四国遍路その17
出典: Wikipedia
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「妙雲寺」から四国中央市の「延命寺」までの歩き遍路主要ルート
- 難易度2体力度3
東赤石山(ひがしあかいしやま)は、四国に位置する標高1,706mの山である。愛媛県四国中央市(旧宇摩郡土居町)と新居浜市(旧宇摩郡別子山村)の境界に位置する。 東赤石山は、愛媛県東部に位置する法皇山脈の最高峰であり、日本二百名山、花の百名山、および四国百名山の一つである。オトメシャジンに代表される特有の高山植物、そして鉄分が酸化され赤茶けたかんらん岩が剥き出しの荒々しい岩峰で知られる。この赤茶けた岩石が山名の由来である。 地質的には三波川変成帯に属し、超塩基性岩が広く分布するため東赤石山かんらん岩体と呼ばれる。北側斜面は五良津岩体と呼ばれ、角閃岩やエクロジャイトなど高圧下で生成した変成岩が見られる。 嶺北(旧土居町側)にはクロム鉄鉱、ダンかんらん岩(かんらん岩の一種)を採掘した赤石鉱山が1980年ごろまで存在し、登山路も土居町河又(こうまた)を南進し五良津(いらづ)林道終点からこの赤石鉱山を経由するルートが一般的だった。現在では五良津林道の水害による荒廃の一方、嶺南(旧別子山村側)は道路整備が進んだため、同村筏津(いかだづ)、瀬場(せば)からのルートや、同村床鍋(とこなべ)から権現越経由のルートが一般的である。なお、嶺北からは、土居町河又または五良津林道終点から五良津尾根の送電線保線路を利用し、権現越に至るルートもある。 山頂には三等三角点、「赤石」が設置されている。 山頂から西の峰続きである八巻山(はちまきやま)の南麓に、山小屋「赤石山荘」がある。
- 難易度2体力度3
西赤石山(にしあかいしやま)は、四国山地西部の石鎚山地に属する山である。山名は赤茶けた変色を示す橄欖岩質が由来の東赤石山の西側に位置することによる。 新居浜市街地の南方に、東西に緩やかな稜線を引いた三角形の頂上を持つ山が西赤石山である。西赤石山の南西側の鞍部は銅山越 (1294m) と呼ばれ、かつて銅の製錬による煤煙や伐採により禿山となっていたが、温暖地域にあって標高が比較的低いにもかかわらず、現在ではツガザクラやアカモノなど高山植物の宝庫となっている。これらの高山植物はこの地域が日本における南限となる。江戸時代は現在の鹿森ダム付近の遠登志(おとし)から銅山越までの中持道を、男子は12貫(45キログラム)、女子は8貫(30キログラム)の荒銅を担ぎ降ろし、生活物資を担いで登ったという。 西赤石山の山腹は遠方から眺める山容とは打って代わり急斜面で、5月下旬頃からアケボノツツジが花を咲かせる。山頂には二等三角点、「銅山」が設置され1625.68mとなっている。
- 難易度2体力度3
ちち山(ちちやま)は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山である。乳山とも表記され、かつては西側に対峙する笹ヶ峰が母山であるのに対し、父山でもあったという。 笹ヶ峰 (1,859m) に匹敵する標高であり新居浜市の最高峰でもあるが、なだらかな山容の笹ヶ峰に対し台形の険しい岩峰の様相を呈する。笹ヶ峰との間は「ちち山のコル」と呼ばれ、かつては「高天原」と呼ばれたという。ちち山の山頂からやや東側で石鎚山脈の稜線は南北に分岐して「ちち山別れ」と呼ばれ、南側は平家平に続き、西赤石山に続く北側は法皇山脈となる。ちち山別れ付近は銅山川の源流域であり、ちち山は国領川の源流域に位置する。 山頂には、かつて笹ヶ峰に建立されていた石鉄神社から遷された蔵王権現を祀る祠がある。山頂からは間近に笹ヶ峰、筒上山など石鎚山脈の山々、さらに新居浜平野、瀬戸内海から太平洋まで望むが、笹ヶ峰とはまた異なる眺望である。寒風山から平家平にかけ、ちち山を含む笹ヶ峰一帯の山稜部は1982年に笹ヶ峰自然環境保全地域に指定された。
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