251101 宮崎県祖母傾山系① 崩野峠→一の鳥居→松が鼻→筒が岳→群山→越敷岳→茶屋場→祖母山九合目小屋
祖母山
(大分, 熊本, 宮崎)
2025年11月01日(土)
日帰り
― 登山に出掛けるまで ―
登山を続けることに、限界や疲れのようなものを感じ始めていた2024年。
しかし、全力で山に登ることを決めて、それを実行すると、苦しかったという気持ち以上の、"良かった"という素直な感動を得たシーズンになりました。
3/30(日)に、計画していた全ての登山を終えました。
オフシーズンは、決してゆっくりと過ごしていたわけではなく、忙しく過ごしていました。いくつかの旅の計画を立てる作業に加え、仕事、サッカーの負荷も相当に大きく、色々な物を背負い、追われる日々に、明らかな過労を意識できるほどで、このままでは体調を崩すかもしれないななどと思う局面もあり、そのたびに、ここが踏ん張りどころだと叱咤し、無理をして頑張りました。
しかし、今思えば、今回に関しては、あの日昨シーズンの登山を終えてから、この日までの日々は、すべての日が新しい登山シーズンに向けての準備期間だったような気がします。
細かい用事も済ませていきました。
歯医者に行き(僕に虫歯はありません)、iPhoneの機種変更を済ませ、車検を済ませ、親に会いに行き、髪を切りました。一つ一つ、準備を進めました。
登山から離れた生活がしばらく続くと、夢中で駆け抜けたあの日々が、夢だったような気持ちになりました。あの時期の、鋭敏で研ぎ澄まされた感覚、苦しい場面での呼吸や鼓動、息が止まるほどの苦しい瞬間に流れる、静かで穏やかな時間。
そのどれもが、ありありとした感覚から、多少は薄れ、離れていったものの、まださほど損なわれていないことに驚く日々でもありました。
2025年は、登山をすること自体への迷いは全くありませんでした。今年は自分がどんな縦走を思い付いて、どんな素晴らしい時間を過ごせるのか、楽しみにさえ思っていました。
いつもどおり、11月から登山を始めることにしました。しかし、登山を始める時期が次第に近くなってくると、もう一度感覚を取り戻し、あの時間の中に自分を置くために必要な大きなエネルギーを思うと、やはり多少憂うつになりました。
今年は、もう15年ほどずっと先延ばしにしてきた、宮崎県祖母傾山系から始めます。九州にある大きな山系としては、これが最後のエリアになります。中途半端に登って、汚してしまわないように、あえて取っていました。
いくつかの旅に出掛けていたので、なかなか登山計画を始められる状況が整わず、8/30(土)から、ようやく登山計画を始めました。この数年、1年に1度は東京にサッカーを見に出掛けるようにしていましたが、あまり時間が無いので、それは止めることにしました。
僕の登山計画は、方法が一定の論として確立されています。
まず、そのエリアの25000図を途切れの無いようダウンロードします。宮崎県祖母傾山系は、エリアが広く、ダウンロードした25000図は、A3サイズで25枚にもなりました。
次に、山と高原地図などを参考にしながら、存在するすべてのルートを線引きし、コースタイムや地名などを記していきます。こうして完成した25000図には、その山系のすべての情報が記されていることになります。
それから、分県登山ガイドの書籍と、昔インターネットの記事をPDF化していた登山資料を、読み込みます。
僕の持っている書籍の版はもう15年も前の物ですが、とても役に立ちます。登山アプリで得られる情報は、情報の古さという点において、本には敵わない。本は、時が経っても価値が褪せないものです。登山においては、情報の新しさというものは、必ずしも優位とは限らないと思っています。登山アプリは、登山をより快適に、より安全に、そしてより危険にしました。
ここまで作業が進むと、このエリアをどう攻略するかが、自然と見えて来ていますから、それぞれの回ごとに、往復の移動の行程と、登山の行程を作成します。
最後に、いつ何の作業をしたかなどを、一覧表に整理して、終了です。
無駄の多い、ほとんど気の遠くなるような方法です。うんざりすることは、何度もありますが、投げ出すこともできません。
