「心に残る山行トップ10」第3位 若丹国境・五波谷峠から芦生三国峠、根来坂

2020.06.14(日) 日帰り

活動詳細

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---------------------------------------------------  若丹国境若狭越 1968年11月1〜6日 ---------------------------------------------------  当時、森本次男さんや金久昌業さんに傾倒していたので、大いに影響を受けて行った峠越え。国境縦走も考えたが、当時はブッシュでやっとこさで通過したというパーティがあるくらいだった。この峠越は自分の企画が通った山行だったので、思い出深いものだ。  ボクは若狭人ではないが由良川下流に住む(住んでいた)丹波人としてその源流地帯に興味があったのが契機だろう。前年の「由良川源流と京都北山」とともに、ボクの以後の山行スタイルを決めたといってもよい経験だった。(山行とは違うな)  後半、根来峠までは覚えているが、木地山峠まで行ったのかどうか、あやふやだったが、どう考えても木地山峠は越えていたように思う。 ■コース概要 11/1 安掛−田歌−五波谷−五波谷峠−染ヶ谷TS 11/2 TS−権蔵坂−内杉谷−須後(入林手続きピストン)−中のツボTS 11/3 TS−内杉谷ー下谷ー長治谷−杉尾峠−野田畑峠−長治谷TS 11/4 TS−三国峠−クチクボ峠−生杉−小入谷−大倉谷TS 11/5 TS−根来峠−上根来−木地山峠−木地山TS(多分) 11/6 TS−朽木−安曇川? ※当時の写真(白黒)が少ないので、後に歩いたときの写真(カラー写真)を補充した。中に春先の写真があって季節外れではあるが、ご容赦。 ■11/1 五波谷峠  今のようなビレッジラインができる前なので、五波谷を遡行した。谷の様子は全然覚えていないが、峠は写真があるのでよく覚えている。ササのブッシュ状態で、尾根通しはやっぱり無理やなあと思った。  染ヶ谷のどこかでテントをはったが、ある家の軒下に「祝甲子園出場・・・若狭高校」という手ぬぐいが干してあった。そうか、若狭高校といえば川藤だ!川藤がいた若狭高校が甲子園に出たのか、と納得した。 ■11/2 権蔵坂  権蔵坂を越してヒツクラ谷を下った。中のツボ出合いで幕営したようだがはっきり覚えていないが、ボクとMさんが入林手続きで須後にピストンした、 ■11/3 京大演習林  内杉谷林道を登ったが、ちょうど林道を作っていて伐採も始まっていた。演習林なのでなんで伐採するの?と奇異に思った。 ■11/4 三国峠と生杉  三国峠、クチクボ峠は記憶がないが、生杉の集落はよく覚えている。3日間山の中だったので、里の光景が懐かしかった。 ■11/5 根来坂   さて、ここからが問題。根来峠はピストンしたのか?根来峠に行ったのははっきり覚えているが、その後がわからない。根来坂を降る途中、P706の巻き道の修正や、岩?があったこと、木地山峠に登る途中の水場記号を描いているので、多分、木地山峠は越えていると思う。  根来峠西の稜線上は伐採が入っていて明るかった。峠では「あれが百里か」と言ったことは鮮明に覚えている。 ■11/6 この日の記憶がない。  時間がある時は、基本交通機関は使わないということだったので、安曇川の駅(江若鉄道!)まで歩いたように思う。  前にも書いたが、第4位の「由良川源流と京都北山」とともに、ボクの以後の山行スタイルを決めたといってもよい山行だった。どうも。良くも悪くも金久さんの(ガイドブック)の影響が大きいようだ。金久さんの本に書いてあったが、お父上は丹後の出で、春先まだ雪のある元普甲峠を越え、園部まで歩いて京都に出たというので、そのルーツを大いに感じられていたのだろう。ボクは由良川下流の出で、大洪水を見てきたし、高校の時は毎日渡っていたので、「その上流はどうなってるんか?」と当然思うだろう。金久さんと同様、ルーツ感覚を引きずっているのが契機となっているんだろう。  今年のテーマも若狭越!多分終わりもないかな?

