黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳~八丁尾根~日向山ε=(ノ゚Д゚)ノあ、初アルプスです|*´∀`)ノシ)
甲斐駒ヶ岳・日向山
(山梨, 長野)
2023.08.27(日)
2 DAYS
ボクは未だに日本アルプスを知らない(* ̄ー ̄)そんなボクに初めて登るのはどの頂きが良いのだろうか(*´~`*)
地図を広げると北、中央、南と…(,,・д・)その中に目が止まったのがかつて八ヶ岳の真教寺尾根から眺めた突峰『甲斐駒ヶ岳』だ(´ω`*)鎖を掴みながら眺めた北岳と、共に突出した峰を良く憶えている(*´ω`*)そして、黒戸尾根、山に登れば時たまに聞くその尾根は日本三大急登の一つ(*´-`)どのようなものかまずは調べることにした(* ̄ー ̄)
黒戸尾根と延命行者
1816年に黒戸尾根が開かれ甲斐駒ヶ岳が開山された。開山した行者の名は延命行者『威力不動尊』、享年24歳である。
名は小尾権三郎、諏訪郡の庄屋の息子として生まれ諏訪の家老宅に仕えていたが元服を断り修験の道に入る。
それ以前に権三郎の父が、かつて長年に渡り甲斐駒ヶ岳開山を念願とした者だった。しかし長年に渡るも開山は果たせず、その思いは幼い頃から非凡の才のあった権三郎に受け継がれた。
父親から独自の修行を受けさせられながらとうとう二代に渡っての念願、甲斐駒ヶ岳開山を果たすべく若き権三郎は山麓へと向かう。当時有力者であった山麓名主であり管理者であった山田一族からの開山の許し、協力を得るためだった。しかしすぐには許可など下りず何度かに渡りやっと開山の許可を得た。
それからは黒戸尾根からの甲斐駒ヶ岳開山に向けて山に入る日々が続く。時には倒れてるところを村人に担がれて下りたともいう。そして、念願していた甲斐駒ヶ岳へ、登拝を果たした。21歳の頃である。
それから登拝路としての整備に当たり、また神道から延命行者の尊号を頂いた。亡くなる一年ほど前となる。
死因は不明らしいが、死ぬことを予見していた様子でもあったようで、世話になった山田一族に使っていた感謝の文とともに仏具を贈っていた。
その後、山田一族、権三郎の故郷、諏訪郡の村それぞれで延命行者の偉業を称えた駒ヶ岳講が結成され信徒を広げた。後に、延命行者は『威力不動尊』となり祀られることになった。
こうして調べて、延命行者の、甲斐駒ヶ岳を開山するためだけのような濃厚な生涯に驚かされた(*´-`)例えて、木曽御嶽信仰の創始である普寛行者はたしか30代に修験の道を極め上州武尊山を開山したのは70越えてからだ(* ̄ー ̄)わずか20代で偉業を果たした延命行者、最も多感な頃にただ一筋の祈願を果たすための生涯、黒戸尾根に詰まっているような気がしてならない(´ω`*)
さて、前置きは長くなった…本編にいこうか( ゚д゚)クワッ!
