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1899 m
祖母山 (大分, 熊本, 宮崎)
2025年11月09日(日) 日帰り
春が来るまでに行う21回の登山の4回目。 この日は、尾平越から本谷山まで東に進んだ後、本谷山から南下して、追越、乙野山、小林峠、二つ岳へと進み、天の古道を通って、赤水に登り、天岩戸神社まで歩きました。 始めは、天岩戸神社から尾平越までも、県道7号線を歩く予定でしたが、別の構想が生まれてきた関係で、この日はタクシーを利用しました。 まず、この日の天気のことについて、触れたいと思います。この日は、1週間前から雨予報で、木曜日の夜までは、雨が降り始める前に下山しなければならないと思っていました。しかし、金曜日の朝になって、朝から雨が降る予報に変わっていました。 ただし、 ・そこまでの大雨というわけでもなさそうだということと、 ・一日中雨ではないこと ・予想気温が、土曜 最高20度最低4度→日曜 最高21度最低15度で、1600mを超える祖母傾山系の主稜線と言えども雪にはならなさそうだということ このことから、即座に登山を中止する判断はせずに、直前まで、予報の推移を注視することにしていました。 前夜、ビールを飲みながら、天気予報を見てみると、やはり雨が降るようでした。ただし、11:00頃には止み、降っても3ミリ、最低気温は15度でした。天気図で等圧線などを読んでも、大荒れにはならなさそうです。 出来ない計画は立てていない。雨が降ることは確定していて、雨が降らないよりは難しく、つらいことは決まっている。あとは、それが乗り越えられる難しさかどうか、耐えられるつらさかどうか、ということでした。 乗り越えられるし、耐えられそうでした。とても難しい判断でしたが、決行することにしました。 04:00に起きて、身支度を整えました。 実は昨日、酒を飲みに出掛けた居酒屋さんで、バイトの子が瓶ビールを僕の足に落として割ってしまい、1本ビールをサービスしてもらって予定より飲み過ぎてしまっていたのですが、幸い体調に影響は無いようでした。 いつも使っているリュックではなく、洗濯機で洗える破れかけた500円くらいのどうでもいいリュックを使うことにしました。飲み物とパンと、濡らしてはいけない物を入れた防水バッグだけを入れます。 宿の外に出ると、もう雨が降り始めていましたが、歩けないほどではありません。 04:31に宿を発ちました。05:00に天岩戸神社にタクシーを手配することに成功していました。04:44に天岩戸神社専用駐車場に着きました。ここは、雨は降っていませんでした。支度を済ませ、04:52にタクシーに乗りました。 賽は投げられました。 投げられたサイコロの目はもう変えられません。 運転手さんは昨日と同じ方でした。もう知り合いなので、車内での会話では、できるだけ高千穂の事情を知ろうと話を誘導します。 登山者を尾平越トンネルまで送ることもある、登山者を岩戸から見立まで送ることもある、先週も朝5:00に見立まで登山団体を3台で送った、路面凍結は最近は少なく年に何回か、高千穂から延岡まで1時間かからない、見立の方が遠く90分かかる、来週も05:30に北谷登山口まで送る、高千穂は人口10000人を切った、高千穂から、福岡、大阪、東京に出て行く人が多い、近くだと、延岡、熊本に出て行く人もいる、運転手さんは運転手になって5年目、このタクシー屋さんは設立6年目、宮交タクシーはあるが高千穂交通は廃業したので地元の会社を作ろうという話になり設立された、365日営業、従業員は7人、シフト固定、など。 なんとこのお姉さんは、7人子供がいて、しかも全員女の子だということが1番驚きました!笑 お話しをしているうちに、雨がやや強く降るようになっていました。05:27に、尾平越トンネルまで、送っていただきました。 「ありがとうございました。帰り道、気を付けて」と伝えると、「いやいやお客さんこそ!!」と返され、とても納得しました。 車内での会話で、このコンディションにもかかわらず、心が内向きにならずに済みました。不審がられたり、心配されすぎたりすることもなく、距離感も適切でした。2日間本当にありがとうございました! 尾平越トンネルには、1台も車は停まっていませんでした。9月に行った下見のおかげで、ここがどのような場所かを知っていたので、雨と闇の中で初めて降り立つのではなかったことは大きく、下見していて良かったと思いました。 身支度を整え、05:31に歩き始めました。まずは、祖母傾山系の主稜線へと上がって行きます。 雨が降っています。あまり寒くはありません。