旧福島川と旧可部線を辿ってみた

2024.01.20(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 48
休憩時間
25
距離
19.8 km
のぼり / くだり
33 / 33 m
4 38

活動詳細

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(PC推奨) 山日記ではないし、興味の無い方には只の市街地徘徊に過ぎないのでスルーで。 天気は下り坂、腰も痛くて調子悪いし、日曜は用事で身動き取れん💧 今週は活動お休みにしようと思ったけど、フォロワーさんからとても貴重な冊子をお借りしたことからマニア心が疼いてしまい、傘を持って出かけることにした。 広島市デルタゾーンには7本の川があると昔誰かに聞いたような気がするが、東から数えると猿猴川、京橋川、元安川、旧太田川(本川)、天満川、太田川放水路の6本しかない🤔 実際は、河川改修で太田川放水路が作られた位置に、福島川と山手川という2つの川があったことが知られている。 太田川放水路に取り込まれずに大部分が陸地側に残っている福島川について、今回はスポットを当ててみた。

広島市 1_国際情報社発行の『新しい日本』全24巻、そのうち中四国編の4巻をお借りしたが、発行日が昭和38年、なんと自分が生まれるよりも前😲
当然ながら絶版です
1_国際情報社発行の『新しい日本』全24巻、そのうち中四国編の4巻をお借りしたが、発行日が昭和38年、なんと自分が生まれるよりも前😲 当然ながら絶版です
広島市 2_広島市街の空撮が収められているが現在と違いすぎて驚く😲
2月に開業を控える新サッカースタジアム用地となった中央公園は影も形もなく平屋建ての家屋が密集し、その傍の空鞘橋もまだ架かっていない
太田川放水路は新庄橋付近より上流は工事中で、大芝水門・祇園水門も完成していない
安佐南区方面も都市化がまだ進んでおらず青々とした伝統の広島菜?の畑が目立つ
今回はこれに着目して活動することにした
2_広島市街の空撮が収められているが現在と違いすぎて驚く😲 2月に開業を控える新サッカースタジアム用地となった中央公園は影も形もなく平屋建ての家屋が密集し、その傍の空鞘橋もまだ架かっていない 太田川放水路は新庄橋付近より上流は工事中で、大芝水門・祇園水門も完成していない 安佐南区方面も都市化がまだ進んでおらず青々とした伝統の広島菜?の畑が目立つ 今回はこれに着目して活動することにした
広島市 3_通勤でも使う道をいつもと視点を変えて、当時との変遷を確かめるべく現地へ🚶‍♂️
3_通勤でも使う道をいつもと視点を変えて、当時との変遷を確かめるべく現地へ🚶‍♂️
広島市 4_広島デルタゾーンを洪水や浸水被害から守ってくれる大芝水門(左)と祇園水門(右)
祇園水門は平水時は3門のうち1門だけ流量調整で開閉して、放水路への流量をコントロールしている
4_広島デルタゾーンを洪水や浸水被害から守ってくれる大芝水門(左)と祇園水門(右) 祇園水門は平水時は3門のうち1門だけ流量調整で開閉して、放水路への流量をコントロールしている
広島市 5_大芝水門を下流側から、平水時は右側の3つのゲートを上げて開放している
5_大芝水門を下流側から、平水時は右側の3つのゲートを上げて開放している
広島市 6_銘板には太田川分水堰、昭和39年12月竣工となっていた
6_銘板には太田川分水堰、昭和39年12月竣工となっていた
広島市 7_昭和30年代の写真に今回のGPS軌跡を重ねてみた
大芝水門と祇園水門は基礎工事段階で、祇園大橋は完成しているがまだ太田川放水路は開削中である
また、牛田新町方面は祇園新道(R54)付近までが旧太田川の河道となっている
(カシミール3Dより作成)
7_昭和30年代の写真に今回のGPS軌跡を重ねてみた 大芝水門と祇園水門は基礎工事段階で、祇園大橋は完成しているがまだ太田川放水路は開削中である また、牛田新町方面は祇園新道(R54)付近までが旧太田川の河道となっている (カシミール3Dより作成)
