箱根エリア7 北部 丸鉢山

2020.10.07(水) 日帰り

箱根エリア登頂シリーズの第七回目。 今回は伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅から足柄万葉公園、足柄峠を経由して丸鉢山を目指します。 丸鉢山は金時山の手前の山ですが、足柄峠から金時山への登山道が通行止(金時山山頂直下の鉄階段が崩落)のためやむなく丸鉢山で引き返します。 それから、以前バッテリー🔋切れで失敗😵💧 したコースを順路変更して再チャレンジします。 ◇箱根エリア 北部 丸鉢山◇ 1.丸鉢山 まるはちやま 962m 南足柄市/小  山町 ※登頂した山 43→44 +1up。

自宅 最寄りバス停。
今回もここから掲載します。

自宅 最寄りバス停。 今回もここから掲載します。

自宅 最寄りバス停。 今回もここから掲載します。

バス停すぐ横 歩道の植え込み。

サツキ。
狂い咲きのようです。他にも5、6輪咲いています。

バス停すぐ横 歩道の植え込み。 サツキ。 狂い咲きのようです。他にも5、6輪咲いています。

バス停すぐ横 歩道の植え込み。 サツキ。 狂い咲きのようです。他にも5、6輪咲いています。

バス停 上空の雲☁️。

バス停 上空の雲☁️。

バス停 上空の雲☁️。

JR東日本 東海道線 平塚駅南口。

JR東日本 東海道線 平塚駅南口。

JR東日本 東海道線 平塚駅南口。

平塚駅南口 上空の雲☁️。
秋雲☁️です。

平塚駅南口 上空の雲☁️。 秋雲☁️です。

平塚駅南口 上空の雲☁️。 秋雲☁️です。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 小田原駅 改札口。
いっきにここまで来ました。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 小田原駅 改札口。 いっきにここまで来ました。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 小田原駅 改札口。 いっきにここまで来ました。

箱根登山鉄道 大雄山線 電車。

箱根登山鉄道 大雄山線 電車。

箱根登山鉄道 大雄山線 電車。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。
YAMAPはここからスタートです。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。 YAMAPはここからスタートです。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。 YAMAPはここからスタートです。

大雄山駅駅舎 の標柱。
市登録有形文化財です。

大雄山駅駅舎 の標柱。 市登録有形文化財です。

大雄山駅駅舎 の標柱。 市登録有形文化財です。

大雄山駅前の歩道。
広くて綺麗です。

大雄山駅前の歩道。 広くて綺麗です。

大雄山駅前の歩道。 広くて綺麗です。

街路樹の紅葉🍁。
ハナミズキ 花水木。

街路樹の紅葉🍁。 ハナミズキ 花水木。

街路樹の紅葉🍁。 ハナミズキ 花水木。

左へ。
御殿場、山北 方面へ。

左へ。 御殿場、山北 方面へ。

左へ。 御殿場、山北 方面へ。

街路樹の紅葉🍁2。
ハナミズキ 花水木 2。

街路樹の紅葉🍁2。 ハナミズキ 花水木 2。

街路樹の紅葉🍁2。 ハナミズキ 花水木 2。

県道74号線
県道78号線
の道標。

県道74号線 県道78号線 の道標。

県道74号線 県道78号線 の道標。

県道。
上って行きます。

県道。 上って行きます。

県道。 上って行きます。

道の途中で。
ザクロ 石榴。

道の途中で。 ザクロ 石榴。

道の途中で。 ザクロ 石榴。

道の途中で2。

矢倉岳 870m が見えて来ました。
9/4(金)に登った山です。

道の途中で2。 矢倉岳 870m が見えて来ました。 9/4(金)に登った山です。

道の途中で2。 矢倉岳 870m が見えて来ました。 9/4(金)に登った山です。

道の途中で3。

明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。
8/19(水)に登った山です。

道の途中で3。 明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。 8/19(水)に登った山です。

道の途中で3。 明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。 8/19(水)に登った山です。

道の途中で4。
なんだか怪しい雲行きです···😓。

道の途中で4。 なんだか怪しい雲行きです···😓。

道の途中で4。 なんだか怪しい雲行きです···😓。

道の途中で5。
アラカシ 粗樫。

道の途中で5。 アラカシ 粗樫。

道の途中で5。 アラカシ 粗樫。

道の途中で6。
アカナラ 赤楢。

道の途中で6。 アカナラ 赤楢。

道の途中で6。 アカナラ 赤楢。

道の途中で7。
クヌギ 櫟。

道の途中で7。 クヌギ 櫟。

道の途中で7。 クヌギ 櫟。

道の途中で8。
クズ 葛。

道の途中で8。 クズ 葛。

道の途中で8。 クズ 葛。

道の途中で9。

矢倉岳。
かなり近づいてきました。
威圧感があります。

道の途中で9。 矢倉岳。 かなり近づいてきました。 威圧感があります。

道の途中で9。 矢倉岳。 かなり近づいてきました。 威圧感があります。

道の途中で10。

サツマイモ属。
サツマイモの仲間。

道の途中で10。 サツマイモ属。 サツマイモの仲間。

道の途中で10。 サツマイモ属。 サツマイモの仲間。

道の途中で11。
コセンダングサ 小栴檀草。

道の途中で11。 コセンダングサ 小栴檀草。

道の途中で11。 コセンダングサ 小栴檀草。

道の途中で12。
オオニシキソウ 大錦草。

道の途中で12。 オオニシキソウ 大錦草。

道の途中で12。 オオニシキソウ 大錦草。

道の途中で13。
フヨウ 芙蓉。

道の途中で13。 フヨウ 芙蓉。

道の途中で13。 フヨウ 芙蓉。

道の途中で14。

矢倉岳。
更に近づいて来ました。
どーん、と迫力があります。

道の途中で14。 矢倉岳。 更に近づいて来ました。 どーん、と迫力があります。

道の途中で14。 矢倉岳。 更に近づいて来ました。 どーん、と迫力があります。

道の途中で15。
カキノキ 柿の木。

道の途中で15。 カキノキ 柿の木。

道の途中で15。 カキノキ 柿の木。

道の途中で16。

金時山 1212m 箱根古期外輪山。
外輪山 最高峰。

その右隣の小さなピークが、
丸鉢山 まるはちやま 962m。
今回の主要目的地です。

道の途中で16。 金時山 1212m 箱根古期外輪山。 外輪山 最高峰。 その右隣の小さなピークが、 丸鉢山 まるはちやま 962m。 今回の主要目的地です。

道の途中で16。 金時山 1212m 箱根古期外輪山。 外輪山 最高峰。 その右隣の小さなピークが、 丸鉢山 まるはちやま 962m。 今回の主要目的地です。

道の途中で17。
ミカン。

道の途中で17。 ミカン。

道の途中で17。 ミカン。

道の途中で18。
矢倉沢関所と周辺 の説明板。

東海道の脇街道として賑わった矢倉沢往還には徳川幕府により「入り鉄砲と出女」を取り締るため、ここ矢倉沢の地に関所を置き旅人を厳しく取り締りました。

関所は季節に関わらず午前六時から午後六時までの間しか通行が出来ませんでしたので関所周辺には旅籠等が立ち並び、関所を通過する旅人で大変賑わったそうです。

現在でも「立花屋」「釜成屋」「大和屋」「江戸屋」「常陸屋」「車屋」等、当時の屋号が各家に伝わっています。

道の途中で18。 矢倉沢関所と周辺 の説明板。 東海道の脇街道として賑わった矢倉沢往還には徳川幕府により「入り鉄砲と出女」を取り締るため、ここ矢倉沢の地に関所を置き旅人を厳しく取り締りました。 関所は季節に関わらず午前六時から午後六時までの間しか通行が出来ませんでしたので関所周辺には旅籠等が立ち並び、関所を通過する旅人で大変賑わったそうです。 現在でも「立花屋」「釜成屋」「大和屋」「江戸屋」「常陸屋」「車屋」等、当時の屋号が各家に伝わっています。

道の途中で18。 矢倉沢関所と周辺 の説明板。 東海道の脇街道として賑わった矢倉沢往還には徳川幕府により「入り鉄砲と出女」を取り締るため、ここ矢倉沢の地に関所を置き旅人を厳しく取り締りました。 関所は季節に関わらず午前六時から午後六時までの間しか通行が出来ませんでしたので関所周辺には旅籠等が立ち並び、関所を通過する旅人で大変賑わったそうです。 現在でも「立花屋」「釜成屋」「大和屋」「江戸屋」「常陸屋」「車屋」等、当時の屋号が各家に伝わっています。

