はっさん
ユーザーID: 1044857
- 東京, 山梨, 長野で活動
- 1987年生まれ
- 男性
- 119
四国八十八か所お遍路参り 24日目〈高知編〉 H28.12.13 「お遍路旅、前半戦終了」 7時起床。昨日に引き続き本日も雨模様。 今日の行程は現在地から市バスと列車を乗り継ぎ高知駅へ。そして夜行バスに乗り東京へ一時帰宅する。 計画通りに行けば明日の朝方には東京に到着できる予定だ。 昨夜寝泊まりさせてもらった公園にて、テントの撤収作業をしていると、僕のほかに、もう1人テントを張っている人がいたことに今更ながら気付く。 そのオジサンは僕と同じく野宿しながら歩き遍路をされている方だった。真っ黒に焼けた肌と色褪せた大きなザックから、僕のようなニワカお遍路とは違って、只者ではないオーラをプンプン感じとれた。 以前フジオさんから聞いた事がある話なのだが、このお遍路の世界には一周だけでは飽き足らず、その後何周もエンドレスに回り続けているお遍路さんが僅かながら存在するらしい。 こういう人たちを「伝説のお遍路さん」として讃えているらしいが、まさに今、目の前にいるお遍路さんは伝説のお遍路さんだった。 話せば、総重量25キロ以上のバックパックを背負い、今回でお遍路は8周目に突入しているという。距離でいえばざっくりと11200キロ。日本列島を一周するのが12000キロというからほぼ日本列島を徒歩で一周していることになる。なんと恐るべしー。 帰り際、ザックに括り付けていた僕のゴミ袋を、これからゴミ捨て場にいくということで一緒に捨てにいってくださった。 伝説のお遍路さんはとても優しい方だった。 最寄りの以布利バス停まで歩き、バスにて中村駅に向かう。これまで歩いてきた道を車窓からボンヤリ眺めていたら自然と涙が出そうになった。 駅に到着。しかし高知駅行きの列車が来るまでしばらく待たなければならなかったため、近くにあった「四万十温泉平和な湯」へ3日ぶりの入浴&ラーメンを食べて時間を潰した。 13時50分発の列車に乗り、数回乗り継ぎしたのち19時ようやく高知駅に到着。 19時40分、東京行きの夜行バスはゆっくりと本州へと動き始めた。 これから東京に一時帰宅するが、明日からは夜何かに怯えずに安心した気持ちで眠れたり、食べたいときに食べたいものを食べれたり、大好きな人たちに会えたりと、ふと想像するだけでとても嬉しい気持ちになった。しかし、それとは反対に非日常的な生活から離れる寂しい気持ちも芽生えていた。 振り返ればお遍路に来て24日間、毎日毎日が本当に濃い日々だった。 そして、ここまで歩いてきたなかで、たくさんの人に声をかけていただき、たくさんの人に助けてもらった。 人の温かさに直に触れることができたお遍路旅だった。 これから少しばかり日常生活に戻るが、当たり前と思っている物事にも感謝の気持ちを持ち続け、そして、目の前の身近な人を大切にしていきたい。 そう思えるようなお遍路旅、前半戦だった。 2週間後の後半戦へつづく
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四国八十八か所お遍路参り 23日目〈高知編〉 H28.12.12 「歩きよりも読書に没頭した日」 6時20分起床。 この遍路小屋を作ってくださった近所に住むお爺さんにお礼を伝えにいく。 7時、準備を整え歩き出す。 昨日負傷した左足はすっかり良くなっていた。 9時、38番金剛福寺に到着。 参拝後、足摺岬展望台に寄り道し景色を楽しんだ。 11時、大漁屋という小さい市場にて魚の弁当とポテトサラダを購入しベンチに座って食べた。しばらくして、ポツポツと雨が降ってきたので急ぎ足で今日の野宿場所へ歩き始める。 12時、ジンベイ広場公園に到着。テント設営し本日の寝床完成。 明日から私用に伴い東京へ一時帰宅しなければならなくなってしまったため、明日の東京までの公共交通機関の手配等諸々雑務を済ませる。一通り明日の準備が整ったところで、昨日読みかけていた小説を取り出し読書に耽る。 14時、小腹が空いたので、食べ物屋探しの散歩に出る。周辺に1軒だけ小さな商店?のようなお店を発見。 店内に入るがお目当ての食材は売っていなく、唯一食べられる食材といえば、ラーメンの袋麺ぐらいだった。仕方なくチキンラーメンの袋麺を購入。テントの中に潜り込みお菓子感覚でボリボリ食べたながら読書を楽しんだ。 18時、非常食用のパンを夕食用として食べた。 その後も眠りに入る直前まで読書に耽ける。 今日は歩くよりも読書する時間のほうが多かった1日だった。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 22日目〈高知編〉 H28.12.11 「冷たいカップ麺は切ない味でした」 7時半起床。 これから目指す38番金剛福寺は四国最南端の足摺岬に位置している。 しばらく目的地へ歩みを進めていると真っ白な砂浜とコバルトブルーが特徴的なとても美しいビーチに到着。 大岐の浜という名のこのビーチはまるで沖縄の海のようにとてもキレイなビーチだった。 真っ白な砂浜を歩いていると遠くから僕の名前を呼ぶ声が。 肌もこんがり焼けて一段と凛々しくなっていたシモさんと5日ぶりの再会を交わす。 久々のお遍路仲間との遭遇にとっても嬉しい気持ちになった。 シモさんとも別れ、38番金剛福寺へむけて再び歩いていると、旧遍路道の標識を発見する。興味本位で古い道を辿って目的地を目指してみることに。徐々に草が生い茂り山道に入っていく。ふと、根っこに足を掴まれ派手に転んでしまう。 そんなこんなで、負傷してしまった左足を庇いながら、予定時刻よりやや遅れて本日の宿泊予定である無人の遍路小屋に到着。 本来であれば38番を打ち終わったあと、この遍路小屋に宿泊予定でいたが今日は大事をとってひとまず今日の行程は終了とする。 遍路小屋で体を休めていると昨日すれ違った歩きお遍路さんがお見えになり、大量にもらったというミカンをお裾分けしていただいた。そのあと、近所に住んでいるお婆ちゃんがお見えになり、キャンディのお接待をいただいた。感謝です。 いつの間にかあたりも薄暗くなってきたので夕食の準備にとりかかる。 この無人小屋にはガスが通っているとの情報を事前に聞いていたので、あらかじめ買っておいたカップラーメンをザックから取り出し、湯を沸かそうと試みる。しかし、肝心の湯を沸かすヤカンがない事に気付く。代替できそうなものを探してみるが見つからず、仕方なくカップ麺に水を入れて30分ぐらい放置してみる。 適当に麺がほぐれていたので一口すすってみたが、真冬に食べる冷たいカップ麺は、なんとも切ない味だった。 夕食後は、隙間時間に読もうと自宅から持ってきた本(海辺のカフカ)をザックから取り出し、この旅で初めて本を開けてみた。 しばらく読書を楽しみ22時頃、眠りについた。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 21日目〈高知編〉 H28.12.10 「旅は当たり前を感謝に変えた」 6時半起床。 朝からウキウキ、ワクワク。 何故ならば今日は11日ぶりにちゃんとしたお宿に泊まるからだ。暖かい布団に、お風呂に食事、想像しただけでニヤニヤが止まらない。 32キロ先にある本日の宿泊地、ロッジカメリアは1泊夕食付きで、3000円という破格の安さで提供して下さっている。 ドミトリー形式のお宿ならともかく、夕食付きの個室部屋でこの料金設定はロッジカメリアさん以外にほかに見たことない。 お遍路3日目の日、フジオさんから教えてもらったこのお宿は、いつかこの周辺を通った際には必ず立ち寄っていこうと決めていた場所の一つであった。 本日の宿泊地にむけて歩き出して数時間、日本最後の清流と言われる四万十川に到着。これより上流の方に行けば、かの有名な高知の観光スポット沈下橋がある。 お腹が空いたので周辺の道の駅にて、たこ焼きと巻き寿司を購入し、四万十川を見ながらベンチに座って食べた。 しかし、この一帯は凄まじいほどの強風が吹き荒れていて、食事をゆっくり味わって食べているほどの余裕はなかった。 15時過ぎ念願のロッジカメリアに到着。 まだオープンしたてということもあり外観も内観もとてもキレイだった。 受付を済ませると早速店主がお風呂の準備をしてくれた。 4日ぶりのお風呂は格別だった。 ほんわか獣臭かった異臭と汚れは、お湯と共に下水道にキレイさっぱり流れ落ちた。 ひさびさの入浴は最大の幸福感を感じさせてくれた。 入浴後、お部屋でテレビを見たりしてくつろいでいると、店主が夕食のカレーを配膳しにきてくれた。付け合わせのサラダまでついてありがたい。美味しくいただく。 食後はスマホで調べもの。 普段はバッテリー節約のため、必要最低限の使用にとどめていたスマホ。今はバッテリーの消耗を気にすることなく思う存分、自由に使える。今更ながらではあるが、お寺で何気に唱えている般若心経の意味や、弘法大師空海の歴史について、気になっていたことを深く調べたりして過ごした。 楽しくてあっという間に時間は過ぎていく。 ふと時計に目をやるとあと少しで日付が変わろうとしていたので、慌てて就寝準備をし暖かい布団に潜り込む。 安らぎを与えてくれるお風呂、 人に作ってもらう食事、 クリック一つであらゆる物事を調べられるスマホ、 そして暖かい布団で眠れる喜び。 何気に生活していたら感じなかったであろう感謝を胸に抱き眠りについた。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 20日目〈高知編〉 H28.12.9 「無人のお堂に宿泊」 6時起床。 