またまた国見山越え、大住虚空蔵谷まで

2021.01.06(水) 日帰り

 またまた「国見山越え」ですが、越えただけではあまり意味もないので尊延寺経由、甘南備山、さらに虚空蔵谷の滝を巡るコースを考えました。これらのコースは人気コースのようで多くの方が歩いていますが、一応、「葛城北峯の修験の宿」の探索を念頭に置いています。 ■国見山越えの道  「枚方の歴史」(瀬川義則、馬部隆弘ら、松籟社)をみていると、国見山は昔から地元の人々から「高峯」と呼ばれていたという記述があるので「葛城北峯の修験の宿」の「高峯」は、やはり国見山でしょう。その次は尊延寺(波多寺)は分かっていますが、その尊延寺の道を確認したい。国見山から尊延寺に降りる明治の陸測図の道は歩いてみましたが、それに関連して今の地理院地図にある破線路を歩いてみたい。これが第一の目的です。 2020/3/27(明治陸測図破線路);https://yamap.com/activities/5855343 2020/3/13(尊延寺からの谷道);https://yamap.com/activities/5848831 2020/3/03(尊延寺の波多寺);https://yamap.com/activities/5754982 ■尊延寺の次の宿は?  さらに、尊延寺の次(田寺もしくは田九十)がさっぱり分かっていないのです。三井寺の行者さんも樟葉の久修園院に無理やりこじつけみたいです。ここでは甘南備山(神南備神社・廃甘南備寺)あるいは、大住の虚空蔵谷の滝を想定してみました。 「三井寺と修験道」:http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/msyugendo/03.htm その根拠は・・・全くありません。あるとすれば虚空蔵谷の滝で滝行ができそうというくらいですかね。あと、甘南備山にあったという(元)甘南備寺跡地には石標の横の案内板に「天平年間(729年~749年)行基により創建と伝えるが、それ以前に役行者が柴灯護摩(サイトウゴマ)の秘法を修していたという。」という記述があるくらいです。 戸原さん;http://www.y-tohara.com/kannabi.html とりあえず行ってみなければ・・・ ■津田はどうかな?  今日は津田から入ります。型通り源氏の滝から登ろうとしていましたが、歩くのはチト遠いという横着心で津田だからにして、一応津田のことを調べておりました。  Localwikiを見ていると・・・  【津田の圓通寺は天平時代、興福寺の僧宣教大師が円通谷の平瀬に開基。葛城修験道場として隆盛を極めたが衰退していった。この寺は津田の地名のルーツとなった古代寺院「津田寺」を起源とする。  寛文9年(1669)釈迦堂を再興  元禄13年(1700)頃、釈迦堂を津田春日神社境内に移築  元禄14年(1701)、浄土宗知恩院末の遣教山円通寺となる  宝暦11年(1761)、現在地(津田元町二丁目)に移転、本堂を建立】 とあります。このwikiは引用文献が「菅原生涯学習市民センター資料」とあるだけでオリジナルが不明なので、少し調べてみると、『興福寺官務牒疎』に「開元寺 徳泉寺 津田寺 在同郡(交野)倶宣教大師開基坊舎八舎宛有之」と記されているとありました。 大阪再発見!;http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-2/newpage1032.htm 等多数 またややこしいことを!。「興福寺官務牒疎」はかの有名な椿井文書(江戸時代後期に作成)で偽作という評価が高いのです。      」  しかし、大阪再発見!