足柄道 の道標。

足柄道 の道標。

足柄道 の道標。

まっ直ぐ。
小山、足柄峠へ。
県道78号線。

まっ直ぐ。 小山、足柄峠へ。 県道78号線。

まっ直ぐ。 小山、足柄峠へ。 県道78号線。

足柄万葉公園まで6.4km。

足柄万葉公園まで6.4km。

足柄万葉公園まで6.4km。

道の途中で19。
金時山が近づいて来ました。

道の途中で19。 金時山が近づいて来ました。

道の途中で19。 金時山が近づいて来ました。

静岡県境まで6.6km。
県道78号線。

静岡県境まで6.6km。 県道78号線。

静岡県境まで6.6km。 県道78号線。

道の途中で20。
オチャ お茶。

道の途中で20。 オチャ お茶。

道の途中で20。 オチャ お茶。

道の途中で21。
オチャ お茶 2。

道の途中で21。 オチャ お茶 2。

道の途中で21。 オチャ お茶 2。

道の途中で22。
ガマズミ。

道の途中で22。 ガマズミ。

道の途中で22。 ガマズミ。

道の途中で23。
ヤマハギ 山萩。

道の途中で23。 ヤマハギ 山萩。

道の途中で23。 ヤマハギ 山萩。

道の途中で24。
オニタビラコ 鬼田平子。

道の途中で24。 オニタビラコ 鬼田平子。

道の途中で24。 オニタビラコ 鬼田平子。

足柄峠への道。
県道78号線。

足柄峠への道。 県道78号線。

足柄峠への道。 県道78号線。

道の途中で25。
シュウカイドウ 秋海棠。

道の途中で25。 シュウカイドウ 秋海棠。

道の途中で25。 シュウカイドウ 秋海棠。

足柄峠への道2。
遊歩道。

足柄峠への道2。 遊歩道。

足柄峠への道2。 遊歩道。

道の途中で26。
黄色く紅葉しています。

道の途中で26。 黄色く紅葉しています。

道の途中で26。 黄色く紅葉しています。

道の途中で27。
ヤブマメ。

道の途中で27。 ヤブマメ。

道の途中で27。 ヤブマメ。

道の途中で28。
テリミノイヌホオズキ。

道の途中で28。 テリミノイヌホオズキ。

道の途中で28。 テリミノイヌホオズキ。

道の途中で29。
ノブドウ 野葡萄。

道の途中で29。 ノブドウ 野葡萄。

道の途中で29。 ノブドウ 野葡萄。

道の途中で30。
アリチウリ 荒れ地瓜。

道の途中で30。 アリチウリ 荒れ地瓜。

道の途中で30。 アリチウリ 荒れ地瓜。

道の途中で31。
クヌギ 櫟 2。

道の途中で31。 クヌギ 櫟 2。

道の途中で31。 クヌギ 櫟 2。

道の途中で32。
キツネノマゴ。

道の途中で32。 キツネノマゴ。

道の途中で32。 キツネノマゴ。

道の途中で33。
オオセンナリ。

道の途中で33。 オオセンナリ。

道の途中で33。 オオセンナリ。

道の途中で34。
アメリカノリノキ。

道の途中で34。 アメリカノリノキ。

道の途中で34。 アメリカノリノキ。

道の途中で35。
ヤマアジサイ 山紫陽花。

道の途中で35。 ヤマアジサイ 山紫陽花。

道の途中で35。 ヤマアジサイ 山紫陽花。

道の途中で36。
シラヤマギク。

道の途中で36。 シラヤマギク。

道の途中で36。 シラヤマギク。

道の途中で37。
タンポポ。

狂い咲きのようです2。

道の途中で37。 タンポポ。 狂い咲きのようです2。

道の途中で37。 タンポポ。 狂い咲きのようです2。

道の途中で38。
イタドリ 虎杖。

道の途中で38。 イタドリ 虎杖。

道の途中で38。 イタドリ 虎杖。

道の途中で39。
エノコログサ 狗尾草。

俗称 猫じゃらし
朱く紅葉しています。

道の途中で39。 エノコログサ 狗尾草。 俗称 猫じゃらし 朱く紅葉しています。

道の途中で39。 エノコログサ 狗尾草。 俗称 猫じゃらし 朱く紅葉しています。

道の途中で40。
センニンソウ 仙人草。

道の途中で40。 センニンソウ 仙人草。

道の途中で40。 センニンソウ 仙人草。

道の途中で41。
オオイタドリ 大虎杖。

道の途中で41。 オオイタドリ 大虎杖。

道の途中で41。 オオイタドリ 大虎杖。

道の途中で42。
タラノキ。

道の途中で42。 タラノキ。

道の途中で42。 タラノキ。

左へ。
夕日の滝、地蔵堂 方面へ。

左へ。 夕日の滝、地蔵堂 方面へ。

左へ。 夕日の滝、地蔵堂 方面へ。

道の途中で43。
ウド 独活。

道の途中で43。 ウド 独活。

道の途中で43。 ウド 独活。

地蔵堂 じぞうどう。

本堂は、天保十二年(1841年)に編纂された「新編相模国風土記稿」によると、文化十四年(1817年)に火災に遭ったがその後再建されたと記されている。

昭和五十年(1975年)にも消失したが、住民の手によって本堂内の厨子と本尊である地蔵菩薩立像や他の仏像はすべて救い出された。

本尊の地蔵菩薩が納められているのが厨子であり、三間四方の入母屋造りの屋根に軸部を禅宗様、軒を和洋とした折衷方式で鎌倉を中心に分布する禅宗様に対して特色がある。

また、木鼻が上部の軒だけではなく下部の軸にもつけられていることや天井が丁寧に作られていることも珍しい。

現在は地蔵堂裏の収納庫に納められている。

地蔵堂内厨子 室町時代末期作。
神奈川県指定重要文化財(昭和五十四年二月十六日)。

平成二十五年三月。
南足柄市教育委員会。

地蔵堂 じぞうどう。 本堂は、天保十二年(1841年)に編纂された「新編相模国風土記稿」によると、文化十四年(1817年)に火災に遭ったがその後再建されたと記されている。 昭和五十年(1975年)にも消失したが、住民の手によって本堂内の厨子と本尊である地蔵菩薩立像や他の仏像はすべて救い出された。 本尊の地蔵菩薩が納められているのが厨子であり、三間四方の入母屋造りの屋根に軸部を禅宗様、軒を和洋とした折衷方式で鎌倉を中心に分布する禅宗様に対して特色がある。 また、木鼻が上部の軒だけではなく下部の軸にもつけられていることや天井が丁寧に作られていることも珍しい。 現在は地蔵堂裏の収納庫に納められている。 地蔵堂内厨子 室町時代末期作。 神奈川県指定重要文化財(昭和五十四年二月十六日)。 平成二十五年三月。 南足柄市教育委員会。

地蔵堂 じぞうどう。 本堂は、天保十二年(1841年)に編纂された「新編相模国風土記稿」によると、文化十四年(1817年)に火災に遭ったがその後再建されたと記されている。 昭和五十年(1975年)にも消失したが、住民の手によって本堂内の厨子と本尊である地蔵菩薩立像や他の仏像はすべて救い出された。 本尊の地蔵菩薩が納められているのが厨子であり、三間四方の入母屋造りの屋根に軸部を禅宗様、軒を和洋とした折衷方式で鎌倉を中心に分布する禅宗様に対して特色がある。 また、木鼻が上部の軒だけではなく下部の軸にもつけられていることや天井が丁寧に作られていることも珍しい。 現在は地蔵堂裏の収納庫に納められている。 地蔵堂内厨子 室町時代末期作。 神奈川県指定重要文化財(昭和五十四年二月十六日)。 平成二十五年三月。 南足柄市教育委員会。

足柄地蔵尊の のぼり旗。

足柄地蔵尊の のぼり旗。

足柄地蔵尊の のぼり旗。

地蔵堂 本堂。

ここで休憩🍵
水分補給と行動食(カロリーメイト)。

地蔵堂 本堂。 ここで休憩🍵 水分補給と行動食(カロリーメイト)。

地蔵堂 本堂。 ここで休憩🍵 水分補給と行動食(カロリーメイト)。

地蔵堂内 の花。
エゾギク 蝦夷菊。

地蔵堂内 の花。 エゾギク 蝦夷菊。

地蔵堂内 の花。 エゾギク 蝦夷菊。

万葉うどん屋 さん
手打ちうどん ののぼり旗。

足柄古道 万葉うどん。
夕日の滝の近くに豊かな自然に囲まれた手打ちうどんの名店。

注文を受けてから打ち始めるうどんは、温かいだし汁で味う温うどんが定番。

特製のからしみそを付けたおでんもおすすめ。

神奈川県 南足柄市観光協会。

万葉うどん屋 さん 手打ちうどん ののぼり旗。 足柄古道 万葉うどん。 夕日の滝の近くに豊かな自然に囲まれた手打ちうどんの名店。 注文を受けてから打ち始めるうどんは、温かいだし汁で味う温うどんが定番。 特製のからしみそを付けたおでんもおすすめ。 神奈川県 南足柄市観光協会。

万葉うどん屋 さん 手打ちうどん ののぼり旗。 足柄古道 万葉うどん。 夕日の滝の近くに豊かな自然に囲まれた手打ちうどんの名店。 注文を受けてから打ち始めるうどんは、温かいだし汁で味う温うどんが定番。 特製のからしみそを付けたおでんもおすすめ。 神奈川県 南足柄市観光協会。

手書きの営業時間案内。

平日(月曜日~土曜日)
11:30~17:00

日曜日·祝日
11:30~17:00

定休日 毎週木曜日。


営業時間は平日も日曜日·祝日ともに現在同じですが、時刻を変更していたらしき貼り紙の跡があります。

手書きの営業時間案内。 平日(月曜日~土曜日) 11:30~17:00 日曜日·祝日 11:30~17:00 定休日 毎週木曜日。 営業時間は平日も日曜日·祝日ともに現在同じですが、時刻を変更していたらしき貼り紙の跡があります。

手書きの営業時間案内。 平日(月曜日~土曜日) 11:30~17:00 日曜日·祝日 11:30~17:00 定休日 毎週木曜日。 営業時間は平日も日曜日·祝日ともに現在同じですが、時刻を変更していたらしき貼り紙の跡があります。

メニュー。
万葉うどん

カレーうどん 970えん
とろろうどん 770えん
湯うどん   520えん
ざるうどん   ???えん
おでん 1本   140えん。

※ざるうどんの値段は陰に隠れて見えませんで
 した。
※カレーうどんは"当店いち押し スパイシー 特
 製"と表記されています。

メニュー。 万葉うどん カレーうどん 970えん とろろうどん 770えん 湯うどん   520えん ざるうどん   ???えん おでん 1本   140えん。 ※ざるうどんの値段は陰に隠れて見えませんで  した。 ※カレーうどんは"当店いち押し スパイシー 特  製"と表記されています。

メニュー。 万葉うどん カレーうどん 970えん とろろうどん 770えん 湯うどん   520えん ざるうどん   ???えん おでん 1本   140えん。 ※ざるうどんの値段は陰に隠れて見えませんで  した。 ※カレーうどんは"当店いち押し スパイシー 特  製"と表記されています。