広島市 8_これは西日本豪雨の時に撮った写真、分かりづらいがこの時の祇園水門のゲートはフルオープンで太田川の濁流を放水路側へ一手に引き受けていた
8_これは西日本豪雨の時に撮った写真、分かりづらいがこの時の祇園水門のゲートはフルオープンで太田川の濁流を放水路側へ一手に引き受けていた
広島市 9_大芝水門はゲートを全閉し、左側の越流堤からの溢水を受け入れるのみで、広島デルタへの流入を最小限に抑えている、もし2つの水門が機能してなかったらと想像するとゾっとする
9_大芝水門はゲートを全閉し、左側の越流堤からの溢水を受け入れるのみで、広島デルタへの流入を最小限に抑えている、もし2つの水門が機能してなかったらと想像するとゾっとする
広島市 10_戦後、爆心地に近く焼野原となった基町地区は、住処を失った住民や引き揚げ者によるバラックが建ち始め、原爆スラムと呼ばれる迷路のような住宅密集地となり多くの火災が発生した
基町再開発事業により高層アパート建設や中央公園、護岸緑地の整備が進められた
10_戦後、爆心地に近く焼野原となった基町地区は、住処を失った住民や引き揚げ者によるバラックが建ち始め、原爆スラムと呼ばれる迷路のような住宅密集地となり多くの火災が発生した 基町再開発事業により高層アパート建設や中央公園、護岸緑地の整備が進められた
広島市 11_河岸緑地は市民の憩いの場となっている、正面は空鞘橋
11_河岸緑地は市民の憩いの場となっている、正面は空鞘橋
広島市 12_⚽J1サンフレッチェ広島の本拠地となるエディオンピースウイング広島も、スタジアム周辺の整備を残しほぼ完成
12_⚽J1サンフレッチェ広島の本拠地となるエディオンピースウイング広島も、スタジアム周辺の整備を残しほぼ完成
広島市 13_出来立てほやほやのピッチと紫の座席が見えるね~🤩✨
13_出来立てほやほやのピッチと紫の座席が見えるね~🤩✨
広島市 14_空鞘橋を渡って対岸から、#2空撮の面影が残るのは市営基町アパートくらいかな?
14_空鞘橋を渡って対岸から、#2空撮の面影が残るのは市営基町アパートくらいかな?
広島市 15_横川橋、1983年に架け替えられたもので、#2の空撮では大正12年に架けられた旧アーチ橋が写っている
15_横川橋、1983年に架け替えられたもので、#2の空撮では大正12年に架けられた旧アーチ橋が写っている
広島市 16_欄干に当時の旧アーチ橋のレリーフ、原爆にも落橋せずに耐え、焼け出された被災者が横川橋を渡り北部へ避難することができたと言われる
16_欄干に当時の旧アーチ橋のレリーフ、原爆にも落橋せずに耐え、焼け出された被災者が横川橋を渡り北部へ避難することができたと言われる
広島市 17_こちらはもっと古い江戸時代の木橋の様子が描かれたもの、横川橋は広島から出雲石見に至る雲石街道の要所であった
17_こちらはもっと古い江戸時代の木橋の様子が描かれたもの、横川橋は広島から出雲石見に至る雲石街道の要所であった
広島市 18_正面に見えるのは、旧福島川の分流点
18_正面に見えるのは、旧福島川の分流点
広島市 19_旧福島川はここで天満川から分流していたが、太田川放水路の建設によって埋め立てられてしまった
(カシミール3Dより1945-1950空撮を重ねて作成)
19_旧福島川はここで天満川から分流していたが、太田川放水路の建設によって埋め立てられてしまった (カシミール3Dより1945-1950空撮を重ねて作成)
広島市 20_福島川の護岸の一部など残ってないか、痕跡を探してみるがサッパリ分からない
20_福島川の護岸の一部など残ってないか、痕跡を探してみるがサッパリ分からない
広島市 21_道路反対側に見える建物の範囲がおそらく旧福島川の河道だった
21_道路反対側に見える建物の範囲がおそらく旧福島川の河道だった
