雪の皇海山に登ってみた!

2021.12.04(土) 2 DAYS

日本百名山から 『しかし私はつむじ曲がりの精神からこの山(皇海山)を取り上げるのではない。立派な風格を持った山だからである。東京からの見取図では横背の長い山であったが、初めて近くから眺めた時、その横がつまって、颯爽と峰頭をもたげ、一気に下の沢まで落ちている姿は、思わず脱帽したいほどの気品をそなえていた。』深田久弥。 百名山の90座目に皇海山に登ってみました。 東照宮にお参りしてから庚申山荘に前泊。山荘でゆっくり飲もうと思いましたが、寒くて寒くてそれどころではありません😓 早々に寝袋にくるまりました。 翌日は暗いうちからスタート。順調に皇海山にたどり着きました。 晴天で眺望も素晴らしく大満足の山行となりました! 興味ある方は写真どーぞ✋ 最後も日本百名山から 『頂上は木立に囲まれた静寂な小平地で、見晴らしは利かない。しかし庚申から皇海まで至る途中で、快晴に恵まれた私たちは素晴らしい山の展望を得た。近くの奥日光、上信越の山々はもちろん、北・南アルプス、富士山までが視界に入ってきて、私たちの足はそのためしばしば楽しい停止にゆだねられた。』

3年ぶりの日光

3年ぶりの日光

3年ぶりの日光

修復が終わってた!

修復が終わってた!

修復が終わってた!

東照宮です。

東照宮です。

東照宮です。

奥宮....家康の墓所。

奥宮....家康の墓所。

奥宮....家康の墓所。

二荒山神社にもお参りしましたよ。

二荒山神社にもお参りしましたよ。

二荒山神社にもお参りしましたよ。

家光のお墓も参拝。

家光のお墓も参拝。

家光のお墓も参拝。

足尾の鰻屋で鳥丼を食す。

足尾の鰻屋で鳥丼を食す。

足尾の鰻屋で鳥丼を食す。

庚申山荘

庚申山荘

庚申山荘

A 5松阪牛!

A 5松阪牛!

A 5松阪牛!

ステーキ丼!最高っすわ😄

ステーキ丼!最高っすわ😄

ステーキ丼!最高っすわ😄

庚申山へ向かう途中の夜景。

庚申山へ向かう途中の夜景。

庚申山へ向かう途中の夜景。

『皇海山の前山の庚申山は馬琴の「南総里見八犬伝」の中にも出てくる。関東では有名な信仰の山であって、徳川時代には栄えたらしいが、その奥の院が皇海山だったという。今でも山頂の東方に奉納の青銅の剣が立っていて、それには「当山開祖木林惟一」と記され、明治二十六年七月二十一日という日付が読まれる。木林惟一は東京庚申講の先達であって、この人が庚申山から皇海山に至る道を開いたのだという。』深田久弥。

『皇海山の前山の庚申山は馬琴の「南総里見八犬伝」の中にも出てくる。関東では有名な信仰の山であって、徳川時代には栄えたらしいが、その奥の院が皇海山だったという。今でも山頂の東方に奉納の青銅の剣が立っていて、それには「当山開祖木林惟一」と記され、明治二十六年七月二十一日という日付が読まれる。木林惟一は東京庚申講の先達であって、この人が庚申山から皇海山に至る道を開いたのだという。』深田久弥。

『皇海山の前山の庚申山は馬琴の「南総里見八犬伝」の中にも出てくる。関東では有名な信仰の山であって、徳川時代には栄えたらしいが、その奥の院が皇海山だったという。今でも山頂の東方に奉納の青銅の剣が立っていて、それには「当山開祖木林惟一」と記され、明治二十六年七月二十一日という日付が読まれる。木林惟一は東京庚申講の先達であって、この人が庚申山から皇海山に至る道を開いたのだという。』深田久弥。

ご来光

ご来光

ご来光

朝焼けの皇海山

朝焼けの皇海山

朝焼けの皇海山

鋸山

鋸山

鋸山

日光白根

日光白根

日光白根

鋸山山頂!