しかし、どれだけ手間や時間がかかっても、多くをかけて習得した知識は、一度記憶してしまえば、忘れることはありません。一つの資料でしか得られなかった情報の貴重さ、文献の重みを、これまで何度も経験してきました。
頭の中にほとんど無かった知識や概念図が、頭の中に綺麗に整理されて構築され、まだ出掛けていないのに、何度も歩いたことがあるかのように、現地で振る舞うことが出来ます。それは、どれほど完璧に準備をして出掛けても、なお予期せぬこと、想像していなかったことが起きる旅の中で、計画の変更や、何かの判断をしなければならない究極の場面で、疲れ切った身体でも、出来るだけベストな、適切な判断をする助けになります。自分の身を守ってくれます。また、それは、多くの時間とエネルギーをかけてせっかく出掛けて行った先で、出会った物や事を正しく理解したり、何かを得損なうことを避けたいという、僕の願いの現れでもあります。行き当たりばったりで旅に出掛けたことが無く、徹底的に調べ、計画を立てて、それに従って行動をすることは、軽やかさを損なうという点で、僕の悪いところでもあります。それでも、細かいところまでこだわって行うことが、全力を尽くすということであり、それでもなお果たせないことがあれば、それは本当に仕方のないことなのです。
しかし、このようにして進めていった祖母傾山系の登山計画は、これまでの山系とは違い、なかなかうまくいきませんでした。
たいていの山系は、25000図が完成する頃には、何回に分けて、各回でどこからどこまで歩けば良いかが、自然と起想されてきました。しかし、その起想がうまく浮かんでこないのです。できるだけ同じ道を通らず、できるだけすべての山に登り、軌跡をつなぐように歩く、この条件を、矛盾なく満たす答えが、なかなか見えてきません。
まず、本当にたくさんのルートがあります。公共交通機関はほとんど利用できません。(改めて、昨シーズンによく利用した、豊肥本線と南阿蘇鉄道のありがたさを感じます。)
そして、山が深い。怖い。僕には、九州脊梁山系よりも攻略は困難であるように思えました。
25000図の作成がおおよそ完成し、少しは地理が分かってきていたタイミングで、下見を兼ねた小旅行に出掛けました。
まずは、これから毎週通うことになる、自宅から高千穂までの距離感を、もう一度確認します。
自宅を00:28に出て、06:12に、239キロ離れた県道7号線入口の[馬門]に至りました。
これが、あまりにも遠い、遠すぎる‥と思いました。
仕事をして、それから22:00までサッカーをして、そのまま家を出たからかもしれませんが、とにかく遠い、きつい。運転の体力には自信があって、長崎から、阿蘇や高森まで毎週のように通うのは何とも思わなかったし、大津から63キロ、高森から36キロ先の先の高千穂は、距離にしてみると大したことはないのに、はてしなく遠い場所に思われました。
この時点で、こんな遠い場所に毎週通うのは、もう諦めようかと思いました。ただ、ここまで来て帰るわけにもいかないので、尾平越トンネルまでの22キロを72分かけて進んでみましたが、前夜の台風の影響が残り、霧で暗く不気味な雰囲気です。この時には、ほとんどもう登山をするのをやめてしまおうくらいの気持ちになっていました。
尾平越トンネルから原尻の滝までの31キロを82分かけて進み、この頃からようやく回復してきた天気に、どうにか気持ちを立て直し、豊後大野→臼杵→佐賀関→大分→別府とドライブして、別府に泊まりました。この頃には、サッカーで傷んだ身体を別府の温泉に浸けながら、諦めずにもう少し可能性を探ろうとする自分がいました。
投げ出すこともできず、小旅行から帰ってからも、とりあえず、登山計画を続けました。
9/14(日)に、25000図が完成しました。
繰り返しになりますが、いつもなら、この時点で、構想はある一定の形へと収斂され、その山系をどう歩くかという形が、自然と見えてきているものなのですが、今回はその収斂がどうしても見えてきません。思い切って、あまり好きではないけれど、野営をしながら数日に及ぶ大縦走をしてみるかとも思いましたが、僕の目的は「つなぐこと」なのか、「名の付く山にすべて登ること」なのかと考えた時に、どちらも目的としていることを考えると、結局はいくつかの行程をかけて、この山系を歩くことにしました。
