雲取山・鷹ノ巣山・七ツ石山(東京,埼玉,山梨)
2026.06.06 (土)日帰り
ここのところ、なぜだか秩父山塊に足が向かう。秩父や奥多摩の山々には、独特な空気があるように思う。懐かしいような、それでいて見も知らぬ遠い土地へ来たような感覚だ。
理由はよく分からない。
山には理由を説明できる魅力と、説明できない魅力がある訳だが、おそらく後者なのだろう。
というわけで今回は鷹ノ巣山だ。
水根から谷筋を二時間ほど登り、稜線へ出てから鷹ノ巣山、水根山をはじめ六つのピークを縦走し最後は奥多摩駅へ下る。
距離にして19km、標高差1500m、それなりに立派な行程だ。立派な数字だからといって、景色までがこれに従うとはならない。
天気予報は曇りだった。実際その通りだった。
奥多摩のある時期に起きる独特のものだろうか?少し不思議な気候だった。
稜線を境にガスが張りつき景色という景色が、すべてホワイトアウトしていた。
遠くの山も見えない。谷も見えない。もちろん富士山もガスの向こう側。
あるのは白けたような登山道と自分だけだった。
こういう日は仕方がない。景色がないならと、自分の内側と向き合いながら歩く。
太腿の筋肉がどう連動して身体を持ち上げるのかふくらはぎはどのタイミングで働いているのか内転筋はどこまで登坂に貢献しているのかもっと効率の良い歩き方はないのか
そんなことを考えながら歩く…
…というのはもちろん真っ赤な嘘で、
このまま鍛え続けたらロナウドみたいな格好いい尻にならないだろうか、とか
せっかく動かし方が身についてきた内転筋にも、山登り以外に何か有意義な使い途-できれば少し色気のある-はないものか、とか
そんなことばかりが、頭の中を巡っていた。
当たり前のことだが、これが自分を見つめ直す機会を与えられた男のありようだ。
消耗品でしかない自分の価値を見直すなんてことには当然ならないし、壮大な自然の中にいても結局は自分の尻の形とその行く末について考えていたりする。
それでも両脚だけは、交互に前へ出つづける。
ピークをひとつ越え、またひとつ越える。
景色は最後まで戻らなかった。
不思議なことに、まったく退屈とは思わない。見えない景色の代わりに、自分自身の強烈な身体感覚とどうでもいい考えばかりが積み重なっていく。
1500mを登って下り8時間かけて元いた場所へ戻ってくる。はたから見れば、なかなかに要領の悪い遊びに見えるかもしれない。
それでも、谷筋の森を登り、ガスに包まれた稜線を歩き、名も知らないピークをいくつも越え、多摩川源流の街へひたすら降っていく。
そのすべてを終えた今、心にあるのは不思議な充足感と、またここに来るだろうという思いだった。
~89 / マウンテンボーイの憂鬱 より