熊野古道を歩いて白倉山・岩室城跡・長保寺

2022.11.14(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
9 時間 47
休憩時間
40
距離
28.7 km
のぼり / くだり
1584 / 1584 m
11
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活動詳細

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今日は熊野古道・紀伊路の史跡を訪ねて歩いた 岩室城: 築城年代は定かではないが、湯浅氏の祖である湯浅宗重によって築かれた岩村城がその始まりとされる 屋島合戦で敗れた平忠房が平家の残党五百を率いて湯浅宗重を頼り、これを追討する源氏の軍勢を、この城に籠もって三ヶ月戦った 応永7(1399)年に紀伊国守護職として畠山基国が入国すると、その弟の畠山満国が城主となり岩室城と改称した。天正13(1585)年 羽柴秀吉の紀州攻めによって落城し廃城となった 長保寺: 紀州藩主徳川頼宣は、山に囲まれた要害の地にある長保寺を非常時の陣営となることを加味し紀州徳川家の菩提寺としました この考えは父親譲りで、家康の菩提を弔う久能山や日光を参考にしたのかもしれない(華美なものは無くひたすら堅固に作られている) 境内には歴代の紀州藩主及び徳川家の墓所が残されています

熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 今日は海南駅からスタート
今日は海南駅からスタート
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 菩提房王子
菩提房王子
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 熊野一の鳥居跡
熊野の「一の鳥居」とは、熊野の神域への入口という意味
当時はこの場所に鳥居が有り、地名も鳥居となっている
熊野一の鳥居跡 熊野の「一の鳥居」とは、熊野の神域への入口という意味 当時はこの場所に鳥居が有り、地名も鳥居となっている
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 祓戸王子
祓戸王子
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 復元中の鈴木屋敷、2023年3月工事完了予定
復元中の鈴木屋敷、2023年3月工事完了予定
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 熊野の有力豪族であった鈴木氏は、平安時代に藤白の地に移住し全国に約3000あるといわれる熊野神社を建立して廻り、空前の熊野詣ブームを巻き起こした
これが鈴木姓の全国に広まるきっかけとなる
藤白神社のご祭神の、饒速日命は藤白鈴木氏の氏神です
熊野の有力豪族であった鈴木氏は、平安時代に藤白の地に移住し全国に約3000あるといわれる熊野神社を建立して廻り、空前の熊野詣ブームを巻き起こした これが鈴木姓の全国に広まるきっかけとなる 藤白神社のご祭神の、饒速日命は藤白鈴木氏の氏神です
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤白神社 一の鳥居
現在の、熊野神域の入口
藤白神社 一の鳥居 現在の、熊野神域の入口
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤白神社(藤代王子) 拝殿
藤白神社(藤代王子) 拝殿
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 神社内にはクスノキの巨樹が多数
神社内にはクスノキの巨樹が多数
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 子守楠神社の背後にある楠は根元でつながっている
子守楠神社の背後にある楠は根元でつながっている
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 本殿脇の銀杏大樹
本殿脇の銀杏大樹
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 権現堂
権現堂
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 紀州藩初代藩主の徳川頼宣がつくらせたと伝えられるこの硯形の大石
縦3m、幅1・5m、厚さ0・9mで、重さ約10ton。かつては今より10メートル以上山側に建てられていたと考えられる
紀州藩初代藩主の徳川頼宣がつくらせたと伝えられるこの硯形の大石 縦3m、幅1・5m、厚さ0・9mで、重さ約10ton。かつては今より10メートル以上山側に建てられていたと考えられる
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 地蔵峰寺(藤代塔下王子)
地蔵峰寺(藤代塔下王子)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 烏瓜
烏瓜
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) ミカンだけど、グレープフルーツのように実り、畑からはみ出して道路上にぶら下がっていた😃
ミカンだけど、グレープフルーツのように実り、畑からはみ出して道路上にぶら下がっていた😃
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 阿弥陀寺(橘本王子)
阿弥陀寺(橘本王子)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 橘本土橋
橘本土橋
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 橘本神社(所坂王子)
橘本神社(所坂王子)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 蜜柑の原種「橘」
この地は紀州蜜柑の発祥の地といわれ、蜜柑の原種「橘」が植えらている
蜜柑の原種「橘」 この地は紀州蜜柑の発祥の地といわれ、蜜柑の原種「橘」が植えらている
