福井市

出典: Wikipedia

福井市(ふくいし)は、福井県北部(嶺北)の都市で、同県の県庁所在地である。国から特例市に指定されている。旧足羽郡。 【概要】 戦国時代の武将柴田勝家の北ノ庄城から城下町として形成しはじめ、江戸時代に福居、福井と地名を変えた親藩統治を経て、現在もなお県政の中心として福井城天守のあった場所に福井県庁がそびえ立つ。また江戸時代福井は日本屈指の大都市で朝倉氏滅亡後一乗谷から移転した文化人の影響もあり華やかな文化や行事が行われていた。 1945年(昭和20年)7月19日の福井空襲、1948年(昭和23年)6月に発生し気象庁が震度7を設定するきっかけとなった福井地震、9月九頭竜川堤防決壊の短期間3度にわたり当時の市のほぼ全域が受けた壊滅的被害から復興し、不死鳥のまちを宣言している。市内中心部を流れる足羽川の堤防上は河川敷として日本最長の桜並木となっており、春には花見客で賑わう。 2002年(平成14年)の「21世紀を拓く創造プラン」(第5次福井市総合計画)策定より、「人、街、自然、文化の『交・響・楽・彩 ふくい』」をスローガンに街づくりを進めている。

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福井市

  • 文殊山(もんじゅさん)は、福井県福井市と鯖江市の境にある山。 越前五山のひとつの山。標高は365メートルである。毎年4月25日には文殊祭りが行われており、5月には福井市足羽中学校による文殊山競歩大会が行われる。 信仰の山でありながら住民のハイキングコースとして親しまれ、方々に登り口があり色々なコースが楽しめる。福井市・鯖江市などの小学校の遠足にもよく選ばれている。 カタクリ・ツツジ・アジサイ等、秋には紅葉狩りなど自然が豊かであり、登山道からは奥越山塊の上に白山も見え、福井平野も一望できる。 なお、この山にはこの他に胎内潜・新宮松・経々岩などの遺跡がある。

  • 下市山

    標高 260 m

    下市山(しもいちやま)は、福井県福井市の西部にある山である。 標高は260mである。福井平野を一望できる。 山にはミルキングロードと題した登山道が複数あり、みくりや登り口からなら約15分ほどで第2展望台につく。 第2展望台からの眺めは山頂にも差をつけない。 また登山道の途中には神社等の遺跡もある。 下市山には大小あわせて7カ所以上の登り口がある。

  • 足羽山

    標高 117 m

    足羽山(あすわやま)は、福井県福井市にある山である。 福井平野の中心にある独立した小山で、多数の古墳群がある。足羽川の南岸、福井市中心市街地から見て南西の郊外にあり、アクセスが容易な緑地として市民の憩いの場となっている。散策や夜景を楽しむ人も多い。 山上は足羽山公園として整備され、桜の名所となっている。足羽川・足羽山公園として日本さくら名所100選に指定されている。桜のほかアジサイも有名で、福井市はクラウドファンディングによる寄付で植栽を拡大している。 また「ふくい歴史百景」にも選定されている。1583年の豊臣秀吉の北ノ庄城(柴田勝家)攻めの際、秀吉は足羽山上、天魔が池付近に陣取ったと伝えられている。 足羽山と呼ばれるようになったのは、明治期以降のことで、江戸時代は、木田山、愛宕山と呼ばれた。福井藩の触書から、すでに18世紀前半には大勢の遊山客で賑わっていたことがわかる。さらに19世紀に入ると北東側から登山道である愛宕坂には、楊弓屋や田楽屋がたち並んでいたという。 ミニ動物園 、フィールドアスレチック、継体天皇像、通年営業の数軒の茶店などもある。また、福井県内をエリアとする放送局の送信所も置かれている。1953年に足羽山公園に開館した福井市立郷土歴史博物館は、2004年3月に市中心部の宝永3丁目へ移転した。 足羽山の西側部分にはかつて火葬場があったが、1999年に同市安田町に新火葬場(福井市聖苑)が完成したため解体され、旧火葬場の周辺は市営墓地となった。 墓地周辺には石切場があり、青みがかった火山礫凝灰岩「笏谷石(しゃくだにいし)」が産出した。2005年8月、市営墓地の一部が深さ30m程も陥没、崩壊する事故があり、笏谷石の採石場の跡が地下に広く分布し、これがおりからの大雨によって陥没したものと見られている。

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