水底の宴
白砂山・堂岩山・八間山
(群馬, 長野, 新潟)
2026年06月14日(日)
日帰り
6月は中旬を迎えた。
梅雨入りから少し経ったが、雨が降ったり止んだりでやはり天気がころころ変わって体調に影響が出てくる。
そろそろ夏に向けて、少しずつ身体を慣らしていきたいところである。
そんな中、ネロミェールより何処か遊びに行きたいと強請ってきた…。
どこなら良さそうか迷っていたが、ふと少し前のとある記憶が気になった。
一昨年の大体同じ頃、南アルプス鋸岳に挑む1週間前に苗場山を攻略した。
美しい高層湿原にてお花見をして、開放感抜群の木道を歩いていて頸城山塊の方角に目をやった時、目の前に重厚感のある大きなお山が見えた。
その時はまだ苗場山の攻略だけで精一杯だったが、その帰り道…清津峡に寄り道した序でにそのお山がなんなのか調べてみたところ、とあるお山の名前が挙がった。
その名は、「佐武流山(さぶりゅうやま)」。
越後山脈の西側たる上信越国境の最高峰であり、白砂山のある野反湖の向こう側にはついこの前行った岩菅山のある志賀高原が広がっている。
どうやらこの佐武流山は大昔、秋山郷の住民が中津川の支流にある“さぶる川”から名付けられたと言い伝えられていて、日本200名山に登録されている。
このお山はまさに秘境そのもの…そのせいか山頂まであまりにも行程が長過ぎた為人の出入りが非常に少なく、2000年頃一度登山口が消滅した過去があるという。
しかし近年、地元の有志によって再び登山道が再開拓され復活した。
とはいえその凄まじい行程の長さは健在で、現在でも人があまり入らない知る人ぞ知る秘境中の秘境として、上信越国境の深淵に鎮座している。
今回そんな佐武流山へ、ネロミェール、新たにオトモンとして加わった波衣竜ウズ・トゥナと共に挑むこととなった。
降り着いたのは、ドロノキ平登山口。
早速登り始める……。
初めは古びた林道をしばらく歩いていく。
栄村の方で重機や農機具、車が置いてあり、定期的に道は手入れされている模様。
葛籠折れの林道をさらに歩いていくと、僅かながら日が昇ってきたのか空が明るくなった。
登っているとはいえほとんどは水平移動に近く、あまり高度を上げない。
つまり、このあと御約束通り急登が待ち受けている…早いうちにわかってしまうだけに絶望感が押し寄せてくる。
だらだらと林道を歩いていくと、目の前に少しだけ開けた広場のような場所が出てきた。
ドロノキに覆われた広場で、まさしく通称ドロノキ平と呼ばれている。
此処にて少しだけ休み、いよいよ崩壊林道を歩いていく。
御来光を迎えると、木々の合間から谷を挟んだ向こう側に高く連なるお山が見えてきた。
それは明らかにこの前挑んだ裏岩菅山で、すぐ隣が志賀高原であることを実感させられる。
崩壊林道はさらに荒れてきて、雑草が生い茂りほぼ藪漕ぎのようになっていた。
木がところどころ垂れ下がったり倒れていて、いちいち跨いだりくぐったりする羽目になり余計に体力を奪われる。
このあとにきつい急登が待ち受けているだけに、此処で疲れたくない。
湿った雑草の茂る崩壊林道を歩き続けると、少しずつ下から沢の音が聞こえてきた。
それと同時に目の前に大きな岩壁が見えてきた。
どうやらこれは月夜立岩と呼ばれるらしく、何処か耶馬溪を思わせるような迫力があった。
そこから程なくして、佐武流山へ続く小さな標識が出てきた。
明らかに道は谷底へ向かっていて、この先に沢がある。
当然崖に無理やり付けたような道で、雑草や木々がもたれかかっていて非常に歩きづらい。
転びてもしたらそのまま谷底へ真っ逆さま…足下を気にしながら歩く為手間がかかる。
深い樹林帯の激下りをなんとか下り切ると、沢が見えてきた。
これこそが佐武流山最初の難所であり、檜俣川の渡渉だった。
一応飛石と滝ぎりぎりの浅い部分の2通りで綱が通してあり、どちらかを持って沢を渡る。
飛石の方が明らかに早そうだが、おそらく滑ったらずぶ濡れになって大怪我になりかねない。
こういう事もあろうかと思い…本日はこの前の鶏冠山攻略で懲りた事を思い出して、海水浴用のサンダルを用意してきた。
靴を履き替え、浅い部分を選択して沢を渡った。
上信越国境だけあって、雪解け直後思われる沢の水は非常に冷たく、まるで針で刺されるような痛みすら感じた……。
無心で足を運んでいき、なんとか檜俣川の渡渉を越えた。
再び登山靴に履き替え、これより本当の意味で佐武流山へ続く道へ挑む。
やはり思った通り凄まじい急登だった…おまけに泥濘や湿った岩が混ざっていて、登るのも楽ではない。
道は谷側に傾いていて、これまた転んだらひとたまりもない。