のサイトでは、【1682年(天和2年)成立の『当郷旧跡名勝誌』の「円通寺事」には、えんず谷にあった円通寺の所在を示すとともに、渚の院を開いた惟喬親王が当地で狩猟のとき門前に雪女が現れたことやえんず谷の奥で光物が出て障害があったため住僧がなく、修行をつんだ山伏が蟹の化身を祈りにより退治したが、その後寺は衰退したことなどを記されている。  平安時代に著された『諸山縁起』には葛城北峰の宿として、宣教大師開創の寺院が登場すること、現在の円通寺の境内には行者堂がある】云々と書かれていて興味深いです。「当郷旧跡名所誌」は馬部隆弘先生のブログによると「あやしい」ということですが、ボクはもとより正誤の判断基準など持ってないので注意の上で引用しておきます。まあ行って見るだけですので。 https://researchmap.jp/read0106719/research_blogs ■歩いてみて  国見山越えの道に関して、今回の尾根道はところどころに踏み跡らしきものはありましたが、ほとんど廃道で、おまけに降りる先が工事中だったんで、次の尾根に迂回しました。そんな訳で参考にはなりませんが、前回明治陸測図の破線路は歩いたので、通ったことにしておきます。堰堤工事はもう少し続くようなんで、国見山からは穂谷に降りるしかないようです。  廃甘南備寺(跡)に行けなかったのは残念ですが、甘南備山(甘南備神社)は行者さんにとっても、虚空蔵谷の滝に行く途中に立ち寄ってもおかしくはないと思いました。サイト情報からだけの感想ですが。  虚空蔵谷の滝に行く前に虚空蔵堂を通りますが、その虚空蔵堂は立派な磐座を背負っていて感動モノでした。滝は山とは言えないほどの低山の谷にありますが、滝らしい立派な滝で、十分に滝行もできたのではないかと思いました。  京田辺道中記によると【虚空蔵堂は承久3(1221)年に大住家友当時の領主が建立。 地元の人には「こくぞうさん」の愛称で親しまれている。以前は法輪山葛井寺と呼ばれる。足利義満の時代に兵火で寺は焼失したが、お堂だけが残り、現在に至る。 ご本尊は、知恵と福徳にご利益があるといわれている虚空蔵菩薩。】ということで、修験との関わりの記述はありませんが、虚空蔵谷の滝は虚空蔵堂を抱える磐座あたりを拠点にして滝行するにはもってこいの滝と思われました。 京田辺道中記(京田辺市観光協会);http://kyotana.be/object/detail/6/  一方では、尊延寺から甘南備山経由、尾根道を通って虚空蔵谷へのルートは、「葛城北峯の修験の宿」の道と考えなくとも、ハイキング道としてもなかなか良き道だと思いました。みなさんが好んで歩くはずだと。  トップ写真はなんのことか分からないでしょうが、虚空蔵堂背後の磐座。あまりに立派だったので、これを採用しました。 ■接近遭遇 国見山周辺:ハイカー約15名(2〜10m)、府職員2名(2m) 甘南備山周辺:ハイカー、ランナ-など約8名(2〜10m) ■コースタイム 10:10 JR津田 10:27 津田春日神社 10:34 10:40 コンビニ■15分準備休憩 10:55 11:00 圓通寺 11:21 円通谷口 12:00 国見山 12:05 尾根下降点■19分休憩 12:24 12:31 尾根分岐 12:37 尾根引き返し点 12:50 谷着地 13:14 厳島神社 13:21 13:29 尊延寺 13:33 13:54 扇池端■16分昼食休憩 14:10 14:20 神南備神社 14:25 14:36 三角点 14:54 ゴルフ場境界道入り口 15:14 野外活動センター東屋 15:29 虚空蔵堂 15:36 虚空蔵滝 15:53 16:08 堤防下■6分休憩 16:14 16:30 JR松井山手 ---------------------------------- 18.3km/6時間21分(山旅ロガー読み、沿面距離、うち休憩56分)