店外のテーブル席。

足柄万葉公園へは、万葉うどん屋さんの横を抜けて行きます。

店外のテーブル席。 足柄万葉公園へは、万葉うどん屋さんの横を抜けて行きます。

店外のテーブル席。 足柄万葉公園へは、万葉うどん屋さんの横を抜けて行きます。

万葉公園への途中で。
エゴマ 荏胡麻。

足柄万葉公園へ向かっています。

万葉公園への途中で。 エゴマ 荏胡麻。 足柄万葉公園へ向かっています。

万葉公園への途中で。 エゴマ 荏胡麻。 足柄万葉公園へ向かっています。

足柄万葉公園への道2。
橋を渡ります(コンクリート製)。

足柄万葉公園への道2。 橋を渡ります(コンクリート製)。

足柄万葉公園への道2。 橋を渡ります(コンクリート製)。

足柄万葉公園 への案内板。

足柄万葉公園 への案内板。

足柄万葉公園 への案内板。

足柄万葉公園への道3。
畑脇の小道。

足柄万葉公園への道3。 畑脇の小道。

足柄万葉公園への道3。 畑脇の小道。

万葉公園への途中で2。
イヌホウズキ 犬酸漿。

万葉公園への途中で2。 イヌホウズキ 犬酸漿。

万葉公園への途中で2。 イヌホウズキ 犬酸漿。

足柄万葉公園への道4。

足柄万葉公園への道4。

足柄万葉公園への道4。

足柄万葉公園への道5。
山道へ続きます。

足柄万葉公園への道5。 山道へ続きます。

足柄万葉公園への道5。 山道へ続きます。

足柄万葉公園への道6。
山道になって来ました。

ピンクのテープが目印です。

足柄万葉公園への道6。 山道になって来ました。 ピンクのテープが目印です。

足柄万葉公園への道6。 山道になって来ました。 ピンクのテープが目印です。

足柄万葉公園への道7。

足柄万葉公園への道7。

足柄万葉公園への道7。

足柄万葉公園への道8。
少し開けた所に出てきました。

足柄万葉公園への道8。 少し開けた所に出てきました。

足柄万葉公園への道8。 少し開けた所に出てきました。

万葉公園への途中で3。
お茶畑です。

万葉公園への途中で3。 お茶畑です。

万葉公園への途中で3。 お茶畑です。

足柄万葉公園への案内板2。

足柄万葉公園への案内板2。

足柄万葉公園への案内板2。

足柄万葉公園への道9。
道が広くなりました。

足柄万葉公園への道9。 道が広くなりました。

足柄万葉公園への道9。 道が広くなりました。

足柄万葉公園まで65分。

足柄万葉公園まで65分。

足柄万葉公園まで65分。

足柄万葉公園への道10。

足柄万葉公園への道10。

足柄万葉公園への道10。

足柄万葉公園への道11。

足柄万葉公園への道11。

足柄万葉公園への道11。

万葉公園への途中で4。
倒木に生える苔。

万葉公園への途中で4。 倒木に生える苔。

万葉公園への途中で4。 倒木に生える苔。

万葉公園への途中で5。
倒木に生える苔2。

万葉公園への途中で5。 倒木に生える苔2。

万葉公園への途中で5。 倒木に生える苔2。

足柄万葉公園への道12。

足柄万葉公園への道12。

足柄万葉公園への道12。

足柄万葉公園への道13。

足柄万葉公園への道13。

足柄万葉公園への道13。

分岐。
万葉公園、矢倉岳へ(まっすぐ)。

分岐。 万葉公園、矢倉岳へ(まっすぐ)。

分岐。 万葉公園、矢倉岳へ(まっすぐ)。

足柄万葉公園への道12。

足柄万葉公園への道12。

足柄万葉公園への道12。

東屋。

東屋。

東屋。

足柄万葉公園への道13。

杉林の中を進みます
白のテープが目印です。

足柄万葉公園への道13。 杉林の中を進みます 白のテープが目印です。

足柄万葉公園への道13。 杉林の中を進みます 白のテープが目印です。

足柄万葉公園への道14。
杉の根がすごい。

足柄万葉公園への道14。 杉の根がすごい。

足柄万葉公園への道14。 杉の根がすごい。

足柄万葉公園への案内板4。

足柄万葉公園への案内板4。

足柄万葉公園への案内板4。

足柄万葉公園への道15。
枝道が多く迷い込み易い、白テープと案内板が頼り。

足柄万葉公園への道15。 枝道が多く迷い込み易い、白テープと案内板が頼り。

足柄万葉公園への道15。 枝道が多く迷い込み易い、白テープと案内板が頼り。

足柄万葉公園への道16。

足柄万葉公園への道16。

足柄万葉公園への道16。

足柄万葉公園への案内板5。

足柄万葉公園への案内板5。

足柄万葉公園への案内板5。

足柄万葉公園への道17。

足柄万葉公園への道17。

足柄万葉公園への道17。

足柄万葉公園への道18。

足柄万葉公園への道18。

足柄万葉公園への道18。

足柄万葉公園への道19。

足柄万葉公園への道19。

足柄万葉公園への道19。

万葉公園への途中で6。
コナラ 小楢。

万葉公園への途中で6。 コナラ 小楢。

万葉公園への途中で6。 コナラ 小楢。

足柄万葉公園への案内板6。

足柄万葉公園への案内板6。

足柄万葉公園への案内板6。

足柄万葉公園への道20。

足柄万葉公園への道20。

足柄万葉公園への道20。

万葉公園への途中で7。

ちょっと集めてみました。
コナラ 小楢 2。

万葉公園への途中で7。 ちょっと集めてみました。 コナラ 小楢 2。

万葉公園への途中で7。 ちょっと集めてみました。 コナラ 小楢 2。

足柄万葉公園への道21。

足柄万葉公園への道21。

足柄万葉公園への道21。

足柄万葉公園への道22。
ここからピンクテープになります。

足柄万葉公園への道22。 ここからピンクテープになります。

足柄万葉公園への道22。 ここからピンクテープになります。

分岐2。
万葉公園へ。

分岐2。 万葉公園へ。

分岐2。 万葉公園へ。

足柄万葉公園への道23。

足柄万葉公園への道23。

足柄万葉公園への道23。

分岐3。
足柄万葉公園、足柄峠へ。

分岐3。 足柄万葉公園、足柄峠へ。

分岐3。 足柄万葉公園、足柄峠へ。

足柄万葉公園への道24。
緑の低木から足柄万葉公園内。

足柄万葉公園への道24。 緑の低木から足柄万葉公園内。

足柄万葉公園への道24。 緑の低木から足柄万葉公園内。

分岐4。

万葉広場への案内板
ここはスルーします。

分岐4。 万葉広場への案内板 ここはスルーします。

分岐4。 万葉広場への案内板 ここはスルーします。

中央広場へ。
まっ直ぐ。

中央広場へ。 まっ直ぐ。

中央広場へ。 まっ直ぐ。

万葉公園内の道。
斜面を横切る細い小道です。

万葉公園内の道。 斜面を横切る細い小道です。

万葉公園内の道。 斜面を横切る細い小道です。

万葉公園内。
トリカブト 鳥兜。

万葉公園内。 トリカブト 鳥兜。

万葉公園内。 トリカブト 鳥兜。

万葉公園内の道2。
やや広くなりました。

万葉公園内の道2。 やや広くなりました。

万葉公園内の道2。 やや広くなりました。

足柄万葉公園 中央広場。
東屋2。

三脚を立てたアマチュアカメラマンが展望場所を占拠していました😓。5~6人くらい いました。

足柄万葉公園 中央広場。 東屋2。 三脚を立てたアマチュアカメラマンが展望場所を占拠していました😓。5~6人くらい いました。

足柄万葉公園 中央広場。 東屋2。 三脚を立てたアマチュアカメラマンが展望場所を占拠していました😓。5~6人くらい いました。

中央広場からの展望。
矢倉岳。

中央広場からの展望。 矢倉岳。

中央広場からの展望。 矢倉岳。

中央広場からの展望2。
足柄平野。

中央広場からの展望2。 足柄平野。

中央広場からの展望2。 足柄平野。

中央広場からの展望3。
手前 足柄平野中流域
中 1  曽我丘陵
中 2  大磯丘陵
奥  相模平野。

アマチュアカメラマンの肩越しに撮影しました。

中央広場からの展望3。 手前 足柄平野中流域 中 1  曽我丘陵 中 2  大磯丘陵 奥  相模平野。 アマチュアカメラマンの肩越しに撮影しました。

中央広場からの展望3。 手前 足柄平野中流域 中 1  曽我丘陵 中 2  大磯丘陵 奥  相模平野。 アマチュアカメラマンの肩越しに撮影しました。

足柄峠 の説明板(南足柄市)。

足柄峠 あしがらとうげ 759m。
古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ要路でありました。

大和朝廷の昔、日本武尊 やまとたけるのみこと が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫 おとたちばなのひめ をしのんで「あづまはや」と叫んだという記述が古事記にあります。

奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人 さきもり の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠じています。

こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸を打ちます。

ここ足柄峠は標高七五九メートル、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず「足柄の御坂かしこみ」と峠の神に手向けせずにはいられなかったといいますが往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残をとどめています。

足柄峠 の説明板(南足柄市)。 足柄峠 あしがらとうげ 759m。 古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ要路でありました。 大和朝廷の昔、日本武尊 やまとたけるのみこと が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫 おとたちばなのひめ をしのんで「あづまはや」と叫んだという記述が古事記にあります。 奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人 さきもり の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠じています。 こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸を打ちます。 ここ足柄峠は標高七五九メートル、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず「足柄の御坂かしこみ」と峠の神に手向けせずにはいられなかったといいますが往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残をとどめています。

足柄峠 の説明板(南足柄市)。 足柄峠 あしがらとうげ 759m。 古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ要路でありました。 大和朝廷の昔、日本武尊 やまとたけるのみこと が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫 おとたちばなのひめ をしのんで「あづまはや」と叫んだという記述が古事記にあります。 奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人 さきもり の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠じています。 こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸を打ちます。 ここ足柄峠は標高七五九メートル、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず「足柄の御坂かしこみ」と峠の神に手向けせずにはいられなかったといいますが往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残をとどめています。

足柄万葉公園 の石柱。

足柄万葉公園は中央広場の他に万葉広場、ふれあい広場、見晴広場がありました。

中央広場が一番狭かったみたいです😵。名前にごまかされた⁉️、次回訪れる時の宿題ですね😅。


足柄万葉公園は歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう三区からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。

また、アブラチャンが多く自生し、早春(3月~4月)には黄色い小さな花が園内を彩ります。


足柄万葉公園は、神奈川県(相模之国)と静岡県(駿河之国)の県境にある足柄峠を主とし、南には箱根、東に足柄平野や遠くに相模湾が見渡せ、自然を破壊することなく、市民や観光客が自然の中で憩いながら歴史にふれ、文化的教養の向上を図ることを目的として開設されました。

ここ足柄峠は、奈良·平安時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。

当時、東国から日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。

また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。

足柄万葉公園 の石柱。 足柄万葉公園は中央広場の他に万葉広場、ふれあい広場、見晴広場がありました。 中央広場が一番狭かったみたいです😵。名前にごまかされた⁉️、次回訪れる時の宿題ですね😅。 足柄万葉公園は歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう三区からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。 また、アブラチャンが多く自生し、早春(3月~4月)には黄色い小さな花が園内を彩ります。 足柄万葉公園は、神奈川県(相模之国)と静岡県(駿河之国)の県境にある足柄峠を主とし、南には箱根、東に足柄平野や遠くに相模湾が見渡せ、自然を破壊することなく、市民や観光客が自然の中で憩いながら歴史にふれ、文化的教養の向上を図ることを目的として開設されました。 ここ足柄峠は、奈良·平安時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。 当時、東国から日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。 また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。

足柄万葉公園 の石柱。 足柄万葉公園は中央広場の他に万葉広場、ふれあい広場、見晴広場がありました。 中央広場が一番狭かったみたいです😵。名前にごまかされた⁉️、次回訪れる時の宿題ですね😅。 足柄万葉公園は歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう三区からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。 また、アブラチャンが多く自生し、早春(3月~4月)には黄色い小さな花が園内を彩ります。 足柄万葉公園は、神奈川県(相模之国)と静岡県(駿河之国)の県境にある足柄峠を主とし、南には箱根、東に足柄平野や遠くに相模湾が見渡せ、自然を破壊することなく、市民や観光客が自然の中で憩いながら歴史にふれ、文化的教養の向上を図ることを目的として開設されました。 ここ足柄峠は、奈良·平安時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。 当時、東国から日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。 また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。

南足柄市 の石柱。

南足柄市 の石柱。

南足柄市 の石柱。

足柄万葉公園 のバス停。

足柄万葉公園 のバス停。

足柄万葉公園 のバス停。

静岡県、小山町 の標識。

ここから静岡県へ。

静岡県、小山町 の標識。 ここから静岡県へ。

静岡県、小山町 の標識。 ここから静岡県へ。

足柄神社 の鳥居⛩️。
篇額は足柄明神。

足柄神社 の鳥居⛩️。 篇額は足柄明神。

足柄神社 の鳥居⛩️。 篇額は足柄明神。

足柄神社跡。
祠があります。

足柄神社跡。 祠があります。

足柄神社跡。 祠があります。

足柄神社跡 からの展望。
手前 足柄峠からの山並み
中 1  足柄平野
中 2  曽我丘陵
中 3  大磯丘陵
奥  相模平野。

足柄神社跡 からの展望。 手前 足柄峠からの山並み 中 1  足柄平野 中 2  曽我丘陵 中 3  大磯丘陵 奥  相模平野。

足柄神社跡 からの展望。 手前 足柄峠からの山並み 中 1  足柄平野 中 2  曽我丘陵 中 3  大磯丘陵 奥  相模平野。

足柄峠への道3。
県道(静岡県)365号線。

足柄峠への道3。 県道(静岡県)365号線。

足柄峠への道3。 県道(静岡県)365号線。

足柄之関跡 の標柱。

古代の足柄の関。
足柄の関は昌泰二年(八九九)、足柄坂に出没する強盗団、しゅう馬の党を取り締まるために設けられました。

関の通行には相模国の国司の発行する過所(通行手形)が必要でした。

関の設置された場所や規模、関の停廃の時期などは分かっていないです。

「源平盛衰記」に治承四年(一一八〇)のこととして、土屋宗遠が甲斐に越える時「見レハ峠ニ仮屋打テ、(中略)夜半ノ事ナレハ、関守睡テ驚カス」と見えます。

また、鎌倉時代の歌人飛鳥井雅経が「とまるべき せきやはうちもあらはにて 嵐ははげしあしがらの山」(明日香井和歌集)と詠んでいることから、源平の動乱時代に足柄峠に臨時の関が設けられ鎌倉時代初期にはその残骸が残っていたことがわかります。

峠付近の路傍から採取された四千年前の縄文土器が語るように、この峠道の歴史は古く鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道·公道として利用され、東海道最大の難所として有名でありました。

