賀名生梅林・🐉竜王山・銀峯山・未成線跡

2024.02.27(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 30
休憩時間
21
距離
27.5 km
のぼり / くだり
1739 / 1727 m
4 2
13
3

活動詳細

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梅花の便りが多くなってきたので、賀名生梅林へ出かけた😄 巡回ルートは、普段なら一時間弱で回れる距離だが、梅花と香りが脚の動きを停めさせる😋 満開の畑もあれば、まだ蕾が目立つ畑もあり、全体の印象としては、これから3月初旬にかけて見頃が続きそう 賀名生での観梅を終え、竜王山へ向かった 南北朝皇居跡裏の、五新未成線の遺構を少し歩き、以前から気になっていた地名の「夜中」集落を通って、竜王山・銀峯山を歩いた 銀峯山はYAMAP専用の地図まで準備されているのに、赤線のルートは鳥居前から本殿前しかなく、チョッと残念状態😋 更に、賀名生梅林も専用地図だけどランドマーク無し、歩くのが楽しくなるような気の効いた名称のランドマークをドンドン追加して欲しいものだ😤 帰りは、再び自己責任で五新未成線を辿って、駐車場へ戻って来た 吉野三山: 栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳を「吉野三山」と呼ぶ  吉野三山は、古来、吉野と呼ばれた地域、にある3つの神奈備山。神奈備山とは「神が宿る山」という意味で、いずれも山頂に神社がある。吉野地域が古来より山岳信仰の地であったことを今に伝えている  「栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳」は、「金岳、銀岳、銅岳」とも呼ばれ、この付近がかつて黄鉄鋼や銅の鉱山であったことによる 今日登った銀峯山とは吉野山から大峰山にかけての山々の総称である「金峯山」と対になるものとも考えられそうですが、栃原岳を金山、櫃ヶ岳を銅山と呼んだことに対するものとも言われている 栃原岳の活動記録:  https://yamap.com/activities/26600890 櫃ヶ岳の活動記録:  https://yamap.com/activities/26714282 幻の五新未成線: 明治時代の末頃、五條市から十津川村を経由し、和歌山県新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の計画が持ち上がった このルートの沿線は吉野杉をはじめとした木材の産地で、それらを鉄道を使って輸送する予定だった。工事は昭和12(1937)年に開始され、吉野川を横断する橋の橋脚部分や、生子トンネルの貫通にまで至ったが、太平洋戦争がはじまり、物資不足等の理由でやむなく工事は中断される 戦後、工事は再開され、昭和34(1959)年には五條と西吉野村城戸までの路盤工事が完了。五條・城戸間では軌道の設置を残すのみとなった 昭和40(1965)年から五条~城戸間を専用道経由で結ぶ国鉄バスの運行が始まった。城戸-阪本の工事はその後、オイルショックなどの影響を受けながらも次第に進み、1970年代にはトンネルも次々と完成。しかし進捗率70%以上にまで進んだところで、国鉄財政難による再建問題に絡んで、遂に工事は中断。そのまま再開されることなく昭和55(1980)年を最後に工事は中止となり、五新鉄道構想は実現することなく、完全な中止が決定された その後、専用道を走る国鉄バスは1987年の分割民営化に伴いJR西日本が引き継ぎ、1988年からは同社子会社の西日本ジェイアールバスが運営。しかし、並行する国道の改良により所要時間の差がなくなったことや、過疎化に伴う利用者の減少を受けて撤退し、2002年10月1日からは地元の奈良交通が運行を引き継いだ しかし、利用者の減少による減便が相次ぎ、現在は平日5往復、土曜・休日1往復のみの運行となっている。専用道を管理している五條市も、衣笠トンネルの状態が悪いことから、専用道を閉鎖し、定期バスの運行は、並行する国道168号を走行するルートに変更され、現在に至っている 現在、歩行者も含め一般の通行は規制されているが、このルートを観光資源として活用する案も出ているらしい😄

