孔雀岳
1777 m孔雀岳周辺の地図
孔雀岳のモデルコース
| レベル | 代表的なモデルコース | コース定数 |
|---|---|---|
| やさしい | なし | 〜11 |
| ふつう | なし | 12〜24 |
| きつい | 25〜 |
コース定数は、目安となる体力度の指標です。11以下を「やさしい」、12〜24を「ふつう」、25以上を「きつい」の目安としています。
孔雀岳へのアクセス
西名阪香芝ICから約80㎞。
この登山口を起点とするコース
料金:無料 駐車台数:10台前後 補足情報:登山口直結で、路肩にも駐車可です。満車になりやすく、早朝到着が無難です。
この駐車場から登れるコース
スタート地点(太尾登山口)まで直線で約18m
孔雀岳周辺の施設・設備
孔雀岳に関連する活動日記
- もらった絵文字49写真302枚56:03102.7 km8624 m
大峯奥駈道(逆峯)
大峯奥駈道 その1(吉野~山上ヶ岳)(奈良)2026.09.12 (土)5日間世界遺産でもある大峯奥駈道を吉野から熊野まで逆峯で歩いてきました。 これからここを歩いてみたいという方のために、少し丁寧に活動日記を記載します。 とても長くなりますので興味のあるところだけ、写真でのコメントなど抜粋してお読みください。 【構想】 もともと神社仏閣好きな私は13年前に熊野三山、11年前に吉野の社寺を訪れ、大峯山寺にも行きたいと思っておりました。 そんなころ、大峯千日回峰行(金峯山寺から大峯山寺まで往復48キロ)を満行された塩沼大阿闍梨のことを知り、著作を読み漁って強烈にこのルートに憧れを持ち、大峯山寺に行くなら洞川からではなく吉野からと心に決めました。 5年前に登山熱が再開してから、さらにその先の大峯奥駈道を歩き通せないか考えるようになりましたが、どうにも南奥駈道の後半に小屋がなく、玉置神社の宿坊には一般人が泊まれないので、これはいよいよ山伏に在家得度するしかないか(笑)とすら思っておりました。 しかし2年前にYAMAPでフォローさせていただいている方の活動記録を拝見し、玉置神社の駐車場でテント泊できることを知りました。 そして今年9月が実行の年になり、4月に金峯山寺の秘仏蔵王権現御開帳拝観、奈良国立博物館で開催された『吉野・大峯展』観覧、8月の英彦山など修験の山々を中心に山行して、書籍や奥駈道を守る「新宮山彦ぐるーぷ」さんのホームページからダウンロードした詳細地図を読み込んで9月を迎えました。 しかし、今年の9月はよりによって天気が悪く、全国的に豪雨が続き、計画を1週間ずらしましたが、天気は良くないまま決行することにしました。 【山行記録】 ▪︎一日目 新宿から夜行バスで奈良高田まで、電車を乗り継ぎ8時半に吉野駅からスタート。 靡(なびき)という行所が七十五箇所ありますが、さすがに全ては回り切れないため第73靡の金峯山寺から巡り始めます(逆峯なので数字は逆順になります)。 林道から登山道に入るところで除草か何かの作業をされていた地元のお兄さんに「奥駈ですか?」と話しかけられ、聞くとその方は3回奥駈されているようで、「玉置山からが本番なんで頑張ってくださいね」と励まされる。 スタートしたばかりなのに嫌なこと言うなぁ(笑)と思いつつ、四寸岩山への急登に差し掛かり、早速重い荷物にバテる💦 大天井ヶ岳の急登をこなして降りたところが五番関という女人結界門のあるところ、高野山も明治時代に女人禁制を解除しているのに、令和の世にいまだに女人禁制を守る… 過去に何度か女性が登ろうとしたり、嘆願したりしたことがあったようですが、地元や大峯の方々が丁寧に宗教的理由を説明して頑なに守ってきているのです(本来の女人結界は青根ヶ峰手前でしたからこれでもだいぶ奥になったようですが…)。 私が女性なら文句を言いそうですが、こんな厳格さも大峯なのでしょう。 