津田から逆コースなのでちょっとウロウロしまして、やっと旧道に復帰。

津田から逆コースなのでちょっとウロウロしまして、やっと旧道に復帰。

津田から逆コースなのでちょっとウロウロしまして、やっと旧道に復帰。

まずは春日神社にお詣り。初詣を兼ねます。このバリア?は何?ちょうど通りかかった宮司さんに聞くと「ここで頭を下げるように」と。なるほど!
あたりを見渡しましたが狛犬いない!

まずは春日神社にお詣り。初詣を兼ねます。このバリア?は何?ちょうど通りかかった宮司さんに聞くと「ここで頭を下げるように」と。なるほど! あたりを見渡しましたが狛犬いない!

まずは春日神社にお詣り。初詣を兼ねます。このバリア?は何?ちょうど通りかかった宮司さんに聞くと「ここで頭を下げるように」と。なるほど! あたりを見渡しましたが狛犬いない!

拝殿。何度か来ていますが、見違えるほど立派でした。もともと津田の産土神ですが、春日4神(武甕槌命・經津主命・天児屋根命・比咩大神)を勧請して嘉吉2(1442年)に三の宮(穂谷)の内宮となした」と。本殿は流石に美しい!
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拝殿。何度か来ていますが、見違えるほど立派でした。もともと津田の産土神ですが、春日4神(武甕槌命・經津主命・天児屋根命・比咩大神)を勧請して嘉吉2(1442年)に三の宮(穂谷)の内宮となした」と。本殿は流石に美しい!

拝殿。何度か来ていますが、見違えるほど立派でした。もともと津田の産土神ですが、春日4神(武甕槌命・經津主命・天児屋根命・比咩大神)を勧請して嘉吉2(1442年)に三の宮(穂谷)の内宮となした」と。本殿は流石に美しい!

コンビニで諸々準備して「山根の道」を入っていく。脇道に少し入ると現在の円通寺。
この後、円通谷から行こうとしたが、工事中で遠慮した。

コンビニで諸々準備して「山根の道」を入っていく。脇道に少し入ると現在の円通寺。 この後、円通谷から行こうとしたが、工事中で遠慮した。

コンビニで諸々準備して「山根の道」を入っていく。脇道に少し入ると現在の円通寺。 この後、円通谷から行こうとしたが、工事中で遠慮した。

引き返して一般ルートから。途中でマスクもしないおっさんが降りてくると思ったら見覚えの顔で、よく見たら元同僚のRチャンだった。なんでこんな所に!しばし昔話歓談(マスク外し!)お互い元気そうで良かった。お互い運動せなアカンと言いながら分かれた。考えてみると約20年ぶり。
国見山は先客2名で、六甲方面だけ撮って退散。

引き返して一般ルートから。途中でマスクもしないおっさんが降りてくると思ったら見覚えの顔で、よく見たら元同僚のRチャンだった。なんでこんな所に!しばし昔話歓談(マスク外し!)お互い元気そうで良かった。お互い運動せなアカンと言いながら分かれた。考えてみると約20年ぶり。 国見山は先客2名で、六甲方面だけ撮って退散。

引き返して一般ルートから。途中でマスクもしないおっさんが降りてくると思ったら見覚えの顔で、よく見たら元同僚のRチャンだった。なんでこんな所に!しばし昔話歓談(マスク外し!)お互い元気そうで良かった。お互い運動せなアカンと言いながら分かれた。考えてみると約20年ぶり。 国見山は先客2名で、六甲方面だけ撮って退散。

休憩ベンチを過ぎた所にある小ピークから目的の尾根を覗くがあまり良く見えない。ここでしばし休憩。

休憩ベンチを過ぎた所にある小ピークから目的の尾根を覗くがあまり良く見えない。ここでしばし休憩。

休憩ベンチを過ぎた所にある小ピークから目的の尾根を覗くがあまり良く見えない。ここでしばし休憩。

休憩後、意を決して突入。最初だけ猛烈なササだったが、少し降ると尾根芯は普通のブッシュになった。

休憩後、意を決して突入。最初だけ猛烈なササだったが、少し降ると尾根芯は普通のブッシュになった。

休憩後、意を決して突入。最初だけ猛烈なササだったが、少し降ると尾根芯は普通のブッシュになった。

ところどころ踏み跡っぽい場所はあるが、とても破線路とは思えない。完全廃道やな。

ところどころ踏み跡っぽい場所はあるが、とても破線路とは思えない。完全廃道やな。

ところどころ踏み跡っぽい場所はあるが、とても破線路とは思えない。完全廃道やな。

10分ほど格闘して尾根分岐まできた。この先踏み跡はありそうだが、ここで右折して降る。

10分ほど格闘して尾根分岐まできた。この先踏み跡はありそうだが、ここで右折して降る。

10分ほど格闘して尾根分岐まできた。この先踏み跡はありそうだが、ここで右折して降る。

右折の尾根。まずまず降れる。
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右折の尾根。まずまず降れる。

