要害山
蒲生岳
(福島)
2025年10月22日(水)
日帰り
只見の4名山、要害山、蒲生岳、会津朝日岳、浅草岳のうちで、一番やさしい要害山(705m)に登りました。
当初の予定では、蒲生岳に登るつもりで只見町に行ったのですが、蒲生岳の駐車場に着くと、ちょっと雲行きが怪しい状況でした。
当日の只見町の天気予報は雲でしたが、ここ最近、天気予報に裏切られているので、鎖場のある蒲生岳はパスして、無難に要害山に登りました。
要害山は戦国時代に、奥会津を所領とした山ノ内氏が築いたとされる山城で、水久保城の別名です。
伊達政宗による会津侵略で蘆名氏が敗れると、山ノ内氏勝は政宗への服属を拒否し、奥会津の地の利を生かして抵抗を続けましたが、居城の金山町にあった中丸城は落城しました。
その後、山ノ内氏は水久保城などを拠点に政宗に抵抗を続けながら、豊臣秀吉による大名間の私闘禁止を無視した伊達氏のことを手紙にしたため、石田三成を通じて秀吉に訴えたことで奥州仕置が実施されました。
しかし山ノ内氏自身もこれによって所領を失い、奥会津を去ることになりました。
要害山は只見駅の裏にある里山ですが、この山を拠点にして戦った相手が伊達政宗で、さらに豊臣秀吉による奥州仕置の発端となるような歴史ある山です。
水久保城の説明書等がなかったことが残念でしたが、今回登ることが出来なかった蒲生岳が、一服尾根から見ることが出来たのでよかったです。
山頂はテレビ塔があるため展開はありませんが、スキー場側の西尾根付近は、展開がよく、遺構はありませんが、只見の街並みを眺めながら、多少なりと山城感を味わえた感じです。
いずれ、只見4名山の残り3座は登ろうと思いますが、やはり只見町まで来ると、すぐそこが新潟県なので遠いのが難点です。
結局、当日は雨が振りませんでしたが、これはこれでよかったと思います。