「登拝」 求菩提山

2020.10.31(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 50
休憩時間
46
距離
3.8 km
のぼり / くだり
560 / 542 m
1 23

活動詳細

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当初はくじゅうを初めて南側の赤川温泉登山口から登る計画だった。ところが相棒の都合が悪くなって、くじゅうを断念。さて、どこにしようか。二人共なぜか、頭に浮かんだのが、霊山・求菩提山だった。9月に隣の犬ヶ岳を登った時に意識していたのだろう。最近は日曜日しか登れず、いつもどこか慌しかったが、今回は土曜日なのでゆっくり歩ける。結論から言うと、そういう山行には求菩提はぴったりの山だ。 求菩提山 「福岡・大分県境の英彦山山地から少し北に伸びた尾根上に位置する山。山中には修験の痕跡が多く残り、英彦山とともに山岳宗教の色の強い山である。」(ヤマケイオンライン) 7時に福岡を出立する。天気はよさそうだ。ユニークな天狗の像がある公共駐車場には9時ごろに到着。早速登り始めた。最初は川沿いの舗装道。橋を渡って車で少し行けば、犬ヶ岳の登山口だ。今回はそのまま真直ぐ歩くと、すぐに登山口があった。針葉樹林帯の中を苔が生えた石段を登る。斜度はそこそこだが、一気に分岐点に出た。 初めてなので、参道から登ることにした。かなり整備された道で信仰のあつさを感じる。しばらくすると、何とも言えない威風を感じる中宮鳥居が眼前に現れた。これから山頂にある上宮を登る、というか参る。まずは中宮手前にある「鬼神社を参拝後、中宮へ。 「国玉神社中宮求菩提山護国寺と呼ばれ、山の中心となった場所です。往時には多宝塔、講堂など七堂伽藍を備えていたといい、今も鬼神社など堂宇が残されています。また、豊前修験道最大の祭礼である「松会」行事が行われた場所で、今でも毎年3月29日には「お田植え祭り」が行われ、多くの見物客で賑わいます。「豊前市HP」  中宮からいよいよ上宮に向かうと、噂に聞いていた「鬼の石段」だ。 「その昔犬ヶ岳に棲む鬼たちの乱暴狼藉に困った村人が、求菩提の権現様に鬼を退治してくれるよう頼んだといいます。権現様は鬼たちに求菩提の山頂まで一晩で石段を築くよう命じ、出来れば今までどおり、出来なければ山を出てゆくように迫ったといいます。その時に鬼が築いたのがこの石段で、一説に八五〇段とも言われますが、さてさて真偽の程は・・・・・。(豊前市HP)  時間に余裕があるので、必死に石段を築いた鬼の気持ちになったつもりで石段を一段一段声に出して数えながら登る。段差が低いのでそうきつくはない。上宮が見えてきた。843、844、845。私のカウントでは845段。5段ほど飛ばしたか。 「求菩提信仰の中心となったのが山頂で、累々とした巨石群は神の降臨する場所として神聖視されました。また、辰の口と呼ばれる岩穴からは今も蒸気が見られ、かつてこの山が火山であったことを示しています。」(豊前市HP)  上宮を参拝ししばし休憩。眺望はないが、日差しが当たって気持ちがいい。山飯には早いので下って分岐点のベンチで食べようと下山開始。  登りとは違い照葉樹林帯の落ち葉を踏みしめながら気持ちいい下り道を歩く。すると、そそり立つ岩峰の下に祠が。「五窟」と言われる山伏たちが修行に励んだ場所が次々と。大日窟、普賢窟、多聞窟、吉祥窟、阿弥陀窟・・・普賢窟は国宝に指定されている「銅板法華経」が納められていたといわれている。説明文を読みながら歩を進めた。  分岐点に到着。気がつけばこれまで誰とも会わなかった。と、飯の準備をしていたら女性二人組が登ってきた。親子のようだ。挨拶。  下山して、近くのキャンプ場内にある資料館を見学(無料)。貴重な遺物の数々に感心。この山を登ったら是非立ち寄ってもらいたい。 求菩提山の起源は526年とされ、猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)という人が、大己貴神(おおなむちのかみ)の祠を建て祭ったのが始まり。720年に行善和尚が求菩提山護国寺を開き、平安末期には天台宗の僧、頼厳(らいげん)が修験道の法式を整えたという。山伏の家が約500軒あり、「一山五百坊」といわれるほどのにぎわいをみせたこともあったという。求菩提は、山岳信仰の先駆的な山だったのではないだろうか…いや、畏れ多い。 帰りは近くの温泉で汗を流して帰路についた。 今回の山行は、古来日本人が神仏を参るために山を登る「登拝」だったような気がする。ピークハントや景色を楽しむ近代登山とは、全く違う世界だ。いい経験をさせてもらった。

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