蛇腹という鎖場を登り洞辻茶屋で水分補給を計画していましたが、着いたらすでに営業終了😢 さらにここで雨が降り始めレインウェアを着込む。 その次の陀羅尼助茶屋もやっていなかったのですが、そのあとに松清店さんという地図にも書いていないお店があり、おじさんがいたのでドリンクを求めると1本出してくれました。 さらに西の覗きの400mくらい下から汲んできたと言う水を無料で分けてくれました。 厳しそうなおじさんに見えましたが優しくて仏に会ったような気持ちになりました。 ここからおじさん曰く600段の木製階段の急登が続き、行場である鐘掛岩があるのですが、時間も遅く雨が降っているので今日はパスして宿坊に急ぐことにして18時を過ぎて櫻本坊に到着しました。 吉野からは二組しか登っているのを見ていないのに宿坊には講の団体の方がたくさんいてビックリ😳 まずはお風呂をいただき(湯船には浸からず石鹸も使わず掛け湯するだけ)、19時から夕食をいただきました。 今回の山中では禁酒していたので、ビールは頼まず我慢しましたが温かいお茶が体に沁みます。 お部屋は一部屋を贅沢に使わせていただき、早めに就寝しました(初日にして足の踵の皮が剥けてテーピングはするもののこの痛みと連日格闘することになります)。 ▪︎二日目 夕食も朝食も時間は自由に決められるので、朝ごはんは5時としましたが、講の団体さんは4時からだったらしく下から集団で般若心経と御真言を唱える声で目を覚ます。 そして5時に法螺貝を吹いて出立されのを見ながら朝食をいただき、明るくなってから昨日積み残した鐘掛岩と西の覗きへ。 西の覗きは洞川の管轄ということで、山上参籠所で唯一の洞川寺院である龍泉寺さんにお願いせねばならず、前日は龍泉寺がどこにあるか分からず、当日お願いしてもさっとやってくれるような距離感ではないので今回は已む無く断念。 覗くだけにしましたが、覗いてみると確かに下から水が流れる音が聞こえ、昨日の松清店のおじさんはあれを汲んできたのかとありがたく感じました。 西の覗きは表行場と言われますが、東の覗きなどがある裏行場も喜蔵院と東南院の間の踏み跡を辿り入口まで行ってみましたが、先達の同行なしに勝手に入り込んで滑落したことがあったようで、ロープで入れないようになっていました(なお、東の覗きは岩が脆く、今は修行は不可になっているようです)。 そしていよいよ大峯山寺へ、幕の奥には『吉野・大峯展』で拝観した秘仏蔵王権現様が戻られているようで、幕越しに再会を感謝🙏 そして日本最強のお守りとされる九重守をいただきました。 これは人生最大のピンチのときにしか開けてはいけないもので、開かずに人生を終えられるようにしたいものです😌 そして先に進みますが、賑やかな山上ヶ岳と違い人の気配のない道中が続き、女人結界門を出てまた雨が降り始め、大普賢岳で和佐又から登ってきたであろう一人とすれ違う。 その後は国見岳の鎖場トラバース、七曜岳の鎖場と雨の中で危険箇所が続き慎重に歩みを進める。 行者還岳をピストンして南面に回り込むようにして降下すると水場があり給水。 南側から断崖絶壁を見て行者還岳の名の通りだと実感、綺麗な行者還小屋(無人)でしばし休憩すると天気も回復。 一ノ垰を回り込んで弥山への登りに取り掛かるとすれ違う人が多数、先の見えない長い登りに階段が続くのでヘトヘトになりながらようやく弥山に到着。 思っていたより若い管理人さんで驚きましたが、大峯奥駈道の手拭を購入して今回の山行唯一のお肉がある夕食を美味しくいただく😋 今日はあと1組だけで静かに過ごせましたが、明日の行程を考えて朝食はお弁当にしてもらい、濡れたウェアを乾燥室に全て干す。 ▪︎三日目 管理人さんが乾燥室の電気を落とさずに一晩乾燥機を動かしてくれたおかげで、ウェアがしっかり乾き快適に5時スタートでまずは近畿最高峰の八経ヶ岳へ。 最高峰といっても弥山からはそんなに標高差はないのでそこまで苦も無く着きますが、オオヤマレンゲ保護のための柵の扉の開け閉めがこれでもかというほど続くので時間を取られます。 