賀名生梅林 ミツマタの花
ミツマタの花
賀名生梅林 ミツマタの花
ミツマタの花
賀名生梅林 蝋梅
蝋梅
賀名生梅林 麓から見上げる賀名生梅林
麓から見上げる賀名生梅林
賀名生梅林 賀名生皇居跡
賀名生皇居跡
賀名生梅林 地名の由来
南北朝時代に記された記録などによると、この地はもともと「穴生」・「穴太」・「阿那宇」などと表記され、「あなう」と呼ばれていた
正平の一統の時、後村上天皇は「願いがかなってめでたい」との思いから、この地を「叶名生」と名付けたと伝わっている。後に、この地の人々は「叶名生」はおそれ多いので「賀名生」に改め、明治の始めに読み方を「あのう」に統一した
地名の由来 南北朝時代に記された記録などによると、この地はもともと「穴生」・「穴太」・「阿那宇」などと表記され、「あなう」と呼ばれていた 正平の一統の時、後村上天皇は「願いがかなってめでたい」との思いから、この地を「叶名生」と名付けたと伝わっている。後に、この地の人々は「叶名生」はおそれ多いので「賀名生」に改め、明治の始めに読み方を「あのう」に統一した
賀名生梅林 梅林付近の五新線遺構
梅林付近の五新線遺構
賀名生梅林 ここで、coffee break
ここで、coffee break
賀名生梅林 賀名生梅林展望所
賀名生梅林展望所
賀名生梅林 金剛山
金剛山
賀名生梅林 梅畑の小堂
梅畑の小堂
賀名生梅林 小堂の、お地蔵さま
小堂の、お地蔵さま
賀名生梅林 なんだこれ😨
なんだこれ😨
賀名生梅林 🐉竜王山 山頂
🐉竜王山 山頂
賀名生梅林 🐉竜王山 三角点
🐉竜王山 三角点
賀名生梅林 稜線に小堂
稜線に小堂
賀名生梅林 小堂のお地蔵さま達
小堂のお地蔵さま達
賀名生梅林 波宝神社 鳥居
波宝神社 鳥居
賀名生梅林 神社の御祭神は「上筒之男命」「中筒之男命」「底筒之男命」「息長帯日売命」の四柱
鎮座地の地名である「夜中」の由来は、神功皇后が三韓征伐からの帰還の際、紀伊へ赴く途中にこの山で休み、その際に白昼であるにも関わらず夜中のように暗くなり、神に祈ると再び日が照りだし明るくなったのでこの地を「夜中」と名付けたと伝えられる
記紀における天岩戸を彷彿させるような伝承であり、日蝕を思わせる
神社の御祭神は「上筒之男命」「中筒之男命」「底筒之男命」「息長帯日売命」の四柱 鎮座地の地名である「夜中」の由来は、神功皇后が三韓征伐からの帰還の際、紀伊へ赴く途中にこの山で休み、その際に白昼であるにも関わらず夜中のように暗くなり、神に祈ると再び日が照りだし明るくなったのでこの地を「夜中」と名付けたと伝えられる 記紀における天岩戸を彷彿させるような伝承であり、日蝕を思わせる
賀名生梅林 これは「岳祭」で使用する
小さな集落で、祭を維持するには多くのボランティアが必要だと思う
これは「岳祭」で使用する 小さな集落で、祭を維持するには多くのボランティアが必要だと思う
賀名生梅林 寛文十二(1672)年に建立された奈良県指定有形文化財の本殿には二棟の本殿を連結する板壁に大きな日輪に月輪が重なる日蝕の様子が描かれており、日蝕の伝承を元に描かれている
寛文十二(1672)年に建立された奈良県指定有形文化財の本殿には二棟の本殿を連結する板壁に大きな日輪に月輪が重なる日蝕の様子が描かれており、日蝕の伝承を元に描かれている
賀名生梅林 八幡神社
八幡神社
賀名生梅林 五新未成線跡地、城戸バス停
五新未成線跡地、城戸バス停
賀名生梅林 自己責任でお願いします😋
自己責任でお願いします😋
賀名生梅林 駅(バス停)跡地には民家も在ります
駅(バス停)跡地には民家も在ります
賀名生梅林 ここのガードは本気の守り
でも、強者もいるようで、片扉の有刺鉄線が切断されていました😳(私は引き返し、一般道を経由してトンネル前に戻って来た)
ここのガードは本気の守り でも、強者もいるようで、片扉の有刺鉄線が切断されていました😳(私は引き返し、一般道を経由してトンネル前に戻って来た)
賀名生梅林 向加名生のバス停
この辺りからは散策自由のようですが、注意を促す表示は建ってます😄
向加名生のバス停 この辺りからは散策自由のようですが、注意を促す表示は建ってます😄
賀名生梅林 賀名生梅林まで帰って来ました(このコンクリート橋も五新線の遺構)
賀名生梅林まで帰って来ました(このコンクリート橋も五新線の遺構)
賀名生梅林 本日の臨時駐車場(300円)は、学校跡地のグランドでした😀
営業は16時迄でしたが、入口が常時開なので、遅れても出庫には影響なし😄
本日の臨時駐車場(300円)は、学校跡地のグランドでした😀 営業は16時迄でしたが、入口が常時開なので、遅れても出庫には影響なし😄

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