大師の道と室生古道、道標と丁石めぐり

2018.12.18(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 46
休憩時間
0
距離
23.0 km
のぼり / くだり
939 / 858 m
4 51

活動詳細

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大師の道と室生古道を通して道標と丁石(町石)をめぐってきました☆ むずかしい歴史の話はさておき、 とにかく古道が好きで道標や丁石が大好きという方はどうぞ ^O^/ 写真はかなり多めで偏った内容のレポですが、 道標と丁石めぐりの案内としては比較的詳しめ?のレポになっていると思います。 彫られている文面はいちおう私なりに解読してみました。 文面の詳細や寸法などは「奈良県の道標マップ」で見てくださいね(全然詳しくない場合もあります)。 ・奈良県の道標マップ https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1ZlStvgEspYq9mjqrdJkBI4VaAHc 大師の道と室生古道。 どちらも室生寺を目指した古道でともに室生寺に向けて丁石が建てられています。 古道の雰囲気を残す箇所もあり、大師の道には一部急斜面もありますが、 比較的観光化もされているので案内板も多く歩きやすいルートだと思います☆

三郎岳・高城岳 三本松の長瀬集落からスタートです☆ かなり寒い。
三本松の長瀬集落からスタートです☆ かなり寒い。
三郎岳・高城岳 長瀬集落の伊勢北街道(青越伊勢街道・初瀬街道)沿いにある辻堂(小室生寺)です。大師の道はここから始まります。室生寺までは山越えで7kmほどです。
長瀬集落の伊勢北街道(青越伊勢街道・初瀬街道)沿いにある辻堂(小室生寺)です。大師の道はここから始まります。室生寺までは山越えで7kmほどです。
三郎岳・高城岳 お堂前の道標(文政2年・1819年) 「是より五十丁」とあります。これが初丁石となり、室生寺の太鼓橋前にある「女人高野室生山」(文政2年・1819年)の碑が最終丁石(50丁石)ということですね☆
お堂前の道標(文政2年・1819年) 「是より五十丁」とあります。これが初丁石となり、室生寺の太鼓橋前にある「女人高野室生山」(文政2年・1819年)の碑が最終丁石(50丁石)ということですね☆
三郎岳・高城岳 お堂の入口上には古くて大きな室生山の絵図が掲げられています。
お堂の入口上には古くて大きな室生山の絵図が掲げられています。
三郎岳・高城岳 宇陀川にかかる室生橋を渡ります。
宇陀川にかかる室生橋を渡ります。
三郎岳・高城岳 宇陀川支流の滝谷川沿いを進み、この先を右へ曲がって山道に入っていきます。
宇陀川支流の滝谷川沿いを進み、この先を右へ曲がって山道に入っていきます。
三郎岳・高城岳 すごい雰囲気。この辺りは道に沿って棚田跡が残ります。
すごい雰囲気。この辺りは道に沿って棚田跡が残ります。
三郎岳・高城岳 棚田跡最上部付近にある池。
棚田跡最上部付近にある池。
三郎岳・高城岳 ○丁石発見☆ 前回は見落としていましたよ。たぶん…十丁?
○丁石発見☆ 前回は見落としていましたよ。たぶん…十丁?
三郎岳・高城岳 お日様があってよかった。
お日様があってよかった。
三郎岳・高城岳 山道を抜けましたよ。この先は滝谷花しょうぶ園(垣根で見えない)の左の道を進みます。
山道を抜けましたよ。この先は滝谷花しょうぶ園(垣根で見えない)の左の道を進みます。
三郎岳・高城岳 右へ。通行止とあるけど行けるのかな?
右へ。通行止とあるけど行けるのかな?