心拍数を上げないようにゆっくり歩きます。上のジャケットだけレインコートを着ました。傘も持って来ていましたが、邪魔になりそうなので差しませんでした(無駄な荷物になってしまった)。リュックカバーは使わず、リュックは濡らします。真っ暗ですが、思ったよりも心細さは感じません。道は明確で、暗くても歩けます。 06:00を過ぎると、風が強くなり、稜線が近くなったのかと思い、上を見ると、稜線が薄く見えていました。 06:09に、祖母傾山系の主稜線に至りました。薄暗く、やはり風が強いですが、思ったよりは荒れていません。 ここから、本谷山まで東に進みます。 登山道は、広く、明確で、とても歩きやすい。読みどおり、雨は降っていても気温が高いので、雪にはならなさそうです。黙々と歩きます。 06:24にライトを消しました。06:47に丸山に至りました。右から吹く風が、次第に強くなってきていて、風に背を向けて写真を撮りました。 さらに進むと、カラフルな落ち葉が落ちている所があり、驚きました。雨に濡れてそう見えるのかもしれないなと思いました。 07:12に、背の低い笹が下草として生えている地点に至り、ここまで奇跡的にあまり濡れていなかった靴が、ついに濡れてしまいました。風もいよいよ強くなり、少しつらくなってきました。気が付くと、もう履いていたパンツまで濡れていました。木が生えていたり、大岩(三国岩)があって、風を避けられる所が3ヶ所ありました。 08:09に本谷山に至りました。 ここまでは、まだ順調でした。ここから、この日体験したことを、何からどう話せば良いのか、まずは収集がつきません。 本谷山から南下して、追越、乙野山、小林峠、二つ岳へと進みます。 08:11に南下を始めました。地面は歩きやすいのですが、尾根が広く、どこを歩けば良いのかがとても分かりにくい。(「広い尾根ほど迷いやすい」のは登山の常識の1つかと思います) テープは、最初に1つだけ見ましたが、無いと言って良いです。雨と霧で視界が悪く、進むべき方向を定めるのに苦労します。途中、何度か尾根を外し、違和感を感じて、修正をしました。また、尾根上に大きな岩もあり、越えたり巻いたりするのも大変でした。雨が強くなってきて、黒土で滑り、2回大きく転びました。泥だらけになり、大岩に付いた苔から滴る水で手を洗いました。あまり雨風がひどいと、リュックから何かを取り出すこともできません。 次第に、状況は厳しくなってきていました。どうしておうちからこんな遠い所に来てしまったのか‥。とても心細い時間でした。しかし、適切な判断で、苦しい局面を1つずつ越え、一歩一歩歩き続けた先にしかゴールはありません。 10:09に、謎のテープが多く付けられている所に出合い、まもなくそれは林業の物であると断定し、人の手が及ぶ所までは下って来たと分かりました。雨も少しは弱くなってきて、最悪の状況は脱しました。これから何が起きても、コンディションとしてはここまでよりはましでしょう。ここまで耐えて来られたのだから、この先耐えられることは確定しました。 10:28に追越に至りました。 「県道7号線の県道6号線の間に、祖母傾の主稜線から南に、本谷山→追越→乙野山→小林峠→二つ岳→渡内越→湾洞越、と山が伸びている」ことを、登山計画の過程で理解していました。県道7号線側の岩戸地区、県道6号線側の見立地区、この2つの地区を結ぶ峠道が5本あったそうです。 追越は、そのうちの1本にある峠です。石仏が2体祀られていました。その先に、「←乙野山」の標識を見つけて、喜びました。見上げると、伐採地が見えています。伐採地に上がると、見立側が大きく伐採されていました。 11:06に乙野山に至りました。乙野山からさらに南に下っていると、右下に作業道のような物が見えます。霧でよく見えないのですが、どう見ても作業道に見えるので、思い切って下ってみることにしました。 11:28に作業道に合流しました。この作業道がどこに続いているのかは知りませんが、きっと小林峠横の林道に合流するはずでした。これで、二つ岳の登山口まで、支障なく行けることになり、ホッとしました。 11:50に読みどおり林道に合流しました。白線も引かれた立派な林道で、舗装も傷んでいませんが、落石が多くありました。ようやく一息つくことができたので、リュックからクリームパンを買って食べました。ただ、11:00頃に止むと思っていた雨が、まだ降り続けていました。雨という液体が降るだけで、こんなにも余計な苦労が増えるのですから、雨とは一体何なのでしょう。 このままずっと林道を歩いていたかったのですが、12:24に二つ岳の登山口に至りました。