広島市 22_中広中学校のプール横の塀のあたりが、おそらく福島川との境だろう
これから旧河道を右側に思い浮かべながら歩いてみます
22_中広中学校のプール横の塀のあたりが、おそらく福島川との境だろう これから旧河道を右側に思い浮かべながら歩いてみます
広島市 23_進行方向左(南側)の通り、この高まりが堤防の名残だろうか🤔
23_進行方向左(南側)の通り、この高まりが堤防の名残だろうか🤔
広島市 24_中広通りの向こうに続いています
24_中広通りの向こうに続いています
広島市 25_横川ポンプ場を過ぎると太田川放水路の堤防にぶち当たりました
25_横川ポンプ場を過ぎると太田川放水路の堤防にぶち当たりました
広島市 26_旧福島川の河道は、放水路の河川敷に一旦取り込まれるので
26_旧福島川の河道は、放水路の河川敷に一旦取り込まれるので
広島市 27_左岸側の旧堤防だったと思われる道路をしばらく進んでいく
27_左岸側の旧堤防だったと思われる道路をしばらく進んでいく
広島市 28_再び旧河道ラインを歩けるようになったので復帰
埋め立てられた土地は所有者不在なので公園用地に転用するのに好都合だったのかも
28_再び旧河道ラインを歩けるようになったので復帰 埋め立てられた土地は所有者不在なので公園用地に転用するのに好都合だったのかも
広島市 29_歩いて振り返っても、川だったと分かる痕跡など特に見つからず寂しい😅
29_歩いて振り返っても、川だったと分かる痕跡など特に見つからず寂しい😅
広島市 30_そして第1チェックポイントにやってきた
30_そして第1チェックポイントにやってきた
広島市 31_ちょうど己斐橋と天満橋を結ぶ中間のこの辺りに、かつて福島橋が架かっていた
(「今昔マップ」より)
31_ちょうど己斐橋と天満橋を結ぶ中間のこの辺りに、かつて福島橋が架かっていた (「今昔マップ」より)
広島市 32_当時の空撮ではこんな感じ、己斐橋や新己斐橋は現在の架橋位置を印しており、かつての山手川は太田川放水路の西寄りにあった
32_当時の空撮ではこんな感じ、己斐橋や新己斐橋は現在の架橋位置を印しており、かつての山手川は太田川放水路の西寄りにあった
広島市 33_都町交差点がおそらく福島橋の中央付近
33_都町交差点がおそらく福島橋の中央付近
広島市 34_都町は福島川を埋め立てたことによって新しく出来た町
34_都町は福島川を埋め立てたことによって新しく出来た町
広島市 35_福島橋の西詰と思われる付近から己斐方面、道路の盛り上がり方がかつての堤防痕跡か?
35_福島橋の西詰と思われる付近から己斐方面、道路の盛り上がり方がかつての堤防痕跡か?
広島市 36_反対の天満町方面をズームすると、福島橋の東詰だった辺りの路面が同じように盛り上がっていた
手前の河道だった部分の凹みは埋め立て後に地盤沈下したのかどうかは分からない
36_反対の天満町方面をズームすると、福島橋の東詰だった辺りの路面が同じように盛り上がっていた 手前の河道だった部分の凹みは埋め立て後に地盤沈下したのかどうかは分からない
広島市 37_天満町交差点、広電の路面電車軌道は観音町電停から手前右に曲がるが、当時はこちら側へ真っ直ぐ延びていた
37_天満町交差点、広電の路面電車軌道は観音町電停から手前右に曲がるが、当時はこちら側へ真っ直ぐ延びていた
広島市 38_旧広電軌道の橋梁があった付近、軌道は直線的に西広島駅方面へ延びていたが、新己斐橋の建設と平和大通りの整備により、観音町~西観音町の間で大きく折れるように付け替えられた
38_旧広電軌道の橋梁があった付近、軌道は直線的に西広島駅方面へ延びていたが、新己斐橋の建設と平和大通りの整備により、観音町~西観音町の間で大きく折れるように付け替えられた
広島市 39_平和大通りを横切りさらに南下、歩道の盛り上がりも堤防道路の名残だろうか?
39_平和大通りを横切りさらに南下、歩道の盛り上がりも堤防道路の名残だろうか?
