活動データ
タイム
07:30
距離
27.5km
のぼり
1739m
くだり
1727m
活動詳細
すべて見る梅花の便りが多くなってきたので、賀名生梅林へ出かけた😄 巡回ルートは、普段なら一時間弱で回れる距離だが、梅花と香りが脚の動きを停めさせる😋 満開の畑もあれば、まだ蕾が目立つ畑もあり、全体の印象としては、これから3月初旬にかけて見頃が続きそう 賀名生での観梅を終え、竜王山へ向かった 南北朝皇居跡裏の、五新未成線の遺構を少し歩き、以前から気になっていた地名の「夜中」集落を通って、竜王山・銀峯山を歩いた 銀峯山はYAMAP専用の地図まで準備されているのに、赤線のルートは鳥居前から本殿前しかなく、チョッと残念状態😋 更に、賀名生梅林も専用地図だけどランドマーク無し、歩くのが楽しくなるような気の効いた名称のランドマークをドンドン追加して欲しいものだ😤 帰りは、再び自己責任で五新未成線を辿って、駐車場へ戻って来た 吉野三山: 栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳を「吉野三山」と呼ぶ 吉野三山は、古来、吉野と呼ばれた地域、にある3つの神奈備山。神奈備山とは「神が宿る山」という意味で、いずれも山頂に神社がある。吉野地域が古来より山岳信仰の地であったことを今に伝えている 「栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳」は、「金岳、銀岳、銅岳」とも呼ばれ、この付近がかつて黄鉄鋼や銅の鉱山であったことによる 今日登った銀峯山とは吉野山から大峰山にかけての山々の総称である「金峯山」と対になるものとも考えられそうですが、栃原岳を金山、櫃ヶ岳を銅山と呼んだことに対するものとも言われている 栃原岳の活動記録: https://yamap.com/activities/26600890 櫃ヶ岳の活動記録: https://yamap.com/activities/26714282 幻の五新未成線: 明治時代の末頃、五條市から十津川村を経由し、和歌山県新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の計画が持ち上がった このルートの沿線は吉野杉をはじめとした木材の産地で、それらを鉄道を使って輸送する予定だった。工事は昭和12(1937)年に開始され、吉野川を横断する橋の橋脚部分や、生子トンネルの貫通にまで至ったが、太平洋戦争がはじまり、物資不足等の理由でやむなく工事は中断される 戦後、工事は再開され、昭和34(1959)年には五條と西吉野村城戸までの路盤工事が完了。五條・城戸間では軌道の設置を残すのみとなった 昭和40(1965)年から五条~城戸間を専用道経由で結ぶ国鉄バスの運行が始まった。城戸-阪本の工事はその後、オイルショックなどの影響を受けながらも次第に進み、1970年代にはトンネルも次々と完成。しかし進捗率70%以上にまで進んだところで、国鉄財政難による再建問題に絡んで、遂に工事は中断。そのまま再開されることなく昭和55(1980)年を最後に工事は中止となり、五新鉄道構想は実現することなく、完全な中止が決定された その後、専用道を走る国鉄バスは1987年の分割民営化に伴いJR西日本が引き継ぎ、1988年からは同社子会社の西日本ジェイアールバスが運営。しかし、並行する国道の改良により所要時間の差がなくなったことや、過疎化に伴う利用者の減少を受けて撤退し、2002年10月1日からは地元の奈良交通が運行を引き継いだ しかし、利用者の減少による減便が相次ぎ、現在は平日5往復、土曜・休日1往復のみの運行となっている。専用道を管理している五條市も、衣笠トンネルの状態が悪いことから、専用道を閉鎖し、定期バスの運行は、並行する国道168号を走行するルートに変更され、現在に至っている 現在、歩行者も含め一般の通行は規制されているが、このルートを観光資源として活用する案も出ているらしい😄
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