昨夜は着込みすぎたせいか朝起きると寝汗を掻いていた。 準備し7時15分より歩き開始。 今日は29キロ先の海沿いに接している灘公園を目指す。 平坦な国道や、のどかな遍路道を行ったり来たりしながら歩く。 道中、歴史ある古びたトンネルや、海が一望できる展望広場に寄り道したりして、歩きのなかに遊びも取り入れてみた。 そのおかげかあっという間に目的地の灘公園に到着。 予定より早く到着できたため、これより2キロ先にある伊田観音堂という無人のお堂まで歩くことに。 途中、まるみ屋商店という、こぢんまりとしたお店で夕食用におにぎりセットとおからを購入。レジで会計しようとした時、お婆ちゃんに声をかけられお接待にリンゴをいただいた。感謝。 15時、伊田観音堂に到着。普段は地域の行事毎などに使われていそうな平屋の建物は、歩きお遍路さんの簡易宿泊所として地域の方々が開放してくださっていた。 室内は12畳ほどのスペースと仏壇が置かれており、外にはトイレと水飲み場が設置されていた。 泊まるには申し分のない場所であった。 有り難く今日は一泊こちらでお世話になることに。 縁側に座り、日記を書いたり明日の行程などを計画したりしたあとは、ひたすらぼーっとして過ごす。結局、誰一人訪ねてくる者はなく夜を迎えた。 夕食を食べた後も、特にすることはなかったので寝袋に包まり早めの21時に就寝した。 今日も小さなトラブル無くとても平穏な1日だった。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 19日目〈高知編〉 H28.12.8 「峠道の連続に心が折れかけた日」 5時半起床。 予想はしていたが昨夜干しておいた衣類は全く乾いていなかった。とりあえずゴミ袋に入れバックパックの底に詰め込む。 今日の朝も、テントの撤収作業は寒くて辛いものがあった。ここ最近は、歩き出すまでのこの時間が一番苦痛に感じる。 歩き出して1時間半、焼坂峠道に辿り着く。この峠道には『道中ご無事で』の張り紙がそこらじゅうに張り出されていて逆に少し気味が悪かった。 1時間弱、急勾配な山道を汗だくになりながら登りきると、そこからは比較的なだらかな下り道になった。 しかし、連日連夜の野宿で疲労が溜まっていたせいか、想像以上に体力と気力が削られ、まだ午前中というのに早くも歩きたくないモードに突入してしまう。 それでも、自分の意思に反してしばらく歩みを進めていると分岐の看板を発見する。 左に行けば、そえみみず遍路道、右に行けば、大阪遍路道。 どちらに進むか悩んでいると、たまたま通りすがりの地元住民がいたので聞いてみる。 「大阪遍路道は平坦な道だが距離が長い。そえみみず遍路道は峠道が多いが距離が短い」 とのこと。 今日は、峠道は歩きたくない気分だったので大阪遍路道を進むことに。 しばらく歩いていると、手作り感満載のお遍路用の休憩小屋を発見。体力とモチベーションを回復させるべく、休憩させていただいた。おかげで歩くモチベーションも幾分か回復したのだが、歩き始め早々に心が折れてしまう案内板を発見してしまう。 『この先峠道あり』 突然の峠道の案内板に落胆を隠せずにいた。 気持ちを整えるため峠道入り口付近で再び小休憩をとった。 どれほどの時間が経っただろうか。峠道にまだ一歩を踏み出せずにいた。 風邪でも引いているかと思えるほど、今日は全く歩く気力が起きない。 その後もダラダラと時間だけが過ぎていく。 しばらく動けずにいると、こちらに向かって歩いてくる人を発見。 60代ぐらいの女性が僕の方に近づいてきた。見た目もファンキーだったが、話してみると中身もファンキーな方だった。 絶対に大阪出身であろうと思い尋ねてみたが、広島出身だった。 しばらくファンキー姐さんとお話し、ようやく前に歩みを進める決心がつく。 なんとか、クタクタになりながら峠道を登りきると大きな国道の道にでた。近くにうどん中村屋があったのでお昼休憩に立ち寄る。かけうどん特盛で480円、しかも食後はコーヒーが無料で付いてくるとのこと。 なんという安さだろう。東京だったら1000円は確実にとられているなと思った。 さて、お腹も満たしたところで、ここから11キロ先の37番岩本寺を目指す。国道沿いをひたすら真っ直ぐ歩き16時半、目的地の岩本寺に到着。 今日はこちらの通夜堂でお世話になるため、受付を済ますと住職の案内で駐車場のガレージに案内される。 どうやら、このお寺の通夜堂はガレージの中みたいだ。ガレージ内は物置部屋となっており、たくさんの椅子が保管されていた。やや埃が舞っていたが、無料で提供させていただく身、有り難く一晩使わせていただく。 椅子を横に並べ、その上に寝袋を敷いて寝床スペースを作った。途中コンビニで買っておいた弁当を食べ、夕食後は日記を書き綴る。 このところ朝と夜の冷え込みが辛く、防寒着と手袋を装着して完全防御で眠りについた。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 18日目〈高知編〉 H28.12.7 「道の駅でテント泊」 6時起床。 テント内から外に出てみると、冷たい海風が一瞬にして僕の体温を奪っていく。海辺の朝の冷え込みは想像以上のものだった。 そして、テントの撤収作業は手がかじかみ、痛さと寒さでとても辛かったのを鮮明に覚えている。 なんとか撤収作業を終えると、昨夜同じくテントを張っていた玄人お遍路さんに声をかけられる。 「夜中はバイクがうるさかったけどしっかり眠れたかい?いつまでもバイクの音がうるさかったから警察を呼んだんだよ。」 朝まで熟睡していた僕には、真夜中の様子がわからなかったが、どうやらビーチの駐車場では長い時間、暴走族が集って盛大に盛り上がっていたそうだ。 さて、今日は29キロ先の道の駅まで歩く計画を立てる。 3時間近く海沿いの道を歩いていると、以前お会いしたT夫妻と遭遇する。1人で黙々と歩いていると、時々、虚しくなる瞬間もあったりするが、こうやって同じ目的を持って歩いている人達と遭遇すると、自然と元気とモチベーションを分けてもらうことができる。 昼食休憩を挟み15時に道の駅かわうその里すさきに到着。 今日はこちらで寝泊まりしようと思う。 まずは、軒先の隅にテントを張らせていただくため、サービスカウンターへ交渉に行く。 無事に許可もいただき寝床の準備にとりかかる。 連日連夜のテント泊のおかげか、いつの間にかテント設営も小慣れたものになってきた。 道の駅内を散策していると、急に排尿がしたくなりトイレへ。 便器に排尿を放出する。ぼーっとしていたのだろうか、ふと自分のズボンに目をやると結構な量の尿がズボンにかかっていた。 人にバレないように駆け足でテント内に戻る。 ズボンを履き替えようとおもったが、洗濯済みのズボンのストックはなく仕方なく別の汚れたズボンに着替え、無事に?事なきを得た。 余計な作業をしているうちにすっかりあたりは暗くなっていた。 夕食は道の駅のレストランコーナにて鍋焼きラーメンを注文して食べた。 お腹も満たされたところでテントに戻り、日記を書いたり、明日の行程などを調べたりして、のんびり過ごす。 今日も早めに就寝。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 17日目〈高知編〉 H28.12.6 「海とテントとウツボ丼」 5時45分起床。外はまだ薄暗かったが、今日は長い距離を歩く予定だったので、出発の準備をし、2人より一足先に歩き出す。 8時半、34番種間寺に到着。 このお寺は安産祈願が有名なお寺とのことで、本殿には肉付きのよいどっしりとした体で、威厳のある表情の薬師如来像が鎮座されていた。 参拝後、すぐ近くにどら焼きが買えるユニークな自動販売機を発見。朝食用に購入して食べた。 11時、35番清滝寺に到着。 このお寺の境内には高さ15メートルほどの大きい薬師如来像が鎮座していた。そして、その像の台座には地下へと続く戒壇めぐりがあり、真っ暗な階段を一回りすればご利益があるとの張り紙が貼ってある。 もちろん、しっかりやっておいた。 15時半、36番青龍寺に到着。 このお寺には波切不動明王が鎮座されていた。お寺の雰囲気と相まってエネルギッシュな波動を感じとれた。 参拝終わりに境内を散策していると、昨夜一晩共に過ごしたデービットと遭遇。しかも横には異国の美女を連れそっている。どうやら歩いている途中でナンパし仲良くなったらしい。少し照れくさそうにしているデービットの顔が印象的だった。 時刻は夕方過ぎ。 ようやく本日の目的地の竜の浜というビーチに到着。今日はこちらでテント泊。 すでにテントを張っている方が一張りだけ確認できた。様子を伺いに行くと、タイミング良くテントから人が出てこられたため挨拶する。 50代ぐらいのそのおじさんは、雰囲気から玄人感が漂っていた。 どうやら、宿は一切使わず、野宿をしながら逆打ちでお遍路参りをしているとのこと。 ※逆打ちとは・・・四国霊場を第1番から順番に時計回りに巡拝することを「順打ち」、第88番から反時計回りに巡拝することを「逆打ち」と言います。(以下情報サイトより抜粋) この先の野宿スポットや、遍路道にあるおいしい定食屋さんの情報など、たくさんタメになる話を共有してくださった。 テント設営の準備にとりかかっていると、通りすがりのおばちゃんに声を掛けられ、お接待にバナナをいただく。感謝です。 今日の寝床も完成し、のんびりバナナ片手に海を見ながら黄昏れる。 お腹が空いたため、地図と睨めっこしていると、ここから徒歩10分ぐらいの距離に土佐龍温泉三陽荘というお宿があり、そこは日帰り入浴と食事ができるらしくお邪魔させていただいた。 