久留米市
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掲載されている山
久留米市
基山
標高 404 m
基山(きざん)は佐賀県三養基郡基山町と福岡県筑紫野市にまたがる標高404.5メートルの山。国の特別史跡基肄城跡が残る。 脊振山地の東端にあたる。北・西・東の三峰があり県境にある北峰が最も高い(414.1メートル)が通常は西峰を基山と呼ぶ。肥前国風土記に「基肄之山」とあるほか「木山」「城山」などと表記された。読み方は「木山口若宮八幡宮縁起」によれば「基八間(きやま)」であったが地元では明治中期ごろまで「坊住(ぼうじゅ)」「城戸坊住」と呼ばれていた。なお、北峰は北帝(きたみかど)と呼ばれるがこれは基肄城の北門が付近にあり「北御門」が転じたものである。1889年(明治22年)、4村合併により「基山村」が成立したころから自治体名との混同をさけるため「きざん」と呼ばれるようになった。山名の由来は霧の転嫁(肥前国風土記)、「椽」の山城(日本書紀)などがある。山頂からは博多湾、高良山、筑後川、大宰府、大野城、有明海などが一望できる要衝にあり、飛鳥時代に大宰府防衛の拠点の一つとして基肄城が築かれた。一帯は脊振北山県立自然公園の一角で、草スキーでも知られている。
九千部山
標高 847 m
九千部山(くせんぶやま)は、佐賀県鳥栖市と福岡県那珂川市に跨る山である。山頂は鳥栖側にあり標高は847.5m。脊振山系。 山頂には弁財天の石の祠が鎮座する。山頂からは北に博多湾、南に筑紫平野と有明海を望む。 伊藤常足著『太宰管内志』によれば、『肥前国風土記』の「草横山(くさのよこやま)」は九千部山を指すという。また山名の起こりを伝える民話がある。むかし天暦5年(951年)頃、隆信沙門という若い僧侶が台風と病気に苦しむ村人のため山頂で法華経を49日間で一万部(1万回)読踊する決心で山に籠ったが、あと7日目という夜に白蛇に遭遇、その後美しい女の幻に誘惑され負けてしまう。満願の50日目に僧侶を探しに来た村人は、谷の岩陰で骸となった僧侶を発見する。こうして読踊が「九千部」に留まったため、これが山名となったという。なお、村人が山中の谷で僧侶を見つけ葬ったとされる場所の近くには、経塚と供養塔が所在する。 道路は後述する放送用等の無線局維持のために入山する自動車のためのものが舗装されているだけで、あとは舗装されていない。 福岡県側の麓には、福岡市民の水がめ・那珂川水系の南畑ダムがある。
脊振山
標高 1055 m
福岡県福岡市早良区と佐賀県神埼市との境に位置する、脊振山地最高峰の山。日本三百名山の一つで、標高1054m。脊振山地一帯は、古くは霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場であったため、その痕跡が多数みられる。「脊振山」は江戸期までは山地一帯にある坊の総称であり、現在の脊振山山頂は「上宮獄」と呼ばれていた。山頂には脊振神社の上宮があり、弁財天がご神体として祀られている。また航空自衛隊、アメリカ軍のレーダーサイト(脊振山分屯基地)もあり、一部視界をさえぎられるが、眺望の良いパノラマ風景が広がっている。登山口は車谷登山口や椎原峠などがあり、車谷登山口は浮石の多い渡渉を繰り返すので注意が必要。なお、福岡・佐賀の県境を、東西に60キロ超走る脊振山地の縦走路は九州一の距離を誇り、挑戦してみるのもまた面白い。
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