なお、最高峰ゆえ日本百名山とされていますが深田久弥は「大峰山」と記しており、信仰の深い山としてこの山域一体を指しているものと思われます(「丹沢」と「丹沢山」みたいなものですね)。 そしてまた雨が降り始め、せっかく乾いたレインウェアが元通り😂、崩壊地の難所を慎重に歩きつつ、修験道創始者の役行者(えんのぎょうじゃ)が七日間彷徨ったという七日迷を右下に見ながら進みますが、視界が悪く靡もいくつか見過ごしてしまいました😢 楊枝ヶ宿小屋(無人)で濡れた体をしばし休憩して仏生ヶ岳を上下、鳥の水という水場で水分補給。 孔雀覗というところから五百羅漢という岩峰群が見えるということで楽しみにしていましたが、あいにくの天気で何も見えず🥲 そしてついに両部分けに到着、ここで曼荼羅でいう金剛界から胎蔵界に切り替わります。 椽ノ鼻には蔵王権現様が鎮座しておりますが、新宮山彦ぐるーぷさんの地図でその先の岩が谷側に傾斜しており注意と書いてありましたが、濡れていることもあり本当に滑って肝を冷やす😰 険しい岩場を降りると険峻な釈迦ヶ岳が姿を現わし、急登で登り返すころには空も晴れてお釈迦様がお出迎え。 大正時代の1924年に岡田雅行氏が一人で担ぎ上げたとされ、総重量は135キロ、御本体は100キロあり一気に担ぎ上げるのでは無く、部材ごとに順送りで上げたとされます。 信心もなくお金のために請け負った岡田氏が、仕事を終えたらお金はいらないと言ったというエピソードも残っています。 その後はやや降りてから一旦分岐を右に折れて水場のかくし水へ。 ここで汲んでおかないと水分補給出来ないので注意が必要です。 もう一度分岐まで登り返して笹原を降りて深仙小屋で濡れたウェアを乾かしながらゆっくり昼食。 そして行場の大日岳に向かい、ほぼ垂直の鎖場を腕力で攀じ登る。 晴れたので登れましたが雨だったらパスしたかもしれません(現地に修行は自己責任と書いてありました)。 山頂を回り込むと大日如来様がいらっしゃいますが、こちらも岡田雅行氏が1926年に担ぎ上げたようで、像の作成者も同じ大谷秀一氏です。 太古の辻に降りると左へ行けば前鬼に降りることができ、唯一残っている宿坊の小仲坊があります。 修験が衰退していた頃はここから前鬼に降りて南奥駈道は廃道状態になってしまいましたが、前田勇一氏が立ち上げた奥駈葉衣会とその後継団体であるボランティアの新宮山彦ぐるーぷさんのご尽力で道は再び切り拓かれ私たちは奥駈道を歩くことができます。 その薮を切り拓いた作業は千日刈峰行と称され、今後はその看板を何度も目にすることになります。 切り拓かれた笹原の道を進むと嫁越峠という女人禁制時代に女性が嫁ぐために山越を許された峠がありますが、今はその峠越えの道は悪路のため廃道になっており、そんなところを歩いて嫁に行くなんて凄い時代だなと感じました。 涅槃岳、証誠無漏岳、阿須迦利岳とアップダウンを繰り返し脚が止まりそうになったところでようやく持経ノ宿に辿り着きました。 無人小屋で同泊者もいませんでしたが、新宮山彦ぐるーぷさんによる無人販売でドリンクなどが置いてあり、少し安心を得られる場所です。 隣の行者堂には前田勇一氏の写真も飾られておりました。 休みたいところですが、暗くなる前に水を汲むために400m離れた水場に行くと水がドバドバ出ており、ここに小屋を再興するに適した場所だったことがよく分かります。 電気も100円払えば2時間使えるとのことでしたが、なぜかすぐに消えてしまい結局ランタンで過ごすことに。 薪ストーブもあり濡れたウェアを乾かそうかと思いましたが、一人だけで火の不始末も怖かったので結局火は起こさずに早く就寝しました。 ▪︎四日目 小屋の屋根を叩く激しい雨の音に目を覚まし、このコンディションで本日の長い行程を考えると早く出たほうが良いだろうと3時半に出発。 真っ暗かつ雨で視界が悪いので幅の広い樹林帯を迷い迷い進んでいると、左の30mくらい離れた谷の向かいに光る目を三匹発見👀。 