源泉掛け流しの湯で、体と心を癒したあとは、脱衣場に設置してあった無料の足つぼマッサージ機で足裏を思う存分ほぐしたおした。そのあとは、土佐名物のウツボ丼を食し、まるで殿様のような時間を味わった。 初めてウツボというものを食べたが、フグを食べているのかと錯覚してしまうぐらい美味なお味だった。 テント場に戻り、横になった瞬間いつの間にか深い眠りにつく。 夜中、バイクの騒音で一度だけ目を覚ましたがいつのまにか再び夢のなかへ。 以降は一度も起きる事なく朝までぐっすり熟睡できた。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 16日目〈高知編〉 H28.12.5 「旅は人との出会い」 7時45分起床。昨夜は久々に布団で眠れたというのに、寝付きが悪くあまり良い睡眠はとれなかった。 朝食を手早く済ませ、出発の準備にとりかかる。 昨日、手洗いし部屋干ししていた衣類は全くといっていいほど乾いていなかったため、とりあえずビニール袋に突っ込みバックパックの中へ。 さて、本日の目的地はここから約25キロ先にある33番雪渓寺。 このお寺には通夜堂があるとのことなので、今日はそこで一泊お世話になる計画で予定を立てる。 歩き出して早々、トンネルの手前付近で乗用車とトラックの衝突事故をタイミングよく目撃してしまう。すぐにドライバー達が外に出てきたため、幸い大事には至っていないみたいでよかった。 歩き遍路が轢かれるという事故も多く起きているらしいので改めて身が引き締まる思いになった。 31番竹林寺まであと少しというところで、昨日お会いしたT夫妻にバッタリ遭遇。 しばらく、おしゃべりを楽しんだ。 お遍路の旅路で同じ人に2度遭遇すると、何かご縁を感じる気持ちになり、グッと距離が近付いた気持ちになってしまう。 31番竹林寺は境内に五重塔とキレイな庭園があった。そして参拝客も多くとても活気のあるお寺だった。 赤や黄色に染まった紅葉がお寺とマッチして、紅葉時期の京都にいるような錯覚を味わわせてくれた。 観光客に入り混じり必死に紅葉写真を撮っていると、遠くでシモさんも同じく紅葉写真を必死に撮っている姿を発見する。皆、やることは一緒だなと思った。 32番禅師峰寺へむかっている最中、スーパーがあったので野菜弁当と蒸しパンを購入し景色の良いベンチに座って食べた。昨日とは、うってかわって今日はポカポカ陽気。お腹も満たされると一気に眠気が襲ってきて、このまま青空の下でお昼寝したい気持ちになった。 しかし、今日は、通夜堂の受付を17時までに済まさねばならないというミッションがあるため、グッと堪えて先を急ぐ。 13時半に32番禅師寺到着。 海岸沿いに位置し小高い丘の上にあるこのお寺は、海風が吹き抜けて心地の良いお寺だった。しかし、どこか静けさがあって主張の少ないこじんまりとした印象も感じとれた。 31番竹林寺とは対照的で、僕のほかに参拝者は誰一人いなかった。 竹林寺のお寺の雰囲気も好きだが、個人的にはこういうひっそりと佇んでいるお寺も嫌いではない。 お寺の門を出て次のお寺にむかおうとしたとき、前からお遍路さんがこっちにむかって歩いてくる。どうやらあの風貌はシモさんだ。 話せば、シモさんも今日は通夜堂に泊まるとのことだったため、改めて夜、再会する約束を交わした。 今から向かう33番雪渓寺は海を挟んだ向こう岸に建っており、渡し船に乗って海を渡っていくという、ちょっぴり変わった移動手段にワクワク。 約1時間半歩き渡船場に到着。小さな船に乗り込むと、竹林寺でお会いしたT夫妻と、バックパックを背負った異国のお遍路さんがすでに乗船していた。 船が動き出す。 ワクワクしていたのも束の間、5分後には反対側の岸に着岸していた。 船から降り30分ほど歩いたところで、33番雪渓寺に到着。 通夜堂の受付をしていると、どうやら異国のお遍路さんも同じ通夜堂に宿泊することがわかった。 受付が終わり住職さんに、通夜堂の場所まで案内していただく。 境内の端っこにあるプレハブ小屋が通夜堂らしく、室内は大人5人ぐらいが大の字で寝れそうなぐらい余裕のあるスペースがあった。 17時ギリギリになってシモさんも滑り込み到着。汗のかき具合から長い時間、走ってきたのが容易に想像できた。無事に受付を済ますことができ、こっちまでホッとした気持ちになった。 今日は3人で一夜を共に過ごす。 夕食はそれぞれが用意したものを皆で食べた。一人で食べると味気ない食事でも、こうやって皆と一緒に食べると、とても美味しく感じる。きっと人と食べるという行為が最高のスパイスなのだろう。 巻き寿司を食べていたら、デービット(異国のお遍路さん)が物珍しそうにこちらをガン見してくる。どうやら巻き寿司に興味津々そうだったので一つお裾分けした。 「デリシャス、ベリーグッド」 カナダ人にとっても、日本の巻き寿司は好評だったようだ。 食後は、昨夜、洗濯した衣類を乾燥機にかけにいくため、近くのコインランドリーへ外出。 無事に乾燥機も終わりキレイな洋服に着替えることができた。 通夜堂までの帰り道、ふと夜空を見上げると満天の星が光り輝いていた。 通夜堂に戻った後は3人で楽しいひと時を過ごす。デービットはカタコトの日本語しか話せなかったが、それでも身振り手振りのジェスチャーで言葉の壁を乗り越えて大いに盛り上がった。 旅は人との出会いだなとおもった。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 15日目〈高知編〉 H28.12.4 「雨」 今日も朝7時起床。 シモさんと、また会う約束を交わし、それぞれのペースで29番国分寺へ歩き出す。 30分程歩いているとポツポツと雨が降り始めたので、あまり防水効果のないレインウェアをとりあえず着込む。 10時半、29番国分寺に到着した頃には、すでにレインウェアから浸透した雨が内部へと侵入し、ベースレイヤーを、おおいに濡らしていた。そして、靴のなかにも雨が染み込み足の指の感覚がなくなりかけている状態であった。 少し歩いたところに、雨が凌げるベンチを発見。濡れた体を拭いたりしながら、やり過ごしていると、ご夫婦と思われる60代ぐらいの歩き遍路さんも同じく雨宿りにいらした。 T夫妻としばらく談笑するが、寒さからあまり何を話したか覚えていない。 お互いの健康と無事を祈ってT夫妻をお見送りしたことだけは覚えている。 12時半、30番善楽寺を打ち終わったところで、寒さの限界に達し、これ以上、先へ進むのを断念する。 現在地から比較的近い場所に昔、旅行でお世話になったゲストハウスがあったため、4年ぶりに再訪させていただく。 カツオゲストハウスは、一軒家を改装したアットホームなゲストハウスで、価格帯もとても良心的。そして何より元気ハツラツなオーナーさんのキャラがとても印象に残っている。 どうやら、チェックインは16時らしく、2時間余り時間を潰さなくてはならなかった。 暖かい食べ物が食べたく市街地を彷徨っていると、来来亭があったのでラーメンを食べた。食後は、優雅にコメダ珈琲でコーヒーブレイクを楽しんだ。 時刻も16時を過ぎ、チェックインを早々に済ませ念願のお風呂へドボン。高知のお湯が体に染み渡り最高に気持ち良かった。 入浴後、洗濯したり、なんだかんだでしているとすっかり夕食の時間になる。 せっかくだから、高知駅周辺まで歩き、高知名物のカツオの叩きでも食べようと考えていたが、市街地に向かって歩いている途中で、行くのが面倒くさくなってしまい、宿からすぐ近くの吉野家の牛丼で手早く済ませた。 今日はチェーン店のオンパレードな1日だった。 それにしてもまさか4年後、白装束の衣装を見に纏い、このカツオゲストハウスを再訪するとは夢にも思わなかった。 人生何が起こるかわからないな。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 14日目〈高知編〉 H28.12.3 「久々の再会」 7時に起きてテントを撤収し、今日も歩き出す。 目指すは28番大日寺へ。 昼過ぎ、お腹が空いたのでコンビニに立ち寄る。1日の食事代は1000円以内とマイルールを決めていたため(オーバーしてしまう時も多々あり)、一番安い鮭弁当を手にとりレジへ。 コンビニ前の駐車場に座って食べていると、黒い野良ネコが、おそるおそる僕の方へ寄ってきた。 悲しそうな瞳でこちらを見つめてくる。 どうやら、お腹が空いているようだったので鮭の切り身を3分の1ほど分け与えるとすぐにペロリと食べ出した。 その後は、ネコと僕の間にあった一定の距離が徐々に近くなり、最終的には、僕の目の前まできて体をスリスリしてくるようになった。 可愛い奴だなーと弁当を食べながら思っていたが、どうやらネコの目当ては僕ではなかったみたいだ。 隙あらば鮭を奪ってやろうと企んでいたらしく一瞬の隙をついて、ご飯の上にのっていた鮭を強引に奪って草むらに逃げていった。 おかげで、オカズが無くなり白飯だけのご飯を虚しく食べた。 15時半頃、28番大日寺に到着。今日の歩行距離は23キロ。まだまだ時間的にも体力的にも余裕があったが、この大日寺には通夜堂があるとのことなので、今日はこちらで一晩泊めさせてもらうことに。 ※通夜堂とは・・・四国遍路における通夜堂とは、歩き遍路さんを宿の困窮から救う目的で寺院が設置した無料の「宿」を指します。(以下情報サイトより抜粋) お寺で受付を済ませると、お寺の物置部屋のようなスペースに案内していただく。決して広くはないスペースだが、雨風も凌げて、逆にこの狭さが居心地を良くしてくれた。 