の中には、翡翠に彩られた火口湖があった。 その圧倒的な威圧感と美しさたるや、安達太良山の爆裂火口に引けをとらないものがある。 御釜展望台を後にして、いよいよ熊野岳へ挑む。 熊野岳へは、蔵王の御釜を約1/4周ほど回るようにして延びる馬の背と呼ばれる稜線を辿る必要がある。 やはり火山らしく、どこか富士山や八ヶ岳連峰を思わせる荒涼とした大地が果てし無く広がっていた.....。 熊野岳避難小屋へ近づくにつれて馬の背は一気に急登となり、足が縺れてくる。 がれ場の急登を登っていくと、熊野岳避難小屋へ着いた。 此処からは、ほとんど水平移動に近い稜線を歩く。 周りを東北地方の名だたるお山に囲まれた天上の回廊そのもの。 稜線を歩き程なくして、遂に熊野岳の山頂へ辿り着いた。 山頂からは、圧巻の絶景が広がっていた。 来た道を振り返れば刈田岳に屏風岳の勇姿。 北には月山に鳥海山が聳え立ち、栗駒山を経て遥か遠くまで奥羽山脈の主稜線が延びていた。 北にはあの吾妻山と安達太良山、そしてまさに東北アルプスの名に恥じない飯豊山と大朝日岳が雪に閉ざされていた。 熊野岳の山頂標識を見ると、やはりあの日が蘇って来た……。 2020年8月7日。 長梅雨の所為か、あの日蔵王連峰の天気は暴風雨そのもの。 今思えば、なぜあんな悪天候の日に御釜を見に行ったのかよくわからなかった。 御釜駐車場から、合羽も着ずに熊野岳へ歩みを進めた。 身体が余裕で持っていかれるような爆風の中、軽い肩掛け鞄にネルギガンテとお茶を入れて馬の背を登った。 寒さに震え、ほんの僅かな油断をした時......。 強烈な爆風が、肩にかけていた鞄を中身ごと吹っ飛ばした。 寒さに凍える中そのまま熊野岳へ着いたが、当然真っ白で何も見えない。 御釜駐車場へ下りてくる最中、悔やみ切れず必死に飛ばされた鞄を探したが.....時既に遅し。 この日、鞄ごと共にしていたネルギガンテを失った。 あの日以来、いくら反省しても消えぬ罪を背負い続け愚かな自分を戒める為、YAMAPを導入して記録を取るようにした。 装備も必要最低限ではあるが揃え、鞄も一新した。 つまり、今共にしているネルギガンテは2代目である。 今いるネルギガンテと山行の大半を同行しているムフェト・ジーヴァは、所謂初代ネルギガンテの形見。 初代と一緒に山行へ行けなかった分、2代目とムフェト・ジーヴァと共に出来る限りいろいろなお山へ行ければと考えた結果である。 本日の天気は午後から曇りの予報。 刈田岳へ寄ってから下りることにした。 下りの馬の背から望む奥羽山脈の主稜線は、なんとも美しい。 流石は分水嶺とあって、太平洋と日本海を一度に望むことができるのはなかなかの贅沢だった。 レストハウスを横目に、反対側の砂利道を登る。さっきまでいた馬の背が眼下に見えて来た頃、刈田岳に着いた。 此処から見る御釜もやはり見事だった。 比較的短い山行とはいえ、此処は東北地方。 長居していると帰る頃には真っ暗になってしまう.....足早に下りることにした。 イヴェルカーナとクシャルダオラが紅葉狩り堪能したあの飯豊山を終始眺望しながら、砂利道を駆け下りる。 レストハウス脇より階段を下りて程なくして、なんとか御釜駐車場へ下りてくることができた。 夏の始まりを告げる蔵王山にて、御釜と東北地方の大展望を味わったネルギガンテとムフェト・ジーヴァであった。
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