鹿かなと思いましたが、それにしては動きが遅く、相手もこちらの様子を窺うように沿って歩いてくるので緊張が走りますが、チラチラとヘッドランプで牽制しながら10分くらい並走したら相手は下に降りていきました(熊鈴に熊スプレーも腰に常備した状態で歩いていたものの結局何の動物だったのか…)。 こちらも新宮山彦ぐるーぷさん管理による平治ノ宿で少し休憩してから転法輪岳、倶利伽羅岳を越えて行仙岳の急登を上がる。 意外に電気設備など人工物が山頂周辺にあり、古道の雰囲気が損なわれているのが残念でしたが、降って行仙宿で少し早めに昼食を摂ることに。 出発が早かったことと、この先に小屋がなく雨でバーナーが使えないことからの判断でしたが、この後に待ち迎える笠捨山の長い登りのためにはカロリー摂取は大正解でした。 笠捨山からは少し視界もよくなり歩いてきた稜線も見えて、足取りも軽くなった気がしましたが、この後の槍ヶ岳と地蔵岳が、再び天候悪化した雨の中での鎖場のトラバース、急上昇、急降下が続き心身ともに削られました。 地蔵岳で撮った地蔵尊のお顔が見切れてしまっていることからどれほど消耗していたかが分かります😅 東屋岳、香精山を越えて激降りしたところにある貝吹野は、ここで法螺貝を吹くと🐚山麓の上葛川の村人が食事の支度をして山伏を迎えたと云われておりますが、山麓は全く見えない樹林帯でここから聞こえたのだろうかと思ってしまいました🤔 さらに降りた塔ノ谷峠を左に降りれば上葛川ですが、まっすぐ進み古屋の辻の分岐に到着。 天候が悪いため進行が遅ければここから右に21世紀の森に降りるエスケープルートを検討していましたが、雨もおさまり、なんとか玉置神社に辿り着けそうなのでさらに進むことに。 なお、21世紀の森は熊野本宮大社を押し流した明治22年の大水害で地形が変形したところに造成された十津川村の公園であり、その際に住むところをなくした方々が北海道に移住して作った町が、滝川市の西隣にある新十津川町です(移住する距離が半端ないですね…)。 その後は玉置山に向けて林道と何度か交差しながらゆっくりと300mほど標高を上げていきますが、緩やかな登りなのでペースを保ちやすく登りやすかったため、予定より早く玉置山に到着し、玉置神社を参拝🙏 思えば、弥山小屋を出発して以来、玉置山で二日ぶりに人に会いました。 水場で水をしっかり補給して玉置神社駐車場へ。 残念ながら売店は平日なので営業しておらず、参拝者がある程度帰ってからテントを設営⛺️ 17時くらいから雨足が強まり早めに夕食を摂って寝袋に入る。 ▪︎五日目 2時半に目覚めると雨は降っておらずガスで霧雨程度でしたが、雨雲レーダーによると、4時から降り出し、山中では一日中雨の様子。 最後まで修行させてもらえることに感謝しながら😂早めに朝食を流し込んで濡れたテントを撤収し4時に出発してできるだけ先を急ぐ。 食料を消費して荷物は軽くなっていくはずも、濡れて乾ききっていないウェアやテントが重みを増し肩が痛い😣 玉置神社から降り、林道を交差してトラバース道に入り、大森山へコツコツ標高を上げるも、天気が悪いため日の出時間を過ぎても一向に明るくならない… 山頂から離れた三角点を過ぎてから急降下して難所の五大尊岳へ。 初日にお兄さんに言われた「玉置山からが本番」の言葉が頭をよぎる。 アップダウンを繰り返し五大尊岳の北岳で不動明王様を拝む🙏 初代は消失してしまったそうで、現在は二代目の不動明王様が峰行者を叱咤してくれています。 さらにアップダウンして南峰からは難所の転がり落ちるような激降り。 できればここの区間は雨が止んでいて欲しいところでしたが、試練を与えるためにか、今回の山行で一番の土砂降り☔️どんなに気をつけても岩も木の根も落ち葉も全て滑るし、弱りきった足腰では踏ん張る力も激減しており、笑っちゃうくらい転んでは泥だらけになって立ち上がる。 