御岳山:旧一の鳥居〜(北)御坂〜鉄五郎新道

2021.12.18(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 16
休憩時間
39
距離
15.2 km
のぼり / くだり
1205 / 1150 m
2
26
1 4
45
10
1 16

活動詳細

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登りは吉野街道の旧道に入って、『御嶽菅笠』などに出てくる旧一の鳥居を訪ねたあと、現在の表参道の一の鳥居をくぐり、北御坂を丁石などを見つつ上って御嶽神社(武蔵御嶽神社)へ行く。 帰路は大塚山〜広沢山を通って鉄五郎新道を古里へと下る。 『御嶽菅笠』(天保5年(1834))は日本橋から御嶽神社までの道のりが絵図で描かれた江戸時代のガイドブックで、復刻版が御嶽神社の宝物殿で買える。

大岳山・御岳山・御前山 沢井駅を出発し、澤乃井園の脇を通って多摩川を渡る。
沢井駅を出発し、澤乃井園の脇を通って多摩川を渡る。
大岳山・御岳山・御前山 寒山寺を通り抜ける。
寒山寺を通り抜ける。
大岳山・御岳山・御前山 『御嶽菅笠』の一場面。
沢井からほどなく一の鳥居があり、その傍らに石碑が描かれている。
この鳥居と石碑が今も旧道に残っている。
『御嶽菅笠』の一場面。 沢井からほどなく一の鳥居があり、その傍らに石碑が描かれている。 この鳥居と石碑が今も旧道に残っている。
大岳山・御岳山・御前山 ここから旧道(左の道)へ入って行く。
ここから旧道(左の道)へ入って行く。
大岳山・御岳山・御前山 道の跡は明瞭だけど倒木や草で荒れている。
道の跡は明瞭だけど倒木や草で荒れている。
大岳山・御岳山・御前山 御岳トンネルの上。
この少し先に御嶽神社の旧一の鳥居や石碑がある。
御岳トンネルの上。 この少し先に御嶽神社の旧一の鳥居や石碑がある。
大岳山・御岳山・御前山 「御嶽山」と書かれた石碑。
側面には「文化二乙丑年春三月」(1805年)、御嶽神社までの行程として「是ヨリ四十二丁」(約4.6km)と書いてある。
『新編武蔵風土記稿』の「山下ノ一鳥居ヨリハ五十六町ホトモアルヘシ」とは数字が違う。同時代のものなのになぜだろう。
「御嶽山」と書かれた石碑。 側面には「文化二乙丑年春三月」(1805年)、御嶽神社までの行程として「是ヨリ四十二丁」(約4.6km)と書いてある。 『新編武蔵風土記稿』の「山下ノ一鳥居ヨリハ五十六町ホトモアルヘシ」とは数字が違う。同時代のものなのになぜだろう。
大岳山・御岳山・御前山 旧一の鳥居は崖の下にひっそりと建っていた。
向かって左の柱に「文化七庚午歳七月吉日」(1810年)とある。
旧一の鳥居は崖の下にひっそりと建っていた。 向かって左の柱に「文化七庚午歳七月吉日」(1810年)とある。
大岳山・御岳山・御前山 武州御嶽山碑。
碑文の末尾には、文化三歳次丁卯春三月(1806年)とある。
『御嶽菅笠』に描かれている鳥居の傍らの石碑はこれだと思われる。
この石碑のことは『新編武蔵風土記稿』にも「一ノ鳥居ノ内ニアリ」と書かれていて、碑文が全文掲載されている。
武州御嶽山碑。 碑文の末尾には、文化三歳次丁卯春三月(1806年)とある。 『御嶽菅笠』に描かれている鳥居の傍らの石碑はこれだと思われる。 この石碑のことは『新編武蔵風土記稿』にも「一ノ鳥居ノ内ニアリ」と書かれていて、碑文が全文掲載されている。