住職のおばちゃんからポットと、赤飯と、お菓子のお接待をいただく。感謝です。 まだ、寝るまでには時間もたっぷりあったので、境内や周辺を散策する。 17時になり通夜堂に戻るとそこには、久々のシモさんの姿が。 顔つきは環境で変わると言うが、以前にも増して荒波を幾度となく超えてきたような逞しい顔つきになっていた。 どうやら、シモさんも今日はこの通夜堂に泊まるとのことで久々の再会に嬉しさ爆発。 なんとなく、シモさんのザックに目をやると今までのザックより、一回りも大きなザックに変わっていた。しかも、よく見ると靴もズボンも真新しいものに変わっているではないか。 ふと、ふいに昔、旅人から聞いた話を思い出す。 旅人には2種類のタイプに分かれるらしい。 片方は、旅の経過とともに持ち物が増えていくタイプ、もう片方は、旅の経過とともに持ち物が洗練されて減っていくタイプ。 シモさんは完全に前者のタイプだなと思った。 聞けば、高知の市街地に入ってテンションが上がり、爆買いしてしまったとのこと。シモさんらしい笑 お接待でいただいた赤飯やお菓子を食べながら、消灯時間ギリギリまでお遍路談義に花を咲かせた。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 13日目〈高知編〉 H28.12.2 「色即是空」 朝7時起床。 準備し部屋の扉を開けると、すでにAさんの姿はなく、テーブルの上に手作りおにぎりと置き手紙が置いてあった。 朝からとっても優しい気持ちになったが、ひと足先に仕事に出掛けてしまったAさんを見送ることができなかった後悔がやや心に残る。 昨日の感謝の想いを手紙に託し、Aさんの自宅をあとにする。 27番神峯寺へむかう道中、昨夜Aさんから教えていただいたBさんのご自宅を訪ねるが、Bさんは不在。 不在の場合は、軒先に荷物を置いておけばいいと言われていたため、勝手ながらそのようにさせていただく。 身軽なスタイルになり神峯寺へ。 看板の標識では、3キロ山を登れば神峯寺に到着するとのことだが、「真っ縦」と呼ばれる急勾配な山道は想像以上に険しくお寺に到着した頃には滝のように汗が体から噴き出ていた。 山とお寺が自然に溶け込んでいる感じが印象的なこのお寺は、22番平等寺につづいて、僕の好きなお寺のひとつになった。 27番神峯寺の裏の境内から更に奥に登っていく道があったので辿ってみると、神峯神社があった。こちらも、とても古びた神社だったが、良い雰囲気を醸し出していた。 さらにその奥へと、つづく道には、神峯山の頂上と展望台の標識があった。 展望台からの景色がみたかったので迷わず寄り道したのだが、展望台は工事中につき立ち入り禁止となっていた。 しかし、道中の景色だけでも充分に寄り道した甲斐はあった。 14時Bさん宅へ到着。 昨夜洗濯した衣類が乾ききらなかったため、ザックに吊るしながら乾かしていたのだが、その衣類は全てキレイに物干し竿に掛けてくださっていた。 ちょうどBさんはナスの収穫をしている真っ最中だった。その姿から、おそらく僕のおばあちゃんと近い年齢であることがわかった。 荷物を置かせていただいたお礼を伝え、しばし縁側にてBさんと談笑。 短時間ではあったが色々な話をした。 なかでも、心に残っているのが、若くして子供を交通事故で亡くされた時の話だ。 「色即是空」 悲しみで毎日泣いていたとき、心身共に救ってくれたのが仏の言葉だったと言う。 心の拠り所を持つということの大切さをBさんから学ばせてもらった。 別れ際、袋にたくさんのみかんを詰め込んで渡してくださる。孫みたいに接してくれた、Bさん本当にありがとうございました。 17時安芸市の公園に到着。 この公園はテント設営可とのことなので気兼ねなく準備に取り掛かっていたら、子供達が興味津々に、こっちにやってきた。 いつのまにか、子供達に囲まれてちょっぴり恥ずかしい。 何でこんなところで寝るのー? 何でお寺を回っているのー? など、答えに困ってしまう鋭い質問攻めに、てんやわんや。 子供の感性の鋭さ凄まじやー。 夕食をとるため、近くの弁当屋でカレー弁当をテイクアウトし公園に戻って食べていると、どうやら一人の女の子が僕に懐いてくれたのか、学校のことや、将来の夢など、一生懸命、僕に話してくれた。 将来ピアノの先生になるという夢、叶うといいね。 夜がふけて、子供たちもそれぞれの家に帰っていく。 四方に囲まれたこの公園は、それぞれの家庭の食卓の匂いが公園内に混ざりあっていた。 皆、それぞれのライフを生きているのだなと、黄昏ながら22時頃就寝。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 12日目〈高知編〉 H28.12.1 「マザー・テレサに出会ったお話」 早いもので、12月に突入。 12月といえば旧暦の呼び方では師走。 調べてみると、「師走」の由来は、僧侶のような普段落ちついている人でも、この月は多忙で走り回るようになるという意味から名付けられたという説があるらしい。 世間とは対照的に、人生の寄り道をしている僕にとっては、今年の師走はのんびり自分自身と向き合う季節となりそうだ。 朝9時起床。外に出てみると、夜中、雨が降っていたのか地面とテントが濡れていた。 テントのおかげで雨に濡れることなく快適に眠ることができた。早速テントに助けられた1日となった。 食料が底を尽きたため、朝ごはんを調達しに周辺を散策するも買えそうな場所はなく、結局、朝ごはんは食べれずじまいだった。 テントを片付けたりしているうちに時間はあっという間に過ぎてしまい、11時からようやく歩き出す。 24番最御崎寺、25番津照寺を打ち終わり、小高い山の上にある26番金剛頂寺を汗だくになりながら打ち終わる。 今日は歩きはじめたのが遅かったこともあり、ここから数キロ歩いた、道の駅で寝泊まりする予定でいた。しかし、26番を打ち終わったあたりから、何故かハイカーズハイになってしまったため、約30キロ先の漁業の盛んな奈半利町まで一気にむかってしまおうプランに切り替える。 一心不乱でノンストップで歩き、18時に奈半利町に到着。 日帰り温泉施設で入浴後、脱衣場で小休憩していると、今まで感じていなかった疲労感が一気に襲ってきた。 ふと思えば、今日は朝から何も食べていないことに気付く。どうやら歩きに集中していたせいで、空腹であることすら忘れてしまっていたようだ。 夕食を食べるため、近くのスーパーへ立ち寄るが弁当は全て売り切れであったため、仕方なくコンビニで焼肉弁当と、ファミチキとイカフライを購入。駐車場で食べようとした時、40代後半ぐらいの女性(Aさん)に声を掛けられる。 「今日はどこに泊まるの?」 と聞かれたため、まだ未定ですと答えると、 「うちにきなさい」と言っていただく。 非常に疲れていたこともあり、お言葉に甘えAさんの車に乗車。約10分後とても立派な一軒家に到着。 汚れていた衣類の洗濯をしていただいたり、手作りの食事の用意もしてくれた。 まさに至れり尽くせりのおもてなしを受ける。 久々の健康的な食事を、Aさんと会話しながら食べた。 話せば、歩き遍路の人をみると、ついつい助けたくなっちゃうのよねと、笑いながら話されている姿を見て、その瞬間、僕が僅かながら抱いていた若干の不安は全て消え去った。 明日、目指す予定の27番神峯寺の話題になる。神峯寺は名前の由来の通り、真っ縦と呼ばれる急勾配な山道の頂に建つお寺で、高知県の難所の一つとされている。 ふと、僕のザックに目をやると、Aさんは言った。 「ザックを背負って登りきるのはとても大変だから、Bさんを尋ねなさい。Bさんの自宅にザックをデポして登るといいわよ。今から電話で伝えておいてあげるから。」 と、とんとん拍子に話が進み、Bさんの自宅の地図が記載された手書きの地図を渡された。 つくづく優しい人だなと思った。 Aさんは、きっとマザーテレサの生まれ変わりに違いない。日本のマザーテレサだ! そんなふうに感じたのを鮮明に覚えている。 その後、布団を敷いてくださり、温かい布団に包まりながら、改めてAさんの優しさについて考えた。 もし、僕が逆の立場だったら、見ず知らずの者に対してここまで優しくすることができるだろうか、、、 考え出すと、改めてAさんの偉大さを再確認した。 Aさんに少しでも恩返ししたく、いま、僕にできることはなんだろうと考え、せめて明日の神峯寺はAさんの今後の幸せだけを願って登ろう。 そんなことを想いながら眠りについた。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 11日目〈高知編〉 H28.11.30 「お遍路旅でやりたかったこと」 6時起床。 高知県での初めての朝を迎える。 菓子パンを1つ口に入れ、身支度を整え南の方角へ歩みを進める。 ビーチでは、何人かのサーファー達が、すでに海に浸かりながら波を待っていた。 サーファーの朝はとっても早い。 今日の目的地はひたすら海岸沿いの一本道を南へ下っていき、四国最南端の位置にある室戸岬へ。 現在地から約35キロ離れた室戸岬は、自然の美しさと厳しさをみることのできる景勝地としても知られている。 無心で歩きはじめること5時間。 お腹も空きはじめた絶妙のタイミングで小さい商店を発見した。 稲荷寿司とポカリスエットを購入し、休憩できそうな場所を探していると、道行くおじさんから1000円のお接待を受けた。大金であったため、お断りするが、お接待は拒んではいけないと、おじさんに説得され有り難く頂戴する。 稲荷寿司を食べ終え、ふたたび歩きはじめる。 山と海に挟まれた室戸岬に続く一本道は、人とすれ違う事は一度もなく、たまに車が横切る程度だった。 