黒戸尾根の登り口は竹宇駒ヶ岳神社からだ(* ̄ー ̄)標高770メートル、ここから2200メートルの標高差を稼がなくてはならない、自然と暗い時分からの登山となる(; ・`ω・´)
おそらく、笹ノ平までは緩くこんなものなのかと思うかもしれない(*´-`)しかし進むにつれ峻険な登拝路となっていく(ーー;)
歩いていて思ったのが、よく整備された登山道だということだ(* ̄ー ̄)正直に言えば、歩きやすかった(´ω`*)危険な岩場、鎖場、梯子など随所にあるがしっかりと整備されてあるので歩きやすい(*´ー`*)これはまだ西洋的登山が甲斐駒ヶ岳に入り込む以前からの、たくさんの駒ヶ岳講社、講中登山が行われてきたからであろう、尾根道は硬く踏み固められ、岩場の花崗岩は踏み圧で階段状になっている(*´-`)『誰もが登拝できる山道を』今の新しい丸太梯子の下にはさらに古い梯子の残骸があり往時から整備に余念がなかった参道であったことが伺えた(´ω`*)道すがらに残されている多くの霊神碑、宝剣、祠等が信仰の厚さを物語っている(*´ー`*)
七丈小屋を過ぎ八合目ご来迎場に至れば甲斐駒ヶ岳の雄姿が近づく(* ̄ー ̄)花崗岩で出来た山容は近づくにつれ美しく、そして路も険しくなるε=┌(;・∀・)┘今回は避難小屋泊、60Lザックに七丈小屋で担ぎ直した水4.5リットル(+芋焼酎)、剥き出しの岩にザックを引っかけないように、慎重な登りとならざるを得なかった(; ・`ω・´)
ゆっくりと歩んだ先に人だかりの山頂祠が見える( *゚A゚)頂きに近づき北沢峠への分岐を越えたら、甲斐駒ヶ岳、登頂ですヽ( ・∀・)ノ眺望は、午前中からの気温上昇により発生したガスで大展望とはいかなかった(*´~`*)
ひとしきり、周りを見渡す(´ω`*)信州側からは古くは『白崩山』と呼ばれていたらしいが、まさにその名の通り、花崗岩により形成され敷き詰められたような白砂の頂きは他の峰々に類を見ないだろう(*´ー`*)そんな山頂にたくさんの登山者、人気のお山だということが良くわかった(*´ω`*)
さて、今回は避難小屋泊なので六合目小屋石室を目指す(* ̄ー ̄)甲斐駒ヶ岳から鋸岳への稜線上にある避難小屋だが、この稜線上は登山者を容易く受け付けない難路だ( ̄~ ̄;)六合目小屋までひたすら下るルート上は痩せた岩尾根、ガレ場、ザレ場、鎖場、藪漕ぎを強いられ、不明瞭な道には標識もない(ーー;)高いルーファイ能力が必要となってくるので正直に言えば黒戸尾根登攀よりも緊張していたルートだった(; ・`ω・´)そして想像以上に険しく、一気に標高を下げ続けやっと六合目小屋へと辿り着く_| ̄|○9時間を越える山歩きはボクの貧弱な体力筋力では等倍で歩くのが精一杯だった(;´Д`)
六合目小屋にザックを下ろせば水場にいってみるε=(ノ゚Д゚)ノ情報では枯れてることもあるらしく、だからこそ七丈小屋から水を担いできたのだが、昨夜の雨のおかげかコンコンと湧水が流れていた(*´∀`*)
小屋に戻ればいつものように掃除してから寝床を作る(ノ゚∀゚)ノそして小屋周りを散策、見える景色は南西に仙丈ヶ岳だ(*´ー`*)眺めながら明日のルートについてを考える( ・д・)明日は三ツ頭まで向かい烏帽子岳へ登ってから日向山まで下る八丁尾根ルートだ(*´-`)烏帽子岳への細い岩尾根、大岩山へのほぼ垂直の登攀、今回の山行の核心部であり自ずと緊張を強いられる(。-∀-)その緊張感を和らげるように担いできた芋焼酎を飲み干し眠りについた(´ω` )zzZ
夜中、一応星が見えないか外に出る|゚Д゚)))ソー雲で満天とはいかないが北西辺りは星がよく見える( *゚A゚)こんな山行でも担いできた三脚とカメラ、ただ、巨大ガレ場の小屋周り、闇の中撮影のための徘徊が出きなかった( ´~`)ゞ
翌朝、5時半頃に小屋を出る(* ̄ー ̄)晴天の朝焼けとはいかないが稜線からは中央アルプスが仙丈ヶ岳の右奥に良く見えた(*´∀`*)気持ちよい朝、三ツ頭を目指すε=(ノ゚Д゚)ノ
