「心に残る山行トップ10」第1位  越後ニ山と利根川源流稜線を平ヶ岳

2020.06.12(金) 日帰り

活動詳細

すべて見る

 世の中は自粛明けに向かったようで、みなさんから精力的なレポが上がってきています。そういう中、入梅かつ診察通院予定が詰まってきたので、こちらはいまだに自宅待機中であります。  はなはだ場違い感満載の気はするけれど、この機会に昔からの山行記録を含めて、「心に残る山行トップ10」をまとめてみました。  トップ10と言っても、心に残る=記憶に残っているのは快心の山行から撤退が相次ぎえらい目にあった山行まで含みます。しかし、よい山域のよい山行であっても記憶にあまり残っていないものもある。なぜ記憶に残るんだろうと考え始めたのがきっかけです。多分、自分の個性が山を呼び、その結果が(えらい目に会ったとしても)自分のアイデンティティを形成し、さらに新たな山を呼ぶというプロセスがあって、その相互作用みたいなのが記憶として残るんだろうと思います。さらに、未完に終わってどうも気になる「心残り」の山行が「心に残る・記憶に残る」山行になっているのもあります。  しかし記憶に残っていても記録が希薄(写真が無い)ものもあるんで全部の紹介はできません。まずは、トップ「越後2山と平ヶ岳」から。 ■越後ニ山と利根川源流稜線を平ヶ岳 1969年8月13〜20日 8/13-14 大阪−小出−大湯−駒の湯TS 8/15 TS8:00−11:00栗の木の頭−鎖場−12:50小倉山−14:40百草の池−16:25駒の小屋 8/16 駒の小屋8:00−8:05駒ケ岳−11:25檜廊下−13:15中ノ小屋 8/17 中ノ小屋5:20−6:50小兎岳−7:55兎岳−10:30大水上山−12:00P1592(現P1610)の手前から    ブッシュ−14:30コンター1700m、今の藤原山付近は絶好のTS−16:30藤原山(今のニセ藤原    山)TS 8/18 TS5:20−11:40剣ヶ倉山−14:45平ガ岳TS 8/19 TS平ガ岳散策11:15−12:05鷹の巣清水−15:20分岐−16:10鷹の巣−尾瀬口山荘 8/20 銀山湖−銀山平−小出 ※今は従来の藤原山の位置はニセ藤原山。今の藤原山はコンター1700mの尾根が南に折れ曲がるあたりだ。 8/14 数日前までは集中豪雨で只見川氾濫で大変だったらしい。小出の駅でどろどろのO君と合流。いったいどこにおったんや!? 8/15 夏合宿後半(白山)は霧で散々な目に遭って、その二の舞いかと恐れたが、8/15のお昼頃から晴れてきた。その後は快晴につぐ快晴だった!ボクは気象係で天気図をつける役なのだが、全部サボった。天気予報が連日晴れと言っているので。公式記録に記録係がズボラなヤツだと文句を書いていたけど・ 駒ヶ岳からは絶景だったらしいが、あまり覚えていない。 8/16 駒ヶ岳でご来光!檜廊下は確かに痩せ尾根であるが、小ピークやそれより小さなアップダウン、木の根の段差を乗り越えるので必死だった。どうも台高主稜線に似ているなあと思いつつ歩いていたのを思い出す。台高は狭い稜線で周りは崖または樹林だったが、こちらは崖はあるものの稜線脇にはお花畑が広がる素晴らしい回廊だった。 8/17 中の小屋泊、中ノ岳からの八海山のガレは見るからに恐ろしかった。あんなとこ誰がいくんや!ということでピストン中止。  兎岳を越えた鞍部で、ボクとU君が巻倉沢に200mほど下って水をとりにいったというが、全然覚えていない。雪渓があったという。大水上山からもしっかりとした踏み跡があった。 12:00 P1592(現P1610)の手前からブッシュになったが、そう酷いものではない。 14:30 今の藤原山付近は絶好のTSだ。そこを過ぎるとブッシュがひどくなり道が不明。 8/18 剣ヶ倉山へ、ササブッシュだがそんなにひどくはない。剣ヶ倉山を過ぎればブッシュはなくなり平ガ岳は目前だ。のんびりとあるく。歩くより休憩が多かったような。 4:45、平ヶ岳着。最後に残った水1Lで4人で乾杯。何もいうことがないほどの楽園だ。 8/19 平ヶ岳を午前中散策と昼寝。ブッシュの苦闘はそれほどでもなかったが、それなりに緊張したのは事実だ。なにしろエスケープルートがない。これに対する弛緩も許されて良いだろう。  下山は快速で降りた(近年開かれた台倉山コース)。夜は尾瀬口山荘で本当の乾杯だ。 8/20 銀山湖で遭難者に花束を手向けておいた。合掌。 (まとめ)3年ほど温めてきた山行で、予想以上にブッシュが少ないという嬉しい誤算もあったが、自分の企画の中でが会心の山行だった。当学の山岳部の連中が1〜2年前に歩いたと言うので、記録ももらって安心はしていたが・・・今までを考えてもベスト山行になると思う。