慎重に登っていくと、深い樹林帯に入り苔むした石ころだらけの急登に変わった。
どんどん足がもつれてきていう事を聞かないが、そんなことを佐武流山が甘くみてくれるはずもなく…連続する倒木や濡れた落ち葉の坂が続き、悉く体力を奪われる。
これこそ佐武流山が人を拒んできた噂が流れる理由であり、どこか大無間山のような恐ろしさを感じる。
長い急登に苦しめられていると、少しだけ緩やかになった。
その先には、物思平と呼ばれる場所があった。
これより佐武流山の稜線上に出たことになり、長い空中回廊を歩く。
稜線上に出たからといって、すぐ佐武流山に登れるわけではない。
そもそもこの稜線上にはワルサ峰が聳え立っていて、これを越えないと登ることができない。
稜線上は石楠花をはじめとした植物で生い茂り、木の根の急登が連続してあらわれる。
ひたすら登ると思っていたが、時折登り下りが発生する。
切戸のような細い道が出てくるようになり、垂直のロープ場を何度も登り下りしなければならない。
ロープ場の登り下りをなんとか越えると、再び木の根の急登が出てきた。
道の傍には銀竜草やイワカガミなどが咲いていて、いかにも初夏といった装いだった。
さらに登っていくと、西側が開けてくるようになり佐武流山の稜線が少しだけ見えてきた。
向こうには岩菅山や烏帽子岳が見えていて、深山に閉ざされた気分になる。
倒木を何度も乗り越え、木の根の急登に苦しめられていると、いきなり開けた場所に出た。
そこはワルサ峰だった……。
おもに東側が開けていて、目の前にはとてつもなく広い湿原を持つ苗場山が飛び込んできた。
すぐ向こう側には谷川岳の長大な峰々が連なり、地平線すれすれのところに八海山と越後駒ヶ岳がうっすら見えた。
此処でおやつと水分補給を済ませ、いよいよ主峰たる佐武流山へ挑む。
この先には西赤沢のコルがあり、その近くに苗場山へ続く道との分岐点がある。
ワルサ峰を通り抜けると、やや痩せた岩稜のような尾根道が出てきた。
東側は鋭く切れ落ちていて、そこそこ高さを煽られる。
木々の合間からは苗場山へ続く不成山をはじめとした稜線が見え、着実に上信越国境の最深部へ向かっていることを思わせる。
稜線上をしばらく登り下りを繰り返し、一旦大きく下ると西赤沢のコルが出てきた。
此処からいよいよ、佐武流山へ向けて最後の登りとなる。
コルから少しだけ登り返すと、西赤沢源頭分岐点があった。
この場所から新潟県と長野県の県境に突入して、東に進むと苗場山に行くことができる。
最後の登りはやはりきつく、雪解けの泥濘が混ざっていてなかなか足に負担がかかる。
石楠花が一部咲く急登を越えると、一気に開けてきた。
まさに天上へ続く稜線であり、眼下に広がる谷川連峰の稜線が素晴らしい。
此処からさらに登っていくと、ミツバオウレンの群生地があった。
この辺りから木々越しに西側を見ると、うっすらながら妙高山と火打山が見えた。
そこから泥濘んだ急登と笹の坂を登っていき、登り始めてから4時間を越えた頃遂に佐武流山の山頂にたどり着いた。
山頂には、壊れた標識と三角点が埋まっている。
約270°は木々に覆われているが、残った東側は開けていて、圧巻の絶景が広がっていた……。
目の前には苗場山と谷川岳の長大な稜線。
その向こうには越後三山をはじめとする利根川源流域、尾瀬の燧ヶ岳と至仏山の勇姿、さらに東側には日光連山と上州武尊山、皇海山、赤城山などを望むことができた。
少しだけ休み、佐武流山を下りる。
かつて大無間山、カムイエクウチカウシ、毛勝山、笈ヶ岳、赤牛岳などと一緒に“日本200名山の難関”として名を連ねていただけあって、その復路も途轍もなくきつい。
雲海に浮かぶ谷川岳を横目に、西赤沢源頭分岐点へ向けて下りていく。
時折開けた稜線の下りはやはり快適で、かつて挑んだあの苗場山を斜め上から見下ろすという新鮮な光景が広がっている。
高さと雰囲気はほぼ恵那山に近いが、その行程はどれだけ取り繕っても厳しいと言わざるを得ない。
泥濘んだ激下りを駆け下りて、東側がやや開けた稜線を通り抜ける。
泥濘を越えると今度は木の根の激下り…登りでは太腿の裏が痛めつけられたが、下りはやはり膝に負担がかかる。
上信越国境の深淵で膝を壊したら、どう考えても帰れなくなる。
転びないように慎重に下りるしかなかった。
笹の回廊をひたすら下りていき、上州武尊山が雲に隠れた頃西赤沢源頭分岐点に着いた。
此処から一旦樹林帯に入って、やや痩せた尾根を辿ってワルサ峰へ登り返す。
小刻みな登り下りが着実に体力を奪ってくる。