三郎岳・高城岳 室生瀧谷の集落。ちょっと天空感あります。
室生瀧谷の集落。ちょっと天空感あります。
三郎岳・高城岳 道の左に十六丁石。旧伊賀郡下小波田の講によるもの。大師の道はおもに伊賀地方からの参拝者が利用した道だったため、丁石はすべて伊賀地方の方々が建てたものです。
道の左に十六丁石。旧伊賀郡下小波田の講によるもの。大師の道はおもに伊賀地方からの参拝者が利用した道だったため、丁石はすべて伊賀地方の方々が建てたものです。
三郎岳・高城岳 あら! 先ほどの通行止めはこのためでした。
あら! 先ほどの通行止めはこのためでした。
三郎岳・高城岳 右手の茂みの中に丁石が隠れています。
右手の茂みの中に丁石が隠れています。
三郎岳・高城岳 ブロックをよじ登り…ありました、十九丁石。ナハリ(名張)の世古手に住む瓦屋の孫九郎さんがご先祖様の供養のために建てたもののようです。
ブロックをよじ登り…ありました、十九丁石。ナハリ(名張)の世古手に住む瓦屋の孫九郎さんがご先祖様の供養のために建てたもののようです。
三郎岳・高城岳 十九丁石から坂を下るとやまなみロード(奥宇陀広域農道)に出ます。この辺りは室生砥取(ととり)です。
十九丁石から坂を下るとやまなみロード(奥宇陀広域農道)に出ます。この辺りは室生砥取(ととり)です。
三郎岳・高城岳 その手前にある道標(文政2年・1819年)にはお大師さんが彫られています。側面には「右 三本 をの ミち」「右 な者゛(ば)り ミち」とあり、「三本 をの」は三本松と大野を指しているんでしょうか? 大師の道の丁石群は、三本松長瀬から室生寺まで丁数をカウントアップで刻んでいますが、この道標には「左 室生山三十丁」と、残りの丁数を示しています。こちらのほうがわかりやすいですね。
その手前にある道標(文政2年・1819年)にはお大師さんが彫られています。側面には「右 三本 をの ミち」「右 な者゛(ば)り ミち」とあり、「三本 をの」は三本松と大野を指しているんでしょうか? 大師の道の丁石群は、三本松長瀬から室生寺まで丁数をカウントアップで刻んでいますが、この道標には「左 室生山三十丁」と、残りの丁数を示しています。こちらのほうがわかりやすいですね。
三郎岳・高城岳 こんなところに二十一(?)丁石がかくれていた☆
こんなところに二十一(?)丁石がかくれていた☆
三郎岳・高城岳 墓地の端っこには…
墓地の端っこには…
三郎岳・高城岳 二十三丁石が! 室生版「道標X」 こっちのほうが怖い。これは年々傾いているので…そろそろヤバいです。事故がないよう願います。 こちらには赤目(名張市)の柏原の二名の世話人の名が刻まれています。
二十三丁石が! 室生版「道標X」 こっちのほうが怖い。これは年々傾いているので…そろそろヤバいです。事故がないよう願います。 こちらには赤目(名張市)の柏原の二名の世話人の名が刻まれています。
三郎岳・高城岳 製材所(?)前のここから左へ登ります。
製材所(?)前のここから左へ登ります。
三郎岳・高城岳 登り切ったところにある道標(文政2年・1819年)。側面には「右 な者゛(ば)り ミ…(埋没)」とあります。
登り切ったところにある道標(文政2年・1819年)。側面には「右 な者゛(ば)り ミ…(埋没)」とあります。
三郎岳・高城岳 雰囲気のある道です。
雰囲気のある道です。
三郎岳・高城岳 しばらく登ると木橋のたもとに道標が立っています。
しばらく登ると木橋のたもとに道標が立っています。
三郎岳・高城岳 右には指差し道標(明治26年・1893年)がありますが、その127年前に建てられた左の西國巡禮(礼)供養塔(明和3年・1766年)も道標になっています。
右には指差し道標(明治26年・1893年)がありますが、その127年前に建てられた左の西國巡禮(礼)供養塔(明和3年・1766年)も道標になっています。
三郎岳・高城岳 「ひだり むろうみち」(西國巡禮(礼)供養塔の右面)
「ひだり むろうみち」(西國巡禮(礼)供養塔の右面)
三郎岳・高城岳 右側の指差し道標は、山越えのため左斜め上を指差しています。伊賀の石工、山中さんの作です。
右側の指差し道標は、山越えのため左斜め上を指差しています。伊賀の石工、山中さんの作です。
三郎岳・高城岳 息つぎの井戸。
息つぎの井戸。
三郎岳・高城岳 昔は飲めたようです。