大岳山・御岳山・御前山 これらの鳥居や石碑は明治19年(1886)まではここより7~8m高い位置を通る古道にあったが、この道ができた時に移されたという。その後、この道も昭和27年に廃道となった。
とすると、ここよりさらに古い古道がこの大岩の上にあるらしい。
これらの鳥居や石碑は明治19年(1886)まではここより7~8m高い位置を通る古道にあったが、この道ができた時に移されたという。その後、この道も昭和27年に廃道となった。 とすると、ここよりさらに古い古道がこの大岩の上にあるらしい。
大岳山・御岳山・御前山 回り込んで上へ行ってみると、道が付いている。
回り込んで上へ行ってみると、道が付いている。
大岳山・御岳山・御前山 鳥居の背後の大岩の上あたりが開けている。
ここに鳥居があったのかな。
鳥居の背後の大岩の上あたりが開けている。 ここに鳥居があったのかな。
大岳山・御岳山・御前山 御岳山の稜線(富士峰かな)見える。
角度的にこのすぐ先で稜線は見えなくなるので、この辺りは一の鳥居を置くには良い場所だったに違いない。
御岳山を隠してしまうのは日の出山の北尾根あたりなので、『新編武蔵風土記稿』は日の出山のことを「貧乏山 御嶽山ノ東二十町許ヲ隔テゝアリ 高サ一里餘ニシテ雑木繁茂スル山ナルニヨリ山下一鳥居ノ邊ニテハコノ山ニサイキラレテ御嶽ノ山ヲノソムルコトアタハス 故ニ里人アシサマニ云ントシテカク呼ヘリ」と書いている。眺望の素晴らしい山なのに、この場所に人が鳥居を置いたがために「貧乏山」とは、かわいそう。
御岳山の稜線(富士峰かな)見える。 角度的にこのすぐ先で稜線は見えなくなるので、この辺りは一の鳥居を置くには良い場所だったに違いない。 御岳山を隠してしまうのは日の出山の北尾根あたりなので、『新編武蔵風土記稿』は日の出山のことを「貧乏山 御嶽山ノ東二十町許ヲ隔テゝアリ 高サ一里餘ニシテ雑木繁茂スル山ナルニヨリ山下一鳥居ノ邊ニテハコノ山ニサイキラレテ御嶽ノ山ヲノソムルコトアタハス 故ニ里人アシサマニ云ントシテカク呼ヘリ」と書いている。眺望の素晴らしい山なのに、この場所に人が鳥居を置いたがために「貧乏山」とは、かわいそう。
大岳山・御岳山・御前山 ヤブの深い箇所があるが、そこを抜けると車道へ下りられる。
ヤブの深い箇所があるが、そこを抜けると車道へ下りられる。
大岳山・御岳山・御前山 いまの一の鳥居。
いまの一の鳥居。
大岳山・御岳山・御前山 御坂の参道沿いの杉には番号札が付けられている。
参道で最大と言われるこの一号大杉は784番で、ここからカウントダウンしていく。
御坂の参道沿いの杉には番号札が付けられている。 参道で最大と言われるこの一号大杉は784番で、ここからカウントダウンしていく。
大岳山・御岳山・御前山 ・・と思ったら、そばに785番がいた。
・・と思ったら、そばに785番がいた。
大岳山・御岳山・御前山 「ろくろっ首」
ろくろ首のようにくねった道。
こういうちょっとしたスポットを点々と設けることで、参拝者を飽きさせない。
「ろくろっ首」 ろくろ首のようにくねった道。 こういうちょっとしたスポットを点々と設けることで、参拝者を飽きさせない。
大岳山・御岳山・御前山 ろくろっ首を上から見た様子。
ろくろっ首を上から見た様子。
