活動データ
タイム
03:03
距離
7.4km
のぼり
864m
くだり
870m
活動詳細
すべて見る憧れて心に想う山の話 令和三年一月、新たな年を迎え今年一年の夢を見る。まだお屠蘇気分の三が日、ブラインド越しの空を見上げてこれからの時を思い浮かべてみるのだが、ふと浮かぶ遥か昔を思いだし心に残る山との関わりを知る。 子供の頃、いつも見ていた景色があった。小学校へ向かう通学路の途中に、緑のペンキが塗られた長い鉄の橋がある。冬の日の朝、橋半ばに差し掛かるといつも足を止め手かざしてずっと遠くを眺めていたようだ。大人なら腰の高さの欄干(らんかん)に両肘を乗せて頬杖を付き、もたれかかり見る遠くの山並みが通学時の楽しみとなり見るたび心ときめいて、いつかはの憧れとなって夢を思い描いていたようだ。 目線の先、遥かに浮かぶ青い山脈。 北海道日高、春夏の季節が走り抜けるほどに激しく、瞬く間の色香を撒き散らしながら長い冬へと誘う(いざなう)、そんなところが私の生まれ育った懐かしの故郷(ふるさと)だ。 この島唯一の山脈が清流の源深くに走り、冬の時期だけ青白く輝くように浮かび上がって不思議さを増す。子供の目に映る山は神秘の聖域となり、焦がれても容易に届かぬ憧れの山となっていたのである。通学の日々を迎えながらも何度となく目に映る青き山脈を、目で追い記憶の中に包み込む。やがて奥底へと深く沈んでいき幾年月が過ぎ去るが、時を経て今も尚そのままに焦がれた景色と山への思い、いつかの出会いを待ち望んでいる。 憧れた心の中の山、私にもひとつだけど有るのです。 歩くたびに思い出す記憶に残る心の山、夢を描いて辿る山、そんな山へと導かれ今年一年の始まりにと選んだ今日の山 御前山である。 朝起きてベランダ越しに空を見る。年明けての毎日が珍しく変わらず晴れ渡り空を見上げては遠くに見える富士を眺めていたが、ウズウズと良からぬ虫が騒ぎ立て午後から用事があるがサクッと行ければ問題無いかと出掛けて来たのがこの山なのだ。 登山の始まりは、東京都奥多摩町にある都民の森「栃寄森の家」手前の観光客専用駐車場から足を進めていく。舗装され坂道が続くつづら折れの林道を20分程歩き、杉木立に囲まれた道の右手に登山口となる道標があり、これから登る尾根まで続いて行くのである。しかも結構急な道がいきなり現れ考える間も無く試練を与えてくれるのだ。このコースは、一昨年春のアクシデントで萎縮した右足ふくらはぎのリハビリにと選んだ地獄の場所のひとつだが、歩く度に辛い痛みに何度と泣きながら登った心に残る曰く付きの場所なのだ。 息を弾ませ登り続ける急登も今では登山口から30分程で東屋に着き、陽が射せば温かな陽だまりでお茶などするのがいつもの楽しみだが今日は未練を残してその先へと足を進めて行く。足早に登る杣道は、しっかり高度を上げながら水の枯れた沢沿いを登り御前山に続く尾根へと向かって行くのだが、やがて現れる微かに溢れる湧水の源からの急登を登り切れば目指していた稜線の分岐に着くのだ。ここまでのコース、春ならカタクリが咲く癒しの道で、この稜線から御前山山頂までも保護され群落となり楽しみな所だが、まだ寒い今からは霧氷が見られる隠れた穴場でそれ見たさに何度となく通い続けているのです。分岐からは温かな日差しを浴びながらあと少しの山頂へ高度を上げて行くが、目的は山頂手前のベンチでお茶する事で、ここから見る富士山を楽しみにと登りに来たのである。 日差しを浴びながらも吹く風が冷たく感じる稜線から、眺め見る今年初めての富士山は、いつもと変わらず佇み静かに迎えてくれるのだ。フゥーとため息をつき見惚れる至福の時をとお茶して過ごす一年の始まりに、何をか思い暫く過ごしてその先の頂きを越えて下山への道を辿る。晴れの日の正月にコロナ禍の今、感謝する一年の始まりもこれからの登山に馳せ、そして憂う。 今日もご無事で有り難う。 本年のこれからに、宜しくお願い致します。m(_ _)m
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