また、歌枕として関·峠ともに多くの歌に詠まれています。

足柄之関跡 の標柱。 古代の足柄の関。 足柄の関は昌泰二年(八九九)、足柄坂に出没する強盗団、しゅう馬の党を取り締まるために設けられました。 関の通行には相模国の国司の発行する過所(通行手形)が必要でした。 関の設置された場所や規模、関の停廃の時期などは分かっていないです。 「源平盛衰記」に治承四年(一一八〇)のこととして、土屋宗遠が甲斐に越える時「見レハ峠ニ仮屋打テ、(中略)夜半ノ事ナレハ、関守睡テ驚カス」と見えます。 また、鎌倉時代の歌人飛鳥井雅経が「とまるべき せきやはうちもあらはにて 嵐ははげしあしがらの山」(明日香井和歌集)と詠んでいることから、源平の動乱時代に足柄峠に臨時の関が設けられ鎌倉時代初期にはその残骸が残っていたことがわかります。 峠付近の路傍から採取された四千年前の縄文土器が語るように、この峠道の歴史は古く鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道·公道として利用され、東海道最大の難所として有名でありました。 また、歌枕として関·峠ともに多くの歌に詠まれています。

足柄之関跡 の標柱。 古代の足柄の関。 足柄の関は昌泰二年(八九九)、足柄坂に出没する強盗団、しゅう馬の党を取り締まるために設けられました。 関の通行には相模国の国司の発行する過所(通行手形)が必要でした。 関の設置された場所や規模、関の停廃の時期などは分かっていないです。 「源平盛衰記」に治承四年(一一八〇)のこととして、土屋宗遠が甲斐に越える時「見レハ峠ニ仮屋打テ、(中略)夜半ノ事ナレハ、関守睡テ驚カス」と見えます。 また、鎌倉時代の歌人飛鳥井雅経が「とまるべき せきやはうちもあらはにて 嵐ははげしあしがらの山」(明日香井和歌集)と詠んでいることから、源平の動乱時代に足柄峠に臨時の関が設けられ鎌倉時代初期にはその残骸が残っていたことがわかります。 峠付近の路傍から採取された四千年前の縄文土器が語るように、この峠道の歴史は古く鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道·公道として利用され、東海道最大の難所として有名でありました。 また、歌枕として関·峠ともに多くの歌に詠まれています。

隣に社がありました。

隣に社がありました。

隣に社がありました。

足柄山 聖天堂 の石柱。

足柄山 聖天堂 の石柱。

足柄山 聖天堂 の石柱。

足柄山 聖天堂 本堂
せいてんどう。

聖天堂は、日本三大聖天尊のひとつ足柄聖天で、本尊は弘法大師が自筆の「足柄峠」の額と共に奉納したといわれる大聖歓喜双身天(石像1.8m)をまつりご利益は、一家和合、商売繁盛、縁結び、厄除で、毎年4月20日の大祭には多くの観光客でにぎわいます。

足柄山 聖天堂 本堂 せいてんどう。 聖天堂は、日本三大聖天尊のひとつ足柄聖天で、本尊は弘法大師が自筆の「足柄峠」の額と共に奉納したといわれる大聖歓喜双身天(石像1.8m)をまつりご利益は、一家和合、商売繁盛、縁結び、厄除で、毎年4月20日の大祭には多くの観光客でにぎわいます。

足柄山 聖天堂 本堂 せいてんどう。 聖天堂は、日本三大聖天尊のひとつ足柄聖天で、本尊は弘法大師が自筆の「足柄峠」の額と共に奉納したといわれる大聖歓喜双身天(石像1.8m)をまつりご利益は、一家和合、商売繁盛、縁結び、厄除で、毎年4月20日の大祭には多くの観光客でにぎわいます。

足柄峠への道4。
シシウド。

足柄峠への道4。 シシウド。

足柄峠への道4。 シシウド。

足柄峠への道5。
ホトトギス。

足柄峠への道5。 ホトトギス。

足柄峠への道5。 ホトトギス。

新羅三郎義光吹笙之石。

足柄山 笛の調べ。
八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖の畔り三井寺の近くの新羅の森で元服しましたから新羅三郎義光と云っていました。

戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人豊原時元に学びました。

堀河天皇の御代に奥州の清原武衝等が叛いて兵を挙げたのでこれを鎮定するために八幡太郎義家が赴きました。

世に云う後三年の役で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵をつれて逢坂山を越え、日を重ねて足柄峠に露営したのは寛治元年の仲秋の名月でありました。

義光は豊原時秋を傍ら近く呼んで「よく聞かれよ、我は御尊父より笙の秘曲を授かり、これを後世に伝うべく托された、然るにこの度戦場に赴く上は生死の程も計り難い、我死なばこの道はすたれ先師の志をも空しうする。只今これより相伝の秘曲を伝授すれば貴殿はこれより京へ引き返しこの道を守られよ。」と諭しこの大石の上に座り伶人豊原時秋に笙の奥義を伝えたとあります。

新羅三郎義光吹笙之石。 足柄山 笛の調べ。 八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖の畔り三井寺の近くの新羅の森で元服しましたから新羅三郎義光と云っていました。 戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人豊原時元に学びました。 堀河天皇の御代に奥州の清原武衝等が叛いて兵を挙げたのでこれを鎮定するために八幡太郎義家が赴きました。 世に云う後三年の役で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵をつれて逢坂山を越え、日を重ねて足柄峠に露営したのは寛治元年の仲秋の名月でありました。 義光は豊原時秋を傍ら近く呼んで「よく聞かれよ、我は御尊父より笙の秘曲を授かり、これを後世に伝うべく托された、然るにこの度戦場に赴く上は生死の程も計り難い、我死なばこの道はすたれ先師の志をも空しうする。只今これより相伝の秘曲を伝授すれば貴殿はこれより京へ引き返しこの道を守られよ。」と諭しこの大石の上に座り伶人豊原時秋に笙の奥義を伝えたとあります。

新羅三郎義光吹笙之石。 足柄山 笛の調べ。 八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖の畔り三井寺の近くの新羅の森で元服しましたから新羅三郎義光と云っていました。 戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人豊原時元に学びました。 堀河天皇の御代に奥州の清原武衝等が叛いて兵を挙げたのでこれを鎮定するために八幡太郎義家が赴きました。 世に云う後三年の役で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵をつれて逢坂山を越え、日を重ねて足柄峠に露営したのは寛治元年の仲秋の名月でありました。 義光は豊原時秋を傍ら近く呼んで「よく聞かれよ、我は御尊父より笙の秘曲を授かり、これを後世に伝うべく托された、然るにこの度戦場に赴く上は生死の程も計り難い、我死なばこの道はすたれ先師の志をも空しうする。只今これより相伝の秘曲を伝授すれば貴殿はこれより京へ引き返しこの道を守られよ。」と諭しこの大石の上に座り伶人豊原時秋に笙の奥義を伝えたとあります。

新羅三郎義光吹笙之石 の石柱。

新羅三郎義光吹笙之石 の石柱。

新羅三郎義光吹笙之石 の石柱。

足柄城址 の石碑。

足柄城は小田原北条氏の属城でした。城主は北条氏光で当番で守る城でした。

足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた出城で、天正十八年(1580年)豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となりました。

現在では、本丸そして一の郭から五の郭までに604mの遊歩道が整備され、井戸の跡や空堀跡などをみて散策できます。

足柄城址 の石碑。 足柄城は小田原北条氏の属城でした。城主は北条氏光で当番で守る城でした。 足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた出城で、天正十八年(1580年)豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となりました。 現在では、本丸そして一の郭から五の郭までに604mの遊歩道が整備され、井戸の跡や空堀跡などをみて散策できます。

足柄城址 の石碑。 足柄城は小田原北条氏の属城でした。城主は北条氏光で当番で守る城でした。 足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた出城で、天正十八年(1580年)豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となりました。 現在では、本丸そして一の郭から五の郭までに604mの遊歩道が整備され、井戸の跡や空堀跡などをみて散策できます。

足柄城址 の石碑の隣。
もみじ🍁が色づいています。

足柄城址 の石碑の隣。 もみじ🍁が色づいています。

足柄城址 の石碑の隣。 もみじ🍁が色づいています。

拡大🔎。

拡大🔎。

拡大🔎。

足柄峠 の説明板2(小山町)。

こっちの場所が本当の峠。

足柄峠は、標高七百五十九米の箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。

また軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅人情豊かな風景は訪れた人達の心を離さない。

一、足柄の関 あしがらのせき。
  昌泰二年(899年)盗賊(しゅう馬の党という)を防ぐ目的で設置された関です。

一、足柄城址 あしがらじょうし
  創築者·年代は不明であるが、平安末期ごろから戦略上の要地として、何度か軍事的な施設が設けられた形跡があります。

  城郭としては、小田原後北条氏の属城で、数ヶ所の曲輪と土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等があり、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの後、廃城となりました。

一、笛吹塚 ふえふきづか
  新羅三郎義光は、兄八幡太郎義家の苦戦している後三年の役(1083年-1087年)に参戦する途中、足柄峠において笙の笛の師豊原時元の子時秋に、笙の秘曲を伝授したといわれています。

一、聖天堂 しょうてんどう
  弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。
  福運厄除、縁結びのご利益があるとして参拝者が絶えないです。
  毎年、四月ニ十日に大祭が行われます。

一、万葉公園 まんようこうえん
  足柄峠は古来から官道であったため、多くの人々が通り歌を詠んでいます。
  万葉集にも数首詩われているのが見られます。
  万葉の歴史を記す公園として、昭和五十七年度に南足柄市によって設置されました。

一、万葉集から
  足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 教に見もかも

一、その他の遺跡、句碑など
  あずまはや橋、六地蔵、芭蕉句碑、足柄明神、唯念上人名号碑、生田蝶介歌碑、足柄古道など。

足柄峠 の説明板2(小山町)。 こっちの場所が本当の峠。 足柄峠は、標高七百五十九米の箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。 また軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅人情豊かな風景は訪れた人達の心を離さない。 一、足柄の関 あしがらのせき。   昌泰二年(899年)盗賊(しゅう馬の党という)を防ぐ目的で設置された関です。 一、足柄城址 あしがらじょうし   創築者·年代は不明であるが、平安末期ごろから戦略上の要地として、何度か軍事的な施設が設けられた形跡があります。   城郭としては、小田原後北条氏の属城で、数ヶ所の曲輪と土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等があり、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの後、廃城となりました。 一、笛吹塚 ふえふきづか   新羅三郎義光は、兄八幡太郎義家の苦戦している後三年の役(1083年-1087年)に参戦する途中、足柄峠において笙の笛の師豊原時元の子時秋に、笙の秘曲を伝授したといわれています。 一、聖天堂 しょうてんどう   弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。   福運厄除、縁結びのご利益があるとして参拝者が絶えないです。   毎年、四月ニ十日に大祭が行われます。 一、万葉公園 まんようこうえん   足柄峠は古来から官道であったため、多くの人々が通り歌を詠んでいます。   万葉集にも数首詩われているのが見られます。   万葉の歴史を記す公園として、昭和五十七年度に南足柄市によって設置されました。 一、万葉集から   足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 教に見もかも 一、その他の遺跡、句碑など   あずまはや橋、六地蔵、芭蕉句碑、足柄明神、唯念上人名号碑、生田蝶介歌碑、足柄古道など。