昔は飲めたようです。
三郎岳・高城岳 峠の茶屋跡に到着♪(標高約400m) 寒くて休憩する気にならないw いったん峠を越えますがこの後もう少しだけ登ります。
峠の茶屋跡に到着♪(標高約400m) 寒くて休憩する気にならないw いったん峠を越えますがこの後もう少しだけ登ります。
三郎岳・高城岳 峠の茶屋跡のお地蔵さま。
峠の茶屋跡のお地蔵さま。
三郎岳・高城岳 しばらく進むと木橋があり、三十○丁石があります。三十丁か三十一丁ぐらいですね。
しばらく進むと木橋があり、三十○丁石があります。三十丁か三十一丁ぐらいですね。
三郎岳・高城岳 一瞬視界が開けました♪ 遠くに大野の家並みが見えます。
一瞬視界が開けました♪ 遠くに大野の家並みが見えます。
三郎岳・高城岳 このお地蔵さまを過ぎると…
このお地蔵さまを過ぎると…
三郎岳・高城岳 道はつづら折れの急こう配になり、一気に100mほど下ります。
道はつづら折れの急こう配になり、一気に100mほど下ります。
三郎岳・高城岳 途中の鞍部には「鬼の足跡」があります。
途中の鞍部には「鬼の足跡」があります。
三郎岳・高城岳 直訳: 私は「鬼の足跡」についてうまく説明できません。
直訳: 私は「鬼の足跡」についてうまく説明できません。
三郎岳・高城岳 急斜面の途中に三十五丁石が立っています。
急斜面の途中に三十五丁石が立っています。
三郎岳・高城岳 こちらは和州の片平村(現山添村片平)と伊州の矢川村(現名張市矢川)の講が共同で建てたものと思われます。
こちらは和州の片平村(現山添村片平)と伊州の矢川村(現名張市矢川)の講が共同で建てたものと思われます。
三郎岳・高城岳 車道が見えてきた☆
車道が見えてきた☆
三郎岳・高城岳 今回はここへ降りました。ここからは県道28号を室生川に沿って歩きます。
今回はここへ降りました。ここからは県道28号を室生川に沿って歩きます。
三郎岳・高城岳 昭和初期の地図には現在と同じ室生川右岸ルートが描かれていますが、明治25年の地図ではこのあたりで川を越え、室生寺までは川の左岸を進み、現代の仙人橋付近では崖の上を通るルートが描かれています。次回はその崖上ルートを探索してみたいです☆
昭和初期の地図には現在と同じ室生川右岸ルートが描かれていますが、明治25年の地図ではこのあたりで川を越え、室生寺までは川の左岸を進み、現代の仙人橋付近では崖の上を通るルートが描かれています。次回はその崖上ルートを探索してみたいです☆
三郎岳・高城岳 仙人橋を渡ります。昔は橋の向こうの段丘の上を通っていたようです。
仙人橋を渡ります。昔は橋の向こうの段丘の上を通っていたようです。
三郎岳・高城岳 室生火山群っぽい地形になってきました☆ 室生寺はこの火山性の地形を利用して建てられています。ここから県道を離れて右の道を登っていきます。
室生火山群っぽい地形になってきました☆ 室生寺はこの火山性の地形を利用して建てられています。ここから県道を離れて右の道を登っていきます。
三郎岳・高城岳 駐車場の端には石仏などが祀られていました。その中に…
駐車場の端には石仏などが祀られていました。その中に…
三郎岳・高城岳 四十六丁石を発見☆(文政4年・1821年) 伊賀の治田村の方が身内の供養のために建てたものでしょうか。右面には「南無阿弥陀仏」と刻まれています。一瞬、これから歩く室生古道の丁石かな?とも思いましたが、頭頂部の形状から見て、大師の道の丁石でしょうね。
四十六丁石を発見☆(文政4年・1821年) 伊賀の治田村の方が身内の供養のために建てたものでしょうか。右面には「南無阿弥陀仏」と刻まれています。一瞬、これから歩く室生古道の丁石かな?とも思いましたが、頭頂部の形状から見て、大師の道の丁石でしょうね。
三郎岳・高城岳 室生寺入口の太鼓橋。
室生寺入口の太鼓橋。
三郎岳・高城岳 「女人高野室生山」の石標(1819年・文政2年)です。これが大師の道の最終丁石(50丁石)となります。三本松長瀬の初丁石と同じく、丁石の発願主の名が刻まれています。
「女人高野室生山」の石標(1819年・文政2年)です。これが大師の道の最終丁石(50丁石)となります。三本松長瀬の初丁石と同じく、丁石の発願主の名が刻まれています。
三郎岳・高城岳 ここからは室生古道歩きのスタートです☆ 唐戸峠を越えて伊勢本街道の高井宿(榛原高井)を目指してゴー!
