活動データ
タイム
02:43
距離
25.5km
のぼり
219m
くだり
234m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る玄関の気温は6.6℃でした。 だいぶ日が高くなってきました。 西の駐車場から見た本家の方向です。 白馬岩岳へお客様を迎えに行ってきます。 大下から黄色い小菊の向こうに見た白馬三山です。 白馬三山の上に薄い雲が出てきました。 白馬三山は左から、白馬鑓ヶ岳(2903m)、杓子岳(2812m)です。 白馬三山の一番右は日本百名山の一つ白馬岳(2932m)です。 さらに右に見えるのは標高2766mの小蓮華山です。 飯森陸橋から見た白馬三山です。 飯森陸橋北交差点から見た白馬三山です。 飯森陸橋北交差点の信号待ちから見た十郎の湯の看板と白馬五竜スキー場です。 八方交差点から正面に見た岩茸山です。 八方交差点の角に建つ1998長野冬季オリンピック開催記念のタイルモニュメントです。 八方交差点から見た八方の湯 足湯「薬師の湯」です。 八方の湯の屋根の向こうに五竜岳が見えました。 八方交差点の角に建つ白馬ライオンアドベンチャーのライオンカフェです。 白馬岩岳にお客様を迎えにきました。 白馬岩岳マウンテンリゾートの入場ゲートです。 白馬岩岳ベースセンター前のロータリーにある送迎車駐車場に車を停めてお客様の到着を待ちました。 ここで中学校の同級生にバッタリ会いました。 お客様が帰ってこられました。岩岳山頂からの景色は最高だったそうです。 岩岳入口交差点から見た五竜岳と天狗岳です。 岩岳入口交差点から見た不帰ノ嶮と白馬鑓ヶ岳、杓子岳です。 岩岳入口交差点から見た白馬岳、小蓮華山、白馬乗鞍岳です。 姫川の支流 松川に架かる松川橋から糸魚川の日本海まで46kmだそうです。 松川橋から見た白馬三山です。 松川右岸のロータリーから見た唐松岳、五竜岳、天狗岳です。 松川橋からは五竜岳がくっきり見えました。 松川橋から見た白馬八方尾根スキー場と唐松岳です。 お客様を乗せて我が家に帰ってきました。 お客様は晩秋の白馬の絶景を堪能されたようで良かったです。 庭から見た縁側と表玄関です。 庭から見下ろした田園風景です。 姉の同僚のお客様に家のまわりをご案内しました。 ハナモモの雪囲い作業開始です。 姉の同僚のお客様と姉が作業の様子を見に来てくれました。 大正9年まで我が家の旧家が建っていた元屋敷から細木3本を持ってきました。 むじなざわに弔問に行くことになり、雪囲い作業を中断しました。 むじなざわは降幡建築設計事務所によって新築された家ですが、白馬周辺の家のつくりを研究して、戸間口と表玄関があります。 表玄関から家の中に入りました。 お座敷に案内していただきました。 むじなざわのお婆様の祭壇にお線香をあげてお参りしました。 玄関から入ると正面に和太鼓があり右に階段がありました。 囲炉裏の間です。囲炉裏の上には火棚がありました。 囲炉裏の間には縁側があり、日差しが入っていました。 囲炉裏端から見上げた小屋組です。 お茶を頂いてご夫妻としばらく思い出話をしておいとましました。 内山南村地区の中央に位置する四ツ辻 立小路(たつこうじ)にある道祖神は、男女の神様が仲むつまじく握手をしている双体道祖神の祝言像です。 道祖神の右には馬のお墓 馬頭観音があります。背後はキバナツツジの木です。 内山横道の南村側の入口には、庚申塔、二十三夜塔や三十三夜塔といった月待塔(つきまちとう)、御嶽神社碑、馬頭観音などがあります。 寺子屋師匠で大正4年(1915)4月2日に他界した当家四代目 伊藤七郎治(しちろうじ)の筆塚(ふでづか)です。左に建っているのは馬頭観音と庚申塔です。 大正13年に建立された大黒様には曽祖父 6代目伊藤多喜次の名前が中央に書いてあります。大黒天は、福徳や財宝を与える福の神で、右手に打出の小槌、左手に大きな袋を背負い、米俵の上に立っています。俵に乗っているのは「毎日ご飯にお参りすれば、一生、食に不自由はしない」という理由だそうです。 横道から見た我が家と白馬三山です。 