上野国分僧寺跡周辺を歩く

2023.08.16(水) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 44
休憩時間
25
距離
8.8 km
のぼり / くだり
52 / 52 m
2 45

活動詳細

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今日は天気がパッとしないので山はあきらめ、群馬県の古代の中心地の上野国分寺や国分尼寺や国府跡を歩いてみました。 群馬県前橋市元総社町や高崎市引間町地区を歩きました。高崎市引間町の上野国分寺館の駐車場に車を止め、上野国分僧寺跡から国分尼寺跡に歩きました。そこから北側に歩き、北東方面にある山王廃寺を巡りました。南側に総社神社まで歩き総社神社を散策して、北西にある宮鍋神社や国府跡や蒼海城跡を歩きながら西側に歩き妙見社と妙見寺を巡り、上野国分館の駐車場に戻りました。 天平13年(西暦741年)、聖武天皇によって国分寺創建の詔が発せられました。仏教により鎮護国家思想に基づくもので、寺には七重塔にするようにと国分僧寺と国分尼寺の二寺制として、国分僧寺は「金光明四天王護国之寺」として建てられました。 立派な建物は維持が大変で、壊れてしまい平安時代の後期に維持できなくなったようです。一般の人には仏教はあまり興味はなく、修復の労働や納税などがあり歓迎されなかったようです。 今まで国分寺として残っている所は少なく、途中から管理が代わったお寺として残ったようでした。

