易老岳・光岳・上河内岳・聖岳(前聖岳)
聖岳・大沢岳・光岳
(長野, 静岡, 山梨)
2025.05.03(土)
3 DAYS
1月に撤退した聖岳へ。
しかしあのゴンドラにまた2回も乗りたくない。腕がちぎれてしまう。
ヤマテンの予報では3晴4荒5晴で、4.5は風が強いとのことなので、3光4移動5聖で周回してみよう。
八王子JCTは2日の夜から渋滞していた。芝沢ゲートに3時に着いて仮眠をとり、折り畳み自転車を易老渡に停めて橋を渡る。
まず易老岳を登っていくが、植生が楢松栂へと変わっていく位しか変化がなくとても長く感じる。2000m辺りで雪が現れてチェーンスパイクを履く。立ち枯れと倒木の散乱した山頂には、雪に埋もれた三角点と割れた標識があるだけだった。
光岳へと林の中を進むと、夏道は埋もれピンテも見当たらない。方向の見当を付けて進むと、先行していた年配の男性と若者がピンテが見当たらないと立ち往生していたのでパスして進む。疎なピンテを手掛かりに適当に進んでいくと三吉平に着き、踏み跡のない雪の谷を登っていく。くるぶし位だけどこれもラッセルかなと木陰で一息入れていると、若者が追い付いてきて先頭を代わって貰う。この積雪でもトレースがあると楽だなと続くと、若者がチェーンスパイクを落としたと戻って来る。僕が気付かなかったということは、先頭を交代して貰うより前に落としたのでは(年配の男性が拾っていた)。
谷を詰めると光小屋に着く。荷物を置いて、手書きの地図に従って光岳に向かおうとすると崖を渡ることになり困惑する。方向の見当を付けてまた適当に登っていくと山頂に至る。眺望は期待していなかったが聖岳がよく見えた。そのまま光岩へ向かう。もちろんピンテはないので見当で進むと立派な岩の塊が現れた。振り返って仰ぎ見ると光岳は雪の付いた木々に覆われており、こういうゼブラも良いものだと思う。
適当に登ってきたので適当に降りる。犬くらいの足跡を見付けて辿っていくと小屋に着き、こちらが正しいルートだったのではと思う。
手書きの地図には水場とトイレも描かれていたので、急斜面の下の水場を滑落しかけながら見に行ってみたが水は出ていなかった。トイレの扉の前に積もった雪を掘ってみたが内側にもうず高く積もっていて扉はびくともしなかった。冬季小屋には珍しく窓が多くて明るい小屋なのだけれど。
夜通し強風で、翌朝は小雨混じりの濃霧も加わっていたので二度寝して9時前にチェーンスパイクを履いて出発する。昨日の疲れが残っているのと易老岳への登り返しがつまらないのとでペースが上がらない。随分と雪が溶けており、山頂の三角点が根元まで露出していた。アイゼンの先行者がいるようで、ありがたくトレースを辿らせて頂く。雲の流れが早く、晴れたり曇ったりを繰り返しながら徐々に晴れていき、希望峰を越えると茶臼岳と上河内岳が見える。今日はあれらを越えてあの先まで行くんだなと遠く感じるが、久しぶりに見る這松と砂礫からなる高山の風景が美しく、夏山の始まりを感じる。
茶臼岳の山頂標識は強風に震えていた。風雪に耐え、何年もの間登山者を迎え続けているのだなと健気に思える。山頂を越えて振り返るとやはりそこに一人で立っていて、ハウルのカカシのようだと思う。そう思うとここはあの映画の舞台のようだ。
茶臼小屋への分岐を過ぎるといよいよ進むしかなくなる。便ヶ島側の谷から吹き続ける風に耐えて巻き道を進むと、夏にはお花畑になるという真っ白な窪地に出る。その先には今日のラスボス、上河内岳が聳えている。
ノーマークだったが上河内岳は均整の取れた山らしい山だ。左に聖岳、右に富士山を眺め、振り向けば光岳に続く縦走路が伸びており、その美しさに目を奪われながら歩く。
山頂への分岐で先行の男性が休憩されていて、トレースのお礼をすると既にあったのだと仰る。気さくな方で、待ってますから荷物をデポして山頂に行ってきたら良いですよという。それではと登った山頂からは、歩いてきた稜線と聖平小屋までの稜線、そして堂々たる聖岳から赤石岳への山並みと、控えめながら厳つい兎岳が見渡せた。分岐に戻るとお先にどうぞといわれるが、休憩のタイミングを逃したので先に行って貰う。