15時半に目的地の室戸岬に到着。 室戸岬周辺は、ワイルドで野生的で原始的な自然を感じる場所だった。 さて、話は変わり、僕にはこのお遍路の旅で2つばかり、どうしてもやっておきたいことがあった。 そのうちの1つが、この室戸岬の先っちょで初めてのテント泊をするというもの。 ワクワクしながら、バックパックの底からオレンジ色の1.5キロの塊を取り出す。 ようやく活躍してくれる時がきた。 初めてのテント設営はかなりの時間を要してしまったが無事に設営完了。 早速内部に入ってみると、自分のお部屋ができたみたいで、とても嬉しい気持ちになった。そして、たかだが布一枚被われているだけなのに、守られている感はすごく感じた。 やりたかったことの一つが叶った。 僕のテント泊デビューは室戸岬の先っちょ。 きっとこれから先も今日の日は記憶の深いところで思い出として残るだろう。 今宵はテントに守られながら安らかに眠る。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 10日目〈徳島編〉 H28.11.29 「徳島から高知へ」 あれから、ほとんど一睡もできなかった。 辺りが明るくなったであろうタイミングを見計らいシュラフから、恐る恐る顔をだす。 目の前にはのどかな風景と、近くには海がみえた。 昨夜の得体の知れない不気味な公園のイメージとはうってかわって、太陽に照らされたこの場所は、とても静かな気持ちの良い公園であることを今更ながら認識した。 連日連夜の修行のような夜を越えて、心に筋肉が付き、少しだけハートが強くなれた気がした。 それにしても、疲れたー。 身を削った怒涛の2日間が終わり、すでに体力も気力もゼロに近い。 どこかでガソリンを補充せねば、本気でお遍路旅を断念しそうな勢いだったので、今日は宿に泊まってゆっくり体を休めることに。 現在地から約25キロ先の民宿みちしおに予約のTELをした。 本日の目的地も決まり、いざ歩き出す。 森を抜けてお遍路道に戻る際、お猿と遭遇。その後も別のお猿と遭遇する。 ふと、もしかして、昨夜の正体はお猿だったのではないかと脳裏によぎる。 きっとそうに違いない。 そうおもうと、心の底からほっとした気分になれた。 さて、今日からいよいよ徳島から高知に場所を移すことになる。 ここから24番、最御崎寺は室戸岬のちょうど先っぽの部分に位置し、距離にして今の現在地から約60キロの道のりだ。 高知は一つ一つのお寺の距離が遠く、別名、修行の道場と言われる異名が少し分かった。 ちなみに、余談だが、高知でお遍路旅を断念してしまう人が一番多いらしい。 海沿いの一本道を歩き始めて数時間、最初は海を眺めながらワクワク歩く楽しさを感じていたが、次第に一向に移り変わりのない単調な道に飽きが生じてきた。 あまりにも、同じ道が延々に続くので、前進しているのか不安に思えてくるほどであった。 昼過ぎ、睡魔に襲われ防波堤でお昼寝。 ふと足に目をやると、靴下に大きい穴ができていた。 15時、民宿みちしおに到着。 ちょうど目の前にビーチがあったので、チェックイン前に少し立ち寄ってみると、サーファー達が波と戯れていた。 どうやらここはサーファーのメッカらしい。 民宿のエントランスにはさまざまなサーフボードが展示してあり、いたるところに、南国感を感じさせる置物が配置されていた。 フロントにいくと、小麦色の肌をした、いかにもサーフィンしてますお姉さんが対応してくれた。 この宿を利用するほとんどの客がサーフィン目当てらしく、お遍路スタイルの僕の姿はこの民宿には風変わりに思えた。 やや浮いている感は否めなかったが、正直、気になるほど気力は残っていなかった。 部屋に到着後、携帯を充電し、真っ先に横になった。 しばらく眠ってしまったようだ。 時刻を確認するため、携帯の画面を開くがうまく充電できていなかったみたいで電源が落ちていた。 何度か差しなおしてみるが、全く充電中のマークが表示されない。どうやら充電ケーブルが断線している可能性が高い。 携帯が使えないことは死活問題でもあるため、フロントのお姉さんに相談しにいくが、この周辺には充電ケーブルを買えるようなお店はないとのこと。そして、これから僕が向かおうとする室戸岬方面に行けば行くほど、人工物はなくなり、海と山しかないとの情報をいただく。 悩んだ挙句、来た道を戻ることも頭によぎる。 少し渋っていると、サーファーお姉さんが私物の充電コードを貸してくれた。 明日のチェックアウト時にフロントに返してくれたらいいとのことで、有り難く使わせていただく。 明日から少なくとも2日間は今日の充電したバッテリー残量で過ごさなければならない。 バッテリーの消耗を抑えるため、明日からナビと音楽鑑賞は諦めることにした。 室戸岬に続く単調な道を音楽を聴きながら歩くことができないと思うと少し憂鬱な気分になったが、これも自分自身と向き合うチャンスだとポジティブに捉えることとした。 夜ご飯のカップラーメンを食べ、9日ぶりに布団で眠れる喜びを噛み締めながら22時時就寝。 ⭐︎トータル歩行距離 約200キロ 高知編へつづく
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四国八十八か所お遍路参り 9日目〈徳島編〉 H28.11.28 「一番怖かった夜」 「ワサッワサッ、ドサッドサッドサッ、ドサドサドサダダダダダダダダダ」 明け方、森から異様な音が鳴り響き叩き起こされる。 どうやら獣が朝を知らせに来てくれたらしい。心臓によろしくない目覚め方だったが、おかげで眠気は一気に吹っ飛んだ。 準備しバックパックを背負い、今日は安心した気持ちで眠りたいなと思いながら、徳島県の最後のお寺へ歩き出す。 のちに、今宵も一段と怖い夜を過ごすとは、まだ今の僕には知るよしもない、、、、 23番薬王寺にむけて、歩きはじめて数時間経った頃、道の雰囲気がガラッと変わり、前から海がみえだした。 山と田園の風景もいいが、やっぱり海を見るとどうしてもテンションがあがってしまう。 寄り道し、近くの展望台へ景色を見にいく。徳島県の海岸沿いの町並みが一望できて清々しい気持ちになった。 しばらく海沿いを歩いていると、ウミガメ博物館を発見。外にウミガメが飼育されていたので観察させていただく。 ウミガメから癒しをもらった。 しばらく海沿いを歩いていると、今度は、長蛇の列になっている定食屋さんを発見。ちょうど、お腹の減り具合もMAXだったので、お食事処ひわさ屋へ立ち寄った。 お遍路の衣装の格好で長蛇の列に並ぶのはやや恥ずかしかったが、それ以上に空腹が勝った。 名物のミックスフライ定食を注文。 一口食べたら幸せが口の中全体に広がった。思い出に残るぐらいおいしかった。 23番薬王寺を打ち終わる。 徳島のお寺を制覇した喜びに浸る。 ご褒美もかねて近くにあった銭湯へ立ち寄って心も体もキレイさっぱりした。 今日は、衣、食、住のうち、2つは満たすことができた。あとは、今夜、安心した気持ちで眠れたら最高に幸せだ。 そんなことを想いながら1時間ほど歩き時刻は17時。 峠道の麓にあるお寺に到着。 このお寺は境内の空きスペースを、歩き遍路が自由に寝泊まりできるよう開放しているとのことで、さっそく、境内の住職さんに挨拶しにいくことに。 しかし、残念なことに今は開放していないとの返答が、、、 あてにしていたぶん、非常にショックだった、、、 そして、焦った!! というのも、この先は峠道。 店は疎か、街灯もあるのか怪しい峠道だったからだ。 プランBなんて用意しているはずもなく、ただただ途方にくれた。 今日の寝床に関しては、とにかく考えるのが面倒くさくなってきたので、一旦考えることをやめた。 まずは、薄暗くなってきているので、一刻も早くこの峠道を越えることだけに全力を注いだ。火事場の馬鹿力という、ことわざがあるが、そこからの歩きは我ながら非常に早かった思う。 辺りは、真っ暗になってしまったが、なんとか予定より幾分か早く峠道を超えることができた。 チラホラと明かりがついてる店を見つけた時は心底ホッとした。 近くに民宿が数軒あったのでダメもとで問い合わせるが、想像通りやはり泊まることはできなかった。 しばらくGoogleマップで地図と睨めっっこしていたら、今の現在地から約3キロ先に公園があったので、今日はそこで野宿しようと歩きだす。 いつのまにか、モバイルバッテリーの充電も底をついていたため、電池節約のため地図は頭に焼き付け、携帯をみるのは控えた。 お遍路道から外れて公園のある方へ歩きだす。この先に、本当に公園があるのか怪しい森の道を歩くこと15分、それっぽいところに到着。 しかし、あたりに街灯は一切なく、漆黒の暗闇が広がっているのみだった。 ヘッドライトの灯りだけが、かろうじて僕の足下を照らし出す。 どのような形状でどのような雰囲気の公園か全くイメージできないまま、暗闇のベンチに座り、菓子パン一つ食べた。 とっとと眠ってしまおうとシュラフに包まり横になる。 数時間経った時、壁に立て掛けていたバックパックが倒れる音で目が覚める。 風の仕業か!? 不思議に思ったが昨夜の疲労もあってか、すぐに眠りに入る。 しばらくして、今度は寝袋の足の部分に何かが乗っかる感触がした。 さすがに、それにはビビってしまい、あまりの恐怖で言葉を発することはおろか、身動き一つ取る事ができなかった。 とにかく寝袋に身を包み、時が過ぎるのを待った。 しばらくして、暑くなり一度だけ、寝袋から顔をひょっこり出したら、、、 「なにものかが僕の姿を見つめている視線を感じた」 生きた心地がしなかった。 それからの時間は1分1秒が非常に遅く感じた。 