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 落ちていた蜜柑の原種
口に含むと酸っぱい味だった
落ちていた蜜柑の原種 口に含むと酸っぱい味だった
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 山路王子神社(一壷王子)
神社では秋祭りに、鳥居横の土俵で泣き相撲が開催される
山路王子神社(一壷王子) 神社では秋祭りに、鳥居横の土俵で泣き相撲が開催される
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 白倉山、炉材珪石採掘坑跡
白倉山、炉材珪石採掘坑跡
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 白倉稲荷社
白倉稲荷社
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 稲荷社横の炉材珪石採掘坑跡
稲荷社横の炉材珪石採掘坑跡
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 白倉山 頂上
この後、迷走しながら長峰主稜線をたどる
白倉山 頂上 この後、迷走しながら長峰主稜線をたどる
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 長峰山脈稜線を歩く
長峰山脈稜線を歩く
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 有田川ウインドファーム
本日、関西方面では木枯し一号、風車もいつも以上の勢いで回転😋
有田川ウインドファーム 本日、関西方面では木枯し一号、風車もいつも以上の勢いで回転😋
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 岩室城跡
城の縄張りは、最高所に本丸を置き、南と西にそれぞれ3段に分かれた曲輪が配置されている。西の曲輪は、綺麗に整備されていて遺構がはっきりしているが、南の曲輪は蜜柑畑と雑木林となっていて、遺構は確認しづらい。しかし、この南の曲輪に「岩室城址」の石碑が建てられている
岩室城跡 城の縄張りは、最高所に本丸を置き、南と西にそれぞれ3段に分かれた曲輪が配置されている。西の曲輪は、綺麗に整備されていて遺構がはっきりしているが、南の曲輪は蜜柑畑と雑木林となっていて、遺構は確認しづらい。しかし、この南の曲輪に「岩室城址」の石碑が建てられている
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 岩室城跡からの展望
岩室城跡からの展望
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 徳本上人の行場跡
徳本上人は江戸時代の人。物全国各地を行脚した「木食僧」の1人で、生涯を民衆の中に生きた念仏行者だそうです
徳本上人の行場跡 徳本上人は江戸時代の人。物全国各地を行脚した「木食僧」の1人で、生涯を民衆の中に生きた念仏行者だそうです
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 慰霊碑付近から振り返ると岩山のようになっている
慰霊碑付近から振り返ると岩山のようになっている
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 慰霊塔の下り道で見た石仏
慰霊塔の下り道で見た石仏
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) ミカン畑のお地蔵さん
ミカン畑のお地蔵さん
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 宮原神社
宮原神社
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 山口王子跡
山口王子跡
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 爪書地蔵
お堂の中に幅4メートルほどの大岩があり、阿弥陀如来と地蔵菩薩像が線彫りされています
弘法大師が熊野へ参詣する際に生爪で彫り付けたと伝えられています
爪書地蔵 お堂の中に幅4メートルほどの大岩があり、阿弥陀如来と地蔵菩薩像が線彫りされています 弘法大師が熊野へ参詣する際に生爪で彫り付けたと伝えられています
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 蕪坂塔下王子跡
蕪坂塔下王子跡
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 拝ノ峠付近から下津の町並み
拝ノ峠付近から下津の町並み
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 季節外れの・・・
季節外れの・・・
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 下津方面、奥に淡路島
下津方面、奥に淡路島
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 長保寺 山門
長保寺 山門
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 長保寺 本堂、多宝塔
長保寺 本堂、多宝塔
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 長保寺 紀州徳川家墓所
墓所は非常時の陣営となることを加味し作られているらしい
長保寺 紀州徳川家墓所 墓所は非常時の陣営となることを加味し作られているらしい
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 5代藩主と13代藩主は将軍になったので江戸の寛永寺に葬られている
5代藩主と13代藩主は将軍になったので江戸の寛永寺に葬られている
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) この墓所が非常の時、最後の砦になるように設計されているらしい
この墓所が非常の時、最後の砦になるように設計されているらしい

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