鋸山山頂!

鋸山山頂!

『まず庚申山に登り、それから十ほど小さなピークを越えて鋸岳へ達する。ピークに一々名前のついているのは信仰登山の名残りである。鋸から一たん深く鞍部へ下って、それから皇海の頂上まで一途の登りになる。』深田久弥。

『まず庚申山に登り、それから十ほど小さなピークを越えて鋸岳へ達する。ピークに一々名前のついているのは信仰登山の名残りである。鋸から一たん深く鞍部へ下って、それから皇海の頂上まで一途の登りになる。』深田久弥。

『まず庚申山に登り、それから十ほど小さなピークを越えて鋸岳へ達する。ピークに一々名前のついているのは信仰登山の名残りである。鋸から一たん深く鞍部へ下って、それから皇海の頂上まで一途の登りになる。』深田久弥。

皇海山山頂。

皇海山山頂。

皇海山山頂。

『頂上は木立に囲まれた静寂な小平地で、見晴らしは利かない。しかし庚申から皇海まで至る途中で、快晴に恵まれた私たちは素晴らしい山の展望を得た。』深田久弥。

『頂上は木立に囲まれた静寂な小平地で、見晴らしは利かない。しかし庚申から皇海まで至る途中で、快晴に恵まれた私たちは素晴らしい山の展望を得た。』深田久弥。

『頂上は木立に囲まれた静寂な小平地で、見晴らしは利かない。しかし庚申から皇海まで至る途中で、快晴に恵まれた私たちは素晴らしい山の展望を得た。』深田久弥。

山頂から梢を透かして日光白根山

山頂から梢を透かして日光白根山

山頂から梢を透かして日光白根山

アップ

アップ

アップ

皇海山から鋸山を望む

皇海山から鋸山を望む

皇海山から鋸山を望む

富士山も見えました!

富士山も見えました!

富士山も見えました!

アップ

アップ

アップ

鋸山

鋸山

鋸山

谷川岳かな?

谷川岳かな?

谷川岳かな?

男体山

男体山

男体山

皇海山を振り返る

皇海山を振り返る

皇海山を振り返る

山々が美しい❕

山々が美しい❕

山々が美しい❕

鋸山を振り返る

鋸山を振り返る

鋸山を振り返る

3年ぶりの日光

修復が終わってた!

東照宮です。

奥宮....家康の墓所。

二荒山神社にもお参りしましたよ。

家光のお墓も参拝。

足尾の鰻屋で鳥丼を食す。

庚申山荘

A 5松阪牛!

ステーキ丼!最高っすわ😄

庚申山へ向かう途中の夜景。

『皇海山の前山の庚申山は馬琴の「南総里見八犬伝」の中にも出てくる。関東では有名な信仰の山であって、徳川時代には栄えたらしいが、その奥の院が皇海山だったという。今でも山頂の東方に奉納の青銅の剣が立っていて、それには「当山開祖木林惟一」と記され、明治二十六年七月二十一日という日付が読まれる。木林惟一は東京庚申講の先達であって、この人が庚申山から皇海山に至る道を開いたのだという。』深田久弥。

ご来光

朝焼けの皇海山

鋸山

日光白根

鋸山山頂!

『まず庚申山に登り、それから十ほど小さなピークを越えて鋸岳へ達する。ピークに一々名前のついているのは信仰登山の名残りである。鋸から一たん深く鞍部へ下って、それから皇海の頂上まで一途の登りになる。』深田久弥。

皇海山山頂。

『頂上は木立に囲まれた静寂な小平地で、見晴らしは利かない。しかし庚申から皇海まで至る途中で、快晴に恵まれた私たちは素晴らしい山の展望を得た。』深田久弥。

山頂から梢を透かして日光白根山

アップ

皇海山から鋸山を望む

富士山も見えました!

アップ

鋸山

谷川岳かな?

男体山

皇海山を振り返る

山々が美しい❕

鋸山を振り返る

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