大岳山・御岳山・御前山 「うまたてば」
馬を休ませた場所。
「うまたてば」 馬を休ませた場所。
大岳山・御岳山・御前山 そばに丁石があった。頂上の本社まで28丁(約2.7km)。
丁目を書いたものと、頂上までの丁数を書いたものがあるもよう。
高尾山の丁石 ( https://yamap.com/activities/14513092 (2021.11.27) ) もだけど、丁石ってだいたい忘れ去られている。
そばに丁石があった。頂上の本社まで28丁(約2.7km)。 丁目を書いたものと、頂上までの丁数を書いたものがあるもよう。 高尾山の丁石 ( https://yamap.com/activities/14513092 (2021.11.27) ) もだけど、丁石ってだいたい忘れ去られている。
大岳山・御岳山・御前山 滝本駅から御師集落までの御坂(みさか)(北御坂)には樹齢300〜400年の杉が並ぶ。
江戸時代にこの道が整備される前は、日の出町から登る南御坂が主要な参道だった。
滝本駅から御師集落までの御坂(みさか)(北御坂)には樹齢300〜400年の杉が並ぶ。 江戸時代にこの道が整備される前は、日の出町から登る南御坂が主要な参道だった。
大岳山・御岳山・御前山 七丁目。
頂上までの丁数は埋もれていて読めず。
七丁目。 頂上までの丁数は埋もれていて読めず。
大岳山・御岳山・御前山 八丁目。
八丁目。
大岳山・御岳山・御前山 十丁目。
十丁目。
大岳山・御岳山・御前山 「おおまがり」
道の曲がり方が大回りになった所。
「おおまがり」 道の曲がり方が大回りになった所。
大岳山・御岳山・御前山 「なかみせ」
昔茶屋があった場所。
昭和初期頃のパンフレットには道沿いに「中ノ茶屋」があるので、その頃にはまだ茶屋(またはその跡)があったらしい。
「なかみせ」 昔茶屋があった場所。 昭和初期頃のパンフレットには道沿いに「中ノ茶屋」があるので、その頃にはまだ茶屋(またはその跡)があったらしい。
大岳山・御岳山・御前山 そばに頂上まで十七丁(約1.58km)の丁石がある。
そばに頂上まで十七丁(約1.58km)の丁石がある。
大岳山・御岳山・御前山 なかみせのそばにあるケーブルカーの「中の茶屋橋」をくぐる。
なかみせのそばにあるケーブルカーの「中の茶屋橋」をくぐる。
大岳山・御岳山・御前山 「だんごどう」
お地蔵様のお堂があって、参拝者が団子をお供えしたことから団子堂と呼ばれた。
今日お供えしてあったのは饅頭だった。
「だんごどう」 お地蔵様のお堂があって、参拝者が団子をお供えしたことから団子堂と呼ばれた。 今日お供えしてあったのは饅頭だった。
大岳山・御岳山・御前山 「じゅうやっくぼ」
ドクダミ(十薬)が自生していた窪地ということで十薬窪。
「じゅうやっくぼ」 ドクダミ(十薬)が自生していた窪地ということで十薬窪。
大岳山・御岳山・御前山 「だいこくのお」
大黒様の尾根のことで、坂の勾配が緩やかになって楽に歩けるようになったのは大黒様のおかげ、ということらしい。
「だいこくのお」 大黒様の尾根のことで、坂の勾配が緩やかになって楽に歩けるようになったのは大黒様のおかげ、ということらしい。
大岳山・御岳山・御前山 二十一丁目。
頂上までの丁数も読めたはずだけど覚えてない。(写真の撮り方が下手で写真からもわからない。)