どれだけ考えても、なかなか良い案が思い付かず、2025シーズンの登山をどのように行うかの選定をするのに、9/15(月)から、3日悩みました。最終的に、少しずつ微修正を重ね、春が来るまでに21回の登山を行うことに決めました。
10/9(木)から14(火)まで帰省し、親に会いに行き、その間も計画を進めました。
10/12(日)に、登山書籍と登山資料の確認を終えました。書籍と資料を読み込み、このエリアの山のことを知っていくと、克服し、挑戦し、歩ききった先にしか終わりは無いのだと、染み込むように観念していきます。
そして、書籍を読むことで、このエリアのつながりがようやく分かってきました。
・県道が、西から8号線、7号線、6号線と並んでいる。
・県道7号線を境に、西側に祖母山、東側に傾山がある。
・祖母山も、傾山も、あらゆる方向からよく道が付けられていて、水が豊富である。
・県道7号線と県道6号線の間に、祖母傾の主稜線から南に、本谷山→追越→乙野山→小林峠→二ツ岳→渡内越→湾洞越、と山が伸びている。
・祖母傾山系と大崩山系の境は、北側の境は杉ヶ越、西側の境は県道6号線である。
・大崩山系の登山口は、北側は杉ヶ越、西側は日隠林道、大吹登山口、南側は宇土内谷、上鹿川、南東側は上祝子川である。
・大崩山系も、山深いにも関わらず、あらゆる方向からよく道が付けられていて、一周周回するような縦走をいくつか計画することで、攻略が可能である。
・可愛岳突破から始まる西郷隆盛敗走路は、よく考えられたルートである。
10/28(火)に、すべての登山計画を終えました。
今年も、ぎりぎりで間に合わせることができました。東京に行かない選択が良かった。ここまでくると、2ヶ月ほど前に下見に出掛けて、あれほど弱気になっていた気持ちも、気鋭になっていました。あの弱気は異常で、計画が終わっていない無知から来たものだった。強い身体、正しい理解、適切な判断で、苦しい局面を越え、一歩一歩歩き続けた先にしかゴールは無いのだと‥。
今年は、素晴らしい景色を見たいとか、そういうことは少しも考えず、歩き切ることだけを目標にします。
このような男なので、スタート地点に立つまでが一苦労。あとは、始めるだけです。もはや山に登ること自体はあまり問題ではなく、どうつなぐか、どう単独でやりきるか、そのマネジメントが最も難しいところです。
― 迎えた当日 ―
仕事を終え、22:00までサッカーをして、洗濯をして、最後の荷物準備をして、00:00に家を出ました。晴れ予報だと思っていたのですが、途中、嘉瀬辺りから濃い霧が出始め、結局この日はだいたいすっきりとしない天気の下にいることになりました。
夕食を食べていなかったので、うどんを食べようと思い、大津町のヒライに行きましたが、厨房メンテナンスのため受付停止中。仕方なく、お弁当を買って食べました。半袖にジャンパーを着ていただけだったのですが、意外と寒く中にダウンを着てから、再出発。2ヶ月ほど前に、下見に出掛けた時は、なぜか運転がきつかったのに、この日は気鋭だからか全くきつくなく、いつもの調子を取り戻していました。
高森峠を越え、04:47に県道8号線に入りました。04:58に新五ヶ所高原トンネル手前の旧道入口に車を置きました。
この日は、ここから、一の鳥居登山口まで車道を歩き、松が鼻、筒が岳へと登り、一度下山して、群山、越敷岳へと登り直し、それから、もう一度下山して、緩木山、長尾山、烏帽子山へともう一度登り直し、祖母山九合目小屋に泊まってみる計画です。始めは、祖母山九合目小屋に泊まる予定ではなかったのですが、別の回で祖母山九合目小屋に泊まることにしていたので、その下見も兼ねて、計画を変更していました。それに、この日は、新しいジャンパー、新しい食べ物、荷物準備の仕方など、色々なことを試す日でもありました。
