活動データ
タイム
02:30
距離
1.4km
のぼり
154m
くだり
157m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る旧道旧跡散策などによく同行していただいていたS氏が青陰城跡の伐採作業をしていることを知り、先日も登ったのだが不在、今回は作業中のところを久しぶりに再会。 すでに南方面の伐採は終え、北方面の伐採にかかっているところであった。 これまで北斜面に2本の武者走りが見つかっているが、今回の伐採でその上にもう一本武者走りが見つかったとのこと。 北斜面は寺院の大屋根のようなフラットな地形で、その東側と西側そして中央から、3本の枝尾根が山頂から北の麓に向かって伸びている。因島アルプス9座ルートの青影山東西方向の稜線の尾根とは別の尾根で、実際に歩いてみないと分かりにくい尾根である。 北斜面の東と西の枝尾根それぞれには連郭式の郭(曲輪)があって、先の2本の武者走りは東西の郭を結ぶトラバースの道であるが、今回の武者走りは本丸・二の丸の直下であり、本丸・二の丸を結ぶ土橋を通らぬ第二の連絡道だったではとのこと。 さらに青陰城跡の説明板も見つかった。 元々は本丸西端に設置されていたものだが、青影山頂は強風が吹く場所であり、風で飛ばされて北斜面に落ちていたものと思われる。 ネット検索すると、「かの山」さんのブログにて2010年4月時点ではまだ看板に付いている。 「青影城跡 標高277mの青影山の頂にあり、元弘年間村上義弘が居城してから慶長元年10代村上吉亮が世を終わるまで、約260余年間村上家累代の城であった。 当時をしのぶものとして、本丸跡と二の丸跡の平坦地、それをつなぐ通路が一段低くなって頂上を形成、本丸の下に武者走り、東に三の丸の城門、石風呂、井戸等の跡があり、昭和32年9月、広島県史跡として指定された。」 『石風呂』があったというのはこの説明板で初めて知った。竹島(亀島)に岩風呂があったのは知られた話であるが。 青影山山頂には三角点はなく、地理院地図には標高点275mが示されている。説明板は277mとなっていて調べてみると名著『因島史跡散歩』に記されており、さらに古い地図では268mと記されている。 「東に三の丸の城門」はこれまでの知識とは異なり、要調査。 ❖伐採の歴史 「青影山・奥山線」が整備された時、ここ青影山にもミニ重機が入り、かつての松林の丘陵は消え、削平されて公園と化した。因みに松林が消えたのは昭和40年頃から瀬戸内海沿岸に広がった松くい虫被害によるもの。 公園化時に山頂周囲の大木は伐採されてとても見晴らしがよくなったが、山が自然に戻る速度は速く5年10年で木々の背は高くなり見通しがなくなる。 5年か10年かに一度、県の委託を受けた業者が青影奥山線ハイキングコースを伐採・道修復しているが、木々の成長はなお速い。 10年ほど前だったか、県の委託を受けた専門業者が青影山周辺の大木の伐採整理作業に入り、伐採された切株にはナンバリングのテープが張られた。 再び見晴らしは完璧になったが、それもやがて見通しはなくなっていった。 S氏の伐採は委託業者の合間を、村上海賊振興協会などからの依頼を受けて適宜行っていて、県依頼業者が行った伐採切株跡を目印に行っているが、急斜面や大木の枝ぶりのバランスが悪いものは専門業者でないとできない木もあるとのこと。 また山頂平地の雑草草刈については、奥山安全登山委員会などのボランティアによるものと思われる。
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