400年前からある"吹き場のまち"  多田銀山精錬所の街 山下町・下財町 

2017.06.16(金) 日帰り

川西市のと山下町と下財町(げざいちょう)は、今から400年以上も前の戦国時代に造られた町である。 多田銀銅山奇妙山親鉉からの銅鉱精錬所とその従事者の居住地として、江戸時代には、幕府直領の銀銅鉱の精錬所町として隆盛をきわめた。 下財町の北部には、昭和10年ごろまで操業していた平安家の精錬所跡がのこっており、旧平安邸が川西市郷土資料館のとして当時精錬所で用いられた道具類や発掘調査の成果を展示されている。

能勢殿山下駅 レトロな電車
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能勢殿山下駅 レトロな電車

能勢殿山下駅 レトロな電車

山下町
塩川氏の居城山下城の城下町でもあるが、多田銀銅山から産出した銅鉱の精錬所とその従事者が居住した町。江戸時代には、幕府直領の銀銅鉱の精錬所町として隆盛をきわめた。

山下町 塩川氏の居城山下城の城下町でもあるが、多田銀銅山から産出した銅鉱の精錬所とその従事者が居住した町。江戸時代には、幕府直領の銀銅鉱の精錬所町として隆盛をきわめた。

山下町 塩川氏の居城山下城の城下町でもあるが、多田銀銅山から産出した銅鉱の精錬所とその従事者が居住した町。江戸時代には、幕府直領の銀銅鉱の精錬所町として隆盛をきわめた。