ここまできたら「我に七難八苦を与え給え」という気持ちになり難所も楽しくなる。 その後も大黒天神岳を越えてアップダウンを繰り返しますが、雨宿りできる場所すらなく、ただ雨に打たれて立ち休みをしながら進む。 吹越山を越えて次は吹越峠なのでようやく眼下に大斎原の大鳥居が見えてくるはず、と降っていくことをイメージしてしまいますが、林道からなぜか登り返していく最後の修行が待ち受けています🤣 そういえば新宮山彦ぐるーぷさんの地図にも峠に向けて上りって書いてあって「なんだろう?」と思ったものです。 そして上りきったところでついに大鳥居が見えて感涙に咽び、降ったところに七越峰の駐車場。 ここにトイレとベンチもあり、ようやく人心地ついて座って休憩し七越峰を越えてさらにこれが本当の最後のアップダウンをこなして熊野川の水辺へ。 熊野川を渡渉で水垢離しながら大斎原に行くことを計画していましたが、連日の雨で靴は浸水はしなかったもののマメだらけで皮も剥けて痛みから断念。 迂回して大斎原、熊野本宮大社に参拝して今回の山行をついに終える🙏 着替えてからバスで新宮駅まで降りてまずは町の銭湯なぎの湯♨️にて湯垢離、町中華の平成飯店さんにて唐揚げ定食とビール🍺でついに禁酒も解く。 旅を振り返りながら20時発の夜行バスで新宿まで、翌朝7時に無事帰宅しました。 【電波事情📶】 キャリアはauですが、山中では山上ヶ岳周辺から天狗山まで携帯電話の電波は全く通じませんでした(天気の悪さが原因🤔なのかstarlinkも全く機能せず)。 弥山小屋で山小屋Wi-Fi🛜が使えるので、そこでのみ天気予報などの情報収集が出来ましたが、電波のない区間は特にすれ違う人もいない中で完全に情報がシャットダウンされます。 これも修行、己の力で解決せよ、との覚悟を持って進みましたが、かつて滑落・ビバーク・自力下山経験もある私としては、この天候の中では緊張感の連続でした。 【GPS記録との乖離】 振り返ってみると実際のYAMAPのGPS記録とやや乖離があります。 まず初日はなぜか休憩時間が16分になっていますが、TJAR戦士じゃあるまいしそんなわけありません😂(トータル1時間半は休憩したはずです)。 さらに西の覗きでビバークしたような記録になっていますが櫻本坊まで上がっております。 最終日も熊野川の水垢離を断念したのにも関わらず水辺に降りて身を清めて活動再開ボタンをタップしたところ、対岸の大日越に渡って戻ったような記録がつきました(下ノ廊下に行った時も黒部川の対岸に渡ったようなあり得ない軌跡がついたことがあり、それ以来の謎ムーブ)。 事前の計画上では100.7km/⬆️9205m/⬇️9322mとなっており、活動終了する前のGPS累積標高は1万mを超えていたのに、活動終了ボタンをタップし軌跡解析された結果、今回の⬆️8624mの表示に激減しています。 ほかの山行でも全く同じコースを辿っているにも関わらず、活動終了すると私だけ累積標高がかなり過小表示されることがあり、今回も実際に登ったポイントをいくつか間引かれて表示されている気がします。 なので実際の計数は事前計画の数字が近いように思われ、迷ったり山上から鐘掛岩に一度降りたりしていることから距離数は熊野川を渡った謎ムーブはほぼチャラと考え、なんとなく距離102km/⬆️9300m/⬇️9400mくらいなのではないかと思っております。 【感想】 今回は5泊にするか迷いつつ、4泊の方がバランスは良いため計画実行しましたが、読めない天候も悪い方に傾き、何度もエスケープルートを検討しながら、無理せず進んでなんとか歩き切ったと言えます。 早い行者さんは2泊3日で歩くそうですが、とんでもなく、創始者の役行者が空を飛べたという伝説があるのも、凡人からすればそう思ってしまうのも最もだと妙に納得してしまいました。 結局、道中で奥駈している人はおらず順峯している人もすれ違いませんでした。 山上ヶ岳、弥山、大普賢岳以外は山中では人には会わず、特に3日目と4日目は人の気配すらありませんでした。 