追記:
頂上までの丁数は後日見たら11丁だった。( https://yamap.com/activities/19636669 )
なので山頂は21+11で32丁目。このあと見る別の丁石からも山頂が32丁目とわかるので、辻褄が合う。
二十一丁目。 頂上までの丁数も読めたはずだけど覚えてない。(写真の撮り方が下手で写真からもわからない。) 追記: 頂上までの丁数は後日見たら11丁だった。( https://yamap.com/activities/19636669 ) なので山頂は21+11で32丁目。このあと見る別の丁石からも山頂が32丁目とわかるので、辻褄が合う。
大岳山・御岳山・御前山 「あんまがえし」
一時的に平坦になったことで盲目のあんま師が頂上と勘違いして引き返したという所。参道にまつわるエピソードとしてはちょっとひどい...
「あんまがえし」 一時的に平坦になったことで盲目のあんま師が頂上と勘違いして引き返したという所。参道にまつわるエピソードとしてはちょっとひどい...
大岳山・御岳山・御前山 「やまのかみ」
山ノ神に祈った所。特に祠などはない。

追記:
後日 ( https://yamap.com/activities/19636669 ) 、この上方に石碑があることに気付いた。
「やまのかみ」 山ノ神に祈った所。特に祠などはない。 追記: 後日 ( https://yamap.com/activities/19636669 ) 、この上方に石碑があることに気付いた。
大岳山・御岳山・御前山 「くろもん」
御師集落の出入口の黒門があった所。
後ろの木が1番の番号札の杉。
「くろもん」 御師集落の出入口の黒門があった所。 後ろの木が1番の番号札の杉。
大岳山・御岳山・御前山 御岳山ビジターセンターでネッククーラーをもらった。
東京都がオリンピック用に作ったものが余ったのだそうで、無料配布中。
御岳山ビジターセンターでネッククーラーをもらった。 東京都がオリンピック用に作ったものが余ったのだそうで、無料配布中。
大岳山・御岳山・御前山 頂上付近には所々うっすら雪が残る。
頂上付近には所々うっすら雪が残る。
大岳山・御岳山・御前山 御嶽神社の本殿下の階段が始まるところに頂上までニ丁(約218m)の丁石がある。あとちょっと。

追記:
神代ケヤキの近くに「頂上御本社迄 三丁」の丁石がある。
御嶽神社の本殿下の階段が始まるところに頂上までニ丁(約218m)の丁石がある。あとちょっと。 追記: 神代ケヤキの近くに「頂上御本社迄 三丁」の丁石がある。
大岳山・御岳山・御前山 道を挟んで反対側には三十丁目の丁石がある。
ということは頂上は三十二丁目ということか。

追記:
21丁目の丁石と「本社迄十一丁」の丁石が並んでいる(21丁目の丁石の写真参照)ので、ここからも頂上が32丁目とわかる。一方、『新編武蔵風土記稿』には「瀧本ヨリ頂上マテ凡三十六町」とあるので、瀧本が1丁目だとすると数字が合わない。

さらに追記:
後日、三十二丁目の丁石を見つけた。 ( https://yamap.com/activities/23455991/images/318738166 )
少なくとも参道の丁石は本社を32丁目として配置されている。
道を挟んで反対側には三十丁目の丁石がある。 ということは頂上は三十二丁目ということか。 追記: 21丁目の丁石と「本社迄十一丁」の丁石が並んでいる(21丁目の丁石の写真参照)ので、ここからも頂上が32丁目とわかる。一方、『新編武蔵風土記稿』には「瀧本ヨリ頂上マテ凡三十六町」とあるので、瀧本が1丁目だとすると数字が合わない。 さらに追記: 後日、三十二丁目の丁石を見つけた。 ( https://yamap.com/activities/23455991/images/318738166 ) 少なくとも参道の丁石は本社を32丁目として配置されている。
大岳山・御岳山・御前山 御嶽神社は一時期「大麻止乃豆乃天神社」と称していたとのことで、それを示す江戸後期の石碑がなぜか亀の上に立つ。
側面には「天保三 辰歳三月吉祥日」とあり、1832年のものらしい。