足柄峠 の説明板2(小山町)。 こっちの場所が本当の峠。 足柄峠は、標高七百五十九米の箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。 また軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅人情豊かな風景は訪れた人達の心を離さない。 一、足柄の関 あしがらのせき。   昌泰二年(899年)盗賊(しゅう馬の党という)を防ぐ目的で設置された関です。 一、足柄城址 あしがらじょうし   創築者·年代は不明であるが、平安末期ごろから戦略上の要地として、何度か軍事的な施設が設けられた形跡があります。   城郭としては、小田原後北条氏の属城で、数ヶ所の曲輪と土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等があり、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの後、廃城となりました。 一、笛吹塚 ふえふきづか   新羅三郎義光は、兄八幡太郎義家の苦戦している後三年の役(1083年-1087年)に参戦する途中、足柄峠において笙の笛の師豊原時元の子時秋に、笙の秘曲を伝授したといわれています。 一、聖天堂 しょうてんどう   弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。   福運厄除、縁結びのご利益があるとして参拝者が絶えないです。   毎年、四月ニ十日に大祭が行われます。 一、万葉公園 まんようこうえん   足柄峠は古来から官道であったため、多くの人々が通り歌を詠んでいます。   万葉集にも数首詩われているのが見られます。   万葉の歴史を記す公園として、昭和五十七年度に南足柄市によって設置されました。 一、万葉集から   足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 教に見もかも 一、その他の遺跡、句碑など   あずまはや橋、六地蔵、芭蕉句碑、足柄明神、唯念上人名号碑、生田蝶介歌碑、足柄古道など。

足柄城址への階段。

足柄城址への階段。

足柄城址への階段。

ゲンノショウコ 現の証拠。

ゲンノショウコ 現の証拠。

ゲンノショウコ 現の証拠。

?の曲輪。
芝の広場です。

?の曲輪。 芝の広場です。

?の曲輪。 芝の広場です。

東屋3。

東屋3。

東屋3。

ニの曲輪。
ここも芝の広場です。

ニの曲輪。 ここも芝の広場です。

ニの曲輪。 ここも芝の広場です。

富士山🗻~‼️。

見れないと思ってあきらめていましたので少々驚きました😓。

富士山🗻~‼️。 見れないと思ってあきらめていましたので少々驚きました😓。

富士山🗻~‼️。 見れないと思ってあきらめていましたので少々驚きました😓。

西北西方向
山名不明。

西北西方向 山名不明。

西北西方向 山名不明。

北西方向
三国山、石割山方面。

北西方向 三国山、石割山方面。

北西方向 三国山、石割山方面。

富士山の南隣
富士の裾野。

富士山の南隣 富士の裾野。

富士山の南隣 富士の裾野。

西南西方向
愛鷹連峰。

西南西方向 愛鷹連峰。

西南西方向 愛鷹連峰。

南西方向
中 箱根外輪山の山裾
奥 愛鷹連峰。

南西方向 中 箱根外輪山の山裾 奥 愛鷹連峰。

南西方向 中 箱根外輪山の山裾 奥 愛鷹連峰。

南南西方向
箱根外輪山。

南南西方向 箱根外輪山。

南南西方向 箱根外輪山。

南方向

金時山 1212m 箱根古期外輪山
箱根外輪山最高峰。

南方向 金時山 1212m 箱根古期外輪山 箱根外輪山最高峰。

南方向 金時山 1212m 箱根古期外輪山 箱根外輪山最高峰。

南南東方向
神山 1438m 箱根中央火口丘。

南南東方向 神山 1438m 箱根中央火口丘。

南南東方向 神山 1438m 箱根中央火口丘。

南東方向
明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。

南東方向 明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。

南東方向 明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。

神山 拡大🔎
大涌谷から噴気があがっています。

神山 拡大🔎 大涌谷から噴気があがっています。

神山 拡大🔎 大涌谷から噴気があがっています。

お弁当。
いつもの定番+α。
おにぎり🍙 2コ(中身は梅干し)
茹で玉子   1コ
たくあん   3切れ
バナナ🍌  1本(大)
みかん🍊  1コ ··· 初登場(+α)
お水     自宅からの水道水。

お弁当。 いつもの定番+α。 おにぎり🍙 2コ(中身は梅干し) 茹で玉子   1コ たくあん   3切れ バナナ🍌  1本(大) みかん🍊  1コ ··· 初登場(+α) お水     自宅からの水道水。

お弁当。 いつもの定番+α。 おにぎり🍙 2コ(中身は梅干し) 茹で玉子   1コ たくあん   3切れ バナナ🍌  1本(大) みかん🍊  1コ ··· 初登場(+α) お水     自宅からの水道水。

お昼をたべながらの風景。

お昼をたべながらの風景。

お昼をたべながらの風景。

ニの曲輪内

ドウダンツツジ
紅葉🍁しています。

ニの曲輪内 ドウダンツツジ 紅葉🍁しています。

ニの曲輪内 ドウダンツツジ 紅葉🍁しています。

拡大🔎
ドウダンツツジ2
赤が鮮やかです。

このあと金時山方向に向かいます。

拡大🔎 ドウダンツツジ2 赤が鮮やかです。 このあと金時山方向に向かいます。

拡大🔎 ドウダンツツジ2 赤が鮮やかです。 このあと金時山方向に向かいます。

金時山まで3.7km。

主要目的地の丸鉢山は金時山の少し手前です。

金時山まで3.7km。 主要目的地の丸鉢山は金時山の少し手前です。

金時山まで3.7km。 主要目的地の丸鉢山は金時山の少し手前です。

金時山への道。
アスファルト舗装されています。

金時山への道。 アスファルト舗装されています。

金時山への道。 アスファルト舗装されています。

金時山への途中で。
アカギ 赤木。

金時山への途中で。 アカギ 赤木。

金時山への途中で。 アカギ 赤木。

金時山への道2。

金時山への道2。

金時山への道2。

金時山まで2.8km。

金時山まで2.8km。

金時山まで2.8km。

道案内板の上のマスコット。
金太郎です。

道案内板の上のマスコット。 金太郎です。

道案内板の上のマスコット。 金太郎です。

金時山への途中で2。
富士裾野が見えました。

金時山への途中で2。 富士裾野が見えました。

金時山への途中で2。 富士裾野が見えました。

金時山への途中で3。
リョウブ 令法。

金時山への途中で3。 リョウブ 令法。

金時山への途中で3。 リョウブ 令法。

金時山への途中で4。
道路の壁面を覆う苔。

金時山への途中で4。 道路の壁面を覆う苔。

金時山への途中で4。 道路の壁面を覆う苔。

金時山への道3。
砂利道になりました。

金時山への道3。 砂利道になりました。

金時山への道3。 砂利道になりました。

分岐5。
金時山まで60分。

分岐5。 金時山まで60分。

分岐5。 金時山まで60分。

危険!通行禁止 の警告板。

"金時山の足柄ルート登山道は崩落のため"と表記されています。

崩落の箇所は金時山山頂直下なので手前の丸鉢山まで進みます。

危険!通行禁止 の警告板。 "金時山の足柄ルート登山道は崩落のため"と表記されています。 崩落の箇所は金時山山頂直下なので手前の丸鉢山まで進みます。

危険!通行禁止 の警告板。 "金時山の足柄ルート登山道は崩落のため"と表記されています。 崩落の箇所は金時山山頂直下なので手前の丸鉢山まで進みます。

一般車両はここまでの ゲート。

ここまでは一般車両が入ってこれます。

一般車両はここまでの ゲート。 ここまでは一般車両が入ってこれます。

一般車両はここまでの ゲート。 ここまでは一般車両が入ってこれます。

金時山まで1.8km。
ここも金太郎のマスコットが付いています。

金時山まで1.8km。 ここも金太郎のマスコットが付いています。

金時山まで1.8km。 ここも金太郎のマスコットが付いています。

金時山への道4。
土の道になりました。でも道幅は広いです。

金時山への道4。 土の道になりました。でも道幅は広いです。

金時山への道4。 土の道になりました。でも道幅は広いです。

金時山への途中で5。
マユミ 檀。

金時山への途中で5。 マユミ 檀。

金時山への途中で5。 マユミ 檀。

富士山🗻~✨‼️。
足柄峠で見た時より輪郭がちょっと薄いです。

富士山🗻~✨‼️。 足柄峠で見た時より輪郭がちょっと薄いです。

富士山🗻~✨‼️。 足柄峠で見た時より輪郭がちょっと薄いです。

西北西方向
富士裾野。

西北西方向 富士裾野。

西北西方向 富士裾野。

北西方向
三国山、石割山方面。

北西方向 三国山、石割山方面。

北西方向 三国山、石割山方面。

金時山まで40分。

金時山まで40分。

金時山まで40分。

猪鼻砦跡 の説明板。
地面に置かれていました。柱が壊れたようです。

猪鼻砦 いのはなとりで は、金時山から足柄峠方向へ下る尾根の最初のピークに位置しており、御殿場側から望見するとちょうど猪の鼻の先端部の形に見えるため「猪鼻砦」と名付けられたものと思われます。

地蔵堂近くの古城跡「定山」から、一の金王、ニの金王、三の金王を登り詰めると当砦に至ります。

ここから小山町新柴へ尾根道が続いており、猪鼻砦は金時山から足柄峠、「定山」から新柴へと続く尾根を押さえる目的で築かれ足柄城の南方を守備する砦として重視されていました。

足柄城からは2.7kmの距離にあります。

猪鼻砦跡 の説明板。 地面に置かれていました。柱が壊れたようです。 猪鼻砦 いのはなとりで は、金時山から足柄峠方向へ下る尾根の最初のピークに位置しており、御殿場側から望見するとちょうど猪の鼻の先端部の形に見えるため「猪鼻砦」と名付けられたものと思われます。 地蔵堂近くの古城跡「定山」から、一の金王、ニの金王、三の金王を登り詰めると当砦に至ります。 ここから小山町新柴へ尾根道が続いており、猪鼻砦は金時山から足柄峠、「定山」から新柴へと続く尾根を押さえる目的で築かれ足柄城の南方を守備する砦として重視されていました。 足柄城からは2.7kmの距離にあります。

猪鼻砦跡 の説明板。 地面に置かれていました。柱が壊れたようです。 猪鼻砦 いのはなとりで は、金時山から足柄峠方向へ下る尾根の最初のピークに位置しており、御殿場側から望見するとちょうど猪の鼻の先端部の形に見えるため「猪鼻砦」と名付けられたものと思われます。 地蔵堂近くの古城跡「定山」から、一の金王、ニの金王、三の金王を登り詰めると当砦に至ります。 ここから小山町新柴へ尾根道が続いており、猪鼻砦は金時山から足柄峠、「定山」から新柴へと続く尾根を押さえる目的で築かれ足柄城の南方を守備する砦として重視されていました。 足柄城からは2.7kmの距離にあります。

金時山への途中で6。
金時山。もう間近です。

金時山への途中で6。 金時山。もう間近です。

金時山への途中で6。 金時山。もう間近です。

金時山への道5。
下っています···⁉️。

おかしい😓、YAMAPで確認。あっ、行き過ぎてた!。さっきの所が丸鉢山でした。

ここで戻ります。

金時山への道5。 下っています···⁉️。 おかしい😓、YAMAPで確認。あっ、行き過ぎてた!。さっきの所が丸鉢山でした。 ここで戻ります。

金時山への道5。 下っています···⁉️。 おかしい😓、YAMAPで確認。あっ、行き過ぎてた!。さっきの所が丸鉢山でした。 ここで戻ります。

戻って来ました。改めて
丸鉢山 まるはちやま 962m。

本日の主要目的地です。

山頂標識はありませんでした。富士山🗻がさっきより更に薄くなって来ました。

このあとすぐに富士山が見えなくなりました😓。

戻って来ました。改めて 丸鉢山 まるはちやま 962m。 本日の主要目的地です。 山頂標識はありませんでした。富士山🗻がさっきより更に薄くなって来ました。 このあとすぐに富士山が見えなくなりました😓。

戻って来ました。改めて 丸鉢山 まるはちやま 962m。 本日の主要目的地です。 山頂標識はありませんでした。富士山🗻がさっきより更に薄くなって来ました。 このあとすぐに富士山が見えなくなりました😓。