右折の尾根。まずまず降れる。

5,6分降ると下の方でブルの音がする。はあ、工事中か!
ここで降りるわけには行かないので、次の尾根までトラバースした。

5,6分降ると下の方でブルの音がする。はあ、工事中か! ここで降りるわけには行かないので、次の尾根までトラバースした。

5,6分降ると下の方でブルの音がする。はあ、工事中か! ここで降りるわけには行かないので、次の尾根までトラバースした。

次の尾根まで来てトラバースしてきた谷を振り返る。

次の尾根まで来てトラバースしてきた谷を振り返る。

次の尾根まで来てトラバースしてきた谷を振り返る。

とりあえず降るしかない。

とりあえず降るしかない。

とりあえず降るしかない。

降りた先は堰堤の横だった。ヤレヤレ。あまり参考にはならない尾根降りだった。
さて、尊延寺(波多寺)へ向かう。

降りた先は堰堤の横だった。ヤレヤレ。あまり参考にはならない尾根降りだった。 さて、尊延寺(波多寺)へ向かう。

降りた先は堰堤の横だった。ヤレヤレ。あまり参考にはならない尾根降りだった。 さて、尊延寺(波多寺)へ向かう。

農道で近道して、さらに墓地を通らせていただく。

農道で近道して、さらに墓地を通らせていただく。

農道で近道して、さらに墓地を通らせていただく。

近道のはずが大回りして厳島神社にお詣り。立派な門松がこしらえてあった。厳島神社は村の鎮守として平安時代末乃鎌倉時代の創立、ご祭神は市杵島姫命。海上守護の神航海安全及び漁民の豊漁などの信仰をもつ。奈良・春日神社の旧社殿を譲り受けた“春日移し”(文久3年1863)。ところが社殿は木々に隠れてよく見えなかった。

近道のはずが大回りして厳島神社にお詣り。立派な門松がこしらえてあった。厳島神社は村の鎮守として平安時代末乃鎌倉時代の創立、ご祭神は市杵島姫命。海上守護の神航海安全及び漁民の豊漁などの信仰をもつ。奈良・春日神社の旧社殿を譲り受けた“春日移し”(文久3年1863)。ところが社殿は木々に隠れてよく見えなかった。

近道のはずが大回りして厳島神社にお詣り。立派な門松がこしらえてあった。厳島神社は村の鎮守として平安時代末乃鎌倉時代の創立、ご祭神は市杵島姫命。海上守護の神航海安全及び漁民の豊漁などの信仰をもつ。奈良・春日神社の旧社殿を譲り受けた“春日移し”(文久3年1863)。ところが社殿は木々に隠れてよく見えなかった。

これは末社の春日神社本殿。どうしてもこちらのほうが立派に見える。厳島神社の旧本殿を移築したもので、室町中期から後期にかけての建造と推定。
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これは末社の春日神社本殿。どうしてもこちらのほうが立派に見える。厳島神社の旧本殿を移築したもので、室町中期から後期にかけての建造と推定。

これは末社の春日神社本殿。どうしてもこちらのほうが立派に見える。厳島神社の旧本殿を移築したもので、室町中期から後期にかけての建造と推定。

狛犬はよく見るタイプ。
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狛犬はよく見るタイプ。

狛犬はよく見るタイプ。

あ!
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あ!

あ!

せっかくなので尊延寺の幡山尊延寺にお詣り。本堂は省略させていただいて、波多寺の名を引いている幡山堂、開山堂ともいう。

せっかくなので尊延寺の幡山尊延寺にお詣り。本堂は省略させていただいて、波多寺の名を引いている幡山堂、開山堂ともいう。

せっかくなので尊延寺の幡山尊延寺にお詣り。本堂は省略させていただいて、波多寺の名を引いている幡山堂、開山堂ともいう。

大師堂。中にランプが点いていたので格子の間から覗かせていただいた。
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大師堂。中にランプが点いていたので格子の間から覗かせていただいた。

