矢ノ川峠~時代に取り残された道の歴史を辿る

2021.02.14(日) 日帰り

かつて、熊野と尾鷲を結ぶメインの交通路だった、矢ノ川(やのこ)峠。 この区間は、近年熊野尾鷲道路ができて随分と行き来が楽になりましたが、現国道42号が開通する前は、矢ノ川峠の峠道を越えていかなければなりませんでした。所要時間は2時間45分。 紀勢本線が昭和34年に全通し、昭和43年に現在の国道42号が開通したことにより、この峠道は過去のものとなってしまいました。 昭和初期には一部区間に旅客用としては日本初のロープウェイがかけられ、省営(後に国鉄)バスが運転され(難路ながらも23年間無事故)、峠の茶屋が賑わい… そんな往時の痕跡が今なお残っているかを確かめながら、矢ノ川トンネル手前の尾鷲側から探訪してきました。 素掘りのトンネル群を抜け、ロープウェイ駅跡に立ち寄り、そして、かつて何軒かの茶屋が営まれていたという矢ノ川峠へ。 少し開けたその場所には、茶屋の女将・稲田のぶへさんを偲ぶ小さな句碑が建てられていました。 「冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと  稲田のぶへ眠る」。 省営バスが行き交っていた日々に思いを馳せながら、静かになった矢ノ川峠でしばらく時間を過ごしました。 その後は熊野側へ。 林業や電力関係者、それに高峰山登山などの目的でまだ車が入っている感のある尾鷲側とは違って、熊野側はかつての道路に大きな落石がそのまま放置され、また木々が生え…。その上、道路が決壊している区間が複数。さらに落橋している箇所も。 辺りが自然に帰ろうとしてきている一方で、そのまま残された道路標識が健気にまだなお立っていて…。 哀愁感のある光景を目にしながら、熊野側の峠道終点へと辿り着きました。

国道42号、千仭橋脇がスタート地点。

国道42号、千仭橋脇がスタート地点。

国道42号、千仭橋脇がスタート地点。

市道矢ノ川線起点。かつてはこちらの道が国道42号だった…。

市道矢ノ川線起点。かつてはこちらの道が国道42号だった…。

市道矢ノ川線起点。かつてはこちらの道が国道42号だった…。

懐古橋。他にもいくつかの橋をまたぐ。

懐古橋。他にもいくつかの橋をまたぐ。

懐古橋。他にもいくつかの橋をまたぐ。

素掘りのトンネル登場。

素掘りのトンネル登場。

素掘りのトンネル登場。

中はこんな感じ。

中はこんな感じ。

中はこんな感じ。

ここはコンクリで固め直されたトンネル。

ここはコンクリで固め直されたトンネル。

ここはコンクリで固め直されたトンネル。

再び素掘りトンネル。

再び素掘りトンネル。

再び素掘りトンネル。

三度、素掘りトンネル。

三度、素掘りトンネル。

三度、素掘りトンネル。

最後のトンネルは、矢ノ川隧道。ここは一部素掘り。

最後のトンネルは、矢ノ川隧道。ここは一部素掘り。

最後のトンネルは、矢ノ川隧道。ここは一部素掘り。

矢ノ川隧道を抜けると、道は二手に。左は矢ノ川峠へ向かう道。ここは一旦右へ。

矢ノ川隧道を抜けると、道は二手に。左は矢ノ川峠へ向かう道。ここは一旦右へ。

矢ノ川隧道を抜けると、道は二手に。左は矢ノ川峠へ向かう道。ここは一旦右へ。

木が邪魔ですね…。

木が邪魔ですね…。

木が邪魔ですね…。

ここから矢ノ川峠道の明治道がある。とりあえずロープウェイ跡を見たいので、ここを降りていく。

ここから矢ノ川峠道の明治道がある。とりあえずロープウェイ跡を見たいので、ここを降りていく。

ここから矢ノ川峠道の明治道がある。とりあえずロープウェイ跡を見たいので、ここを降りていく。

ロープウェイ跡ってこっちで合ってたかな…と不安になる頃に、小坪駅を指し示す看板を発見。

ロープウェイ跡ってこっちで合ってたかな…と不安になる頃に、小坪駅を指し示す看板を発見。

ロープウェイ跡ってこっちで合ってたかな…と不安になる頃に、小坪駅を指し示す看板を発見。

ロープウェイ小坪駅跡。索道機器据付コンクリート基礎が残る。

ロープウェイ小坪駅跡。索道機器据付コンクリート基礎が残る。

ロープウェイ小坪駅跡。索道機器据付コンクリート基礎が残る。

2019年に熊野古道センターで世界遺産登録15周年記念で企画された「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。安全索道は今も安全索道株式会社として新穂高ロープウェイをはじめ、日本各地のロープウェイの設計・製作等を行っていますね。