丸鉢山山頂付近で。
フジアザミ 富士薊。

丸鉢山山頂付近で。 フジアザミ 富士薊。

丸鉢山山頂付近で。 フジアザミ 富士薊。

分岐5に戻って来ました。
金時山まで1.8km地点。

分岐5に戻って来ました。 金時山まで1.8km地点。

分岐5に戻って来ました。 金時山まで1.8km地点。

ここから 夕日の滝へ。

ここから 夕日の滝へ。

ここから 夕日の滝へ。

夕日の滝への下山道。

夕日の滝への下山道。

夕日の滝への下山道。

夕日の滝への下山道2。

夕日の滝への下山道2。

夕日の滝への下山道2。

夕日の滝への下山道3。

夕日の滝への下山道3。

夕日の滝への下山道3。

立木に生える苔。

立木に生える苔。

立木に生える苔。

切り株に生える苔。

切り株に生える苔。

切り株に生える苔。

切り株に生える苔2。

切り株に生える苔2。

切り株に生える苔2。

倒木に生える苔3。

倒木に生える苔3。

倒木に生える苔3。

切り株に生える苔3。

切り株に生える苔3。

切り株に生える苔3。

倒木に生える苔4。

倒木に生える苔4。

倒木に生える苔4。

下山途中で。
矢倉岳。

下山途中で。 矢倉岳。

下山途中で。 矢倉岳。

夕日の滝への下山道4。
かなりの下りです。

夕日の滝への下山道4。 かなりの下りです。

夕日の滝への下山道4。 かなりの下りです。

切り株に生える苔4。

切り株に生える苔4。

切り株に生える苔4。

切り株に生える苔5。

切り株に生える苔5。

切り株に生える苔5。

切り株に生える苔6。

切り株に生える苔6。

切り株に生える苔6。

切り株に生える苔7。

切り株に生える苔7。

切り株に生える苔7。

切り株に生える苔8。

切り株に生える苔8。

切り株に生える苔8。

下山途中で2。
ふもとの南足柄市街が見えてきました。

下山途中で2。 ふもとの南足柄市街が見えてきました。

下山途中で2。 ふもとの南足柄市街が見えてきました。

夕日の滝への下山道5。
かなりの急勾配です。

夕日の滝への下山道5。 かなりの急勾配です。

夕日の滝への下山道5。 かなりの急勾配です。

夕日の滝への案内板2。

夕日の滝への案内板2。

夕日の滝への案内板2。

下山途中で3。
ナンキンハゼ 南京櫨。

まっ赤です。

下山途中で3。 ナンキンハゼ 南京櫨。 まっ赤です。

下山途中で3。 ナンキンハゼ 南京櫨。 まっ赤です。

下山途中で4。
ナンキンハゼ 南京櫨 2。

紅葉🍁しています。

下山途中で4。 ナンキンハゼ 南京櫨 2。 紅葉🍁しています。

下山途中で4。 ナンキンハゼ 南京櫨 2。 紅葉🍁しています。

下山途中で5。
岩に生える苔。

下山途中で5。 岩に生える苔。

下山途中で5。 岩に生える苔。

下山途中で6。
小さなケルン。

下山途中で6。 小さなケルン。

下山途中で6。 小さなケルン。

岩に生える苔2。

岩に生える苔2。

岩に生える苔2。

夕日の滝への案内板3。

夕日の滝への案内板3。

夕日の滝への案内板3。

下山途中で7。
小さなケルン2。

下山途中で7。 小さなケルン2。

下山途中で7。 小さなケルン2。

夕日の滝への下山道6。
沢筋に降りてきました。

夕日の滝への下山道6。 沢筋に降りてきました。

夕日の滝への下山道6。 沢筋に降りてきました。

下山途中で8。
小さなケルン3。

小さなケルンが目印(道案内)になっています。

下山途中で8。 小さなケルン3。 小さなケルンが目印(道案内)になっています。

下山途中で8。 小さなケルン3。 小さなケルンが目印(道案内)になっています。

夕日の滝への案内板4。
この案内板があると安心します。

夕日の滝への案内板4。 この案内板があると安心します。

夕日の滝への案内板4。 この案内板があると安心します。

夕日の滝への下山道7。

夕日の滝への下山道7。

夕日の滝への下山道7。

下山途中で9。
小さなケルン4。

下山途中で9。 小さなケルン4。

下山途中で9。 小さなケルン4。

夕日の滝への下山道8。
倒木が道をふさいでいます。

夕日の滝への下山道8。 倒木が道をふさいでいます。

夕日の滝への下山道8。 倒木が道をふさいでいます。

夕日の滝への下山道9。

夕日の滝への下山道9。

夕日の滝への下山道9。

夕日の滝への下山道10。

夕日の滝への下山道10。

夕日の滝への下山道10。

夕日の滝への下山道11。

夕日の滝への下山道11。

夕日の滝への下山道11。

東屋4。

東屋4。

東屋4。

夕日の滝への下山道12。

夕日の滝への下山道12。

夕日の滝への下山道12。

夕日の滝への下山道13。
杉林に入って来ました。

夕日の滝への下山道13。 杉林に入って来ました。

夕日の滝への下山道13。 杉林に入って来ました。

夕日の滝への下山道14。

夕日の滝への下山道14。

夕日の滝への下山道14。

夕日の滝への下山道15。

夕日の滝への下山道15。

夕日の滝への下山道15。

夕日の滝への案内板5。

夕日の滝への案内板5。

夕日の滝への案内板5。

夕日の滝への下山道16。
舗装道路が見えてきました。

夕日の滝への下山道16。 舗装道路が見えてきました。

夕日の滝への下山道16。 舗装道路が見えてきました。

夕日の滝への下山道17。
コンクリート舗装道路の先にアスファルト舗装道路が見えてきました。

下山道はここまでです。

夕日の滝への下山道17。 コンクリート舗装道路の先にアスファルト舗装道路が見えてきました。 下山道はここまでです。

夕日の滝への下山道17。 コンクリート舗装道路の先にアスファルト舗装道路が見えてきました。 下山道はここまでです。

夕日の滝への案内板6。

夕日の滝への案内板6。

夕日の滝への案内板6。

夕日の滝への道。
コンクリート舗装です。

夕日の滝への道。 コンクリート舗装です。

夕日の滝への道。 コンクリート舗装です。

夕日の滝への道2。
赤い橋を渡って右です。

夕日の滝への道2。 赤い橋を渡って右です。

夕日の滝への道2。 赤い橋を渡って右です。

夕日の滝が見えてきました。

夕日の滝が見えてきました。

夕日の滝が見えてきました。

夕日の滝2。

夕日の滝2。

夕日の滝2。

夕日の滝3。

夕日の滝3。

夕日の滝3。

夕日の滝4。

夕日の滝4。

夕日の滝4。

夕日の滝5。
全体。

夕日の滝5。 全体。

夕日の滝5。 全体。

夕日の滝6。
滝壺。

ここから帰ります。

夕日の滝6。 滝壺。 ここから帰ります。

夕日の滝6。 滝壺。 ここから帰ります。

帰り道。
コンクリート舗装です。

帰り道。 コンクリート舗装です。

帰り道。 コンクリート舗装です。

帰り道の途中で。
ウキツリボク 浮釣木。

帰り道の途中で。 ウキツリボク 浮釣木。

帰り道の途中で。 ウキツリボク 浮釣木。

帰り道の途中で2。
金太郎生家跡地 の標柱。

帰り道の途中で2。 金太郎生家跡地 の標柱。

帰り道の途中で2。 金太郎生家跡地 の標柱。

帰り道の途中で3。

金太郎生家跡。
基礎の石。

帰り道の途中で3。 金太郎生家跡。 基礎の石。

帰り道の途中で3。 金太郎生家跡。 基礎の石。

帰り道の途中で4。

コスモス 秋桜。
ピンク。

帰り道の途中で4。 コスモス 秋桜。 ピンク。

帰り道の途中で4。 コスモス 秋桜。 ピンク。

帰り道の途中で5。

コスモス 秋桜 2。
赤紫。

帰り道の途中で5。 コスモス 秋桜 2。 赤紫。

帰り道の途中で5。 コスモス 秋桜 2。 赤紫。

帰り道の途中で6。
キンモクセイ 金木犀。

帰り道の途中で6。 キンモクセイ 金木犀。

帰り道の途中で6。 キンモクセイ 金木犀。

帰り道の途中で7。
キバナコスモス。

雨が降って来ています。

帰り道の途中で7。 キバナコスモス。 雨が降って来ています。

帰り道の途中で7。 キバナコスモス。 雨が降って来ています。

地蔵堂。
ぐる~っとひと回りして来ました。

地蔵堂。 ぐる~っとひと回りして来ました。

地蔵堂。 ぐる~っとひと回りして来ました。

帰り道2。
県道78号線。

雨☔で道路が濡れています。
台風14号の北上で秋雨前線が刺激され雨が降って来ました。

夕方から雨の予報でしたが少し早まったようです😓。

帰り道2。 県道78号線。 雨☔で道路が濡れています。 台風14号の北上で秋雨前線が刺激され雨が降って来ました。 夕方から雨の予報でしたが少し早まったようです😓。

帰り道2。 県道78号線。 雨☔で道路が濡れています。 台風14号の北上で秋雨前線が刺激され雨が降って来ました。 夕方から雨の予報でしたが少し早まったようです😓。

帰り道の途中で6。
南足柄市街が見えて来ました。

帰り道の途中で6。 南足柄市街が見えて来ました。

帰り道の途中で6。 南足柄市街が見えて来ました。

右へ。
小田原、大雄山へ。

右へ。 小田原、大雄山へ。

右へ。 小田原、大雄山へ。

到着~✨🎶✌️。
伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。

今日はここまでです。
お疲れ様~👋😃💦。

到着~✨🎶✌️。 伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。 今日はここまでです。 お疲れ様~👋😃💦。

到着~✨🎶✌️。 伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。 今日はここまでです。 お疲れ様~👋😃💦。

今日のお土産。

下駄まんじゅう
大雄山 茶屋 天んぐ。

今日のお土産。 下駄まんじゅう 大雄山 茶屋 天んぐ。

今日のお土産。 下駄まんじゅう 大雄山 茶屋 天んぐ。

中身です。

食べてみましたが、餡はいい味です。うす皮の方は味が濃すぎる(くどい)と感じました。食感も食べているとベタベタして来ます。

うーん😔、私には合わないかなぁ···。

"南足柄ブランド"に認定されたとのうたい文句ですが、どうしたものかなぁ~と思ってしまいました···。

大雄山茶屋天んぐ さんは「保存料や防腐剤等を使用していない」や「小豆は北海道羊蹄産」に「黒糖は沖縄県産」とお菓子作りに大変こだわっています。

中身です。 食べてみましたが、餡はいい味です。うす皮の方は味が濃すぎる(くどい)と感じました。食感も食べているとベタベタして来ます。 うーん😔、私には合わないかなぁ···。 "南足柄ブランド"に認定されたとのうたい文句ですが、どうしたものかなぁ~と思ってしまいました···。 大雄山茶屋天んぐ さんは「保存料や防腐剤等を使用していない」や「小豆は北海道羊蹄産」に「黒糖は沖縄県産」とお菓子作りに大変こだわっています。

中身です。 食べてみましたが、餡はいい味です。うす皮の方は味が濃すぎる(くどい)と感じました。食感も食べているとベタベタして来ます。 うーん😔、私には合わないかなぁ···。 "南足柄ブランド"に認定されたとのうたい文句ですが、どうしたものかなぁ~と思ってしまいました···。 大雄山茶屋天んぐ さんは「保存料や防腐剤等を使用していない」や「小豆は北海道羊蹄産」に「黒糖は沖縄県産」とお菓子作りに大変こだわっています。