大師堂。中にランプが点いていたので格子の間から覗かせていただいた。

弘法大師。
詳しくは、https://sonenji.jp/guide.htm
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弘法大師。 詳しくは、https://sonenji.jp/guide.htm

弘法大師。 詳しくは、https://sonenji.jp/guide.htm

さて気を入れ替えて甘南備山に向かう。尊延寺からの道は「半合農道」というらしい。よい田舎道の雰囲気だった。こういう丘の景色が好み。この先で国道を渡る。

さて気を入れ替えて甘南備山に向かう。尊延寺からの道は「半合農道」というらしい。よい田舎道の雰囲気だった。こういう丘の景色が好み。この先で国道を渡る。

さて気を入れ替えて甘南備山に向かう。尊延寺からの道は「半合農道」というらしい。よい田舎道の雰囲気だった。こういう丘の景色が好み。この先で国道を渡る。

扇池

扇池

扇池

どこが山?という感じの甘南備山。
池を越えたところで昼食休憩した。

どこが山?という感じの甘南備山。 池を越えたところで昼食休憩した。

どこが山?という感じの甘南備山。 池を越えたところで昼食休憩した。

野鳥の小道だったか、ちょうどこられた近場の女性ハイカーと喋りながら登る。登った先でメインロードと合流。
案内図を見ているとこの近くに雨乞いの井戸とか竜王谷、竜王の森とかあるのでいつかは行ってみたい。

野鳥の小道だったか、ちょうどこられた近場の女性ハイカーと喋りながら登る。登った先でメインロードと合流。 案内図を見ているとこの近くに雨乞いの井戸とか竜王谷、竜王の森とかあるのでいつかは行ってみたい。

野鳥の小道だったか、ちょうどこられた近場の女性ハイカーと喋りながら登る。登った先でメインロードと合流。 案内図を見ているとこの近くに雨乞いの井戸とか竜王谷、竜王の森とかあるのでいつかは行ってみたい。

神南備神社。祭神はアマテラス、ウガヤフキアヘズ、オオクニヌシ、アメノコヤネとあるが本来は一柱だそうだ(神名不明)。

神南備神社。祭神はアマテラス、ウガヤフキアヘズ、オオクニヌシ、アメノコヤネとあるが本来は一柱だそうだ(神名不明)。

神南備神社。祭神はアマテラス、ウガヤフキアヘズ、オオクニヌシ、アメノコヤネとあるが本来は一柱だそうだ(神名不明)。

その前に見晴らし。鷲峰山方面が見える。

その前に見晴らし。鷲峰山方面が見える。

その前に見晴らし。鷲峰山方面が見える。

神南備神社。
神奈備山とはカミが降臨する聖なる山を指し月読神が甘南備山に降臨したとの伝承がある。案内図ではここから南東に降った薬師谷に元甘南備寺跡があるようだが、時間が気になって行かなかった。
詳しくは、http://www.y-tohara.com/kannabi.html
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神南備神社。 神奈備山とはカミが降臨する聖なる山を指し月読神が甘南備山に降臨したとの伝承がある。案内図ではここから南東に降った薬師谷に元甘南備寺跡があるようだが、時間が気になって行かなかった。 詳しくは、http://www.y-tohara.com/kannabi.html

神南備神社。 神奈備山とはカミが降臨する聖なる山を指し月読神が甘南備山に降臨したとの伝承がある。案内図ではここから南東に降った薬師谷に元甘南備寺跡があるようだが、時間が気になって行かなかった。 詳しくは、http://www.y-tohara.com/kannabi.html

甘南備山(雄山)頂上。考えてみるとYAMAP100座目だった。由緒正しい山が100座目でよかった。

甘南備山(雄山)頂上。考えてみるとYAMAP100座目だった。由緒正しい山が100座目でよかった。

甘南備山(雄山)頂上。考えてみるとYAMAP100座目だった。由緒正しい山が100座目でよかった。

北の尾根道で雌山(三角点峰)に向かった。三角点正面が生え込みのほうで、灌木をかき分けて撮影。

北の尾根道で雌山(三角点峰)に向かった。三角点正面が生え込みのほうで、灌木をかき分けて撮影。

北の尾根道で雌山(三角点峰)に向かった。三角点正面が生え込みのほうで、灌木をかき分けて撮影。

あれはもう宇治方面を見てるのか?
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あれはもう宇治方面を見てるのか?

