活動データ
タイム
08:33
距離
16.5km
のぼり
1369m
くだり
1096m
活動詳細
すべて見る超マイナー山域のレポにつき、ごく一部の方以外の興味湧かない方はスルー推奨・DOMO不要😁 【まえがき】 旧佐伯町から吉和村にかけての山域は、二万五千図には加森山の記載しか無いエリアであるが、それ故にナゾめいてYAMAPを始めて2,3年後にはすでに興味を持った未踏ゾーンであった。 最近になって、マニアにしか知られてない幾つかのマイナー山を何方かがLM申請してくれたようで、さらに私の登山意欲は高まる一方であったが、何せ登山者が滅多に登ることがない🐻さんの生息域💦 ソロで踏み込む勇気など無く、気後れして長らく放置気味であったが、このたび同じ興味を抱く2名のエキスパートに同行して頂く運びとなった🤩 【本日のルート】 万古渓養魚センター ⇒虫渡橋右岸取付き ⇒展望大岩 ⇒加森山東峰 ⇒加森山西峰(三角点) ⇒神根川峰 ⇒中ノ河山 ⇒焼山峠 ⇒日本製紙社有林道 ⇒板敷山 ⇒P1035 ⇒林道太田川林業地基幹線峠 ⇒青笹山 ⇒中国電力西島根幹線巡視路 ⇒林道多々場線 ⇒魅惑の里 【あとがき】 DAY1の黒ダキ山がピークや稜線を愉しむ山行だとしたら、DAY2の今回は山域をまるごと愉しむ山行。 このエリアは妄想の中では2回か3回に分けてじっくりと楽しむつもりであったが、まさかワンウェイで吉和まで貫通することができるとは思いもしなかった。 これも急遽のお誘いに乗っていただいたTさんのおかげです😄 地味な灌木帯の踏み跡薄い稜線や、人工的味付け感の濃い植林帯を歩いたり、送電線鉄塔が横断して自然景観を損ねてるし、登山対象になる山域か?と問われたら疑問符が付く。 どちらかと言えばDAY1の黒ダキ山のほうが、よりふさわしいだろう。 それでも未知の主要目的地をほぼ歩き通すことができたし、ピンポイントで出会えた展望地やブナの巨人達は、漕いできたからこその味わい深い至極のひと言✨ 突貫工事のプランとしてはそこそこ上手く縦走できたように思う。 まだまだ面白そうな支線も多そうなので、それはまたそのうち😁 ~地名考~「西中国山地」桑原良敏 著 より ◆加森山(カモリヤマ) 25,000分の1図には、中ノ川右岸にある874.2m峯に[加森山]とあるが、[カモリ山]は中ノ川右岸の山々の総称であり[カモリ山]は特定ピークの山名ではない。 ※なお、続く神根川峰については[カモリ山]一帯に含まれている。 ◆焼山峠 石州街道は藩政の頃、広島から廿日市、津田を通り島根県の匹見へ抜ける路としてよく知られていた。「芸藩通志」虫所山村絵図(1825年・文政8年)を見ると、岩倉より七瀬川沿いに北上して所山へ入り、中の河の奥より[焼山峠]を越えていたことがわかる。またこの路が明治の後期まで吉和村と広島を結ぶ主要道であって、吉和の古老の昔話を聞くと必ず出てくるのが[焼山峠]である。 ◆板敷山(イタシキヤマ) 焼山峠の東にある1070.9m峯がこの付近の山の最高点で点称は「板敷峯」である。吉和村三浦一之介所蔵「吉和村絵図」(江戸末期)に焼山峠、板シキ谷、板シキがあり、[板敷]は中ノ川水源帯の焼山峠の虫所山村側にあった地名であると推測される。 ◆青笹山(アオザサヤマ) 青笹山の初見は、吉和村三浦信男家所蔵「虫所山村御建御留野山腰林山帳」(1725年・享保10年)でこの中に中ノ川山、中ノ河山と共に記されている。、芸藩通志」虫所山村絵図(1825年・文政8年)にも[アオササ山]があり、吉和村三浦一之介所蔵「吉和村絵図」(江戸末期)には、この山に該当すると思われる山に[アオ山]がある。現在、所山ではアオザサ谷周辺の山々を総称して[アオザサ山]と呼んでいるが、特定のピークの呼称ではない。 水分1.0L
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