代わりに登山道に出てきたのはカエル🐸とヘビ🐍たちで、特にカエルは毎日五匹くらいピョコピョコ歩いているのを見ました。 普段はどちらかというと両者とも好きではない類ですが、人間に会わない中ではとても愛らしく、癒しをくれました。 大峯奥駈道は『擬死再生』と云われ、山中の厳しい修行で一度死に、下山して新たに生まれ変わって戻ってくるという世界観に基づきます。 きつい時は「懺悔、懺悔、六根清浄」と奥駈の掛け声を一人で唱えたり、般若心経を唱えたり、「なんで毎日雨が降るんだよ…」と不平不満が出てきた時は、「水場も水が出るし、暑くて水が無いよりいいじゃないか」と考えるようにしました。 では私は生まれ変わったのかというと、下山してビールを飲み、結局は何も変わってはいません😅 しかし、役行者をはじめ伝説的な行者さんたち、新宮山彦ぐるーぷさんたちの偉大さを知り、自分の至らなさ、ちっぽけなことを改めて認識しました。 ただの登山ではない、歴史を感じる道はとても偉大でした。 改めてありがとうございました🙏
- もらった絵文字108写真47枚18:5620.4 km1685 m
大峰奥駈道「弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳〜前鬼」
八経ヶ岳(奈良)2026.09.12 (土)2日間山岳会山行で、大峰奥駈テント第4回に参加しました。 一日目、八経ヶ岳以降、汗かきすぎの脚攣り連発で、小屋到着後はしばらく動けませんでした。修行が足りませんと反省。 二日目は小雨ながら大峰奥駈道の雰囲気を堪能。ただ釈迦ヶ岳への急登と前鬼への下りの道荒れには参りました。
- もらった絵文字57写真12枚20:1220.8 km2140 m
弁天ノ森・弥山・八経ヶ岳(八剣山・仏経ヶ岳)・明星ヶ岳・禅師ノ森・五鈷峰・孔雀岳・空鉢岳・釈迦...
大峯奥駈道 その2(山上ヶ岳~太古ノ辻)(奈良)2026.09.12 (土)2日間久々に2日間で20キロ弱歩いて疲れましたけどいい山行に(^o^) 総勢14名で
- もらった絵文字131写真34枚18:3120.9 km1756 m
大峯奥駈道(弥仙~前鬼)
大峯奥駈道 その2(山上ヶ岳~太古ノ辻)(奈良)2026.09.12 (土)2日間大峯奥駈道、前回の続きを歩きました。 行く前にネットでいろいろ調べて、危険箇所がたくさんあることは分かっていたので、かなり構えて臨みました。 水を持ち歩く量を気にしたり、ザックの重みでバランス取りづらかったり、普段と違う感覚もあります。 雨で滑りやすい中、ずぶ濡れだけど蒸し暑くて不快な体感覚など。天気が良ければもう少し楽に歩けるのかな… あと、ジャバラのマットをザックにつけて歩くのは失敗でした😔⤵︎エアマットを買おう。 弁天ノ森・弥山・八経ヶ岳(八剣山・仏経ヶ岳)・明星ヶ岳・禅師ノ森・五鈷峰・楊枝ノ森・仏生嶽・孔雀岳・釈迦ヶ岳
季節別の活動日記
山頂からの景色
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孔雀岳の年間登山者分布
※年間の登頂者総数を100とした場合の各月の割合を%で表示
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 0% | 0% | 0% | 16.49% | 35.98% | 10.28% | 7.71% | 4.29% | 9% | 5.79% | 9.86% | 0.65% |
孔雀岳周辺の天気
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孔雀岳周辺の山
山歩(さんぽ)しよう。

山歩(さんぽ)とは、山や身のまわりの自然の中を気持ちよく歩くこと。今すぐ行ける山歩コースや、山歩した気分になれる映像コンテンツを更新中です。