頭のなかで、必死にエロい事を考えてなんとか朝がくるまでやり過ごした。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 8日目〈徳島編〉 H28.11.27 「寒さと、怖さと、心細さと」 今日はあいにく一日中、雨予報。 シモさんは、とっくの前に出発したというのに、僕はシュラフからまだ飛び出すことができずにいた。 雨の中、歩くことを想像するだけで起きるのが億劫になり、時間だけがコツコツ過ぎていく。 早く目的地に辿り着くことだけがお遍路旅ではない。いっそのこと、このまま連泊してしまおうかとも考えたが、ただの甘えであるなと感じ断念。 チェックアウトギリギリまで滞在したのち、レインウェアに着替え雨の世界へ飛び立った。 防水ではなく撥水仕様のレインウェアは、経年劣化も加わりすぐに雨が内部へ浸透する。 いつのまにか、すっかり靴の中もびしょ濡れになり、歩くたびにチャプチャプ、音を奏でる。 22番平等寺に到着。立ち止まると寒さで体がガクガク震え出したので、足早にその場から立ち去ったが、背後を山に囲まれたこのお寺は雰囲気が良くて、とっても大好きなお寺になった。 のちに調べてみると、 大正・昭和の時代に医者からも見放された足の不自由な参拝者が、この寺で霊験をさずかったという古い言い伝えが残っている神秘的なお寺であった。 冷たさで足と手が痛くなってきたので、近くの食堂へエスケープ。 カキフライ定食を食べ、しばらく暖をとる。 暖まったと思って外に出たら一瞬で体温をもっていかれた。 歩くと震え出すため、ノンストップで歩き続けること、時刻は16時。 弥谷観音堂というお寺に到着する。情報では近くにお遍路小屋があるらしく、そこで一晩、寝泊まりさせていただく計画でいたが、辺りを探せど探せど見つけることができず。 仕方なく少し戻ったところのトンネル横の東屋で野宿をすることに。 あまりここで一夜を明かす気にはなれなかった。 なぜならば、小屋の背後にはワサーッと森が生い茂り、光も入らず日中でも薄暗かったのと、すぐ近くに不気味そうなトンネルが鎮座していたからだ。 昔、トンネルで恐怖体験をしてからやたらトンネルには恐怖意識を持ってしまう。 しかし、この一帯は峠道、他に宿泊できそうなところはなく、選択の余地はここしかなさそうだったので、今日は修行だと自分に言い聞かせここで一晩夜を明かすことに。 濡れた衣類を脱ぎ、寒さ対策として、乾いた服を着れるだけ着込みシュラフに包まった。 辺りも暗くなると、車の通り過ぎる数もぐんと減りトンネルのライトだけが辺りをぼんやり照らし出す。その光景がなんとも不気味な雰囲気を演出してくれた。 また、背後の森では獣の鳴き声と森がざわめく音のおかげで、いかにも獣が飛び出してきそうな匂いがプンプン感じとれた。 そちらにも意識を集中しなければならず、シュラフで横になっているだけなのに非常に疲れた夜だった。 幽霊と獣のダブルの存在にビクビク震えながら、一晩やり過ごす。 なかなか心細かったぜよー。 つづく
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四国八十八か所お遍路参り 7日目〈徳島編〉 H28.11.26 「反省と内省」 アラームを4時にセットしていたが二度寝してしまい9時起床。 当初の計画が狂ってしまったが、12時間たっぷり睡眠したおかげで、すこぶる元気になったのでヨシとする。 いざ第二の難所、20番鶴林寺&21番太龍寺へ。 寝坊した分、挽回しようとハイペースで歩いていると、後ろから軽トラックのクラクションが鳴る。 車の窓ガラスが開き、お爺さんに話し掛けられる。 「お寺まで乗せてあげようか」 親切なお声掛けをもらうが、歩きに集中していたせいもあって、ただ一言、「大丈夫です」と適当にあしらってしまう。 しばらくして、ふと、後悔の念が心の奥底からじわじわ込み上げてくる。 せっかく見ず知らずの僕のために、親切な言葉を掛けてくれたのになぜ、立ち止まって感謝の気持ち一つ伝えることができなかったのだろうか。 後悔の念とお爺さんへの申し訳なさで心がいっぱいになる。 しばらく自分への苛立ちと、嫌悪感を持ち続けながら悶々と歩いていると、不思議なもので、また後ろからクラクションが鳴る。 振り返ると、つい30分ぐらい前に声を掛けてくださったお爺さんが、何事もなかったように優しい表情で、こちらにむかって手を振ってくれている。 先ほどのお礼の言葉と謝罪の気持ちを直接伝えることができた。 そんなことは全く気にしてないから、とにかく無理せずに怪我だけは気を付けてねとエールを送ってくれた。 顔からも充分に優しさが滲み出ていたが、心底優しい人だと思った。 お爺さんから色々な、学びや気付きをもらったできごとだった。 20番鶴林寺を打ち終わり21番太龍寺へ。 太龍寺の正面玄関には直通のロープウェイが設置してあり、一般客にも簡単に参拝することができるようになっている。 しかし、歩き遍路で行く場合は裏の山道を登っていくルートが遍路道として認定されているため、お寺に到着後は既にかなりのヘロヘロ状態であった。 21番太龍寺の前でしばし休憩をとっていると、嬉しいことにシモさんと再再会を果たすことができた。 一緒にお寺を参拝したあと、今日は再再会を祝してお宿で宿泊することに。 21番太龍寺行きのロープーウェイを降りたところに破格の休さのお宿を発見。 『道の宿 そわか』 寝袋持参で一泊1800円。しかも温泉付き。 客室は1800円とは思えないほど清潔感のあるお部屋だった。 入浴後、シモさんと近くの食堂へ。 15分ほど歩いた先の、お食事処やじろべぇという定食屋へ入店。 ひさびさに誰かと一緒に食べる食事にテンション上がってしまい、ついつい瓶ビールまで注文してしまう。 お互い、すごく久しぶりのお酒だったこともあり、この量で良い感じにほろ酔いになった。 会計をしていると、店主からサバ寿司のお接待をいただく。 しかも帰りは、雨が降っているとのことで、車で宿まで送って下さった。感謝です。 寝袋に包まりながら、語り合い、夜は過ぎていく。 お遍路の旅が終了したら、四国でもらった、たくさんの愛を返していきたいねとお互い約束し眠りについた。 つづく
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四国八十八ヶ所お遍路参り 6日目〈徳島編〉 H28.11.25 「再会」 6時半起床。 昨日、銭湯に防寒着を忘れたため、最寄り駅の列車に乗り、取りに戻る。 防寒着も無事に見つかり昨夜の橋まで引き返そうと歩みを進めていると、交差点を挟んで向こう側の道路に歩きお遍路さん発見。 ん!! シモさんだー!! 久々の再会。(と言っても2日ぶりなのだが) 若い遠距離恋愛のカップルが久々に会った時みたく熱い抱擁をかわした。 はたから見れば、中年の男達の抱擁。 さぞ見苦しかっただろう。 抱擁を交わしたのち、お互い難所を乗り越えた苦労を讃えあう。 話せば、シモさんもこの2日間はなかなかハードで濃い日を過ごしていたみたいだ。 しかも、道迷いは毎日の日課になっているらしく、相当お疲れな様子が表情からみてとれた。 疲れをとってもらうべく昨日の銭湯の情報を共有した。 シモさんは疲れを癒すため、銭湯へ。 僕は列車に乗り昨夜、野宿した橋へ。 短い再会だったがシモさんからとっても元気をもらった。 また、いつか必ず会おうと握手を交わしそれぞれの道へ。 ふと思う。 昨夜、銭湯に忘れ物をして本当によかったと。 18番恩山寺に向かっている最中、休憩できそうな場所を探していたら、 「お遍路さん、ご自由にどうぞ」 の張り紙を発見。 工事現場の作業員達の、休憩用の仮設コンテナは、歩き遍路の人たちの休憩スペースとしても解放してくれていた。 有り難く使わせていただき、そこでお昼ご飯(昨日貰ったおにぎり)を食べた。 工事現場の方々、感謝です。 19番立江寺を打ち終わる。 徳島のお寺も残すところ、あと4つ。 だが、次の20番鶴林寺、21番太龍寺の道は徳島、第二の難所と言われ急勾配な山道が続く。 本日の野宿先は20番鶴林寺の手前にある道の駅。しかし、今日はなんだか体が重たく、一歩一歩がとっても、しんどい。 このままの調子で果たして道の駅まで辿り着けるだろうか、、、 目的地へ、ゆっくり休み休み、歩みを進めていると、以前フジオさんから教えていただいた善根宿を発見する。 この善根宿は町工場の平屋の倉庫を、お遍路さん用に解放してくださっており、寝泊まりも自由に可能とのこと。 善根宿にて、小休憩をとっていると、ドアをノックする音が。 近くに住んでいるという、おばちゃんからみかんのお接待を受ける。 しばらくして、今度は60代ぐらいのお遍路さんが休憩をしにやってきた。 先程いただいたみかんのお裾分けをするとお返しにキャンディをいただいた。 少しばかりのつもりで立ち寄った善根宿。 結局1時間近く居座ってしまった。 今日はなんとなく歩く気になれなかったのでそのまま、こちらで一泊宿泊させていただくことに。 その分、明日は早起きして、たくさん歩こうと自分と約束を交わす。 工場の事務所へ宿泊のお礼を伝えにいくと、 少しでも穏やかに眠れるようにと、粉状のココアスティックと香り付きのアイマスクを用意してくださった。 なんというホスピタリティの精神だろう。 この世は愛で溢れていると思った。 東京での苦しい2年間。 短編的にみたらとってもしんどかったけど、おかげでお遍路にも行くことができたのだと思うと、案外あってよかった出来事のように思えた。 アイマスクを装着しとても安らかな気持ちで早めの就寝。 21時過ぎには夢のなかへ旅立った。 つづく