13:05に二つ岳に着きましたが、木の葉と藪に付いた水で、この頃にはもうレインコートも無意味なくらいにすっかり全身びしょ濡れになっていました。 二つ岳からは、渡内越、湾洞越へと歩く計画でしたが、状況を考慮して、林道を歩くことにしました。二つ岳登山口に13:42に戻り、さらに林道を進みます。 14:28にようやく雨が止むと、ここから天気は急速に回復してきて、ガスは流れ、山からは水蒸気が昇り、下界の集落が見えてきました。聳えるような山の斜面が一面見事に紅葉していて、思わず心が揺さぶられます。 5キロほど進み、天の古道への取付きを気にしながら歩いていると、15:13に左に地図に記されていない作業道があり、天の古道の方へと伸びていそうです。よく見ると、この分岐に「天の古道」の標識がありました。作業道を歩いて天の古道にアプローチできるとは知らなかったので、幸運を喜びます。作業道を進みながら、できるだけ長くこの作業道が続いているように願い、きっと現れるはずの次の標識を見落とさないように注意を払います。 15:34にその次の標識に出合い、その上にはさらに道が見えています。天の古道は、あくまでも生活道なので、登山道ではなく、歩きやすく設けられた道だったのでした。この登山の終盤に、予想していなかった幸運な展開となり、とても喜びました。 しかし、よく見ると、「赤水方面通行不能」と書かれた別の標識がありました。かまわず進むと、鹿除けのネットがあり、それに沿うように踏み跡があります。やがて踏み跡は鹿除けネットから左に離れ細くなりますが、まだ続いてはいます。16:00に赤水に至りました。先にはまだロープが続いていますが、そのロープが終わると、道が完全に消失しました。いつの間にか急な谷の上部にいて、どう進むべきか、よく分かりません。地図を取り出し、自分の置かれている状況を確認します。自分が目指すべき林道まで、水平距離はあと500mであること、高低差は300mあることがわかりました。そして、自分が目指すべき林道まで、この急な谷をひたすら下って行って良いのか(=下るのはこの谷で合っているのか)、等高線を確かめて、絶対に間違いないと結論し、この谷をひたすら下ることに決めました。 この谷は、一度下ってしまうと、戻って来ることは状況的にもうできません。30分かけて、この谷を下り、一応谷底に来ましたが、距離としては300mほど残っていました。今度は、岩のゴロゴロした突破するにはかなり時間がかかりそうな光景が広がっていました。もう16:43で、突破する頃には暗くなってしまいそうでした。しかしよく見ると、左に別の作業道があり、とりあえず水平距離だけでも林道に近付けようと思い、それに賭けてみることにしました。高低差は開いてしまいましたが、水平距離は林道に達した所で、なんとか一気に下れそうな斜面を発見し、夢中で下って、17:07に林道に合流することができました。 やった!生き延びた!あとは天岩戸神社まで、車道を歩ける!と思い、ボロ雑巾のようになった軍手をここに投げ捨てました。 しかし、ホッとしたのも束の間、そんなことをしたからなのか、車道だと思っていた林道は、すぐに藪に覆われ、崩壊し、地図と線形も違っていて、また油断できない様相になりました。一気に暗くなり、またライトを点けて、あまりにも荒廃した林道を、確信なく歩くのは、最後の最後に本当に心細くなりました。17:46に民家が見えた時は、本当にホッとしました。良かった!あとは、安全が保障された世界をずっと歩き、18:18に天岩戸神社専用駐車場に無事に戻りました。 忘れていましたが、僕はここから長崎に帰らなければなりません。びしょ濡れ、泥だらけの服を脱ぎ、清潔な服に着替えて、18:34に帰路に就きました。今日中におうちに着くことを目標にひた走り、途中でカレーを食べても、23:50に帰宅しました。往路に聞いていたNHKラジオ深夜便を、復路にも聞くとは思いませんでした。 泥だらけの服をすべて洗濯して、荷物を片付けて、03:00頃に眠りました。 この2日間の登山は、死闘としか言いようがない登山でした。特にこの日の登山は、大変でつらかったです。 コンディションが悪く、こうなることは分かって出掛けたけれど、それでもやはりつらかった。タフな歩きになりました。 もし天気が良ければ、違ったのかな。 集中力を切らさないように努めました。 目の前にある1つ1つの局面を、 どう乗り越えていくか - ただ風雨に耐えて歩くだけではなく、その1つ1つの判断を、粘り強く繰り返した自分の根気に、心からの拍手を送り、自分を労いたいと思います。諦めずによく最後まで歩きました。 翌日は、前日に起きた出来事が無かったかのような、素晴らしいお天気でした。