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ■「記憶に残る山行トップ10」 ○写真あり、レポ予定 ●写真なし ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 1:越後2山と平ガ岳○1969年  自分の企画で行った快心の山行。自分のスタイルが固まってきた時期だったので、「こういうのが好きなあんやなあ」と自覚しだした山行。 2:停滞と撤退が相次いだ和賀岳から岩手山●1968年  えらい目にあった失敗山行例であるが、それだけに記憶に残る。人間は窮地に追い込まれても、なんとかするもんやなあと実感した。だいぶん、細かいことには動じなくなったぞ。  東北のイナカの風景もよかったが、その炎天下ロードウォークもなかなか味がある。ちょっとした大きな橋のたもとで休憩、風が涼しかった。新しいガードレールの真っ白が目にまぶしく、いかにも夏の感じがした。この光景が、以後、ロードがちょっと好きになった原因だと思っている。ロード好きを自覚した山行でもあった。 3:若丹国境若狭越○1968年  当時、森本次男さんや金久昌業さんに傾倒していたので、大いに影響を受けて自分で企画した峠越え。ボクは若狭人ではないが由良川下流に住む(住んでいた)丹波人としてその源流地帯に興味があったのが契機だろう。前年の「由良川源流と京都北山」とともに、ボクの以後の山行スタイルを決めたといってもよい経験だった。(山行とは違うな) 4:由良川源流と京都北山●1967年  由良川源流核心部の溯行。由良川下流で生を受けた丹波人としては源流は行っとかないと。この山行がボクの以後の山行を決めたといってもいいくらいのエキサイティングな山行だった。ただし京都北山は記憶に残っているのは多くないことが分かって愕然とした。北山フリークを自認してたのに。そういうことで、最近「北山詣」と称してことあるごとに行っている。しかし、桟敷ヶ岳か魚谷山に集中してきたような? 5:南アルプス赤石岳3題○1973、1976、1977年  北アをほっぽらかして何故か南ア・赤石に3回行った。写真で見ていた北アとは違うダイナミックさに憧れたんだと思う。「縦走とは山岳ドライブや」などと考えていたような気がする。 6:石狩岳からトムラウシ○1967年  最初の本格的な山行なので記憶に残らないはずがない。ニペソツは霧中真っ白で何も記憶にないが、石狩ートムラウシは良いお天気で快適だった。トムラウシのお花畑もよかったが、それ以上に石狩岳の細い稜線が記憶に残っている。合宿2週間、さらに1週間弱うろうろして、本来アポイ岳に登るつもりがさすがに疲れて省略したのが心残り。山行以外にも数々の(しょうもない)思い出がある。 7:丹波・頭巾山・天狗畑・地蔵杉○2019、2018年  最近の山行である。2016年秋、オバタケダンから見た頭巾山から長老ヶ岳に伸びる稜線をみて行ってみたいと。さらに、2017年にイナカの実家から5分ほど歩くと長老ヶ岳から地蔵杉、ca.880峰、大栗山が見えるのがわかったこともあって、最近はこの周辺ばかり。丹波人・綾部人としては歩いておかないと! 8:笈ヶ岳下見の大笠山●1969年  合宿の下見で大笠山に登り笈ヶ岳を見て、相棒と顔を見合わせて「これは無理やなあ」と思った。その後、桂の境川を少し遡行すると、大きなスノーブリッジがあってヒヤヒヤしながらしばし戯れる。そこで終われば良かったものの、仕事に忠実で笈ヶ岳の南側も見ておかないとて、ふくべ山に行った気がする。さらに三方岩から西の谷に降りてバテバテ。暗くなってから谷底に降りてビバーグ、朝起きたらダイナマイトの横で寝ていたというオマヌケ話がオチとなった思い出の山行。 9:品谷峠○2017年  2回めにしてやっと品谷を遡行でき、佐々里ー釜が原ー品谷ー品谷峠ー八丁ーソトバ峠ー小塩ー井戸まで通すことができた。若狭街道歩きで山登りではないので、1回め失敗したときに登った品谷山も含めておこう。 10:台高4題●1968、1968?、1969年、?年  10番目を何にするか?南ア・塩見岳か聖岳ー光岳縦走、台高か迷ったけれど、4回まとめて台高にした。白鬚岳から明神平、明神平から池木屋山を南下し地池越か父ヶ谷越まで行ったはず。キノコ股谷に降りたはずだか、その谷では2回幕営した。小ピークや木の根段差の昇り降りで疲れ果てて幕営した谷は最高の休息場だった。幽玄さただようカツラの大木の根本だった。1回は冬に夏シュラフで寒かったけど。  少し整理してみて、えらい偏った山行やったなあと。しかしそれが個性なんで仕方がない。また、山行意以外での細かい(しょうもない)思い出が蘇ってくることも多かった。 以上