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四国八十八ヶ所お遍路参り 5日目〈徳島編〉 H28.11.24 「徳島人の優しさにふれて」 7時起床。体全身のふしぶしが痛い。 ストレッチ体操をして、ほぐしていると、地元のおじいちゃんやおばあちゃんに声を掛けられる。 頑張るモチベーションをいただき、いざ13番大日寺へ。 歩いているとどうやらほんわか異臭が漂う。 その犯人はどうやら僕のようだ。 2日間大量に汗を掻き、雨に乗れたまま放置していた衣類もあり、非常に何ともいえない臭さを醸し出している。 携帯で銭湯をググる。 徳島駅中心部に新町温泉というローカルな銭湯があることを発見。 今日の目的地は新町温泉だ。 順調に行けば夕方過ぎには到着できそうだ。 13番大日寺を打ち終わり次のお寺に向かっている道中、おじさんから缶コーヒーのお接待を受ける。感謝。 歩き始めて数時間、いつのまにか、山と田んぼの風景から郊外の町並みに風景も移り変わっていた。 14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺、17番井戸寺は比較的密集していた場所にあったので、一気に打ち終わった。 ちなみに、16番観音寺にて輪袈裟を購入したら、お寺のおばちゃんからおにぎりのお接待を受けた。感謝。 14時、トンカツ屋の看板の誘惑に負けてちょっぴり寄り道。 ここ何日か、ずっと質素な食事を続けていたため、大好物の味噌カツ定食を食べれて幸せをヒシヒシ感じた。 サラダが食べ放題とのことで何日分かの野菜もお腹にストックしておいた。 16時、念願の銭湯に到着。 なんと、歩き遍路の方にはお接待で無料で提供してくれているらしい。有り難しー。 湯船に癒しをもらい、銭湯横にあったコインランドリーで洗濯&乾燥。 乾燥が終わるのを待っていたらお婆ちゃんからキャラメルキャンディーのお接待を受けた。感謝。 なんだかんだ時刻は19時。 銭湯に入ったおかげで体は著しく回復したのでもう少しだけ歩こうと歩みを進める。 おそらく徳島駅随一の繁華街であろう通りを抜ける。新宿かと思った。 ふと前からイカついお兄さんと美女がラブラブしながら歩いてくる。 チッ!羨ましいぜ! そんな風に感じながらその場をすれ違う。 しばらくしてイカついお兄さんがすごい形相でこっちにむかって走ってくるではないか。 あまりにもすごい形相だったので一瞬刺されるのではないかと本気でおもった。 「これぐらいしかできないが食べてください」 とコンビニ袋を差し出される。 中には大量のおにぎりと飲み物がみっしり詰まっていた。 つくづく徳島の人は優しいなと思った。 その優しさに少しだけ泣いた。 22時過ぎまで歩き、橋の下で野宿する。 いただきものの、おにぎりとお茶を召し上がった後、寝床の準備をしていると、銭湯に防寒着を忘れたことに気付く。 人の温かさで体の底からポカポカだったため、今の僕には必要ないだろうと思い、0時就寝。 寒かったー。 つづく
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四国八十八ヶ所お遍路参り 4日目〈徳島編〉 H28.11.23 「徳島一の難所を乗り越えて」 昨夜のゾッとした夜とはうってかわって、小鳥のさえずりが小屋内に響きわたり、とても気持ちのいい朝をむかえた。 朝食を食べながら昨夜の話題で持ちきりだった。歩き遍路をしていると一度や二度は必ずといっていいほど、不思議な体験に出くわすというフジオさんの言葉がふとよみがえった。 その不思議体験が、さっそく昨夜に起きてしまったというわけだ。 〈追記〉その後、2回目の不思議体験を味わうことになるのだが、それは、まだまだ先になってからのお話である。 7時半、僕より一足先にシモさんが山越えに旅立った。 お見送りしているとなぜか焼山寺方向とは正反対の、昨日一生懸命登ってきた道を下っていこうとするではないか。 最初はボケているのかとおもったのだが、どうやらガチで道を間違えていたみたいだ笑 方向音痴たるや恐ろしやー笑 なお、後日談なのだが、その直後も山道で迷ってしまったシモさんは地元のおじいちゃんに助けられ、おじいちゃんの軽トラで山の麓まで下りられたとの事だった。 8時過ぎ、歩き出してまもなく雨が降りしきり、急登の山道はただただ苦行そのものでしかなかった。 11時、ようやく12番焼山寺に到着する。 雨に濡れたせいか立ち止まると急激に寒い。 出発前にワークマンで買っておいた極暖の防寒着がとっても大活躍してくれた。 自分へのご褒美にお寺前の小さな露店にて、うどん、かやくご飯、あんぱんを食べた。 下山にとりかかる。あとは余裕だなと思っていたのだがそこからが長かったー。 道中、おじさんから柿とみかんのお接待を受けたり、大きなイチョウの木を見て感動したりした。 マイペースに自分のペースで下山していると、山道コースとアスファルトコースの分岐にさしかかる。 どちらからも下山できそうだったが、距離の短い山道コースを選択する。 のちに、何度も引き返そうとおもうほどに、この山道が一番過酷だった。 その後もひたすら歩き続け、時刻は18時30分。ペンションやすらぎ付近にとても良さげなベンチを発見する。 公衆トイレもあり、すぐ下には川が流れていた。その川の音が、またまた良い感じのBGMを作り出してくれた。 最高のロケーションだった。 よし、ここで野宿しよう。 寝袋を取り出し眠りにつくが、真夜中、下の河辺で若者たちがどんちゃん騒ぎしていた騒音と、初野宿で緊張していたせいもあって、ほとんど寝付くことはできなかった。 つづく。
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四国八十八ヶ所お遍路参り 3日目〈徳島編〉 H28.11.22 「不思議な体験」 9時起床。 昨夜は夜更かししたせいでまだ寝足りない。 眠たい目を叩き起こすため、トイレの水で顔を洗う。 今日は徳島でもっとも多くの歩き遍路が挫折を経験すると言われる12番、焼山寺の山越えが待っている。 フジオさん情報によると、この先の道には飲食できる場所が全くないらしい。 今買っておくのが得策との助言を頼りに2日分の飲み物や食料を確保するため、近くのスーパーへ買い出しに行く。途中、すき家の看板の誘惑に負けて、お腹に牛丼もチャージした。 フジオサンの助言により、難所への道のりに対する危機意識と覚悟を持つことができた。 まさにフジオさん、さまさまである。 昨夜の宿泊場所の鴨の湯に戻ると、ひと足先に買い出しから戻ってきたシモさんが、おにぎりとコロッケの差し入れを皆の分買ってくれていた。 つくづく優しい人だ。 それぞれの目的地へ歩き出す前に3人で記念撮影。 ボクとシモさんはいざ難所の12番焼山寺にむけて。 フジオサンはバイクで徳島の残りのお寺を巡り高知へ。 おそらくフジオサンとは会えるのが今日で最後だろう。 出発が名残り惜しいが、いつか会う約束を交わし歩みを進める。 まずは山の麓にある11番藤井寺を目指す。 途中までシモさんと一緒に歩いていたが、相変わらず歩くスピードが鬼の如し早かったため、先に行ってもらうことに。 11番藤井寺到着。 その脇道から登山道に入り、いよいよ山越えの12番焼山寺へ。 多量の汗をかきながら、山の中腹にある無人小屋にたどり着く。 風がひんやり冷たかったが、周りは山に囲まれとても自然豊かな静かな気持ちのいい場所だった。 時刻は15時半すぎ。 先へ進むかこの無人小屋で一泊するか迷いどころだ。 近くにシモさんの姿はなかったのでおそらく1日で山越えをしにいったものと思われる。 僕は結局、足裏の豆の状態も心配だったので無理せずこの無人小屋で一泊お世話になることに。 今日は1人か。 やや寂しい気持ちになる。 時間は経ちあたりも薄暗くなってきたころ、無人小屋にまさかの来客者が、、、 シモさんだ。 どうやら道に迷ったらしい。 シモさんらしい笑 無人小屋にて2人で夜を明かす。 今日の朝スーパーで買った食材を並べ、へッドライトの灯りを頼りにプチ宴。 シモさんの奥さんの話や、人生観について熱く語り合った。昨日はじめて会ったとは思えないほど、ディープな話もした。 今宵も大いに語らいシュラフに包まり眠りにつく。 真夜中、物音で目が覚める。 仏説摩訶般若波羅蜜多心経南無ーナムダミナブツー お経のような音がうっすら無人小屋に響く。 ふと、怖くなりシモさんの方に目をやるとシモさんも僕の方を恐る恐る見つめていた。 アイコンタクトでお互い何が言いたいのかすぐ伝わった。 一人じゃなくてつくづくよかった。 シモさんがいなければろくに外に設置してあるトイレ場もいけなかっただろう。 本当につくづくよかった。 とても不思議な体験だった。 つづく
