農鳥岳
北岳・間ノ岳・農鳥岳
(山梨, 長野)
2025.01.11(土)
2 DAYS
2025年の初登頂はいつもの日の出山。御岳山まで歩いて初詣も済ませた。足は痛むが歩けない程ではなく、悪化もしなかった。
金曜は会社の新年会。コロナ後も年長者の昔話を聞く会であることに変わりはないが、二次会がなくなった。早々に解散し、これは行けると6時間寝て、先週からそのままになっているザックを積んで5時に家を出る。
今回はゲート前まで車で行く。縦走や周回などと欲を出さず、農鳥岳の登頂を目的とする。
やはり足は痛むのでワンポールで林道を歩いて行く。ピッケルを忘れた。因縁の分岐に差し掛かると、右を指す看板がなくなっている。関係者が前回の日記を見たとは思えないが、ともかく分かり易くなりましたありがとう。
不安定な吊り橋を渡り、前回引き返した地点に至る。今日は進むよ。岩の間をロープで下り山道に足を踏み入れる。
沢沿いの雑木林を緩やかに登って行く。大量の落ち葉が積もり奥多摩のようだと思う。ケーブルやウインチが放置された尾根の先は日陰で薄く雪が残っていたので、チェーンスパイクを履く。予想通り雪や落ち葉の下には氷があり、凍った沢を遡上する箇所や雪の付いた丸太橋もあって的確な選択だったと思う。
大門沢小屋で休憩しがてらアイゼンに換装する。広い小屋が開放されており、水場もトイレもあって正面には富士山も見えて、ここに泊まりたいという気持ちを抑えるのに苦労した。
八ヶ岳のようだと思いながら針葉樹の林を歩き、ダケカンバが這うようになって開けた谷に出ると急登が始まった。積雪は足首くらいで、先人たちの残したステップがしっかりと刻まれている。再び樹林帯に入ると積雪は脛くらいになったが、ワカンは必要なかった。テントを張っている方がいて、自分もビバーク適地を念頭に置いて進む。
九十九折りの急登は顔を上げると更なる急登を見上げることになり、折り返す度に心も折れそうになる。そんな中、先行の若者に追い付く。
聞くと農鳥小屋まで行くそうで、大晦日にも来たのだが撤退したとのこと。僕も2日に来ましたよと先週の顛末を話すと、そうそう看板2つありましたよね!と盛り上がる。彼も河原に降りたそうで、渡渉に1時間もかかってしまい、それも撤退の原因になったと言っていた。
自分だけじゃなかったんだと不運を分かち合えたことで、僕の気が晴れたように彼の気も晴れていたら良いなと思う。
再び永遠とも思える急登に取り掛かる。ビバーク適地があったが、14時までは進もうとパスする。ピストンの強者とスライドし、崩れたステップに難儀するが、ラッセルの比ではないと自分に言い聞かせて登る。疲れ切った頃、ソロテントがどうにか張れそうな場所を見つけてザックを投げ出す。設営していると若者が登ってきて、がんばってと見送る。
寝袋に潜り込んだら気が抜けて昼寝をする。雪が柔らかく寝心地が良い。目を覚ますとまだ日が残っており、ウイスキーで晩酌を始める。スマホを見ると電波があり、ラジオの配信を聴きながらKindleで本を読む。日が落ちてからテントを開けると、漆黒の闇にトランペットの音色が吸い込まれていった。
ダウンソックスにマグマを入れて就寝する。
4時に目覚めると寝袋が結露で濡れていた。気温は-17℃だったがそれほど寒さは感じず、湯を沸かして朝食を摂り5時に出発する。
ヘッデンで照らすと、灰色の雪面に一筋のトレースが白く浮かび上がる。昨日の急登はまだまだ続き、あそこでビバークして良かったと思う。
樹林帯を抜けて谷を直登していく。空が白み始めて周囲の様子が見える。振り返ると凄い斜度だがしっかりしたステップがあるので不安はない。風もないのでハイマツ帯で一休みして、大門沢下降点の鉄塔に至る。気温は-20℃。
広い稜線は荒涼としていた。風が吹き始め、山頂手前の岩稜帯で雲から日が登る。山頂に立った頃には更に風が強まり、感慨に浸る余裕もなく西農鳥岳方面を覗きに行くが、ふと足指の感覚がないことに気付く。手指も悴んで痛い。この風に吹かれ続けるのはまずい。風を凌げる所まで戻らなくては、と踵を返す。
岩稜帯を下り、日の当たる岩の上で手足の指を動かし続けるが一向に血が巡らない。転倒の次が凍傷ではシャレにならない。稜線上にいてはダメだと下降点を目指し、歩きながらも指を動かし続ける。下降点からハイマツ帯に入ると途端に風がなくなり、空気が緩む。谷を下り樹林帯に入った頃、指に血が通い始めてほっとする。
テントに戻ったら寝袋で温まろうと思っていたが、十分温まっていたのでそのまま下山の途に就いた。空を埋め尽くす虫のように舞う粉雪が、朝の光に輝いていた。