自宅 最寄りバス停。 今回もここから掲載します。

バス停すぐ横 歩道の植え込み。 サツキ。 狂い咲きのようです。他にも5、6輪咲いています。

バス停 上空の雲☁️。

JR東日本 東海道線 平塚駅南口。

平塚駅南口 上空の雲☁️。 秋雲☁️です。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 小田原駅 改札口。 いっきにここまで来ました。

箱根登山鉄道 大雄山線 電車。

伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。 YAMAPはここからスタートです。

大雄山駅駅舎 の標柱。 市登録有形文化財です。

大雄山駅前の歩道。 広くて綺麗です。

街路樹の紅葉🍁。 ハナミズキ 花水木。

左へ。 御殿場、山北 方面へ。

街路樹の紅葉🍁2。 ハナミズキ 花水木 2。

県道74号線 県道78号線 の道標。

県道。 上って行きます。

道の途中で。 ザクロ 石榴。

道の途中で2。 矢倉岳 870m が見えて来ました。 9/4(金)に登った山です。

道の途中で3。 明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。 8/19(水)に登った山です。

道の途中で4。 なんだか怪しい雲行きです···😓。

道の途中で5。 アラカシ 粗樫。

道の途中で6。 アカナラ 赤楢。

道の途中で7。 クヌギ 櫟。

道の途中で8。 クズ 葛。

道の途中で9。 矢倉岳。 かなり近づいてきました。 威圧感があります。

道の途中で10。 サツマイモ属。 サツマイモの仲間。

道の途中で11。 コセンダングサ 小栴檀草。

道の途中で12。 オオニシキソウ 大錦草。

道の途中で13。 フヨウ 芙蓉。

道の途中で14。 矢倉岳。 更に近づいて来ました。 どーん、と迫力があります。

道の途中で15。 カキノキ 柿の木。

道の途中で16。 金時山 1212m 箱根古期外輪山。 外輪山 最高峰。 その右隣の小さなピークが、 丸鉢山 まるはちやま 962m。 今回の主要目的地です。

道の途中で17。 ミカン。

道の途中で18。 矢倉沢関所と周辺 の説明板。 東海道の脇街道として賑わった矢倉沢往還には徳川幕府により「入り鉄砲と出女」を取り締るため、ここ矢倉沢の地に関所を置き旅人を厳しく取り締りました。 関所は季節に関わらず午前六時から午後六時までの間しか通行が出来ませんでしたので関所周辺には旅籠等が立ち並び、関所を通過する旅人で大変賑わったそうです。 現在でも「立花屋」「釜成屋」「大和屋」「江戸屋」「常陸屋」「車屋」等、当時の屋号が各家に伝わっています。

足柄道 の道標。

まっ直ぐ。 小山、足柄峠へ。 県道78号線。

足柄万葉公園まで6.4km。

道の途中で19。 金時山が近づいて来ました。

静岡県境まで6.6km。 県道78号線。

道の途中で20。 オチャ お茶。

道の途中で21。 オチャ お茶 2。

道の途中で22。 ガマズミ。

道の途中で23。 ヤマハギ 山萩。

道の途中で24。 オニタビラコ 鬼田平子。

足柄峠への道。 県道78号線。

道の途中で25。 シュウカイドウ 秋海棠。

足柄峠への道2。 遊歩道。

道の途中で26。 黄色く紅葉しています。

道の途中で27。 ヤブマメ。

道の途中で28。 テリミノイヌホオズキ。

道の途中で29。 ノブドウ 野葡萄。

道の途中で30。 アリチウリ 荒れ地瓜。

道の途中で31。 クヌギ 櫟 2。

道の途中で32。 キツネノマゴ。

道の途中で33。 オオセンナリ。

道の途中で34。 アメリカノリノキ。

道の途中で35。 ヤマアジサイ 山紫陽花。

道の途中で36。 シラヤマギク。

道の途中で37。 タンポポ。 狂い咲きのようです2。

道の途中で38。 イタドリ 虎杖。

道の途中で39。 エノコログサ 狗尾草。 俗称 猫じゃらし 朱く紅葉しています。

道の途中で40。 センニンソウ 仙人草。

道の途中で41。 オオイタドリ 大虎杖。

道の途中で42。 タラノキ。

左へ。 夕日の滝、地蔵堂 方面へ。

道の途中で43。 ウド 独活。

地蔵堂 じぞうどう。 本堂は、天保十二年(1841年)に編纂された「新編相模国風土記稿」によると、文化十四年(1817年)に火災に遭ったがその後再建されたと記されている。 昭和五十年(1975年)にも消失したが、住民の手によって本堂内の厨子と本尊である地蔵菩薩立像や他の仏像はすべて救い出された。 本尊の地蔵菩薩が納められているのが厨子であり、三間四方の入母屋造りの屋根に軸部を禅宗様、軒を和洋とした折衷方式で鎌倉を中心に分布する禅宗様に対して特色がある。 また、木鼻が上部の軒だけではなく下部の軸にもつけられていることや天井が丁寧に作られていることも珍しい。 現在は地蔵堂裏の収納庫に納められている。 地蔵堂内厨子 室町時代末期作。 神奈川県指定重要文化財(昭和五十四年二月十六日)。 平成二十五年三月。 南足柄市教育委員会。

足柄地蔵尊の のぼり旗。

地蔵堂 本堂。 ここで休憩🍵 水分補給と行動食(カロリーメイト)。

地蔵堂内 の花。 エゾギク 蝦夷菊。

万葉うどん屋 さん 手打ちうどん ののぼり旗。 足柄古道 万葉うどん。 夕日の滝の近くに豊かな自然に囲まれた手打ちうどんの名店。 注文を受けてから打ち始めるうどんは、温かいだし汁で味う温うどんが定番。 特製のからしみそを付けたおでんもおすすめ。 神奈川県 南足柄市観光協会。

手書きの営業時間案内。 平日(月曜日~土曜日) 11:30~17:00 日曜日·祝日 11:30~17:00 定休日 毎週木曜日。 営業時間は平日も日曜日·祝日ともに現在同じですが、時刻を変更していたらしき貼り紙の跡があります。

メニュー。 万葉うどん カレーうどん 970えん とろろうどん 770えん 湯うどん   520えん ざるうどん   ???えん おでん 1本   140えん。 ※ざるうどんの値段は陰に隠れて見えませんで  した。 ※カレーうどんは"当店いち押し スパイシー 特  製"と表記されています。

店外のテーブル席。 足柄万葉公園へは、万葉うどん屋さんの横を抜けて行きます。

万葉公園への途中で。 エゴマ 荏胡麻。 足柄万葉公園へ向かっています。

足柄万葉公園への道2。 橋を渡ります(コンクリート製)。

足柄万葉公園 への案内板。

足柄万葉公園への道3。 畑脇の小道。

万葉公園への途中で2。 イヌホウズキ 犬酸漿。

足柄万葉公園への道4。

足柄万葉公園への道5。 山道へ続きます。

足柄万葉公園への道6。 山道になって来ました。 ピンクのテープが目印です。

足柄万葉公園への道7。

足柄万葉公園への道8。 少し開けた所に出てきました。

万葉公園への途中で3。 お茶畑です。

足柄万葉公園への案内板2。

足柄万葉公園への道9。 道が広くなりました。

足柄万葉公園まで65分。

足柄万葉公園への道10。

足柄万葉公園への道11。

万葉公園への途中で4。 倒木に生える苔。

万葉公園への途中で5。 倒木に生える苔2。

足柄万葉公園への道12。

足柄万葉公園への道13。

分岐。 万葉公園、矢倉岳へ(まっすぐ)。

足柄万葉公園への道12。

東屋。

足柄万葉公園への道13。 杉林の中を進みます 白のテープが目印です。

足柄万葉公園への道14。 杉の根がすごい。

足柄万葉公園への案内板4。

足柄万葉公園への道15。 枝道が多く迷い込み易い、白テープと案内板が頼り。

足柄万葉公園への道16。

足柄万葉公園への案内板5。

足柄万葉公園への道17。

足柄万葉公園への道18。

足柄万葉公園への道19。

万葉公園への途中で6。 コナラ 小楢。

足柄万葉公園への案内板6。

足柄万葉公園への道20。

万葉公園への途中で7。 ちょっと集めてみました。 コナラ 小楢 2。

足柄万葉公園への道21。

足柄万葉公園への道22。 ここからピンクテープになります。

分岐2。 万葉公園へ。

足柄万葉公園への道23。

分岐3。 足柄万葉公園、足柄峠へ。

足柄万葉公園への道24。 緑の低木から足柄万葉公園内。

分岐4。 万葉広場への案内板 ここはスルーします。

中央広場へ。 まっ直ぐ。

万葉公園内の道。 斜面を横切る細い小道です。

万葉公園内。 トリカブト 鳥兜。

万葉公園内の道2。 やや広くなりました。

足柄万葉公園 中央広場。 東屋2。 三脚を立てたアマチュアカメラマンが展望場所を占拠していました😓。5~6人くらい いました。

中央広場からの展望。 矢倉岳。

中央広場からの展望2。 足柄平野。

中央広場からの展望3。 手前 足柄平野中流域 中 1  曽我丘陵 中 2  大磯丘陵 奥  相模平野。 アマチュアカメラマンの肩越しに撮影しました。

足柄峠 の説明板(南足柄市)。 足柄峠 あしがらとうげ 759m。 古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ要路でありました。 大和朝廷の昔、日本武尊 やまとたけるのみこと が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫 おとたちばなのひめ をしのんで「あづまはや」と叫んだという記述が古事記にあります。 奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人 さきもり の任におもむく東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い心の叫びを詠じています。 こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸を打ちます。 ここ足柄峠は標高七五九メートル、当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず「足柄の御坂かしこみ」と峠の神に手向けせずにはいられなかったといいますが往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残をとどめています。

足柄万葉公園 の石柱。 足柄万葉公園は中央広場の他に万葉広場、ふれあい広場、見晴広場がありました。 中央広場が一番狭かったみたいです😵。名前にごまかされた⁉️、次回訪れる時の宿題ですね😅。 足柄万葉公園は歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう三区からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。 また、アブラチャンが多く自生し、早春(3月~4月)には黄色い小さな花が園内を彩ります。 足柄万葉公園は、神奈川県(相模之国)と静岡県(駿河之国)の県境にある足柄峠を主とし、南には箱根、東に足柄平野や遠くに相模湾が見渡せ、自然を破壊することなく、市民や観光客が自然の中で憩いながら歴史にふれ、文化的教養の向上を図ることを目的として開設されました。 ここ足柄峠は、奈良·平安時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。 当時、東国から日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。 また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。

南足柄市 の石柱。

足柄万葉公園 のバス停。

静岡県、小山町 の標識。 ここから静岡県へ。

足柄神社 の鳥居⛩️。 篇額は足柄明神。

足柄神社跡。 祠があります。

足柄神社跡 からの展望。 手前 足柄峠からの山並み 中 1  足柄平野 中 2  曽我丘陵 中 3  大磯丘陵 奥  相模平野。

足柄峠への道3。 県道(静岡県)365号線。

足柄之関跡 の標柱。 古代の足柄の関。 足柄の関は昌泰二年(八九九)、足柄坂に出没する強盗団、しゅう馬の党を取り締まるために設けられました。 関の通行には相模国の国司の発行する過所(通行手形)が必要でした。 関の設置された場所や規模、関の停廃の時期などは分かっていないです。 「源平盛衰記」に治承四年(一一八〇)のこととして、土屋宗遠が甲斐に越える時「見レハ峠ニ仮屋打テ、(中略)夜半ノ事ナレハ、関守睡テ驚カス」と見えます。 また、鎌倉時代の歌人飛鳥井雅経が「とまるべき せきやはうちもあらはにて 嵐ははげしあしがらの山」(明日香井和歌集)と詠んでいることから、源平の動乱時代に足柄峠に臨時の関が設けられ鎌倉時代初期にはその残骸が残っていたことがわかります。 峠付近の路傍から採取された四千年前の縄文土器が語るように、この峠道の歴史は古く鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道·公道として利用され、東海道最大の難所として有名でありました。 また、歌枕として関·峠ともに多くの歌に詠まれています。