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四国八十八ヶ所お遍路参り 2日目〈徳島編〉 H28.11.21 「お遍路仲間ができた日」 朝5時より3番寺へ歩き始める。 昨夜は初日という事もあり、あまり熟睡することができなかった。 辺りはまだ薄暗く眠気なまこのまま、3番寺金泉寺を打つ。 4番寺大日寺を打ち終わり、次のお寺に向けて歩いていると前からカブ(原付)に乗った白装束のお遍路さん発見。 むこうもこちらの存在に気付いてくれ手を振ってくれている。 一瞬のできごとだったが初めてのお遍路さんとの遭遇に嬉しさが込み上げる。 5番寺、地蔵寺に到着。 打ち終わり次のお寺に向けて歩き出そうとしたところで、カブに乗ったお遍路さんと再び遭遇。 ヘルメットを外した瞬間、すごく親しみを感じるどこか懐かしいお顔が目の前に現れた。 あれ!? どこかでお会いした気がする、、、 頭の中をフル回転してようやくハッと思い出す。 お遍路に興味を持つきっかけを作ってくれたお遍路YouTuberさんではないかー。 まさかのご縁に超絶嬉しくなってしまい、握手と2ショット写真を撮らせてもらう。 しばし談笑。 とても気さくで礼儀正しい方だったのですぐに打ち解けた。 フジオさんは2週間の仕事の休暇を利用し、本日よりカブで2回目のお遍路参りをスタートさせたとのことだった。 今夜は鴨の湯という公衆浴場の隣の善根宿に宿泊されるとのこと。 ※善根宿とは・・・野宿をする歩き遍路さんのために、個人や地域が用意する無料の宿を「善根宿(ぜんこんやど)」と呼びます。善根宿は「お遍路さんを応援し、労う気持ち」から生まれたもので、四国の「お接待文化」を象徴する施設です。 (以下情報サイトより抜粋) 鴨の湯はここから30キロ以上もあったので辿り着けるか不安であったが鴨の湯で再会する約束を交わしフジオサンとしばしお別れ。 恋人と別れるかのように名残り惜しい気持ちでサヨナラし、目的地の鴨の湯へ歩みを進める。 今日の目的地が明確に決まっただけで歩くモチベーションも自然と上がった。 6番寺安楽寺を打ち終わり7番寺に向けて歩いていると初のお接待を受ける。 ※お接待とは・・・遍路をしている人に地元の方々が食べ物やお賽銭を差し出します。これを「お接待」と言います。昔の遍路は何十日もかかって、自動販売機も何もないところを歩きつづけたわけですから、遍路にとっては大変ありがたい風習だったのだと思います。遍路は、こうしたお接待を受けたら、断ってはいけないことになっているそうです。 (以下情報サイトより抜粋) おじさんから有り難く頂いた柿3つのうち2つをザックにしまって1つを歩きながら食べた。 おじさんの優しさが詰まったとっても美味しい柿だった。 7番寺十楽寺に到着。 大きいバックパックを背負った野宿スタイルのお遍路さん発見。 見た目はスキンヘッドでメジャーリーガーのような体格だったので最初はお寺の関係者なのかなとおもったが、話せば仕事を退職してほとんど似たような境遇でお遍路参りにきていた同志であった。 シモさんともすぐに打ち解け、しばらく一緒に歩くことに。 お互いの趣味の話やお遍路に行こうと思ったきっかけ、身の無いくだらない話などをツマミに歩いた。 おかげでとっても楽しく歩くことができた。が、いかんせんシモさんの歩くスピードが鬼の如し早い。 じわじわと僕の足が悲鳴をあげ出してきたのでシモさんとも今夜鴨の湯で再開する約束を交わし 一人のんびり歩き出す。 14時休憩がてら、お食事処にておにぎりとかかけうどんを注文。 女将さんとしばし談笑し様々なお遍路の教えを乞う。 焼き芋の接待やコンセントの貸し出しなどとても親切にしていただく。 うどんと女将さんの温かさにパワーをもらい、その勢いで9番法輪寺、10番切幡寺を打ち終わる。 ようやく本日の宿泊場所、鴨の湯の善根宿のしっぽが見えてくるところまでやってきた。といってもまだまだ距離はあるのだが、、、 しばらく歩みを進めていたのだが、忘れ物に気付く。金剛杖がなーい。 どうやらどこかに置いてきてしまったようだ。 泣く泣くUターンし金剛杖探しの旅が始まる。 無事発見することができたのだが、そのあたりからシトシト降っていた雨が本降りの雨へと変わり、歩きのモチベーションも大いに低下してしまったのだった。 18時。 目的地まであと2時間のところまでやってきたが疲労もピークにさしかかる。 雨に打たれながら歩いていると、一台の軽乗用車が僕の目の前に止まる。車内から70代ぐらいのおじさんが顔を覗かせ、近くの病院に行くついでに途中まで乗せてあげるよと有り難いお言葉を掛けてくださる。 最大級の感謝をしおじさんのお言葉に甘えさせていただく。 ありがとうございました。 病院から鴨の湯まではゆっくり歩いても15分ほど。予定より早く到着できそうだったのでコンビニで夕食休憩をとる。 昨夜に引き続き地ベタに座ってご飯を食べていると30代後半ぐらいの男性が目の前に現れる。 「ジュースでも買ってください」 と200円の小銭を差し出される。 現金をいただくのは初めてだったので少し躊躇してしまったが、ありがたくいただくことに。 今日はほんとに色んな方々からお接待を受けた。そして人の温かさを肌感覚で学んだ日でもあった。テイクばかりではなく、いつか僕も困った人が近くに現れたらギブできる人間になっていきたいと思った。 19時鴨の湯温泉に到着。 フジオさんはすでに到着していた。数分遅れてシモさんも到着し、皆で鴨の湯へ。 温泉に浸かり至福の時間を味わう。 ふと足裏を見てみると早速足に大きな豆ができていた。 入浴後は地域の住人のご厚意で設置してくださっている善根宿(簡易な丸太小屋)に移動し3人で語らう。 フジオさんは野宿遍路の経験者ということもあり、さまざまなお遍路の体験や野宿場所のスポットなど有益な情報を僕達二人にご教授してくれた。 すごくタメになる話ばかりだったが、そのなかでも特に記憶に残っている言葉がある。 「歩き遍路は歩ききることが修行ではない。 自分1人の限界を知り、いかに人と関わり、人に助けを求め、人の力に気付き、感謝できるのかが一番のこの旅でのお遍路の修行だ」 フジオサン自身が1回目のお遍路の時に、お坊さんからいただいた言葉らしい。 今でも僕の人生のバイブルとして、心の奥深い所にパンチラインとしてしっかり突き刺さっている。 お遍路の旅は人生にも通じるものがあるなとおもったし、強さとは何ぞやを学んだできごとでもあった。 まだまだ話し足りなかったが日付も変わり3人とも睡魔に意識を持っていかれそうになっていたので寝る準備を整える。 畳4畳ぐらいのスペースに川の字になって各々のシュラフに包まり就寝。 29歳のボク、39歳のフジオサン、42歳のシモさん。年齢も住まいも別々なのに、何かのご縁で繋がった、きょうのこの瞬間。 お遍路の旅が楽しくなってきた瞬間でもあった。 つづく
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四国八十八ヶ所お遍路参り 1日目〈徳島編〉 H28.11.20 「はじまり」 徳島行きの船内にて8時起床。 さぁこれから、徳島、高知、愛媛、香川の順に八十八ヶ所のお寺を巡る1400キロのお遍路参りの旅が始まる。 この2年間は全く運動をしていなかったので、歩き通せるのか不安があったし、野宿で回る予定だった為今日からの夜の寝床にも不安があった。 考えだせば色んな不安がやってきたのであまり先の事は考えないようにした。 船内の朝風呂に浸かる。 次いつ入浴できるか分からなかったので体の隅々まで入念に洗っておく。 しばらくすると船内アナウンスが鳴り響き到着時刻の遅延のお知らせが流れる。 14時頃徳島港に到着。 スタート時間が大幅に遅れてしまった為、仕方なく公共交通機関を使い1番札所のある霊山寺の最寄駅にスタート地を変更する。 道中、公共トイレの鏡に自分自身の姿が映る。つい先日まで仕事をしていたのにいま現在、縁もゆかりもない徳島県という地でバックパックを背負っている姿に、とても不思議な気持ちと新鮮さを感じた。 1番寺霊山寺に到着。 霊山寺手前にはお遍路の店が併設されており、そこでお遍路の三種の神器、白衣、金剛杖、笠を購入した。 白衣と笠を買ったものの身に付けるのに照れが生じて結局装着せず一番札所霊山寺を打つ。(お参りする。) 礼儀作法やお参り手順など分からず他の人の動作を観察しながら、ヨソヨソしい参拝となってしまった。 17時過ぎ2番札所極楽寺を打ち終わりあたりも暗くなってきた為、コンビニにて夕食の弁当を買い駐車場の地面に座って食べる。 この瞬間がなんだか青春っぽくて良い。 体力的にはまだまだ歩けたがお寺の営業時間もある為、今日の行程はひとまず終了し本日の野宿場所を探すことに。 わりかし近くにやや大きめの公園があったのでそこをターゲットに選定。 行ってみると寝泊まり禁止の張り紙が貼ってあり断念。 気を取り直して辺りを色々散策した結果、人生初の野宿場所は高架下の茂みに被われた場所に決定。 早速寝床をセッティングし、とりあえず横になってみるが、、、 全く心が落ち付かない、、、 この状況で眠れる自信などなかったがとりあえず目を閉じてみる、、、 しばらくして顔に何か虫がほおってきて慌てて飛び上がる、、、 結局1時間もしないうちに携帯を取り出し近くのお宿に手当たり次第、宿泊の電話をとりまくっている弱い自分がいた、、、 何軒か電話をかけたが殆どが当日の夜ということもあり、受け入れ拒否。 まー、致し方ない。半ば諦めかけていた時、こんな僕を受け入れて下さる心優しきお宿が見つかった。しかも今いる現在地まで車で迎えに来て下さるとのこと。 ゲストハウス旅人の宿、道しるべさん本当にありがとうございました。 宿に到着後はお風呂に浸りテレビを見ながらヌクヌクの布団の上でのんびりダラダラくつろぐ。 ふと、、、 これで良いのか、、、 強くなりたくてお遍路に来たのに、、、 開始早々甘えてしまっている自分にやや情けない気持ちになったが、実際これっぽっちも高架下に引き返そうという気持ちにはなれなかった。 今日いっぱい甘えた分、明日は早起きしていっぱい歩くぞー。 自分と明日への約束を交わし今宵は温かい布団に包まりながら安心した気持ちで眠りにつきたいとおもう。 つづく。
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