崖沿いの細尾根上からは、岩菅山や烏帽子岳、そしてこの佐武流山と並ぶ上信越国境の怪峰である鳥甲山が見えた。
痩せ尾根を少しだけ下ってしばらく歩くと、いよいよワルサ峰への登り返しが始まった。
すでにかなり疲れた状態…脚がまともに上がらず少し登っただけで息があがってしまう。
しかしこれを登らないと帰れない。
もたもたしてるとどんどん日が暮れてしまう。
ただでさえ佐武流山の標準所要時間は、半日近いと言われている。
つまり、あの北岳を遥かに超える時間がかかることを意味する。
帰りの激下りにロープ場、そして渡渉が控えていることを考えると、疲れがどっと増してくる。
木の根の急登をだらだら登っていくと、なんとかワルサ峰まで戻ってきた。
此処にておやつと水分補給をしておく。
この先にまともに休める場所はなく、ひたすら長い道を歩き続けなけばならない。
苗場山の大展望をしっかり目に焼き付け、いよいよ深い樹林帯の中に入る。
ワルサ峰を下りてしばらくは岩菅山などのお山が見えているが、ロープ場の激下りが出てくるようになると流石に見る暇がなくなる。
下りていくにつれてどんどん暑くなってくる。
流石に2000m級のお山とはいえ、下界の気温はもう真夏日になっていた…。
その熱気を浴びるようになり、汗が絶えず吹き出してくる。
ロープ場の連続した登り下りを通過するが、木の根も混ざっていて決して楽にはいかない。
岩菅山が見えなくなってきた頃、ようやくロープ場を抜けた。
足はかなりもつれていて、この後に控えるあの激下りが思いやられる。
樹林帯の中をひたすら駆け下りていくと、物思平が出てきた。
これより、檜俣川の渡渉へ向けて凄まじい激下りとなる。
ぬるぬるの岩や落ち葉、木の根に倒木など、疲れた足に容赦無く襲い掛かる。
どれだけ下りても沢の音は全く聞こえてこない…本当に下りているのか心配になる程だった。
暑さはより一層厳しくなり、このままいくと失速してしまう。
落ち葉に足をとられないように慎重に下りていくと、さらに急になった。
倒木を跨いだり乗り越えたりするが、その倒木自体もぬるぬるで滑りやすく、脚を乗せるのも一苦労。
10時半を回った頃、下から沢の音が聞こえてくるようになった。
泥濘んだ坂と濡れた石ころの激下りが、余計に神経をすり減らしてくる。
葛籠折れの激下りをなんとか下り切ると、檜俣川の渡渉が出てきた。
ビーチサンダルに履き替えて、沢を渡る。
熱が籠った足に冷たい水が気持ちいいと思っていたが、そんな甘い気持ちは足をつけてまもなく一瞬にして消し飛んだ。
やはり猛烈に冷たく、突き刺すような痛みが襲ってきた。
飛石で行きたかったが、転んで大怪我とずぶ濡れになるのだけはどうしても避けたかった。
大人しく浅い部分を渡るしかない。
そして冷たい水に苦しめれながら足を運んでいき、なんとか渡り切った。
登山靴に履き替え、崩壊林道へ続く急登を登り返す。
たかだか高さ100m程度の登り返したが、すでに脚の力はほぼすっからかんでまともに上がらない。
倒木や藪を跨ぐのでさえ疲れて時間がかかる。
崩れた斜面を横切って急な坂を登り返すと、ようやく崩壊林道まで戻ってきた。
崩壊林道まで来たら、あとはドロノキ平登山口までひたすら歩いていくのみである。
しかしその距離はおよそ5kmと、お世辞にも楽とはいえない。
下り一辺倒なら良かったのだが、この崩壊林道は地味に登り返すところがある。
さらに茂った雑草や倒木が立ちはだかり、せっかく詰められる林道歩きの時間も、これで全て台無し。
暑い日差しを浴びながら、崩壊林道をひたすら歩いていく。
志賀高原の烏帽子岳が見えなくなってくると、ようやく水平移動に変わった。
そこから程なくして、ドロノキ平まで戻ってきた。
此処からはほぼ下りの砂利道が続く。
大蛇の如くうねる砂利道をとにかく駆け下りる…雨上がりなのか、まだ雪が解けて間もなかったのかわからないが砂利道が湿っている。
砂利道の轍は泥濘んでいて、靴に水が染みたり足をとられたりする。
鬱陶しい林道をだらだら下りていくと、深い樹林帯に入った。
木々の合間からは、日に照らされた鳥甲山がわずかに見えていた。
鳥甲山も一応日本200名山に入っていて、これもまたやはり高難度という噂がある。
いつになるかわからないが、そのうち鳥甲山も行ってみたいところである。
そこから樹林帯の中を駆け下りていき、登り始めてから7時間半ほど経った頃ようやくドロノキ平登山口まで下りてくることができた。
この後、浦佐にてお食事、越後湯沢にて温泉へ寄ったのち帰宅の路へつく……。
夏の佐武流山にて、上信越国境最深部の秘境を堪能したウズ・トゥナとネロミェールであった。