活動データ
タイム
09:32
距離
9.2km
のぼり
628m
くだり
639m
活動詳細
すべて見る今日は鎌倉と逗子にまたがる名越の山を歩きました。逗子駅から横須賀線沿いに鎌倉方面に歩いて20分。法性寺の山門に到着してヤマップを起動、本堂で山行の安全を祈願しました。 法性寺には迫害を受けた日蓮上人が隠れ住んだ岩屋や、日蓮上人の一番弟子日朗上人の墓があります。ちょっとした日蓮宗の聖地なんですね。 境内のちょっと急な石段を登った小山の頂きにある山王権現からは、逗子と鎌倉の素晴らしい眺めが一望できます。北側の山中には一軒の雰囲気のある古い洋館がそびえるように建っていて、目を引かれます。 この洋館は、わしが子供の頃に放送していたアニメ「魔法使いサリー」の館に似てるので、湘南のバカな若者の間で「サリーちゃんの館」と呼ばれてましたが、ここは国際興業グループの代表、小佐野賢治の別宅でした。1976年に起きた史上稀に見る汚職事件であるロッキード事件に連座して逮捕された人です。国会の証人喚問で「記憶にございません」を連発して流行語にもなりました。 この館の怪しげな雰囲気のある、はっきり言ってしまえば西洋のお化け屋敷みたいなビジュアルが、馬鹿な若者の想像力を掻き立てたせいでしょうか、ここは鎌倉7大心霊スポットに数えられていました。後の6つは小坪トンネル、まんだら堂、サザエさんの家、腹切りやぐら、泣塔、鎌倉湖です。 わしの知人が何十年も前に体験した話ですが、深夜に数名でサリーちゃんの館に近づこうとしたら、どこで見てたのか分かりませんが、猛犬を連れ懐中電灯を手にした男が現れ「噛め!噛め!」と叫びながら犬をけしかけてきたそうです。 当時の事をネットで調べると、他にも多くの人が猛犬をけしかけられたり手に鎌を持った男に追われたりしており、知人の体験談もウソではないでしょう。このヤバい男はサリーちゃんの館の管理人だったようです。 今では考えられないですが、昔は横浜の南京墓地でも夜に侵入して肝試しをしたら中国人の管理人の婆さんが包丁持って追いかけてきたし、昔はこれぐらい普通だったんですよね… それは置いといて。 法性寺の境内を通り抜け、裏の墓地にある登山口から山に入ると、いきなりフェンスに取り囲まれた「無縁諸霊の碑」という肩にズーンと乗ってきそうな石碑がお出迎えしてくれます。 これについて簡単に説明しますと、昭和の頃この名越の山には一見白い貝殻の破片や、木の枝みたいに見える昔の人骨が、地面に散らばっていました。この辺りは鎌倉時代の墓地や死体の捨て場だったので、ちょっとでも地面をほじくり返すと遺骨がざくざく出てきたわけです。 これを不憫に思った小山白哲という日蓮宗のお坊様が、地面に散らばっている骨を拾い集め、お焚き上げして供養しました。フェンスに囲まれた「無縁諸霊の碑」の下部にはその遺灰が収められています。 終戦後まもなくの頃です。まんだら堂と呼ばれているこの場所に、お坊さんはたくさんのアジサイと花菖蒲を植え妙行寺という寺を建て、この土地の死者の供養に努めたそうです。アジサイも花菖蒲も大きく育ち、花付きがよく色鮮やかでとても見事だったといい、知る人ぞ知るアジサイの名所だったそうですが、お坊さんの死後寺は壊され、遺跡の発掘調査のためアジサイはすべて抜かれてしまいました。今まんだら堂は逗子市の管理地になっています。ああ、諸行無常ですね… 無縁諸霊の碑から下りてくると、道標がある四つ辻にでます。右に行くと横須賀線の線路沿いの道に続いていますが、その途中で小坪トンネルへと降りていく分かれ路があります。 これを下りていくと大きな平場があり、ここには古い井戸があります。周りをフェンスで取り囲まれており、井戸の中をのぞくと沢山のゴミが投げ入れられています。この井戸は子供が2人落ちて亡くなったと言われており、夜になると女の子が出てくるのだとか。井戸にゴミを投げこむとバチが当たりますよ! 先ほどの四つ辻まで戻り、左に行くと名越の切通しがあり、その先には亀ヶ岡住宅地があります。四つ辻を真っすぐに行き小さな坂を上がると、ススキが茫々と茂る原っぱがあり、くねくねと踏み跡があります。名越クリーンセンターの赤白の大煙突の方に向かって続いている踏み跡を、草をかき分けながらしばらく進むと古いボロボロの廃道に出ました。 この道路、路面にはあちこちにポッカリ穴が空いており経年劣化がヤバい。穴を覗きこむと空間が拡がってました。この道路というのは崖の斜面にへばり付くようにムリヤリ取り付けてある薄い鉄筋コンクリートで、道路の下には地面が無く、はるか下に名越トンネルの入口が見えています。怖っ! 路面のコンクリも厚みが無さそうで、鉄骨も見るからに貧弱で、明らかに強度が足りない違法建築だと思います。土地の所有者が勝手に作った私道ですが規模が大きい。今まで何回も名越トンネルを通っていますが、入口の頭上の崖にこんな廃道が掛かっているとは、草木に覆われてたからなのか全く気付きませんでしたね。 誰が何の為にこんな物を造ったのか、いつ頃まで使われていたのか、こんな山中にどこから入ってこれるのか謎です。 まずは廃道を右に行ってみる事に。しばらくするとちょっと眺めの良い展望台みたいな所で行き止まりになりました。