活動データ
タイム
08:08
距離
11.5km
のぼり
1358m
くだり
1380m
活動詳細
すべて見る2022年12月27日㈫ 大岳山には2016年2月、2017年12月、2019年4月に奥多摩の師匠と御一緒させていただき、 主にバリエーションルートを含む北面の尾根を歩きました。ルートや計画はすべて師匠にお任せだったので、私自身はこの山の全体像を把握できていませんでした。 2022年の山納めは、最近お世話になっている奥多摩を代表する山の一つである大岳山を歩く事にしました。 《奥多摩の名山 大岳山》 「大嶽山(一ニ六七米三角點) 通志(*武蔵通志)に從へば、兩總地方(*千葉県)では本山を武蔵の鍋冠山(ナベカブリ)と稱し海路の目標となすとあるが、頂上の様子は鍋でもかぶつたやうな姿で、よく遠方から其の特色ある山容を見出す事が出來る。」 【奥多摩】(田島勝太郎)(山と渓谷社 昭和10年) 「洵に鍋冠山とはうまい形容だと思ふ。この隣に劔ノ峰をくつつけた駱駝の背中みたいな峰頭は、何處から見てもすぐそれと指摘出來る特異な貌なので、北多摩地方では此の山の雲のかゝり工合で天氣を占つて野良仕事をした、所謂天文山だつたのである。…(中略)… 西多摩郡の鎭といふに相應しい堂々たる體躯ー山貌だと思ふ。」【奥多摩】(宮内敏男)(昭和刊行會 昭和19年) 大岳山を説明するにあたり、引用でよく用いられるのが上記の2冊ですが、私の知る限り最も情熱的な記述は【奥多摩渓谷】(岩根常太郎)(朋文堂 昭和18年)です。 「大獄山は奥多摩の盟主といふに最も適當した資格を具備した名山である。奥多摩第一峰の名のもとに或る人は雲取山を、また或る人は三頭山を擧げるかも知れない。それらには一々の理由があらうし、別に唐松尾の高峻を、飛龍の秘奥をいふ人もあることであらう。が、私は斷じて大獄山をこそと聲高く叫び度い。 その主張點は、 (1)大嶽山は純然たる奥多摩の山であること。(雲取や飛龍、また三頭も然らず) (2)獨異燦然のドーム狀山巓を有し、宛然一個の獨立峰のごとく特立して、近邊は勿論奥秩父山塊や丹沢方面よりもその山頂を明瞭に指摘し得ること。 (3)斯の低山にして一種不可思議なまでに神嚴味を具へ、秩父古生層から成る山體はきはめて雄偉の感漲り、同標高の他の諸山に求め難い深山味を有すること。 (4)奥多摩登山者に最も親しまれてゐる山であること。 そして最後に (5)大嶽山の占める位置は御嶽山とともに多摩渓谷の咽喉を扼し、關東平野西部の低夷に君臨する最初の山岳らしい山岳として奥多摩の代表的山群を四邊に環らしてゐること。」 大岳山は広大な奥多摩の山塊の中ではかなり東寄りで関東平野に近い為に山が浅い印象もありますが、戦前の岩根常太郎の主張はどれも首肯できますし、その後も地元の奥多摩山岳会の秋山平三が昭和30年代に「奥多摩三山」の一つとして大岳山を挙げた通り、名実共に奥多摩を代表する山であるのは確かなところです。 《古の表参道》 古くは「頂上に大嶽神社の小祠あり、之を奥宮と云。其東南凡四町餘下りし所に本殿あり、登路村内字三都郷より、崎嶇羊腸北へ攀躋する一里十餘町にして巓に達す可し。」 (通称【多摩郡村誌】(明治初年編纂)とあり、現在は各方面からの登山道が拓かれている大岳山を、古の表参道から登る事にしました。 年の瀬も押し迫った12月27日、快晴の空の下 武蔵五日市駅発 藤倉行きの始発バスから白倉バス停で降りたのは私だけでした。 「郷社 大嶽神社」の大きな石柱と庚申塔を見て細い道に入り、白壁土蔵も趣深い旧家など見ながら急な坂道に差し掛かると冬とは思えない強い陽射しを浴びて早くも汗ばんできます。 大岳神社の里宮に参拝して境内の無人販売所で大口真神の護符や御守を買い求め、山道に入りました。 間もなく木製の鳥居に着くと、傍らには江戸時代中期 宝暦十一年(1761年)の石燈籠、庚申の文字塔、一丁目の丁目石があり、いよいよ奥宮表参道に入ります。登山道の左側には簡素な建屋に入ったお地蔵様がいらっしゃいました。檜原村最古の地蔵菩薩です。 