あれはもう宇治方面を見てるのか?

この山はほとんど落葉樹で気持ちが良い。薪甘南備山の名の通り、麓の村々の薪取りの山だったようだ(惣山)。今は市民の憩いの山。

この山はほとんど落葉樹で気持ちが良い。薪甘南備山の名の通り、麓の村々の薪取りの山だったようだ(惣山)。今は市民の憩いの山。

この山はほとんど落葉樹で気持ちが良い。薪甘南備山の名の通り、麓の村々の薪取りの山だったようだ(惣山)。今は市民の憩いの山。

広大な墓地を見ていたらランの女性が通り過ぎていった。さっき出会ったばかりなのに。

広大な墓地を見ていたらランの女性が通り過ぎていった。さっき出会ったばかりなのに。

広大な墓地を見ていたらランの女性が通り過ぎていった。さっき出会ったばかりなのに。

さて枚方CCと田辺CCの境界道に入る。

さて枚方CCと田辺CCの境界道に入る。

さて枚方CCと田辺CCの境界道に入る。

極上の散歩道!いつの間にか大住竜王谷道を外れて尾根道に入っていた。

極上の散歩道!いつの間にか大住竜王谷道を外れて尾根道に入っていた。

極上の散歩道!いつの間にか大住竜王谷道を外れて尾根道に入っていた。

極楽道なのにだれも通らない。もう3時を過ぎたのでこんなものか。

極楽道なのにだれも通らない。もう3時を過ぎたのでこんなものか。

極楽道なのにだれも通らない。もう3時を過ぎたのでこんなものか。

甘南備山を振り返る。この先の東屋を越えた辺りで野外活動センターに降りた。

甘南備山を振り返る。この先の東屋を越えた辺りで野外活動センターに降りた。

甘南備山を振り返る。この先の東屋を越えた辺りで野外活動センターに降りた。

さて、幼稚園脇から谷に降りて虚空蔵堂。立派な磐座を背負った形である。

さて、幼稚園脇から谷に降りて虚空蔵堂。立派な磐座を背負った形である。

さて、幼稚園脇から谷に降りて虚空蔵堂。立派な磐座を背負った形である。

これはナカナカすごい。いかにも神が降ってきそうな!
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これはナカナカすごい。いかにも神が降ってきそうな!

これはナカナカすごい。いかにも神が降ってきそうな!

さっそく滝を見に行く。緩やかな谷を遡っていくと・・・

さっそく滝を見に行く。緩やかな谷を遡っていくと・・・

さっそく滝を見に行く。緩やかな谷を遡っていくと・・・

谷分岐の左俣にある一の滝。なかなかの滝でいかにも滝行をしたような滝である。
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谷分岐の左俣にある一の滝。なかなかの滝でいかにも滝行をしたような滝である。

谷分岐の左俣にある一の滝。なかなかの滝でいかにも滝行をしたような滝である。

近くば寄って見上げる。

近くば寄って見上げる。

近くば寄って見上げる。

滝の右手にはお不動さんが祀られていた。
この虚空蔵谷の風情と滝、磐座ならば行者さんも捨て置かないだろう(と思う)。
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滝の右手にはお不動さんが祀られていた。 この虚空蔵谷の風情と滝、磐座ならば行者さんも捨て置かないだろう(と思う)。

滝の右手にはお不動さんが祀られていた。 この虚空蔵谷の風情と滝、磐座ならば行者さんも捨て置かないだろう(と思う)。

これは右俣奥にある二の滝。ちょっとしたゴルジュも風情がある。

これは右俣奥にある二の滝。ちょっとしたゴルジュも風情がある。

これは右俣奥にある二の滝。ちょっとしたゴルジュも風情がある。

帰りは溜池脇の小道を辿る。

帰りは溜池脇の小道を辿る。

帰りは溜池脇の小道を辿る。

この磐座を見飽きませんなあ。
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この磐座を見飽きませんなあ。

この磐座を見飽きませんなあ。

静寂!