広島市 40_この辺りは周囲よりも道路が高くなっており、福島川の堤防だったことがうかがえる
40_この辺りは周囲よりも道路が高くなっており、福島川の堤防だったことがうかがえる
広島市 41_この辺りも交差点が五差路になってて複雑
広島に来た頃、ヨソ者のワシは広島市内の地図を眺めて、格子状の街区の中に斜めに伸びる道は何や?🤔と疑問に思ったのを覚えてる
41_この辺りも交差点が五差路になってて複雑 広島に来た頃、ヨソ者のワシは広島市内の地図を眺めて、格子状の街区の中に斜めに伸びる道は何や?🤔と疑問に思ったのを覚えてる
広島市 42_空撮を見れば一目瞭然
当時は今のようにこんな情報が簡単に入手できなかったから、福島川の存在を知った時はスッキリした😄
42_空撮を見れば一目瞭然 当時は今のようにこんな情報が簡単に入手できなかったから、福島川の存在を知った時はスッキリした😄
広島市 43_ここは福島川の最下流の西大橋があった付近だが、正確には写真やや左側にある福山通運の敷地となっている
43_ここは福島川の最下流の西大橋があった付近だが、正確には写真やや左側にある福山通運の敷地となっている
広島市 44_左に緩くカーブしながら旧堤防が続く
44_左に緩くカーブしながら旧堤防が続く
広島市 45_国道2号を過ぎたこの辺りも、周囲より道路面が高い
45_国道2号を過ぎたこの辺りも、周囲より道路面が高い
広島市 46_そして太田川放水路の堤防に吸い込まれるように合流
46_そして太田川放水路の堤防に吸い込まれるように合流
広島市 47_振り返るとこんな感じ、マンションの建つ当りはちょうど福島川左岸の出っ張り部分ではあるが、写真左奥の旭橋上流付近で山手川と合流していた
47_振り返るとこんな感じ、マンションの建つ当りはちょうど福島川左岸の出っ張り部分ではあるが、写真左奥の旭橋上流付近で山手川と合流していた
広島市 48_河川の0キロポスト、なぜ放水路河口じゃなくてこの中途半端な位置がゼロ地点なのか疑問に思っていたが、福島川合流点を起点とするなら納得がいく
48_河川の0キロポスト、なぜ放水路河口じゃなくてこの中途半端な位置がゼロ地点なのか疑問に思っていたが、福島川合流点を起点とするなら納得がいく
広島市 49_この正面付近で山手川が合流していたのであろう
49_この正面付近で山手川が合流していたのであろう
広島市 50_旭橋、初代のものは西大橋から福島町を経由し己斐とを結ぶ山手川に架かる橋だった
太田川放水路改修に伴い1960年に架け替えられ、1973年には下流に新旭橋も架けられた
50_旭橋、初代のものは西大橋から福島町を経由し己斐とを結ぶ山手川に架かる橋だった 太田川放水路改修に伴い1960年に架け替えられ、1973年には下流に新旭橋も架けられた
広島市 51_それでは反転して福島川右岸側を戻ろう、この辺りの高まりも堤防跡のようで怪しい
51_それでは反転して福島川右岸側を戻ろう、この辺りの高まりも堤防跡のようで怪しい
広島市 52_福島町には昔、屠場があったといい、その関係で焼肉/ホルモン屋が多い
豚のホルモンを揚げた広島の珍味「せんじがら」も福島町界隈が発祥といわれる
52_福島町には昔、屠場があったといい、その関係で焼肉/ホルモン屋が多い 豚のホルモンを揚げた広島の珍味「せんじがら」も福島町界隈が発祥といわれる
広島市 53_さらにもっと昔の歴史も忘れてはいけない
53_さらにもっと昔の歴史も忘れてはいけない
広島市 54_福島川の右岸跡をひたすら北上
54_福島川の右岸跡をひたすら北上
広島市 55_広島高速4号の先でまた放水路に突き当たる
55_広島高速4号の先でまた放水路に突き当たる
広島市 56_山手橋付近は、かつての山手川と福島川が最も近接してした
56_山手橋付近は、かつての山手川と福島川が最も近接してした
広島市 57_山陽新幹線と山陽本線の橋梁
57_山陽新幹線と山陽本線の橋梁
広島市 58_山陽本線は太田川放水路工事に伴い北側に移設され、橋梁や山手町付近のトンネル工事が進んでいた