三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 11/1 安掛−田歌−五波谷−五波谷峠−染ヶ谷TS
11/2 TS−権蔵坂−内杉谷−須後−中のツボTS
上の地図ではルートを記入していないが、地図を紛失したので新たに購入したもの。地図に「内杉谷」とあるのは間違い。櫃倉谷(ひつくら谷)やな。もっと古い地図では「ナヤスケ谷」と書いてあった。
11/1 安掛−田歌−五波谷−五波谷峠−染ヶ谷TS 11/2 TS−権蔵坂−内杉谷−須後−中のツボTS 上の地図ではルートを記入していないが、地図を紛失したので新たに購入したもの。地図に「内杉谷」とあるのは間違い。櫃倉谷(ひつくら谷)やな。もっと古い地図では「ナヤスケ谷」と書いてあった。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 五波谷峠
今は「五波峠」となっているが、標柱には「五波谷峠」とある。各種ガイドブックも「五波谷峠」だった。もっとも元来「ごなみ坂(漢字忘れた)」らしいので間違いではないけど・・・
五波谷峠 今は「五波峠」となっているが、標柱には「五波谷峠」とある。各種ガイドブックも「五波谷峠」だった。もっとも元来「ごなみ坂(漢字忘れた)」らしいので間違いではないけど・・・
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 11/3 TS−内杉谷ー下谷ー長治谷−杉尾峠−野田畑峠−長治谷TS
11/3 TS−内杉谷ー下谷ー長治谷−杉尾峠−野田畑峠−長治谷TS
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 2018年のOB同期会トレッキングでガイドからもらった京大研究林マップ
2018年のOB同期会トレッキングでガイドからもらった京大研究林マップ
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 同期会トレッキングでは長治谷までバスで送ってくれるが、1968年当時はもちろん歩き。
同期会トレッキングでは長治谷までバスで送ってくれるが、1968年当時はもちろん歩き。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 下谷・栃の木平
下谷・栃の木平
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 長治谷作業所前で寛ぐ
長治谷作業所前で寛ぐ
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 現在の長治谷作業所
現在の長治谷作業所
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 上谷を行く。正面に見えているのが野田畑峠の鞍部
上谷を行く。正面に見えているのが野田畑峠の鞍部
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 野田畑峠を望む
野田畑峠を望む
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 野田畑付近
野田畑付近
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 上谷
上谷
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 これがどこか確定できないのだが、多分「杉尾峠」だろう。芦生山の家のトレッキングガイドに同じような写真が載っていたので。
これがどこか確定できないのだが、多分「杉尾峠」だろう。芦生山の家のトレッキングガイドに同じような写真が載っていたので。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 ここがどこか不明。野田畑峠かも?
ここがどこか不明。野田畑峠かも?
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 いったん長治谷に帰る。
いったん長治谷に帰る。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 11/4 TS−三国峠−クチクボ峠−生杉−小入谷−大倉谷TS
11/4 TS−三国峠−クチクボ峠−生杉−小入谷−大倉谷TS
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 生杉はこんな感じの集落だった。
生杉はこんな感じの集落だった。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 小入谷から根来坂を望む
小入谷から根来坂を望む
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 大倉谷出合、このあたりで幕営したはず
大倉谷出合、このあたりで幕営したはず
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 付近は春先はこんなのだが、秋は錦繍。
付近は春先はこんなのだが、秋は錦繍。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 11/5 TS−根来峠−上根来−木地山峠−木地山TS(多分)
11/5 TS−根来峠−上根来−木地山峠−木地山TS(多分)
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 根来坂途中のやけお地蔵
根来坂途中のやけお地蔵
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 あれが百里ヶ岳?
あれが百里ヶ岳?
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 根来峠
根来峠
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 峠で「あれが百里か」と言ったことは鮮明に覚えている。しかし、その後登らずじまい。
峠で「あれが百里か」と言ったことは鮮明に覚えている。しかし、その後登らずじまい。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 根来坂を上根来に降る。お地蔵さん祠。
根来坂を上根来に降る。お地蔵さん祠。
三国岳・経ヶ岳・小野村割岳 岩場少々
岩場少々

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