南岳を下っていくと男性がアイゼンを外していて、それではと樹林帯に突っ込んでいく。ここもピンテはなくトレースを辿る。この人は小柄な人なのだろうか、狭い木立の中ばかり通るので途中で追うのを諦め、離れたり合流したりしながら進む。
ふと見ると5本指の足跡がトレースを横切っている。熊だ。輪郭がしっかり残っていてまだそれほど時間が経っていないようだったが、谷の方へ続いていたので慌てずに一応熊鈴を鳴らす。
その先には鹿の足跡があり、辿っていくとようやく見覚えのある木道に出る。山の端に陽が沈みかけていたが、日没までに小屋に着いた。
荷物を置き聖沢で水を汲みトイレを借り、靴を履いたまま荷物を広げ、後続の男性を待つ。暫くして男性も到着し、小屋の外で労をねぎらい合う。
翌朝は快晴。けれど風は強そうだ。
前日の反省を踏まえ、4時に起きて6時前にアイゼンを履いて出発し、薊畑にザックを置いて枯れ草の斜面を登っていく。
小聖岳の山頂標識は丸い板がなくなり、支柱だけになっていた。茶臼岳と同じかそれ以上の風雪に耐えてきたんだなと健気に思う。
西沢側の谷風が強くて反対側を歩けないかなと期待するがそう都合よくはいかず、聖岳に取り付くと風を遮るものは何もなくなった。硬く締まった雪にスピッツェは刺さらなかったが、深く刻まれたステップに爪を効かせて登っていく。
山頂へと至る雪壁を登っていくにつれ風が強さを増していき、顔が痛くなってくる。もう我慢の限界というところで山頂に出ると、風は更に暴力的になりシェルが布地を裂くような音ではためく。立っているのがやっとで、慌てて小さな岩陰にしゃがみこんで山頂標識の写真を撮る。深田久弥は「すばらしい展望であった」と書いていて、確かに向かいに聳える赤石岳は立派だったし、ぐるりの山々が全て見渡せるのだけれど、感慨に浸る余裕は微塵もなかった。一歩ごとに散る粉雪が朝日に輝きながら吹き飛んでいき、綺麗だなと思うより恐怖が勝って引き返す。
少し下ると強風程度になりほっと一息つく。奥聖の匐松の上に寝そべってみたかったけれど、来たければ三顧の礼を尽くせということか。簡単じゃないなぁこの聖者は、と苦笑いする。
登りが辛いと下りは早い。あっという間に薊畑に戻り、上河内岳を眺めて休憩する。1月と同じく苔平でアイゼンを外し、大木の広場でまた休憩する。下っていくにつれ新緑が鮮やかになっていく。
だが、今回の個人的核心部はまだこの先にある。
沢の音が大きくなり、滝は勢い良く流れ落ちていた。ゴンドラは対岸に近い所で宙吊りになっており、試しに引いてみると此岸に寄せるだけで腕が上がらなくなりそう。
下流の方へと渡渉できそうな場所を物色してみるが、石は大きく流れは深くなるばかりでとても渡れそうにない。これまでの失敗から学んだことを思い返す。1.大きな石は滑る。2.飛んだら滑る。つまり浅瀬を探せ、と自分に言い聞かせる。下流に行くほど石が大きくなるなら上流は、と見ると滝の下は石が小さく、歩いて渡れそうな浅瀬を見付ける。このために持ってきたビニール袋を取り出し、足を入れて袋の口をゲイターに折り込む。浸水してもあとは帰るだけだと覚悟を決め、流れに足を踏み入れて一気に渡ると、幸い深い所でも膝下だったようで濡れずに渡れた。
晴れ晴れとした気持ちで聖光小屋まで下り、ちょうど昼時だったのでカレーライスを頼む。2日ぶりの白米は美味しく、テントを抜ける薫風が心地良い。更に易老渡まで戻って自転車で木陰の中を爽快に下る。
ふと川を見ると大きな石が山頂標識のように積み上げられている。人の力で持ち上げられる大きさじゃないし、自然に積み上がったとすれば奇跡だし、クレーンで積み上げたとしても神業だなと驚嘆する。
怒れる王蟲の群れのような中央道の渋滞の中で日付を跨いだ。