玖珠町

出典: Wikipedia

玖珠町(くすまち)は、大分県の中西部にある町である。玖珠郡に属する。

このエリアについて

掲載されている山

玖珠町, 九州自然歩道

  • 万年山

    標高 1140 m

    万年山(はねやま)は、大分県日田市、玖珠郡玖珠町、九重町にまたがり、耶馬日田英彦山国定公園に含まれる標高1,140.3mの山である。 下万年と上万年に分かれる珍しい2段メサ(卓状台地)であり、九州百名山の一つとされるとともに、2007年には「玖珠二重メサ」として日本の地質百選に選定されている。メサが侵食されてできたビュートと呼ばれる地形の典型例である伐株山(標高685.5m)とともに玖珠町のシンボル的な存在である。 大分百山にも選ばれており、山頂からは、南東に九重連山、東に由布岳、北に玖珠盆地が見渡せる。また、頂上付近は5月から6月にかけてミヤマキリシマが頂上一面に咲き、これを見るために他県からも登山者が訪れる。 『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株が伐株山であり、巨木が倒れる際にはね上げた土が山となったのが万年(はね)山であるという伝説がある。

  • 伐株山

    標高 685 m

    伐株山(きりかぶさん、きりかぶやま)は、大分県玖珠郡玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内に位置する標高685.5メートルの山である。 メサ(卓状台地)のうちでも、浸食が進んで頂部が狭まった孤立丘となったビュートと呼ばれる地形であり、二重メサの万年山(標高1,140.3メートル)とともに玖珠町のシンボル的な存在である。 現在は、平坦な頂上はハングライダーやパラグライダーの基地となっている。また、山頂にはかって九州における南朝側の拠点となった玖珠城(伐株山城、高勝寺城)の土塀跡が残っている。 『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地に存在した大きなクスノキにちなむものであるという。そして、伐株山は大きなクスノキの木陰となって日が当たらずに困った住民が、それを切り倒した後の切株であるという伝説がある。

  • 月出山岳

    標高 709 m

    月出山岳(かんとうだけ)は、大分県日田市東部の玖珠郡玖珠町との境界付近にある山。標高は708.7m。 月嶺山の別名があり、日田市内から見ると山容が整って富士山に似ているため日田富士とも呼ばれる。耶馬日田英彦山国定公園に指定されている。また、日本山岳会東九州支部が選定した大分百山のひとつに数えられている。 山名は、日田市街から見ると、東にあるこの山から月が登ったところから「月出山」という字が当てられ、江戸の方角にあたることから「かんとう」(関東)と呼ばれたといわれる。また、九州を巡幸した景行天皇がこの地を訪れた際、案内した久津姫に山の名前を尋ねたところ、久津姫が山の名ではなく方角を聞かれたと勘違いして関東と答えたことから、「かんとうだけ」と呼ばれるようになったという伝承もある。

  • 大岩扇山

    標高 691 m

    大岩扇山(おおがんせんざん)は、大分県玖珠郡玖珠町にある標高691.1mの山である。1935年6月7日に国の天然記念物に指定されている。 大岩扇山は、同じく玖珠町にある万年山や伐株山などと並ぶ代表的なメサであり、南側の頂上付近に見られる柱状節理の絶壁が美しい。頂上は扁平で、草原になっている。 大岩扇山という名は、柱状節理が岩の扇を広げたようであることにちなみ、近隣にあって同様に柱状節理を有する小岩扇山(こがんせんざん)に対比して「大」が付けられたものである。これらの二山は柱状節理を櫛に例えて雄櫛山、雌櫛山とも呼ばれた。 玖珠には、大昔、玖珠盆地には一本の巨大な楠が生えており、その日陰となって作物が育たないので困った村人が大男に頼んで楠を切り倒してもらったという伝承が残っている。このときに切り倒した楠の切株が伐株山であり、一説では、大男は万年山と大岩扇山とを足場にして楠を切ったとされる。 南側に接する小岩扇山との間の山腹には、森藩の参勤交代に使われた石畳の道が残っている。

  • 角埋山

    標高 575 m

    角埋山(つのむれやま)は、大分県玖珠郡玖珠町にある標高576mの山である。 玖珠盆地の北側に位置し、山頂からは玖珠町の中心部である森地区(豊後森駅周辺)を一望できる。メサ(テーブル状の台地)の侵食が進んだビュートと呼ばれる特徴的な地形で、地区のシンボル的な山である。耶馬渓六十六景のひとつであるとともに、「角埋山と角牟礼城跡」としておおいた遺産に選定されている。 一説では、ムレは古代朝鮮語で山を意味し、角埋山は角のような形をした山を意味すると言われる。 中世には、山頂に角牟礼城が築かれた。急峻な斜面に囲まれた山上に築かれたこの城は難攻不落で知られ、1586年の島津氏の豊後侵入の際にも落城することがなかった。角牟礼城は1601年に廃城とされたが、角埋山は江戸時代には「お留山」とされ、住民は入山することが許されなかった。山麓には、角牟礼城に代えて森陣屋が設けられた。現在、森陣屋跡は整備されて三島公園となっており、2006年10月には日本の歴史公園100選に選定されている。

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