静寂!

静寂!

右足の爪が痛くなって降りはちょっと難儀だったが、スバラシイトラバース道だった。

右足の爪が痛くなって降りはちょっと難儀だったが、スバラシイトラバース道だった。

右足の爪が痛くなって降りはちょっと難儀だったが、スバラシイトラバース道だった。

花住坂にあった山の神さんと、後ろにある観世座発祥の地碑。甘南備山の薪能とか、古典芸能にゆかりのある地域だった。
ちなみに、花住坂は「かすみざか」なんやねえ。「はなすみさか」ではなかったんや。昔の会社先輩に「はなすみ」さんがおったので、てっきり「はなすみ」とばかり思っていた。
それはともかく、今日のコースは極上の散歩道でした(ブッシュは除く)。

花住坂にあった山の神さんと、後ろにある観世座発祥の地碑。甘南備山の薪能とか、古典芸能にゆかりのある地域だった。 ちなみに、花住坂は「かすみざか」なんやねえ。「はなすみさか」ではなかったんや。昔の会社先輩に「はなすみ」さんがおったので、てっきり「はなすみ」とばかり思っていた。 それはともかく、今日のコースは極上の散歩道でした(ブッシュは除く)。

花住坂にあった山の神さんと、後ろにある観世座発祥の地碑。甘南備山の薪能とか、古典芸能にゆかりのある地域だった。 ちなみに、花住坂は「かすみざか」なんやねえ。「はなすみさか」ではなかったんや。昔の会社先輩に「はなすみ」さんがおったので、てっきり「はなすみ」とばかり思っていた。 それはともかく、今日のコースは極上の散歩道でした(ブッシュは除く)。

津田から逆コースなのでちょっとウロウロしまして、やっと旧道に復帰。

まずは春日神社にお詣り。初詣を兼ねます。このバリア?は何?ちょうど通りかかった宮司さんに聞くと「ここで頭を下げるように」と。なるほど! あたりを見渡しましたが狛犬いない!

拝殿。何度か来ていますが、見違えるほど立派でした。もともと津田の産土神ですが、春日4神(武甕槌命・經津主命・天児屋根命・比咩大神)を勧請して嘉吉2(1442年)に三の宮(穂谷)の内宮となした」と。本殿は流石に美しい!

コンビニで諸々準備して「山根の道」を入っていく。脇道に少し入ると現在の円通寺。 この後、円通谷から行こうとしたが、工事中で遠慮した。

引き返して一般ルートから。途中でマスクもしないおっさんが降りてくると思ったら見覚えの顔で、よく見たら元同僚のRチャンだった。なんでこんな所に!しばし昔話歓談(マスク外し!)お互い元気そうで良かった。お互い運動せなアカンと言いながら分かれた。考えてみると約20年ぶり。 国見山は先客2名で、六甲方面だけ撮って退散。

休憩ベンチを過ぎた所にある小ピークから目的の尾根を覗くがあまり良く見えない。ここでしばし休憩。

休憩後、意を決して突入。最初だけ猛烈なササだったが、少し降ると尾根芯は普通のブッシュになった。

ところどころ踏み跡っぽい場所はあるが、とても破線路とは思えない。完全廃道やな。

10分ほど格闘して尾根分岐まできた。この先踏み跡はありそうだが、ここで右折して降る。

右折の尾根。まずまず降れる。

5,6分降ると下の方でブルの音がする。はあ、工事中か! ここで降りるわけには行かないので、次の尾根までトラバースした。

次の尾根まで来てトラバースしてきた谷を振り返る。

とりあえず降るしかない。

降りた先は堰堤の横だった。ヤレヤレ。あまり参考にはならない尾根降りだった。 さて、尊延寺(波多寺)へ向かう。

農道で近道して、さらに墓地を通らせていただく。

近道のはずが大回りして厳島神社にお詣り。立派な門松がこしらえてあった。厳島神社は村の鎮守として平安時代末乃鎌倉時代の創立、ご祭神は市杵島姫命。海上守護の神航海安全及び漁民の豊漁などの信仰をもつ。奈良・春日神社の旧社殿を譲り受けた“春日移し”(文久3年1863)。ところが社殿は木々に隠れてよく見えなかった。

これは末社の春日神社本殿。どうしてもこちらのほうが立派に見える。厳島神社の旧本殿を移築したもので、室町中期から後期にかけての建造と推定。

狛犬はよく見るタイプ。

あ!