 上野国分寺の模型(上野国分寺ガイダンス施設「上野国分寺館」内)
上野国分寺の模型(上野国分寺ガイダンス施設「上野国分寺館」内)
 七重塔の模型(ガイダンス施設内)
1/20模型(実際は高さ60.5m・初層は一辺10.8m)全国の国分寺の七重塔の中では最大級
七重塔の模型(ガイダンス施設内) 1/20模型(実際は高さ60.5m・初層は一辺10.8m)全国の国分寺の七重塔の中では最大級
 史跡上野国分寺跡の発掘調査の説明板(ガイダンス施設内)
史跡上野国分寺跡の発掘調査の説明板(ガイダンス施設内)
 史蹟上野國分寺趾の石碑
史蹟上野國分寺趾の石碑
 七重塔の礎石
七重塔の礎石
 塔基壇の説明板
塔基壇の説明板
 講堂の礎石跡からの南側の展望
講堂の礎石跡からの南側の展望
 東大門跡からの国分寺方面(この門がメインの門?)南大門の前の道路から川の橋跡が発見されないため
東大門跡からの国分寺方面(この門がメインの門?)南大門の前の道路から川の橋跡が発見されないため
 関越自動車道の下の上野国分僧寺と上野国分尼寺への昔からの道(ガイダンス施設の人の説明では、関越自動車道を土盛ではなく橋の構造にしたのは遺跡を守るため‼️)上野国分寺側を望む
関越自動車道の下の上野国分僧寺と上野国分尼寺への昔からの道(ガイダンス施設の人の説明では、関越自動車道を土盛ではなく橋の構造にしたのは遺跡を守るため‼️)上野国分寺側を望む
 国分尼寺跡から国分僧寺跡
方面を望む
国分尼寺跡から国分僧寺跡 方面を望む
 上野國分尼寺趾の石碑(尼寺跡はほぼ畑、石碑だけがある)
上野國分尼寺趾の石碑(尼寺跡はほぼ畑、石碑だけがある)
 山王廃寺跡の標柱と説明板
山王廃寺跡の標柱と説明板
 山王日枝神社(社殿は木造で新しい)
山王日枝神社(社殿は木造で新しい)
 山王廃寺の五重塔の真柱の塔心礎(ここが本物で、穴にシャリを奉納する)国指定重要文化財
山王廃寺の五重塔の真柱の塔心礎(ここが本物で、穴にシャリを奉納する)国指定重要文化財
 上野国山王廃寺五重塔真柱寝巻石(国指定重要文化財)
上野国山王廃寺五重塔真柱寝巻石(国指定重要文化財)
 石造鴟尾(国認定重要美術品)
石造鴟尾(国認定重要美術品)
 説明板(山王廃寺の石整鴟尾・五重塔心柱寝巻石・塔心礎)
説明板(山王廃寺の石整鴟尾・五重塔心柱寝巻石・塔心礎)
 前は史跡山王塔跡で今は山王廃寺跡(前の説明石碑)
前は史跡山王塔跡で今は山王廃寺跡(前の説明石碑)
 日枝神社(山王)当社は天台宗の守護神として近江国日吉神(山王権現)を勧請したものであるようで、前に昌楽寺があったようです
日枝神社(山王)当社は天台宗の守護神として近江国日吉神(山王権現)を勧請したものであるようで、前に昌楽寺があったようです
 神社の周りの神々の石像
神社の周りの神々の石像
 神々の石碑
神々の石碑
 牛池川を渡る下にある公園
牛池川を渡る下にある公園
 牛池川を渡り、右側の遊歩道を歩く(蒼海城の外堀)
牛池川を渡り、右側の遊歩道を歩く(蒼海城の外堀)
 上野国総社神社の表参道からの総社神社(境内の大木の上の木が伐られて何か変)
上野国総社神社の表参道からの総社神社(境内の大木の上の木が伐られて何か変)
 上野国総社神社略記(国内の神社の神様を国府の近くに集めた神社)
上野国総社神社略記(国内の神社の神様を国府の近くに集めた神社)
 総社神社の文化財の説明板
総社神社の文化財の説明板
 手水舎の花
手水舎の花
 蒼海城跡地図(縄張図)総社長尾氏が戦国時代に上野国府跡に蒼海城を造り、小田原征伐に落城と廃城
蒼海城跡地図(縄張図)総社長尾氏が戦国時代に上野国府跡に蒼海城を造り、小田原征伐に落城と廃城
 神社の文化財の説明板
神社の文化財の説明板
 総社神社の拝殿(天保14年に造営)
総社神社の拝殿(天保14年に造営)
 総社神社の本殿(慶応年間の造営)
総社神社の本殿(慶応年間の造営)
 総社神社の裏にある、なかなか古い(戦国時代)宝塔の跡、総社長尾氏と関連
総社神社の裏にある、なかなか古い(戦国時代)宝塔の跡、総社長尾氏と関連
 宮鍋神社境内にある「上野国府正庁推定復原図」国府跡の遺構は発見されない
宮鍋神社境内にある「上野国府正庁推定復原図」国府跡の遺構は発見されない
 宮鍋神社(石祠)木の上が伐られている
宮鍋神社(石祠)木の上が伐られている
 宮鍋神社由緒(元総社神社の跡で色々あって宮鍋神社になったみたい)
宮鍋神社由緒(元総社神社の跡で色々あって宮鍋神社になったみたい)
 上野國總社趾の石碑(宮鍋神社が最初の総社神社)1560頃に兵火にあい現在の総社神社に移転したようです。
上野國總社趾の石碑(宮鍋神社が最初の総社神社)1560頃に兵火にあい現在の総社神社に移転したようです。
 蒼海城の本郭跡方面(北側から見る)遺構らしきものはあるが、郭と住宅地と昔の道路と新しい道路工事中が入り乱れてカオスな蒼海城跡歩くの大変
蒼海城の本郭跡方面(北側から見る)遺構らしきものはあるが、郭と住宅地と昔の道路と新しい道路工事中が入り乱れてカオスな蒼海城跡歩くの大変
 御霊神社(総社長尾氏に関係)中は草ぼうぼうで荒廃
御霊神社(総社長尾氏に関係)中は草ぼうぼうで荒廃
 御霊神社と長尾氏由緒(読むの面倒)
御霊神社と長尾氏由緒(読むの面倒)
 妙見社及び妙見寺の説明板(関東地区の最初の妙見信仰の場所で、将門と平良文が戦った時、平良文がここにお参りして武運長久がなったので、子孫の千葉氏や秩父氏に妙見信仰が広まった。千葉妙見も秩父妙見もこの妙見様を勧請したもの)
妙見社及び妙見寺の説明板(関東地区の最初の妙見信仰の場所で、将門と平良文が戦った時、平良文がここにお参りして武運長久がなったので、子孫の千葉氏や秩父氏に妙見信仰が広まった。千葉妙見も秩父妙見もこの妙見様を勧請したもの)
 妙見堂
妙見堂
 三鈷山妙見寺にある妙見堂の説明板(消えかかる)
三鈷山妙見寺にある妙見堂の説明板(消えかかる)
 裏の本殿
裏の本殿
 天台宗の妙見寺本堂(鉄筋コンクリート製)
天台宗の妙見寺本堂(鉄筋コンクリート製)
 上野国分僧寺ガイダンス施設(上野国分寺館は六角堂)と駐車場
上野国分僧寺ガイダンス施設(上野国分寺館は六角堂)と駐車場

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