ここからは室生古道歩きのスタートです☆ 唐戸峠を越えて伊勢本街道の高井宿(榛原高井)を目指してゴー!
三郎岳・高城岳 その前に室生公園でお昼ごはん♪ 遭難に備えておにぎりを買いすぎましたw ぽかぽかだけど寒い。
その前に室生公園でお昼ごはん♪ 遭難に備えておにぎりを買いすぎましたw ぽかぽかだけど寒い。
三郎岳・高城岳 芸術の森(本日休館)にちょっと寄り道♪
芸術の森(本日休館)にちょっと寄り道♪
三郎岳・高城岳 目的は入口にあるこの道標(年齢不詳)。「左 だいしみち 右 はせみち」 はせみちとは門森峠を越えて大野方面に出る古道を指すのでしょうか。
目的は入口にあるこの道標(年齢不詳)。「左 だいしみち 右 はせみち」 はせみちとは門森峠を越えて大野方面に出る古道を指すのでしょうか。
三郎岳・高城岳 お日様に照らされた室生の風景♪
お日様に照らされた室生の風景♪
三郎岳・高城岳 「城之山枝垂れ桜」で有名な西光寺。
「城之山枝垂れ桜」で有名な西光寺。
三郎岳・高城岳 西光寺前の小道を登っていくと丁石(室生古道丁石)(文政4年・1821年)があります☆ 先ほどまでの丁石(大師の道丁石)とは頭の形が違うでしょ? こちらは伊勢本街道の高井から室生寺までをカウントアップしています。桜井の講が建てたもの。
西光寺前の小道を登っていくと丁石(室生古道丁石)(文政4年・1821年)があります☆ 先ほどまでの丁石(大師の道丁石)とは頭の形が違うでしょ? こちらは伊勢本街道の高井から室生寺までをカウントアップしています。桜井の講が建てたもの。
三郎岳・高城岳 その横には同じく文政4年(1821年)の道標。「神南…(埋没)」とありますが、おそらく神南辺(隆光)大道心の建てたものと思われます。奈良県内では私が知るかぎり6基の道標にその名を残しています。
その横には同じく文政4年(1821年)の道標。「神南…(埋没)」とありますが、おそらく神南辺(隆光)大道心の建てたものと思われます。奈良県内では私が知るかぎり6基の道標にその名を残しています。
三郎岳・高城岳 小道を登りきると、腰折地蔵があります。元は茅葺きだったそうです。ここから唐戸峠までは舗装路を進みます。広い舗装路ですが入口には獣除けケートがあります。
小道を登りきると、腰折地蔵があります。元は茅葺きだったそうです。ここから唐戸峠までは舗装路を進みます。広い舗装路ですが入口には獣除けケートがあります。
三郎岳・高城岳 腰折地蔵さま。
腰折地蔵さま。
三郎岳・高城岳 牛頭天王を祀る碑。
牛頭天王を祀る碑。
三郎岳・高城岳 ずいぶん登ってきまして、美しいカトラ新池♪(標高約600m)
ずいぶん登ってきまして、美しいカトラ新池♪(標高約600m)
三郎岳・高城岳 振り返る♪
振り返る♪
三郎岳・高城岳 唐戸峠(標高約670m)に到着☆
唐戸峠(標高約670m)に到着☆
三郎岳・高城岳 唐戸峠から。遠くにかすむ大峰の山々。中央の尖ったのは烏ノ塒屋山、その右の高いのは竜門岳。真ん中の窪んだ辺りは古市場の町。 風が強烈! もうヤバいほと寒い!
唐戸峠から。遠くにかすむ大峰の山々。中央の尖ったのは烏ノ塒屋山、その右の高いのは竜門岳。真ん中の窪んだ辺りは古市場の町。 風が強烈! もうヤバいほと寒い!
三郎岳・高城岳 峠の役行者さん。ここからは舗装路からは外れて古道らしい道を降りていきます。
峠の役行者さん。ここからは舗装路からは外れて古道らしい道を降りていきます。
三郎岳・高城岳 なんかすごい、切通し?!
なんかすごい、切通し?!
三郎岳・高城岳 柱状節理むき出しだけど切通しなんだろうか? 迫力ありすぎて通るのが怖かった!
柱状節理むき出しだけど切通しなんだろうか? 迫力ありすぎて通るのが怖かった!