2019年に熊野古道センターで世界遺産登録15周年記念で企画された「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。安全索道は今も安全索道株式会社として新穂高ロープウェイをはじめ、日本各地のロープウェイの設計・製作等を行っていますね。

2019年に熊野古道センターで世界遺産登録15周年記念で企画された「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。安全索道は今も安全索道株式会社として新穂高ロープウェイをはじめ、日本各地のロープウェイの設計・製作等を行っていますね。

これが日本初の旅客ロープウェイ。

これが日本初の旅客ロープウェイ。

これが日本初の旅客ロープウェイ。

いにしえの目覚まし時計が…。

いにしえの目覚まし時計が…。

いにしえの目覚まし時計が…。

これもロープウェイ関係の部品かな…

これもロープウェイ関係の部品かな…

これもロープウェイ関係の部品かな…

尾鷲トレイルはここから延びる。行く先は八鬼山。

尾鷲トレイルはここから延びる。行く先は八鬼山。

尾鷲トレイルはここから延びる。行く先は八鬼山。

八鬼山へと向かう稜線。

八鬼山へと向かう稜線。

八鬼山へと向かう稜線。

小坪から東へ進むと八十谷の頭へ出た。

小坪から東へ進むと八十谷の頭へ出た。

小坪から東へ進むと八十谷の頭へ出た。

八十谷の頭から八鬼山方面を望む。

八十谷の頭から八鬼山方面を望む。

八十谷の頭から八鬼山方面を望む。

打ち捨てられた車、その1…

打ち捨てられた車、その1…

打ち捨てられた車、その1…

茶屋跡(=矢ノ川峠)まで2.5km!近づいてきたぞ…。

茶屋跡(=矢ノ川峠)まで2.5km!近づいてきたぞ…。

茶屋跡(=矢ノ川峠)まで2.5km!近づいてきたぞ…。

ついに峠に到着。下界の景色が素晴らしい…。

ついに峠に到着。下界の景色が素晴らしい…。

ついに峠に到着。下界の景色が素晴らしい…。

峠にミツマタの群生が。

峠にミツマタの群生が。

峠にミツマタの群生が。

こんな岩の間に祠が…。

こんな岩の間に祠が…。

こんな岩の間に祠が…。

矢ノ川峠から、尾鷲方面を見下ろす。

矢ノ川峠から、尾鷲方面を見下ろす。

矢ノ川峠から、尾鷲方面を見下ろす。

矢ノ川峠の稲田のぶへさん句碑と、高峰山登山口を示す看板。

矢ノ川峠の稲田のぶへさん句碑と、高峰山登山口を示す看板。

矢ノ川峠の稲田のぶへさん句碑と、高峰山登山口を示す看板。

「冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと 稲田のぶへ眠る」と書かれた句碑。これを目にする日がようやくきた…。

「冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと 稲田のぶへ眠る」と書かれた句碑。これを目にする日がようやくきた…。

「冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと 稲田のぶへ眠る」と書かれた句碑。これを目にする日がようやくきた…。

「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。

「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。

「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。

同じく「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。この句碑の下に分骨されているんですね。

同じく「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。この句碑の下に分骨されているんですね。

同じく「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。この句碑の下に分骨されているんですね。

広々とした矢ノ川峠。

広々とした矢ノ川峠。

広々とした矢ノ川峠。

矢ノ川峠、熊野側。いきなり落石が道を塞いでいる…。でもこの程度の荒れ方はまだ序の口だった。

矢ノ川峠、熊野側。いきなり落石が道を塞いでいる…。でもこの程度の荒れ方はまだ序の口だった。

矢ノ川峠、熊野側。いきなり落石が道を塞いでいる…。でもこの程度の荒れ方はまだ序の口だった。

…?!

…?!