身支度を整え、05:10に歩き始めました。風は全く無いものの、アスファルトが露で濡れて滑ります。車も走れる旧道でした。一の鳥居登山口に、日の出の06:32までに着くことを目標にして歩きます。崩野峠まで上がって行くと、もう暑くなり、県道8号線に合流した所で、ダウンをリュックになおしました。県道8号線は、思いのほか道幅が広く歩きやすい道でした。(県道7号線のような険道をイメージしていた)
三秀台を過ぎ、五ヶ所地区に意外と家がたくさんあるんだなと思いながらさらに進み、05:47に北谷登山口方面へと右折しました。空がだんだんと薄明るくなってきていましたが、この日は晴れるとばかり思っていたのに、厚く曇っているようでした。ジャンパーの下は半袖でちょうど良く、長袖だとすぐに汗が流れそうな気温でした。この日は、山小屋に泊まるということで、お風呂に入れないので、できるだけ汗をかきたくないところです。
全面通行止の区間も、歩行者は通ることができ、計画していたとおりに進んでいきます。小さな集落が奥まで続き、街灯も点いていたり、右の田には稲が干してあり、まだ人の香りがします。
06:32を過ぎ、日の出の無い朝を迎えました。結局、一の鳥居までは7キロほどで、07:01に一の鳥居に着きました。
一の鳥居から少し戻り、松が鼻へと取付きます。
作業道に上がり、歩いて来た方へ戻る感じで進み、地形図で作業道と尾根と交わる地点から、山に入りました。
久しぶりに、登山に身を置く朝です。僕がしばらく山から離れていただけで、山は何も変わっていない。そんな当たり前のことに気が付きます。
静かな山の朝に、本当の声が聞こえてきます。安寧な時や場所と同時に、確かに存在し続けていた自然の世界に戻り、目前の物をクリアして行くことだけに、全ての能力を注ぎ進んで行きます。
全く眠っていないものの、暑くはなく、登山をするにはちょうど良い温度です。11/1が土曜日であるということも、ちょうど区切りが良く、なんとなくすっきりとして気分が良い。
鹿除けネットの右側を上がって行きますが、いきなりの急登です。落ちていた木の枝を折り、杖にして登って行きます。霧も濃くなってきて、晴れないことをいつまでも不思議に思っていました。07:36に松が鼻に至りました。
次に、筒が岳を目指します。松が鼻(松ヶ谷)から筒が岳の区間は、急下りや急登が連続しました。
僕は、荷物が軽い→自分が疲れない→あらゆるリスクが低減する、と考えているので、いつもかなり軽量の荷物で歩くのですが、この日は、山小屋に泊まるということもあり、生活の荷物が増えて嵩んだので、約10年ぶりに、本格的な40Lリュックを引っ張り出して来ていました。出来るだけ荷物を減らして来たのですが、慣れていないこともあるのか、どうにもリュックが重く、ペースが上がりません。リュックが重く、急下りではバランスを崩してふらつきそうな感じがしました。次回は、荷物の見直しが必要だと感じました。
08:24に、左側に高い梯子があり、それを上ると、筒が岳南峰でした。梯子や岩が、露と霧で濡れていて、滑落しそうでひやりとしました。
それから、08:37に筒が岳に至り、ここから一度越敷岳方面へ下山しました。
10:07にコンクリート舗装の道に出合い、ここであんぱんを食べたりしながら、歩きながら一息つきました。10:46に、鹿の頭蓋骨が岩の上に置かれている気持ちの悪い駐車場を過ぎ、再び山に入ります。草がよく刈り掃われいて、知らないどなたかが歩きやすくしてくれていました。8分ほど上がって行くと、群山への分岐に至りました。
群山へは、越敷岳から続く稜線を行かず、巻いて行き、ピストンすることにしていました。分岐に、リュックをデポし、身体も少し休めながらピストンすることにします。
群山までの道に、不思議に思うくらいテープが1つも付いていなかったので、適当にルートをファインディングしながら進みます。どこからか稜線に上がった方が良さそうかと思いきや、稜線には大きな岩がいくつもあり、結局は最後の最後まで、それらの大岩すべてを避けるように巻き続けるのが正解でした。テープを付けながら歩けば、復路に頭を休めることができそうでしたが、リュックの中に入れて置いてきたことを後悔しました。