平行する旧線跡は新幹線用地として再び使用された
58_山陽本線は太田川放水路工事に伴い北側に移設され、橋梁や山手町付近のトンネル工事が進んでいた 平行する旧線跡は新幹線用地として再び使用された
広島市 59_河川敷から横川新町の街区に復帰、福島川一周もあと僅かである
59_河川敷から横川新町の街区に復帰、福島川一周もあと僅かである
広島市 60_そして#21の所に戻ってきた
結局注意深く見てこないと福島川の痕跡は分かりづらいものであった
60_そして#21の所に戻ってきた 結局注意深く見てこないと福島川の痕跡は分かりづらいものであった
広島市 61_行きでは気付かなかった旧横川橋の親柱がここにあった
広島市街の河川は南北の縦方向に流れているが、この付近だけ東西の横方向に流れていることが「横川」の由来となったらしい
61_行きでは気付かなかった旧横川橋の親柱がここにあった 広島市街の河川は南北の縦方向に流れているが、この付近だけ東西の横方向に流れていることが「横川」の由来となったらしい
広島市 62_腹が減ったので、数年ぶりに立ち寄ったお店で、今回はニラ玉ラーメン🍜😋
62_腹が減ったので、数年ぶりに立ち寄ったお店で、今回はニラ玉ラーメン🍜😋
広島市 63_店を出て雲石街道を北へ進み
63_店を出て雲石街道を北へ進み
広島市 64_横川駅を通過、国産乗合バス発祥の地であるらしい
64_横川駅を通過、国産乗合バス発祥の地であるらしい
広島市 65_太田川放水路の堤防高に合わせるため横川駅は高架式になり、自由通路脇のホーム築堤下部付近には竣工年月が印されていた
65_太田川放水路の堤防高に合わせるため横川駅は高架式になり、自由通路脇のホーム築堤下部付近には竣工年月が印されていた
広島市 66_横川駅北口から、今度は旧可部線の痕跡を探してみよう
66_横川駅北口から、今度は旧可部線の痕跡を探してみよう
広島市 67_旧可部線の横川駅ホームは、山陽本線とは離れた位置にあったようだ
そこから北へ緩やかに右カーブを描きながら三滝方面へと延びていた
67_旧可部線の横川駅ホームは、山陽本線とは離れた位置にあったようだ そこから北へ緩やかに右カーブを描きながら三滝方面へと延びていた
広島市 68_とはいえ、この辺りは区画整理されて、当時の面影は全く無い
68_とはいえ、この辺りは区画整理されて、当時の面影は全く無い
広島市 69_この辺りからやっと旧線跡を辿れるようになった
69_この辺りからやっと旧線跡を辿れるようになった
広島市 70_緩やかな弧を描く道路がいかにも鉄道の跡を思わせる🎵
70_緩やかな弧を描く道路がいかにも鉄道の跡を思わせる🎵
広島市 71_旧三滝駅は、三篠北町公園西側のこの辺りにあったのではと推測
71_旧三滝駅は、三篠北町公園西側のこの辺りにあったのではと推測
広島市 72_その公園北入口には「大芝公園入口停留所」の開設記念碑が建っていた
停留所は後に旧「三滝駅」となったようだ
72_その公園北入口には「大芝公園入口停留所」の開設記念碑が建っていた 停留所は後に旧「三滝駅」となったようだ
広島市 73_突き当ったので左へ👈
なお、大日本軌道広島支社として開業した軽便鉄道の旧々線もあったようですが、こちらの痕跡探しはさらに困難だと思われます😅
73_突き当ったので左へ👈 なお、大日本軌道広島支社として開業した軽便鉄道の旧々線もあったようですが、こちらの痕跡探しはさらに困難だと思われます😅
広島市 74_旧線は手前の大宮第一公園付近から左へカーブし始めていたようだ
新線の建設が進んでおり、道路橋の新庄橋も橋脚の工事中ですね
74_旧線は手前の大宮第一公園付近から左へカーブし始めていたようだ 新線の建設が進んでおり、道路橋の新庄橋も橋脚の工事中ですね
広島市 75_太田川放水路の左岸道路へと出る、旧線の築堤跡っぽい気もするがよく分からない🤔
75_太田川放水路の左岸道路へと出る、旧線の築堤跡っぽい気もするがよく分からない🤔