ここからの見晴らしを良くするために右側の木の枝を落とそうと思っているのですがなかなか出来ません。 横道から見た白馬三山です。 グミの木の雪囲いを見下ろしたところです。 次回の帰省時には坪庭と竹林の雪囲いをしなければなりません。 日本郵便の郵便収集車まっ赤なスズキエブリィが来ました。 爺さん(父)がいなくなってからいつも郵便ポストがからっぽで申し訳ないです。 家に戻ってハナモモの雪囲いの続きを始めました。 3方向に細木を立てて、上部を虎縄でしっかり縛り、細木の足元を少し掘って固定しました。 ハナモモの雪囲いが完成しました。 大阪から元民宿の常連客だったお客様がお見えになりました。 お客様は早速、仏壇の父にお供えをあげてお参りして下さいました。 囲炉裏端でみんなで記念撮影をしました。 裏のゴミ集積場へゴミ出しに行きました。 裏のゴミ集積場から坂道を下って西の駐車場を見たところです。 囲炉裏端で大阪のお客様としばらく団らんしました お客様を前座敷にご案内しました。襖絵は聖徳4年(1714)築の旧家から持ってきたもので杜甫の飲中八仙歌が描かれており、右上の 額に飾ってあるのは矢口富士郎さんが父の事を書いてくださった「尊厳の翁に学」の書です。 大阪のお客様を奥座敷にご案内しました。床の間の中央には家内の父親が焼いてくれた家紋入りの壷があります。 奥座敷の床の間に置いてある我が家に関する資料をお客様にお渡ししました。 表玄関の式台から見た杉玉と坪庭です。 お客様を2階にご案内しました。縁側廊下には比が射し込んでいました。 東の2階の一番奥にある作戦室は昭和13年に戦死した当家七代目の七右エ門が、戦の計画を立てるために設置した隠し部屋です。神城断層地震で倒壊し解体撤去された土蔵から運び出した史料置場になっています。 奥の蚕室には神城断層地震で倒壊し解体撤去された土蔵から運び出した羽目板や大麻柄、自在鉤、什器などを保管しています。 手前の蚕室には冠婚葬祭で使用していた輪島塗の漆器や蓑、鉄瓶などが保管してあります。 歴代の奥方の嫁入り道具の桐の箪笥や囲炉裏の煙の抜けを良くするために天井を抜いて設置した煙突の説明などをしました。 出かける前にご近所さんへ挨拶まわりに出発しました。 本家へごあいさつに行って来ました。 本家の裏のイチョウの木はだいぶ葉っぱが落ちていました。 本家の縁側に干された大根の葉っぱです。 本家はもともと「大屋家」という屋号で民宿を営んでいました。 本家から坂道を下って行きました。 宮ノ前の旧家から見上げた我が家です。 宮ノ前の庭木はガッチリ雪囲いされていました。 宮ノ前の下に広がる畑の様子です。 宮下から坂道を上がって行きました。 下の家へごあいさつに行って、テラスから見上げた我が家です。 堂裏の畑の野沢菜と我が家です。 堂裏の畑の雪中キャベツには寒冷紗が掛けてありました。 西の畑から見た我が家です。 畑の間の道を歩いて我が家に戻りました。 お昼ごはんはいろは堂のおやきです。 囲炉裏端でみんなで美味しく頂きました。 私は野沢菜のおやきと切干大根のおやきにしました。 昼食後は囲炉裏端で全員で記念撮影をしました。 囲炉裏端での団らん風景です。 姉の同僚と姉は大阪のお客様の車で信濃大町駅まで送ってもらうことになりました。 畑の間の道から見上げた我が家です。 家の前の花壇の黄色い菊の花と我が家です。 見守りカメラから皆さんの写真を撮りました。 庭でもみんなで写真を撮りました。 下の家の奥様が見送りに来て下さいました。 姉の同僚と姉と大阪のお客様を見送りました。 KDさんと下の家の奥様に見送られて我が家を出発しました。 名神高速道路が通行止めなので、北陸道まわりで広島へ帰ります。中央道経由だと779kmですが、北陸道経由だと844kmになります。 いつもはここから大町方面へ左折しますが、今日は糸魚川へ右折しました。 大下(おおしも)から見た白馬三山がとても綺麗でした。 宮下から見た内山北村地区と我が家です。
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