登山は、翌日の天気が大切なような気がします。 素晴らしい天気の下に、汚れた大量の洗濯物を干すと、昨日起きた良かったことも悪かったことも、もう終わったこと、済んだこととして、次のことを考えられるような気がします。あんなにつらくて、あまり思い出したくないなと思っていたのに、済んでしまえば、今この瞬間、あの場所はどうしているだろうかと、良い思い出として振り返ることができます。身体の痛みを感じながら、夢の中にいるような気持ちになります。 おうちに帰ってから、天の古道について詳しく調べてみました。 天の古道は、2010年3月に復元された、高千穂町岩戸地区と日之影町見立地区を結ぶ古道です。 昭和31年まで、高千穂町岩戸地区と、日之影町見立地区は、同じ岩戸村でした。町村合併により、岩戸村は無くなり、岩戸地区は高千穂町へ、見立地区は日之影町へ、それぞれ分村されました。 その当時、岩戸地区と見立地区を結ぶ峠道が5本ありました。そのうちの1つが、「湾洞越」です。 湾洞越は、分村後、県道の開通などもあり、山師や猟師が使うぐらいでほとんど利用されませんでしたが、それまでは貴重な生活道でした。 村役場などは、岩戸地区にあったし、郵便配達、保険の営業、子牛競り市など、頻繁に使われていたそうです。 昔は、この道を牛を引いて歩き、夜道を歩く場合は松明を片手に歩いたそうです。途中、牛が眠ってしまいそうになると、牛の耳に松明を近づけて起こしたそうです。 見立鉱山や林業が盛んだった昭和30年代は、村はとても活気に満ちていて、大分県佐伯市の魚屋、富山の薬売り、かるいをしょった野菜売りの行商人たちが、湾洞越を通り村にも来ていたそうです。 赤水では、冷泉が湧いていました。皮膚病に効くとのことで、昔の人は、ここで採れる赤い泥を家に持ち帰り、お風呂にいれたそうです。 この「湾洞越」を復元し、観光資源にしようという両地区民の願いが形となったのが、「天の古道」です。全長は11キロで、見立地区仲組川中→湾洞峠 4キロ、湾洞峠→岩戸地区赤水 2キロ、赤水→天岩戸神社 5キロです。 2009年に、両地区民が天の古道実行委員会を組織し、「古道復元プロジェクト」を企画しました。 地主や古老の証言を元に、古道を探しあて、草刈りや倒木の撤去などの整備をし、歩けるようにしました。「天の古道」という名は、この道が、天岩戸神社に繋がる参道であることから、新たに名付けられました。 そして、2010/3/7、両地区民を中心に100名近くの参加者が集まり、式典と神事を行い、道が開かれ、白装束に身を包んだ先導者の後を、参加者が歩きました。岩戸商店街入口では、「祝 平成の岩戸開 天の古道」の大看板が人々を迎え、最後は初歩きの成功を祝し、また今後の発展を願って、みんなで万歳三唱をしました。 元々同村だったということで、両地区民には、親類も多く、天岩戸神社の氏子や、お寺の檀家など、当時を偲ばせる繋がりがまだ残っていました。半世紀ぶりに、両地区の住民が手を取り合った瞬間でした。両地区民は、やる気を持って、やれば何でも出来るということを証明したのです。 またそれは、昔の人が、知恵と体力で生活道を造ってこられたのだと、改めて振り返ることにもなったのではないかと思います。 「天の古道」のことを知るまで、日之影町見立地区が旧岩戸村だったことも知りませんでした。ただ、「県道7号線の県道6号線の間に、祖母傾の主稜線から南に、本谷山→追越→乙野山→小林峠→二つ岳→渡内越→湾洞越、と山が伸びている」ことには気が付きました。 登山を通じて、地理を知り、その気付きを現実に落とし込んでみると、やはりそこには古道が在りました。その古道から、昔の暮らしを知り、そこに賭けた人々の思いを知りました。 「古道復元プロジェクト」から15年が経ち、当時整備された道も、一部は荒れてしまっていました。プロジェクトに携わった人々の上にも、歳月が流れた。僕が通った、赤水→天岩戸神社はまさにそうで、道はほとんど崩壊していました。 昔の人々の努力は、時が経って褪せても、その価値は決して変わらない。日本が捨ててきた昔の暮らしから、現代に活かせることがたくさんあるはずです。 篤い人々の熱い想いが詰まった、天の古道。 歩かせていただき、本当にありがとうございました。 <この日登った山> 1 丸山 2 本谷山 3 乙野山 4 二つ岳(二つ岳本峰、二つ岳北峰、二ツ岳、二ツ岳本峰、二ツ岳北峰) 5 二つ岳南峰(二ツ岳南峰) 6 赤水(赤水岳、赤水嶽)
00:56
2.5 km
287 m
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