さて、この三ツ頭までのルート、注意点が『東側の獣道』なのだが、時たまにあるピンクテープに従えば獣道に入らされる(ーー;)おそらくは何人もの登山者が迷い道としてふみあとも残してるので導かれやすい(;・∀・)ボクも気付いた時には獣道となり、わかるところまで戻り三ツ頭まで直登したのだ( ̄~ ̄;)
三ツ頭から烏帽子岳へは細くなっていく稜線を慎重に進むε=┌(;・∀・)┘そして、まさに烏帽子の如くの突峰へと躍り出た(ノ゚∀゚)ノ
360度の展望だった( *゚A゚)甲斐駒ヶ岳はもちろん、鋸岳も良く見え八ヶ岳も間近い(*´∀`*)遠く北アルプスも眺めることが出来る大展望だった(*´ー`*)
烏帽子岳から八丁尾根を下り大岩山への登攀へと取り付く(* ̄ー ̄)大岩山まで100メートルほど、垂直のような斜面をまさによじ登るのだ( *゚A゚)梯子、鎖、ワイヤーロープがしっかりと整備されているが、逆になければとてもじゃないがよじ登れない(; ・`ω・´)手にする鎖のありがたさ、整備に従事した方々に自然と頭が垂れるほどの険しさだった(*´Д`)
登りきれば山頂までは平たくこれで核心部は越えられたと安堵した(。-∀-)あとは長い日向山への尾根を進むだけだε=(ノ゚Д゚)ノ
鞍掛山の分岐まで来れば破線ではなくなり気持ちも楽になる(*´∀`)♪あとは天空のビーチとも称される白砂の山頂まで一気に歩きれば、日向山、登頂ですヽ( ・∀・)ノまさにビーチとも言える山頂、花崗岩が露出し風化され粉々になったものがさらに細かく、白いのは石英が多いからだろう(*´ー`*)
やっとここまで来た(´ω`*)振り返り歩いた稜線をなぞるように眺める甲斐駒ヶ岳はガスに包まれいた(* ̄ー ̄)あとは竹宇駒ヶ岳神社へと下るのみ、北に八ヶ岳が間近い眺望に今日初めて腰を下ろすことができた(*´∀`*)ホッ
駒ヶ岳といえば全国に18もあるらしいがその名の由来は幾つもある(´ω`*)山容が馬面のようにのっぺりしてたりとか、雪解けの雪形が馬のようだとか…甲斐駒ヶ岳の場合はどうやら良馬の産地だかららしい(*´-`)かの聖徳太子も甲斐の烏駒を選び富士山頂きに行ったという伝説もあり、古くから大和朝廷にも献上されるほどに甲斐の黒駒は良馬だったらしい(´ω`*)
山頂に祀られる大己貴命、少彦名命も『出雲の国譲り』に由来してるそうで、建御雷神の化身である白馬が山頂に眠るという伝説もある( *゚A゚)
修験の山として開山された黒戸尾根甲斐駒ヶ岳だが、それ以前に山頂には駒形権現が祀られていた(* ̄ー ̄)甲斐国誌に『山頂巌窟の中に駒形権現を安置する所あり』と残されてるようで、国誌の編纂が文化11年、延命行者が到頂した二年前にはすでに登頂は成されていたということになる(*´-`)
ただ、新しい登拝路として黒戸尾根を開いたことは大きな偉業だろう(*´ー`*)多くの修験者がその険しさに祈願成就を求めて頂きを目指したに違いない(*´ω`*)その先達者として、延命行者は威力不動尊として甲斐駒ヶ岳に祀られるようになったのだ(* ̄ー ̄)
とまぁ、甲斐駒ヶ岳、黒戸尾根のことを調べてみたら興味が尽きなかった(*´∀`)♪たくさんの石碑石仏、宝剣、地名の由来を考えればそれだけで時間が過ぎ去る…まぁ、このようなことに興味を持ちながら登る者などそうそういないだろうか((ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
初アルプスの第一座目として甲斐駒ヶ岳を選んだが、まぁ、しばらくはもうよいかな( ´~`)ゞとりあえずアルプス系の地図は棚に仕舞おう(*´-`)アルプスよりも他に気になるお山が地方方々にあるのだ(*´ェ`*)そして次のお山の地図を棚から引っ張り出し眺めては芋焼酎を呑んで今回も〆るのである((*゚∀゚)=3プハー