この後は大岳山の登山道の中では最も傾斜が厳しいとされる尾根を北にひたすら登る事になりますが、南に浅間尾根の山並みを振り返り、西に御前山を眺め、時折現れる道端の丁目石に励まされながらの登りは退屈ではありません。 やがて馬頭刈尾根に合流するとすぐに展望地があったので山並みを眺めながら行動食にかじりついていると、20代らしい青年が足早にやってきて山々を写真に収め、また颯爽と去っていきました。 若者の健脚が羨ましくもあり、若さゆえの性急さに面食らうような思いもあり、不惑を疾うに過ぎてアラフィフに手が届いた自分の年齢を痛感させられました。 ここまでの急登から一転して緩やかな稜線歩きが続き、祠と石碑を見て大岳神社奥宮への巻き道を分けると一気に山頂に這い登りました。 4回目の登頂です。 さすがは人気の山だけに、多くのハイカーが憩っていました。 丹沢、道志、中央線沿線の山々を従えた玲瓏たる富士の麗姿、そして奥多摩の全貌を見遙かす大展望に歓声を上げる人たちも居て、聞いている私もなんだか嬉しくなってきます。 私の後ろに居た夫婦の「今日は絶好の山日和だなぁ。部屋の中より暖かいし気持ちいいね。」の言葉に私も内心深く頷きました。 昼下がりの時間帯とあって山岳展望は鮮やかさを欠いてくすんでしまっていますが、私も昼食タイムの大休憩を取りました。 大岳神社奥宮に向けて下るとちょうど日陰に入って薄暗くなってしまったのは残念でしたが、宝暦九年(1759年)のもので全国で二番目に古いとされる小さくて素朴な狛狼から、昭和初めに講社が寄進した石碑まで、古来からの山岳信仰の神気を感じ取る事ができました。 ここからは巻き道で馬頭刈尾根に向かいます。 《馬頭刈尾根の西半分 展望の稜線歩き》 馬頭刈尾根は東西に幾つもの小さな峰頭を連ねる長大な尾根で、昭和戦前期から多くの東都岳人やハイカーに愛されたコースです。 今朝 白倉から登り着いた旧 表参道との合流点には昔 大きな茱萸の木があった事から「茱萸の木の分岐」と呼ばれていましたが現在は薄暗い人工林の中です。この分岐を過ぎて東進するとやがて南側には遮るもののない大展望が開けて、暫し立ち止まって景色を楽しみました。 現在は富士見台の別称がある大怒田山には東屋がありますが、手前の稜線からの展望のほうが遥かに優れています。この先、今度は北に大岳山からサルギ尾根にかけての山体を間近に眺める事ができます。 大岳山は近傍の山域から眺めると群山の中から一目で見つけ出す事ができるほど特徴的な山容ですが、近くから見ると意外にも可愛らしい姿が親しみやすく新鮮でした。 ロッククライミングのゲレンデとして名高いつづら岩もひっそりとして人影は無く、さらに小屋ノ沢山から鶴脚山の手前まで、丹沢山塊主稜のパノラマを遠望しつつ誰にも会わない贅沢で静かな独り歩きをたっぷりと堪能できました。 東にぽっこりと頭を擡げた馬頭刈山を越えて馬頭刈尾根を完歩したかったのですが、もう冬の陽がだいぶ傾いてきましたので無理せず千足尾根を茅倉に下る事にします。 単調な尾根をひたすら下って千足のバス停に着く頃にはすっかり暮色濃厚となり、冬の夕暮れの寒さが急に意識されてきました。 80年前、岩根常太郎が「純然たる奥多摩の名山筆頭格」と評した大岳山の魅力を心ゆくまで味わって、2022年の年納め山行を終えられた事に感謝しつつ帰路に就きました。 (このレポを読んでくださった方へ:ひび割れたスマホカメラの劣化がますます進行して写真がボヤけまくりな事、御容赦ください) mixi 「丹沢を歩く会」コミュニティ 副管理人 S∞MЯK モリカワ ショウゴ (現 事務局長) YAMAP 山行記録アプリ アカウント https://yamap.com/users/446474 Twitterアカウント 主に山関連 https://twitter.com/moyanotabikai?s=09 (靄の旅会は「霧の旅会」へのオマージュです。)
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