追記:
うちの近所に大麻止乃豆乃天神社の論社があった。 https://yamap.com/activities/15771044 (2022.2.20)
御嶽神社は一時期「大麻止乃豆乃天神社」と称していたとのことで、それを示す江戸後期の石碑がなぜか亀の上に立つ。 側面には「天保三 辰歳三月吉祥日」とあり、1832年のものらしい。 追記: うちの近所に大麻止乃豆乃天神社の論社があった。 https://yamap.com/activities/15771044 (2022.2.20)
大岳山・御岳山・御前山 奥宮遥拝所から奥の院を眺める。
御嶽菅笠では「武尊大権現」(日本武尊が武具を収めたと伝わることから山名は「甲籠山」)となっている。
中腹に見える大岩は、声をあげると鸚鵡返しで戻って来るという「鸚鵡岩」。
奥宮遥拝所から奥の院を眺める。 御嶽菅笠では「武尊大権現」(日本武尊が武具を収めたと伝わることから山名は「甲籠山」)となっている。 中腹に見える大岩は、声をあげると鸚鵡返しで戻って来るという「鸚鵡岩」。
大岳山・御岳山・御前山 神社の縁起上、いろんな狛犬が見られるが、皇御孫命社にあるのはなぜか猪。尻尾がかわいい。
神社の縁起上、いろんな狛犬が見られるが、皇御孫命社にあるのはなぜか猪。尻尾がかわいい。
大岳山・御岳山・御前山 女坂から富士峰(富士峯)を望む。
ケーブルカー御岳山駅のそばにある883m峰で、『御嶽菅笠』や『新編武蔵国風土記稿』などにも書かれている。御岳山からは富士山が見えないので、江戸時代にはこれを富士山に見立てて富士浅間社を置いたことから、「浅間山」とも呼ばれた。
女坂から富士峰(富士峯)を望む。 ケーブルカー御岳山駅のそばにある883m峰で、『御嶽菅笠』や『新編武蔵国風土記稿』などにも書かれている。御岳山からは富士山が見えないので、江戸時代にはこれを富士山に見立てて富士浅間社を置いたことから、「浅間山」とも呼ばれた。
大岳山・御岳山・御前山 富士峯からの景色。
富士峯からの景色。
大岳山・御岳山・御前山 日の出山。
日の出山。
大岳山・御岳山・御前山 遠くに筑波山が見える。
遠くに筑波山が見える。
大岳山・御岳山・御前山 東京都心方向。
東京都心方向。
大岳山・御岳山・御前山 かつて富士峯と呼ばれて富士浅間社のあったピークは現在は富士峰園地となっており、産安社が鎮座する。
かつて富士峯と呼ばれて富士浅間社のあったピークは現在は富士峰園地となっており、産安社が鎮座する。
大岳山・御岳山・御前山 安産杉
安産杉
大岳山・御岳山・御前山 子授け檜
子授け檜
大岳山・御岳山・御前山 夫婦杉
夫婦杉
大岳山・御岳山・御前山 大塚山へ向かう途中に見える奥の院の尖り方がすごい。
大塚山へ向かう途中に見える奥の院の尖り方がすごい。
大岳山・御岳山・御前山 大塚山
大塚山
大岳山・御岳山・御前山 広沢山へ向かう。
歩く人の少ない道だが、道自体は明瞭。
広沢山へ向かう。 歩く人の少ない道だが、道自体は明瞭。
大岳山・御岳山・御前山 広沢山
広沢山
大岳山・御岳山・御前山 山頂は開けているが、眺望はない。
山頂は開けているが、眺望はない。
大岳山・御岳山・御前山 ザレた急坂が続くので滑らないよう慎重に下る。
ザレた急坂が続くので滑らないよう慎重に下る。
大岳山・御岳山・御前山 鳥居と道標があり、神社があるようなので寄り道する。
鳥居と道標があり、神社があるようなので寄り道する。
大岳山・御岳山・御前山 剣にからみつく倶利伽羅竜王は不動明王の化身(倶利伽羅不動)。
沢や滝のある場所に龍、なので、水の恵みを祈ったものと思われる。
剣にからみつく倶利伽羅竜王は不動明王の化身(倶利伽羅不動)。 沢や滝のある場所に龍、なので、水の恵みを祈ったものと思われる。
大岳山・御岳山・御前山 絶壁の上に祠がある。
絶壁の上に祠がある。
大岳山・御岳山・御前山 金比羅神社
金比羅神社
大岳山・御岳山・御前山 沢に架かる橋に踏み抜いた穴があるので注意。
沢に架かる橋に踏み抜いた穴があるので注意。
大岳山・御岳山・御前山 所々荒れているので注意して歩く。
所々荒れているので注意して歩く。
大岳山・御岳山・御前山 登山口にある橋。
小さな橋だけど深く切れ込んだ峡谷に架かっている。
この先、車道を歩いて古里駅へ向かう。
登山口にある橋。 小さな橋だけど深く切れ込んだ峡谷に架かっている。 この先、車道を歩いて古里駅へ向かう。
大岳山・御岳山・御前山 古里駅の近くにある清身滝。
古里駅の近くにある清身滝。

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