広島市 76_旧線は、現在の河川敷駐車場付近から放水路を横切り、赤線で印したように新庄橋右岸交差点付近へ右にカーブしていたのだろう
76_旧線は、現在の河川敷駐車場付近から放水路を横切り、赤線で印したように新庄橋右岸交差点付近へ右にカーブしていたのだろう
広島市 77_旧鉄道橋の痕跡などある訳がないが先っぽまで行ってみた(笑)
77_旧鉄道橋の痕跡などある訳がないが先っぽまで行ってみた(笑)
広島市 78_よくこれだけの大規模な開削工事をやったものだと感慨深げに新庄橋を渡る
概算工事費は2015年度換算で9,600億円だという
78_よくこれだけの大規模な開削工事をやったものだと感慨深げに新庄橋を渡る 概算工事費は2015年度換算で9,600億円だという
広島市 79_そして旧線と新線が合わさる地点へ
79_そして旧線と新線が合わさる地点へ
広島市 80_ありました!奥にある新線の手前に、旧線のコンクリート橋台の跡が👍✨
跨線橋へ上がってみます
80_ありました!奥にある新線の手前に、旧線のコンクリート橋台の跡が👍✨ 跨線橋へ上がってみます
広島市 81_新線は左手前へカーブしているのに比べ、不自然な右側の直線は紛れもない旧線の跡🤩
81_新線は左手前へカーブしているのに比べ、不自然な右側の直線は紛れもない旧線の跡🤩
広島市 82_橋台部分がしっかりと残ってますね🎵
82_橋台部分がしっかりと残ってますね🎵
広島市 83_横川駅方面は宅地のコンクリート擁壁に阻まれます
そこへ電車が通過して行きました😁
83_横川駅方面は宅地のコンクリート擁壁に阻まれます そこへ電車が通過して行きました😁
広島市 84_一気に飛ばして最後は祇園小学校前の踏切へ
84_一気に飛ばして最後は祇園小学校前の踏切へ
広島市 85_ここは1960年代まで旧三菱重工業広島精機製作所(現:イオンモール広島祗園)への専用引込線があったようだ
85_ここは1960年代まで旧三菱重工業広島精機製作所(現:イオンモール広島祗園)への専用引込線があったようだ
広島市 86_線路に平行する曲がった道路が専用線の跡
86_線路に平行する曲がった道路が専用線の跡
広島市 87_この辺りはカーブが顕著であるが
87_この辺りはカーブが顕著であるが
広島市 88_マンションのゴミ置き場で突き当たってしまった
88_マンションのゴミ置き場で突き当たってしまった
広島市 89_しかしマンションの敷地を過ぎて振り返ると、駐車場敷地が湾曲している箇所を見つけた、紛れもない廃線の痕跡
89_しかしマンションの敷地を過ぎて振り返ると、駐車場敷地が湾曲している箇所を見つけた、紛れもない廃線の痕跡
広島市 90_さらに痕跡は続いているが草ボーボーで分かりづらい、この後はイオンモールの敷地となり痕跡は残っていない
90_さらに痕跡は続いているが草ボーボーで分かりづらい、この後はイオンモールの敷地となり痕跡は残っていない
広島市 91_イオンモールに到着❗買い物して帰ります😁
まだまだ知らない事が市内にも沢山あるものだ🎵
91_イオンモールに到着❗買い物して帰ります😁 まだまだ知らない事が市内にも沢山あるものだ🎵
広島市 92_刊行から既に還暦を過ぎ、ここに書かれている以上の結果は実現しているのだろう。

高度経済成長、所得倍増計画、東海道新幹線に東名・名神高速開通、東京オリンピック、大阪万博etc・・・
その弊害もあった事はさておき、当時の日本は勢いがあり、夢と希望に満ち溢れていたと思う。

国民全体が幸せだと思える『新しい日本』の発刊第2弾を期待したい⁉️
92_刊行から既に還暦を過ぎ、ここに書かれている以上の結果は実現しているのだろう。 高度経済成長、所得倍増計画、東海道新幹線に東名・名神高速開通、東京オリンピック、大阪万博etc・・・ その弊害もあった事はさておき、当時の日本は勢いがあり、夢と希望に満ち溢れていたと思う。 国民全体が幸せだと思える『新しい日本』の発刊第2弾を期待したい⁉️

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