30分くらいで着くかと思っていましたが、手こずり、64分もかかってしまい、12:05に群山に至りました。復路は、往路の反省を活かし、往路を忠実に辿ったり、あるいはあえて逸れたりしてみて、40分で分岐に戻りました。
無事に待っていてくれたリュックを回収し、先に進みます。越敷岳への分岐にも、リュックをデポし、左回りで越敷岳に登り、右回りで下りました。
13:13に、越敷岳への分岐に戻って来ました。計画では、ここから一度緩木神社へと下りて、緩木山へと登り直して、再び主稜線へと復帰しようと思っていましたが、リュックが重く、ここまでほとんどコースタイムでしか歩けておらず、昨日全く眠っていない疲れもあったので、計画を変更して、このまま稜線を進むことにしました。
それから、疲れた身体には、壁のように聳え立って見える、いくつもの急登を越えて進みました。
13:59に長尾山に至り、14:19に緩木山への分岐に至りました。緩木山へは、コースタイムで片道1時間、この分岐に戻って来るのは16:00過ぎになるでしょう。この分岐から、今日の鈍間な僕の身体では、祖母山まで3時間かかるでしょうから、祖母山九合目小屋に着くのは19:00過ぎ‥。でも、今行かなければ、もう来ないかもしれないし、再び緩木山に登り直しに来る方が、トータルとして多くの時間とエネルギーがかかる。今なら2時間が加算されるだけだ‥。いつもなら、迷わずピストンするところですが、この日は散々悩んだ挙句、緩木山をパスし、先に進むことにしました。体力的というよりも、時間的な判断でした。
このあたり、かなりぎりぎりの判断で、同じ条件で、また同じ場面に直面した時に、毎回同じ判断をするかどうかは分かりません。判断には、論理を超えた気分や感覚がどうしても影響してしまうものです。ただし、行くにしても行かないにしても、現場で下された判断は尊重されるべきものだと思っています。今回は、この判断が良い判断だったと、後で思わぬ形で分かることになります。
それからも、多良山系や裏英彦山の上位互換とも言うべき、いくつもの苦しいアップダウンを越えて進みます。近年は、このような、登山本来の苦しさを感じる登山からは少し離れていたので、久しぶりの懐かしい苦しさです。15:03に、この日最後のピークである烏帽子山に至りました。
厳しい山だと、ずっと思っていた祖母山の自然は、素直に綺麗で素晴らしいものでした。自然林が多く、気持ちが良い。冷たい風が吹き、急登で熱くなる身体にはちょうど気持ちが良い。
いつの間にか、雲は強い風で飛ばされて、ほとんど青空になっていました。
晩秋にはまだ少し遠く、秋の始まりくらいの雰囲気。でも、もういつ冬が来てもおかしくない、予断を許さない雰囲気がありました。
16:00を過ぎると、陽がだいぶ傾き、夕方の色になっているのを見て、気温とは別の軸で、2025年も終盤に差し掛かっていることを思い出します。
16:11に茶屋場に至ると、ようやく歩きやすい道になり、ここからは、祖母山九合目小屋に着くまでの約60分をカウントダウンするように歩きました。また、ガスが出て来て、風も強まり、かなり寒くなってきました。結局、この日は終日あまり良い天気ではありませんでした。
17:24に祖母山九合目小屋に着きました。小屋には、既に人が多く、僕が最後の客で、2階にようやく空いたスペースを見つけ、荷物を整理し、眠る準備をしました。どうしても髪を洗いたくて、この夏に妹に教えてもらったドライシャンプーを持って来ていました。妹のおかげで、けっこうすっきりできました。
水を汲みに行き、持って来ていたガスコンロでお湯を沸かし、疲れていても神経を使わずに食べられるように自宅で練習していたフリーズドライを食べました。生活に必要な行動をしているうちに、自分が苦労して持って来た荷物に、まだ削減できる不要な物があることが判り、本番ではどうすべきか、勉強になりました。
19:30頃に電気が消され、緩木山に登っていたら、ここで泊まれなかったかもしれないなと思い、ビビりました。
36時間ぶりに横になると、やがて僕も深い眠りに落ちていました。
<この日登った山>
1 松が鼻(松ヶ谷)
2 筒が岳南峰
3 筒が岳
4 群山(越敷岳)
5 越敷岳(甑岳)
6 長尾山
7 烏帽子山