打ち捨てられた車その2。…どうしてこの場所にこうやって残ってるのだろうか。

打ち捨てられた車その2。…どうしてこの場所にこうやって残ってるのだろうか。

打ち捨てられた車その2。…どうしてこの場所にこうやって残ってるのだろうか。

まだ往来があり、一定のメンテナンスがされている感のある尾鷲側とは違い、熊野側はもう木々に埋もれ始めている…。

まだ往来があり、一定のメンテナンスがされている感のある尾鷲側とは違い、熊野側はもう木々に埋もれ始めている…。

まだ往来があり、一定のメンテナンスがされている感のある尾鷲側とは違い、熊野側はもう木々に埋もれ始めている…。

崩れた岩などが道を塞ぐ。こういった箇所は何度も出現。

崩れた岩などが道を塞ぐ。こういった箇所は何度も出現。

崩れた岩などが道を塞ぐ。こういった箇所は何度も出現。

水準点の石が。

水準点の石が。

水準点の石が。

有名な落橋地点。左奥の方から(先人の苦労の甲斐あって)通行できるようになっている。

有名な落橋地点。左奥の方から(先人の苦労の甲斐あって)通行できるようになっている。

有名な落橋地点。左奥の方から(先人の苦労の甲斐あって)通行できるようになっている。

崩落した橋を別角度から。

崩落した橋を別角度から。

崩落した橋を別角度から。

通行止めの看板。。。そもそも車でここまで来ることができないような。

通行止めの看板。。。そもそも車でここまで来ることができないような。

通行止めの看板。。。そもそも車でここまで来ることができないような。

現場と書かれた岩の横に佇む2体の供養碑?備えられている花がまだ新しい…

現場と書かれた岩の横に佇む2体の供養碑?備えられている花がまだ新しい…

現場と書かれた岩の横に佇む2体の供養碑?備えられている花がまだ新しい…

またしても崩壊地。

またしても崩壊地。

またしても崩壊地。

なつかしのコカコーラの瓶などが残されていた。

なつかしのコカコーラの瓶などが残されていた。

なつかしのコカコーラの瓶などが残されていた。

カーブの標識がひとり佇む。

カーブの標識がひとり佇む。

カーブの標識がひとり佇む。

キープアウトのテープとともに、通行止めの看板が鎮座。逆にみれば、ここから先は「生きた林道」。ゴロゴロ岩が転がっていることもなく、歩きやすい道に。

キープアウトのテープとともに、通行止めの看板が鎮座。逆にみれば、ここから先は「生きた林道」。ゴロゴロ岩が転がっていることもなく、歩きやすい道に。

キープアウトのテープとともに、通行止めの看板が鎮座。逆にみれば、ここから先は「生きた林道」。ゴロゴロ岩が転がっていることもなく、歩きやすい道に。

国道42号脇に帰ってきた~。

国道42号脇に帰ってきた~。

国道42号脇に帰ってきた~。

国道42号、千仭橋脇がスタート地点。

市道矢ノ川線起点。かつてはこちらの道が国道42号だった…。

懐古橋。他にもいくつかの橋をまたぐ。

素掘りのトンネル登場。

中はこんな感じ。

ここはコンクリで固め直されたトンネル。

再び素掘りトンネル。

三度、素掘りトンネル。

最後のトンネルは、矢ノ川隧道。ここは一部素掘り。

矢ノ川隧道を抜けると、道は二手に。左は矢ノ川峠へ向かう道。ここは一旦右へ。

木が邪魔ですね…。

ここから矢ノ川峠道の明治道がある。とりあえずロープウェイ跡を見たいので、ここを降りていく。

ロープウェイ跡ってこっちで合ってたかな…と不安になる頃に、小坪駅を指し示す看板を発見。

ロープウェイ小坪駅跡。索道機器据付コンクリート基礎が残る。

2019年に熊野古道センターで世界遺産登録15周年記念で企画された「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。安全索道は今も安全索道株式会社として新穂高ロープウェイをはじめ、日本各地のロープウェイの設計・製作等を行っていますね。

これが日本初の旅客ロープウェイ。

いにしえの目覚まし時計が…。

これもロープウェイ関係の部品かな…

尾鷲トレイルはここから延びる。行く先は八鬼山。

八鬼山へと向かう稜線。

小坪から東へ進むと八十谷の頭へ出た。

八十谷の頭から八鬼山方面を望む。

打ち捨てられた車、その1…

茶屋跡(=矢ノ川峠)まで2.5km!近づいてきたぞ…。

ついに峠に到着。下界の景色が素晴らしい…。

峠にミツマタの群生が。

こんな岩の間に祠が…。

矢ノ川峠から、尾鷲方面を見下ろす。

矢ノ川峠の稲田のぶへさん句碑と、高峰山登山口を示す看板。

「冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと 稲田のぶへ眠る」と書かれた句碑。これを目にする日がようやくきた…。

「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。

同じく「矢ノ川峠物語~想い出がこだまする~」展より。この句碑の下に分骨されているんですね。

広々とした矢ノ川峠。

矢ノ川峠、熊野側。いきなり落石が道を塞いでいる…。でもこの程度の荒れ方はまだ序の口だった。

…?!

打ち捨てられた車その2。…どうしてこの場所にこうやって残ってるのだろうか。

まだ往来があり、一定のメンテナンスがされている感のある尾鷲側とは違い、熊野側はもう木々に埋もれ始めている…。

崩れた岩などが道を塞ぐ。こういった箇所は何度も出現。

水準点の石が。

有名な落橋地点。左奥の方から(先人の苦労の甲斐あって)通行できるようになっている。

崩落した橋を別角度から。

通行止めの看板。。。そもそも車でここまで来ることができないような。

現場と書かれた岩の横に佇む2体の供養碑?備えられている花がまだ新しい…

またしても崩壊地。

なつかしのコカコーラの瓶などが残されていた。

カーブの標識がひとり佇む。

キープアウトのテープとともに、通行止めの看板が鎮座。逆にみれば、ここから先は「生きた林道」。ゴロゴロ岩が転がっていることもなく、歩きやすい道に。

国道42号脇に帰ってきた~。