三郎岳・高城岳 30分ほどかけて降りてきました。右に行けば仏隆寺。
30分ほどかけて降りてきました。右に行けば仏隆寺。
三郎岳・高城岳 橋のたもとには自然石の道標。「左 むろふ…」「右 者(は)せ道」(年齢不詳)
橋のたもとには自然石の道標。「左 むろふ…」「右 者(は)せ道」(年齢不詳)
三郎岳・高城岳 仏隆寺の下には二つの自然石道標が向かい合っています。まるで双子か兄弟のようです♪ 「右 むろ道」 これを見るといつも桜井市倉橋の双子の自然石道標を思い出します。
仏隆寺の下には二つの自然石道標が向かい合っています。まるで双子か兄弟のようです♪ 「右 むろ道」 これを見るといつも桜井市倉橋の双子の自然石道標を思い出します。
三郎岳・高城岳 「右 者(は)せ道」
「右 者(は)せ道」
三郎岳・高城岳 室生古道の十丁石(文政6年・1823年)です。じつは先ほどの室生古道の四十丁石からここまで、私はその他の丁石を確認できていません。室生寺-唐戸峠間は道路が大幅に改修されていて消失した可能性もありますが、仏隆寺から沢の左側を登るルートが気になっています。いつか確かめに行きたいてす。
室生古道の十丁石(文政6年・1823年)です。じつは先ほどの室生古道の四十丁石からここまで、私はその他の丁石を確認できていません。室生寺-唐戸峠間は道路が大幅に改修されていて消失した可能性もありますが、仏隆寺から沢の左側を登るルートが気になっています。いつか確かめに行きたいてす。
三郎岳・高城岳 十丁石前にある自然石。ずっと道標ではないかと思っていて、今回まわりの草が刈られていて確かめるチャンスだったのですが、結局…わかりませんでしたw
十丁石前にある自然石。ずっと道標ではないかと思っていて、今回まわりの草が刈られていて確かめるチャンスだったのですが、結局…わかりませんでしたw
三郎岳・高城岳 伊勢本街道の高井宿に近づいてきました☆ ついに壹丁石です!
伊勢本街道の高井宿に近づいてきました☆ ついに壹丁石です!
三郎岳・高城岳 壹丁石(文政3年・1820年) 施主は地元、赤埴の五右エ門さんです。
壹丁石(文政3年・1820年) 施主は地元、赤埴の五右エ門さんです。
三郎岳・高城岳 伊勢本街道と室生古道の分岐点です。新しい伊勢本街道の道標は道沿いのあちこちで見かけますね。
伊勢本街道と室生古道の分岐点です。新しい伊勢本街道の道標は道沿いのあちこちで見かけますね。
三郎岳・高城岳 頭矢橋(とうやばし)南詰の指差し道標(1933年・昭和8年)です。
頭矢橋(とうやばし)南詰の指差し道標(1933年・昭和8年)です。
三郎岳・高城岳 高井の辻に到着!
高井の辻に到着!
三郎岳・高城岳 高井の辻には新旧古3種の道標が立っています。左から、寛政12年(1800年)、大正4年(1915年)、昭和51年(1976年)。では伊勢本街道歩いて近鉄榛原駅まで帰ります。ちょうどカメラのバッテリー3つ使い切りました。いかがでしたか? 大師の道と室生古道の道標と丁石めぐり♪ この道は道標以外にもたくさん見どころがあります。写真800枚近くいろいろ撮りましたが道標と丁石に絞りました。もっといっぱい紹介したかったのですけどね♪ ではまた☆ ^O^/
高井の辻には新旧古3種の道標が立っています。左から、寛政12年(1800年)、大正4年(1915年)、昭和51年(1976年)。では伊勢本街道歩いて近鉄榛原駅まで帰ります。ちょうどカメラのバッテリー3つ使い切りました。いかがでしたか? 大師の道と室生古道の道標と丁石めぐり♪ この道は道標以外にもたくさん見どころがあります。写真800枚近くいろいろ撮りましたが道標と丁石に絞りました。もっといっぱい紹介したかったのですけどね♪ ではまた☆ ^O^/
三郎岳・高城岳 おまけ♪ 榛原檜牧にある現在奈良県最古とされる道標です。寛文4年(1664年)のものらしいですが、とても文字は読みにくい。
おまけ♪ 榛原檜牧にある現在奈良県最古とされる道標です。寛文4年(1664年)のものらしいですが、とても文字は読みにくい。

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