隣に社がありました。

足柄山 聖天堂 の石柱。

足柄山 聖天堂 本堂 せいてんどう。 聖天堂は、日本三大聖天尊のひとつ足柄聖天で、本尊は弘法大師が自筆の「足柄峠」の額と共に奉納したといわれる大聖歓喜双身天(石像1.8m)をまつりご利益は、一家和合、商売繁盛、縁結び、厄除で、毎年4月20日の大祭には多くの観光客でにぎわいます。

足柄峠への道4。 シシウド。

足柄峠への道5。 ホトトギス。

新羅三郎義光吹笙之石。 足柄山 笛の調べ。 八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖の畔り三井寺の近くの新羅の森で元服しましたから新羅三郎義光と云っていました。 戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人豊原時元に学びました。 堀河天皇の御代に奥州の清原武衝等が叛いて兵を挙げたのでこれを鎮定するために八幡太郎義家が赴きました。 世に云う後三年の役で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵をつれて逢坂山を越え、日を重ねて足柄峠に露営したのは寛治元年の仲秋の名月でありました。 義光は豊原時秋を傍ら近く呼んで「よく聞かれよ、我は御尊父より笙の秘曲を授かり、これを後世に伝うべく托された、然るにこの度戦場に赴く上は生死の程も計り難い、我死なばこの道はすたれ先師の志をも空しうする。只今これより相伝の秘曲を伝授すれば貴殿はこれより京へ引き返しこの道を守られよ。」と諭しこの大石の上に座り伶人豊原時秋に笙の奥義を伝えたとあります。

新羅三郎義光吹笙之石 の石柱。

足柄城址 の石碑。 足柄城は小田原北条氏の属城でした。城主は北条氏光で当番で守る城でした。 足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた出城で、天正十八年(1580年)豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となりました。 現在では、本丸そして一の郭から五の郭までに604mの遊歩道が整備され、井戸の跡や空堀跡などをみて散策できます。

足柄城址 の石碑の隣。 もみじ🍁が色づいています。

拡大🔎。

足柄峠 の説明板2(小山町)。 こっちの場所が本当の峠。 足柄峠は、標高七百五十九米の箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。 また軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅人情豊かな風景は訪れた人達の心を離さない。 一、足柄の関 あしがらのせき。   昌泰二年(899年)盗賊(しゅう馬の党という)を防ぐ目的で設置された関です。 一、足柄城址 あしがらじょうし   創築者·年代は不明であるが、平安末期ごろから戦略上の要地として、何度か軍事的な施設が設けられた形跡があります。   城郭としては、小田原後北条氏の属城で、数ヶ所の曲輪と土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等があり、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの後、廃城となりました。 一、笛吹塚 ふえふきづか   新羅三郎義光は、兄八幡太郎義家の苦戦している後三年の役(1083年-1087年)に参戦する途中、足柄峠において笙の笛の師豊原時元の子時秋に、笙の秘曲を伝授したといわれています。 一、聖天堂 しょうてんどう   弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。   福運厄除、縁結びのご利益があるとして参拝者が絶えないです。   毎年、四月ニ十日に大祭が行われます。 一、万葉公園 まんようこうえん   足柄峠は古来から官道であったため、多くの人々が通り歌を詠んでいます。   万葉集にも数首詩われているのが見られます。   万葉の歴史を記す公園として、昭和五十七年度に南足柄市によって設置されました。 一、万葉集から   足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 教に見もかも 一、その他の遺跡、句碑など   あずまはや橋、六地蔵、芭蕉句碑、足柄明神、唯念上人名号碑、生田蝶介歌碑、足柄古道など。

足柄城址への階段。

ゲンノショウコ 現の証拠。

?の曲輪。 芝の広場です。

東屋3。

ニの曲輪。 ここも芝の広場です。

富士山🗻~‼️。 見れないと思ってあきらめていましたので少々驚きました😓。

西北西方向 山名不明。

北西方向 三国山、石割山方面。

富士山の南隣 富士の裾野。

西南西方向 愛鷹連峰。

南西方向 中 箱根外輪山の山裾 奥 愛鷹連峰。

南南西方向 箱根外輪山。

南方向 金時山 1212m 箱根古期外輪山 箱根外輪山最高峰。

南南東方向 神山 1438m 箱根中央火口丘。

南東方向 明神ヶ岳 1169m 箱根古期外輪山。

神山 拡大🔎 大涌谷から噴気があがっています。

お弁当。 いつもの定番+α。 おにぎり🍙 2コ(中身は梅干し) 茹で玉子   1コ たくあん   3切れ バナナ🍌  1本(大) みかん🍊  1コ ··· 初登場(+α) お水     自宅からの水道水。

お昼をたべながらの風景。

ニの曲輪内 ドウダンツツジ 紅葉🍁しています。

拡大🔎 ドウダンツツジ2 赤が鮮やかです。 このあと金時山方向に向かいます。

金時山まで3.7km。 主要目的地の丸鉢山は金時山の少し手前です。

金時山への道。 アスファルト舗装されています。

金時山への途中で。 アカギ 赤木。

金時山への道2。

金時山まで2.8km。

道案内板の上のマスコット。 金太郎です。

金時山への途中で2。 富士裾野が見えました。

金時山への途中で3。 リョウブ 令法。

金時山への途中で4。 道路の壁面を覆う苔。

金時山への道3。 砂利道になりました。

分岐5。 金時山まで60分。

危険!通行禁止 の警告板。 "金時山の足柄ルート登山道は崩落のため"と表記されています。 崩落の箇所は金時山山頂直下なので手前の丸鉢山まで進みます。

一般車両はここまでの ゲート。 ここまでは一般車両が入ってこれます。

金時山まで1.8km。 ここも金太郎のマスコットが付いています。

金時山への道4。 土の道になりました。でも道幅は広いです。

金時山への途中で5。 マユミ 檀。

富士山🗻~✨‼️。 足柄峠で見た時より輪郭がちょっと薄いです。

西北西方向 富士裾野。

北西方向 三国山、石割山方面。

金時山まで40分。

猪鼻砦跡 の説明板。 地面に置かれていました。柱が壊れたようです。 猪鼻砦 いのはなとりで は、金時山から足柄峠方向へ下る尾根の最初のピークに位置しており、御殿場側から望見するとちょうど猪の鼻の先端部の形に見えるため「猪鼻砦」と名付けられたものと思われます。 地蔵堂近くの古城跡「定山」から、一の金王、ニの金王、三の金王を登り詰めると当砦に至ります。 ここから小山町新柴へ尾根道が続いており、猪鼻砦は金時山から足柄峠、「定山」から新柴へと続く尾根を押さえる目的で築かれ足柄城の南方を守備する砦として重視されていました。 足柄城からは2.7kmの距離にあります。

金時山への途中で6。 金時山。もう間近です。

金時山への道5。 下っています···⁉️。 おかしい😓、YAMAPで確認。あっ、行き過ぎてた!。さっきの所が丸鉢山でした。 ここで戻ります。

戻って来ました。改めて 丸鉢山 まるはちやま 962m。 本日の主要目的地です。 山頂標識はありませんでした。富士山🗻がさっきより更に薄くなって来ました。 このあとすぐに富士山が見えなくなりました😓。

丸鉢山山頂付近で。 フジアザミ 富士薊。

分岐5に戻って来ました。 金時山まで1.8km地点。

ここから 夕日の滝へ。

夕日の滝への下山道。

夕日の滝への下山道2。

夕日の滝への下山道3。

立木に生える苔。

切り株に生える苔。

切り株に生える苔2。

倒木に生える苔3。

切り株に生える苔3。

倒木に生える苔4。

下山途中で。 矢倉岳。

夕日の滝への下山道4。 かなりの下りです。

切り株に生える苔4。

切り株に生える苔5。

切り株に生える苔6。

切り株に生える苔7。

切り株に生える苔8。

下山途中で2。 ふもとの南足柄市街が見えてきました。

夕日の滝への下山道5。 かなりの急勾配です。

夕日の滝への案内板2。

下山途中で3。 ナンキンハゼ 南京櫨。 まっ赤です。

下山途中で4。 ナンキンハゼ 南京櫨 2。 紅葉🍁しています。

下山途中で5。 岩に生える苔。

下山途中で6。 小さなケルン。

岩に生える苔2。

夕日の滝への案内板3。

下山途中で7。 小さなケルン2。

夕日の滝への下山道6。 沢筋に降りてきました。

下山途中で8。 小さなケルン3。 小さなケルンが目印(道案内)になっています。

夕日の滝への案内板4。 この案内板があると安心します。

夕日の滝への下山道7。

下山途中で9。 小さなケルン4。

夕日の滝への下山道8。 倒木が道をふさいでいます。

夕日の滝への下山道9。

夕日の滝への下山道10。

夕日の滝への下山道11。

東屋4。

夕日の滝への下山道12。

夕日の滝への下山道13。 杉林に入って来ました。

夕日の滝への下山道14。

夕日の滝への下山道15。

夕日の滝への案内板5。

夕日の滝への下山道16。 舗装道路が見えてきました。

夕日の滝への下山道17。 コンクリート舗装道路の先にアスファルト舗装道路が見えてきました。 下山道はここまでです。

夕日の滝への案内板6。

夕日の滝への道。 コンクリート舗装です。

夕日の滝への道2。 赤い橋を渡って右です。

夕日の滝が見えてきました。

夕日の滝2。

夕日の滝3。

夕日の滝4。

夕日の滝5。 全体。

夕日の滝6。 滝壺。 ここから帰ります。

帰り道。 コンクリート舗装です。

帰り道の途中で。 ウキツリボク 浮釣木。

帰り道の途中で2。 金太郎生家跡地 の標柱。

帰り道の途中で3。 金太郎生家跡。 基礎の石。

帰り道の途中で4。 コスモス 秋桜。 ピンク。

帰り道の途中で5。 コスモス 秋桜 2。 赤紫。

帰り道の途中で6。 キンモクセイ 金木犀。

帰り道の途中で7。 キバナコスモス。 雨が降って来ています。

地蔵堂。 ぐる~っとひと回りして来ました。

帰り道2。 県道78号線。 雨☔で道路が濡れています。 台風14号の北上で秋雨前線が刺激され雨が降って来ました。 夕方から雨の予報でしたが少し早まったようです😓。

帰り道の途中で6。 南足柄市街が見えて来ました。

右へ。 小田原、大雄山へ。

到着~✨🎶✌️。 伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅。 今日はここまでです。 お疲れ様~👋😃💦。

今日のお土産。 下駄まんじゅう 大雄山 茶屋 天んぐ。

中身です。 食べてみましたが、餡はいい味です。うす皮の方は味が濃すぎる(くどい)と感じました。食感も食べているとベタベタして来ます。 うーん😔、私には合わないかなぁ···。 "南足柄ブランド"に認定されたとのうたい文句ですが、どうしたものかなぁ~と思ってしまいました···。 大雄山茶屋天んぐ さんは「保存料や防腐剤等を使用していない」や「小豆は北海道羊蹄産」に「黒糖は沖縄県産」とお菓子作りに大変こだわっています。