せっかくなので尊延寺の幡山尊延寺にお詣り。本堂は省略させていただいて、波多寺の名を引いている幡山堂、開山堂ともいう。

大師堂。中にランプが点いていたので格子の間から覗かせていただいた。

弘法大師。 詳しくは、https://sonenji.jp/guide.htm

さて気を入れ替えて甘南備山に向かう。尊延寺からの道は「半合農道」というらしい。よい田舎道の雰囲気だった。こういう丘の景色が好み。この先で国道を渡る。

扇池

どこが山?という感じの甘南備山。 池を越えたところで昼食休憩した。

野鳥の小道だったか、ちょうどこられた近場の女性ハイカーと喋りながら登る。登った先でメインロードと合流。 案内図を見ているとこの近くに雨乞いの井戸とか竜王谷、竜王の森とかあるのでいつかは行ってみたい。

神南備神社。祭神はアマテラス、ウガヤフキアヘズ、オオクニヌシ、アメノコヤネとあるが本来は一柱だそうだ(神名不明)。

その前に見晴らし。鷲峰山方面が見える。

神南備神社。 神奈備山とはカミが降臨する聖なる山を指し月読神が甘南備山に降臨したとの伝承がある。案内図ではここから南東に降った薬師谷に元甘南備寺跡があるようだが、時間が気になって行かなかった。 詳しくは、http://www.y-tohara.com/kannabi.html

甘南備山(雄山)頂上。考えてみるとYAMAP100座目だった。由緒正しい山が100座目でよかった。

北の尾根道で雌山(三角点峰)に向かった。三角点正面が生え込みのほうで、灌木をかき分けて撮影。

あれはもう宇治方面を見てるのか?

この山はほとんど落葉樹で気持ちが良い。薪甘南備山の名の通り、麓の村々の薪取りの山だったようだ(惣山)。今は市民の憩いの山。

広大な墓地を見ていたらランの女性が通り過ぎていった。さっき出会ったばかりなのに。

さて枚方CCと田辺CCの境界道に入る。

極上の散歩道!いつの間にか大住竜王谷道を外れて尾根道に入っていた。

極楽道なのにだれも通らない。もう3時を過ぎたのでこんなものか。

甘南備山を振り返る。この先の東屋を越えた辺りで野外活動センターに降りた。

さて、幼稚園脇から谷に降りて虚空蔵堂。立派な磐座を背負った形である。

これはナカナカすごい。いかにも神が降ってきそうな!

さっそく滝を見に行く。緩やかな谷を遡っていくと・・・

谷分岐の左俣にある一の滝。なかなかの滝でいかにも滝行をしたような滝である。

近くば寄って見上げる。

滝の右手にはお不動さんが祀られていた。 この虚空蔵谷の風情と滝、磐座ならば行者さんも捨て置かないだろう(と思う)。

これは右俣奥にある二の滝。ちょっとしたゴルジュも風情がある。

帰りは溜池脇の小道を辿る。

この磐座を見飽きませんなあ。

静寂!

右足の爪が痛くなって降りはちょっと難儀だったが、スバラシイトラバース道だった。

花住坂にあった山の神さんと、後ろにある観世座発祥の地碑。甘南備山の薪能とか、古典芸能にゆかりのある地域だった。 ちなみに、花住坂は「かすみざか」なんやねえ。「はなすみさか」ではなかったんや。昔の会社先輩に「はなすみ」さんがおったので、てっきり「はなすみ」とばかり思っていた。 それはともかく、今日のコースは極上の散歩道でした(ブッシュは除く)。