平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 8/15 駒の湯TS8:00−11:00栗の木の頭−鎖場−12:50小倉山−14:40百草の池−16:25駒の小屋
国土地理院5万図から 越後駒ヶ岳
8/15 駒の湯TS8:00−11:00栗の木の頭−鎖場−12:50小倉山−14:40百草の池−16:25駒の小屋 国土地理院5万図から 越後駒ヶ岳
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 のっけからよくわからん写真。多分、中ノ岳を北から見ていると思うのだが。
のっけからよくわからん写真。多分、中ノ岳を北から見ていると思うのだが。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 8/16 駒の小屋8:00−8:05駒ケ岳−11:25檜廊下−13:15中ノ小屋
8/16 駒の小屋8:00−8:05駒ケ岳−11:25檜廊下−13:15中ノ小屋
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 多分、檜廊下あたりから荒沢岳
ここは1979年梅雨末期の豪雨で撤退!
多分、檜廊下あたりから荒沢岳 ここは1979年梅雨末期の豪雨で撤退!
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 8/17 中ノ小屋5:20−6:50小兎岳−7:55兎岳−10:30大水上山
 大水上山からもしっかりとした踏み跡があった。
12:00 P1592(現P1610)の手前からブッシュになったが、そう酷いものではない。
8/17 中ノ小屋5:20−6:50小兎岳−7:55兎岳−10:30大水上山 大水上山からもしっかりとした踏み跡があった。 12:00 P1592(現P1610)の手前からブッシュになったが、そう酷いものではない。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 さて、これがどこか分からん。中ノ岳からの下りをみているのか?
さて、これがどこか分からん。中ノ岳からの下りをみているのか?
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 兎岳あたりから正面に中ノ岳、右手に駒ヶ岳を見る。
兎岳あたりから正面に中ノ岳、右手に駒ヶ岳を見る。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 大水上山あたりから、利根川水源の稜線と遠く平ヶ岳を望む。左一番奥は燧ヶ岳。
大水上山あたりから、利根川水源の稜線と遠く平ヶ岳を望む。左一番奥は燧ヶ岳。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 14:30コンター1700m
今の藤原山付近は絶好のTS−16:30藤原山(今のニセ藤原山)TS
14:30コンター1700m 今の藤原山付近は絶好のTS−16:30藤原山(今のニセ藤原山)TS
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 ニセ藤原山付近から、剣ヶ倉山とP2072と平ヶ岳のスソ(多分)
ニセ藤原山付近から、剣ヶ倉山とP2072と平ヶ岳のスソ(多分)
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 この写真がどこか分からない。なだらかな稜線の具合をみると、剣ヶ倉山あたりから北をみたものと思うのだが、それにしては大水上山がはっきりしない。 または大水上山から丹後山方面かな?
=>HROさんの中ノ岳ー丹後山ループの写真により、兎岳周辺から大水上山ー丹後山方面の稜線を撮ったもにと判明。ありがとうございます。
この写真がどこか分からない。なだらかな稜線の具合をみると、剣ヶ倉山あたりから北をみたものと思うのだが、それにしては大水上山がはっきりしない。 または大水上山から丹後山方面かな? =>HROさんの中ノ岳ー丹後山ループの写真により、兎岳周辺から大水上山ー丹後山方面の稜線を撮ったもにと判明。ありがとうございます。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 8/18 TS5:20−11:40剣ヶ倉山−14:45平ガ岳TS
8/19 TS平ガ岳散策11:15−12:05鷹の巣清水−15:20分岐−16:10鷹の巣−尾瀬口山荘
8/18 TS5:20−11:40剣ヶ倉山−14:45平ガ岳TS 8/19 TS平ガ岳散策11:15−12:05鷹の巣清水−15:20分岐−16:10鷹の巣−尾瀬口山荘
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 剣ヶ倉山を過ぎればブッシュはなくなり平ガ岳は目前だ。のんびりとあるく。歩くより休憩が多かったような。
剣ヶ倉山を過ぎればブッシュはなくなり平ガ岳は目前だ。のんびりとあるく。歩くより休憩が多かったような。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 14:45、平ヶ岳着
最後に残った水1Lで4人で乾杯。何もいうことがないほどの楽園だ。
14:45、平ヶ岳着 最後に残った水1Lで4人で乾杯。何もいうことがないほどの楽園だ。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳 右から、O,O,U,M
残念ながら、一人はもう亡くなってしまった。
右から、O,O,U,M 残念ながら、一人はもう亡くなってしまった。
平ヶ岳・台倉山・池ノ岳  弛緩のひととき
弛緩のひととき

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。