東谷村道路元標

東谷村道路元標

東谷村道路元標

東谷小学校 
明治6年開校 半分は住民の寄付により建設、昭和9年に鉄筋コンクリート造りとなった。
東谷村は銅の精錬で裕福な村であった。

東谷小学校  明治6年開校 半分は住民の寄付により建設、昭和9年に鉄筋コンクリート造りとなった。 東谷村は銅の精錬で裕福な村であった。

東谷小学校  明治6年開校 半分は住民の寄付により建設、昭和9年に鉄筋コンクリート造りとなった。 東谷村は銅の精錬で裕福な村であった。

珍しい二宮金次郎像

珍しい二宮金次郎像

珍しい二宮金次郎像

城山(標高:181.4m)の頂上に塩川氏の山下城があった。

城山(標高:181.4m)の頂上に塩川氏の山下城があった。

城山(標高:181.4m)の頂上に塩川氏の山下城があった。

碁盤の目の町 城下町の片鱗

碁盤の目の町 城下町の片鱗

碁盤の目の町 城下町の片鱗

「からみ」の石垣
「からみ」とは銅鉱石から銅を採取した後の「カス」のことで、銅鉱石を精錬すると大量に発生するもの

「からみ」の石垣 「からみ」とは銅鉱石から銅を採取した後の「カス」のことで、銅鉱石を精錬すると大量に発生するもの

「からみ」の石垣 「からみ」とは銅鉱石から銅を採取した後の「カス」のことで、銅鉱石を精錬すると大量に発生するもの

「からみ」には銅が残っていて 朝鮮戦争時高く売れたそうだ。

「からみ」には銅が残っていて 朝鮮戦争時高く売れたそうだ。

「からみ」には銅が残っていて 朝鮮戦争時高く売れたそうだ。

「からみ」で造られた土塀

「からみ」で造られた土塀

「からみ」で造られた土塀

郷土館 多田銀山の精錬所を営んだ平安家の邸宅「旧平安邸」を施設として昭和63年(1988年)11月に開館した。

郷土館 多田銀山の精錬所を営んだ平安家の邸宅「旧平安邸」を施設として昭和63年(1988年)11月に開館した。

郷土館 多田銀山の精錬所を営んだ平安家の邸宅「旧平安邸」を施設として昭和63年(1988年)11月に開館した。

かつて精錬所があった広大な敷地内には、近代和風建築の「旧平安邸」、西洋館の「旧平賀邸」、現代建築のミューゼレスポアール、アトリエ平通の展示施設が点在する。

かつて精錬所があった広大な敷地内には、近代和風建築の「旧平安邸」、西洋館の「旧平賀邸」、現代建築のミューゼレスポアール、アトリエ平通の展示施設が点在する。

かつて精錬所があった広大な敷地内には、近代和風建築の「旧平安邸」、西洋館の「旧平賀邸」、現代建築のミューゼレスポアール、アトリエ平通の展示施設が点在する。

旧平安邸 贅を尽くした木を使用

旧平安邸 贅を尽くした木を使用

旧平安邸 贅を尽くした木を使用

風呂 となりの部屋で湯を沸かし 循環している

風呂 となりの部屋で湯を沸かし 循環している

風呂 となりの部屋で湯を沸かし 循環している

「箸の展示室」一色八郎コレクション

「箸の展示室」一色八郎コレクション

「箸の展示室」一色八郎コレクション

箸を使うと脳を使う

箸を使うと脳を使う

箸を使うと脳を使う

旧平賀邸はテレビドラマや映画でロケに使われた

旧平賀邸はテレビドラマや映画でロケに使われた

旧平賀邸はテレビドラマや映画でロケに使われた

白い壁の蔵

白い壁の蔵

白い壁の蔵

鉱石

鉱石

鉱石

「からみ」

「からみ」

「からみ」

明治の頃の精錬所  高い煙突がある  昭和10年ごろまで操業していた。

明治の頃の精錬所  高い煙突がある  昭和10年ごろまで操業していた。

明治の頃の精錬所  高い煙突がある  昭和10年ごろまで操業していた。

最近の発掘の写真  

最近の発掘の写真

最近の発掘の写真  

旧平賀邸 - 大正7年に日本最初の工学博士平賀義美の本邸として竣工、平成2年11月川西市小戸から移築。国登録有形文化財、ひょうご近代住宅100選。

旧平賀邸 - 大正7年に日本最初の工学博士平賀義美の本邸として竣工、平成2年11月川西市小戸から移築。国登録有形文化財、ひょうご近代住宅100選。

旧平賀邸 - 大正7年に日本最初の工学博士平賀義美の本邸として竣工、平成2年11月川西市小戸から移築。国登録有形文化財、ひょうご近代住宅100選。

門から芝生が「まっさん」の撮影に使われた

門から芝生が「まっさん」の撮影に使われた

門から芝生が「まっさん」の撮影に使われた

旧平賀邸内

旧平賀邸内

旧平賀邸内

精錬所跡

精錬所跡

精錬所跡

「からみ」捨て場
山の様に積み上げられていたが 銅が採れるので朝鮮戦争時持っていかれた

「からみ」捨て場 山の様に積み上げられていたが 銅が採れるので朝鮮戦争時持っていかれた

「からみ」捨て場 山の様に積み上げられていたが 銅が採れるので朝鮮戦争時持っていかれた

「からみ」 バケツに受けていた

「からみ」 バケツに受けていた

「からみ」 バケツに受けていた

アトリエ平通 - 平通武男のアトリエを模した美術館。平成22年2月開館。絵画教室等も開催。

アトリエ平通 - 平通武男のアトリエを模した美術館。平成22年2月開館。絵画教室等も開催。

アトリエ平通 - 平通武男のアトリエを模した美術館。平成22年2月開館。絵画教室等も開催。

アトリエ内

アトリエ内

アトリエ内

能勢殿山下駅 レトロな電車

山下町 塩川氏の居城山下城の城下町でもあるが、多田銀銅山から産出した銅鉱の精錬所とその従事者が居住した町。江戸時代には、幕府直領の銀銅鉱の精錬所町として隆盛をきわめた。

東谷村道路元標

東谷小学校  明治6年開校 半分は住民の寄付により建設、昭和9年に鉄筋コンクリート造りとなった。 東谷村は銅の精錬で裕福な村であった。

珍しい二宮金次郎像

城山(標高:181.4m)の頂上に塩川氏の山下城があった。

碁盤の目の町 城下町の片鱗

「からみ」の石垣 「からみ」とは銅鉱石から銅を採取した後の「カス」のことで、銅鉱石を精錬すると大量に発生するもの

「からみ」には銅が残っていて 朝鮮戦争時高く売れたそうだ。

「からみ」で造られた土塀

郷土館 多田銀山の精錬所を営んだ平安家の邸宅「旧平安邸」を施設として昭和63年(1988年)11月に開館した。

かつて精錬所があった広大な敷地内には、近代和風建築の「旧平安邸」、西洋館の「旧平賀邸」、現代建築のミューゼレスポアール、アトリエ平通の展示施設が点在する。

旧平安邸 贅を尽くした木を使用

風呂 となりの部屋で湯を沸かし 循環している

「箸の展示室」一色八郎コレクション

箸を使うと脳を使う

旧平賀邸はテレビドラマや映画でロケに使われた

白い壁の蔵

鉱石

「からみ」

明治の頃の精錬所  高い煙突がある  昭和10年ごろまで操業していた。

最近の発掘の写真  

旧平賀邸 - 大正7年に日本最初の工学博士平賀義美の本邸として竣工、平成2年11月川西市小戸から移築。国登録有形文化財、ひょうご近代住宅100選。

門から芝生が「まっさん」の撮影に使われた

旧平賀邸内

精錬所跡

「からみ」捨て場 山の様に積み上げられていたが 銅が採れるので朝鮮戦争時持っていかれた

「からみ」 バケツに受けていた

アトリエ平通 - 平通武男のアトリエを模した美術館。平成22年2月開館。絵画教室等も開催。

アトリエ内