1階部分が潰れて屋根だけになった小屋の廃墟と、ボロボロのトラックが放置されています。そこら中ゴミだらけ、ひどいものです。なんだったのか用途の分からない建物跡でした。 廃道を引き返して反対側にずっと行くと、今は存在しない建物の基礎だけが残され、廃材やコンクリのガラが散乱した平坦な尾根に出ました。隅の方には大きな動物用の壊れた檻が5つ設置されており、2つのオリの中には大型犬の小屋がありました。こんな山の中で動物を、恐らくは大型犬を何頭も飼育していたのでしょうか? もしかして、肝試しでサリーちゃんの館に訪れた若者たちを襲っていた猛犬は、ここで飼われていたのでしょうか。ここは周囲を見張るのに最適な場所だしきっと間違いない! 尾根の脇の崖をよく見てみると、崖からせり出すように取り付けられた鉄製のボロボロな下り階段を発見しました。階段は長年の風雨に晒され崩れてしまいそうで、足を乗せるのがためらわれるほど傷んでいますが、しかし冒険家としての血が騒ぐので下りてみました。 崖っぷちの謎のボロ階段の下にはなんと、床が鉄の網で出来ている広いフロアがありました!さらにその下にも階段で連絡されたフロアが存在しており、おそらく三層くらいだったと思います。 床が鉄の網で出来ているので床下の空間が全てまる見えです。床下はすごい崖です、生きた心地がしない、落ち着かない!なんなんだここは?! 割としっかり作られていて工事の足場みたいな仮設物ではないし、かといって強度が無いから居住スペースや倉庫でも無い。残された物もほとんど無く、この施設に一体どんな用途があったのか全く見当がつかない…こんな大掛かりで意味不明な物を廃道の床下に造るとは… 何かのアジトだったのでしょうか。 柱や床はかなり劣化しており、高い崖にへばり付いてるだけの構造物なので、いつ崩壊しても不思議ではない。ここを訪れる事だけは本当にお勧めしません、まあそんな物好きはわしぐらいのものか。 秘密のアジトを後にして先に進みます。コンクリのガラが散らばる尾根の先は道が3つに分かれており、右は比較的状態のよい道、真ん中は小山を登るボロボロに腐った鉄階段、左は崩落した道でした。 ここはやっぱり迷わず鉄階段を選択でしょう。慎重に登っていくと、生活感のある住居兼事務所のような完全に崩壊した建物がありました。猛犬を連れて山をパトロールしていたヤバいおっさんの家だったのかも知れないね。 さらに小山を登ると頂きは霊園でした。調べてみると近くの長勝寺が運営している「材木座霊園せいらいの丘」だそうで、ずいぶん高い山の上にあり景色の良い場所でしたが、参拝者は来るのがとっても大変でしょうね。誰もいなくて寂しいし。 墓を出るとさっきの廃道と同じ造りのコンクリの尾根道になっている。あの廃道、さては霊園業者が造った道だったのかな? ヤマップで地図を確認すると、この尾根は鎌倉と逗子の市境であり、ずっと行けば光明寺の裏山に、そして逗子マリーナを見下ろす住吉城趾まで行けるはずである。明治時代の地図を確認するとそこにもばっちり記されている古道でした。これは行くしかない。 すぐにコンクリ道は無くなり数軒の家屋が尾根を塞いでいる。しようがないので家を回ると、大きなマンションが2棟がっつり尾根を塞いで建っている。 前にも書いたが尾根は山の霊の通り道である。ここに家を建てるのは良くないです。崖にへばり付くようにトラバースしてバカなマンションを回りやっと普通の山の尾根に出ました。材木座の弁ヶ谷の裏山です。これ以上は開発しないで! 美しい尾根を行くと小坪6丁目の住宅地が見えてきます。山をムリヤリ平らにして造った人工的な町並。尾根道があったと思われる所は大きな家がずらずら並んで普通の舗装道路になっていました。個性的な注文建築ばかり、高級感ある住宅地ですな。 鎌倉第一中学校を通り過ぎると光明寺の裏山です。鎌倉幕府第4代執権北条経時公の墓を参拝。源頼朝公の墓よりも立派でした。 次に裏山の頂にある秋葉山権現社に参拝。光明寺が管理しているはずだけどいつ来てもボロい。ここは火の神さまで大祭では篝火を焚いたり、山伏が来て火渡りをしたそうですが今はすっかり寂れてます。参道に点々と並ぶ地蔵が何とも言えず侘しい。 時間が気になってきたので帰る事に。秋葉山権現の参道にある草深い脇道に入っていくと、さっきの高級感あふれる住宅地の西側にある崖っぷちの下をトラバースする、道とは言えないけど通過可能なルートです。 ここから一気に名越切通しまで戻り、サリーちゃんの館の裏にある2基の石廟を過ぎ、お猿畠の大切崖をふふーんと眺め、端っこにある篠笹のトンネルを降りていき、尾根道を通って山を降りると原っぱに出ました。 くねくねした小川が流れる美しい谷戸の原っぱです。名越緑地という所で、むかし釣り堀だった池や防空壕があります。 来た道をお猿畠の大切崖まで戻り、谷間の杉の森へ降りてゆく細路を行くと、大町7丁目のいちばん奥に出ました。谷戸の奥までびっしり家が建っている鎌倉にしてはめずらしく、のどかな畑が拡がっており雰囲気のいい場所でした。 これでおしまいです。
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