
けんじ
ID: 76650未だ見ぬ景色に出逢いたい。そしてその景色の中に身を置きたい。 それが登山…山旅の主たる目的でしょうか。 新しい発見を求めて、いろんな季節に、いろんな山を訪ねていきたいです。 日本百名山、半分登りました。 65/100 日本二百名山は全然ですね。11/100 日本三百名山は 14/100 花の百名山は 36/100
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未だ見ぬ景色に出逢いたい。そしてその景色の中に身を置きたい。 それが登山…山旅の主たる目的でしょうか。 新しい発見を求めて、いろんな季節に、いろんな山を訪ねていきたいです。 日本百名山、半分登りました。 65/100 日本二百名山は全然ですね。11/100 日本三百名山は 14/100 花の百名山は 36/100
高峰山(三重,奈良)
2021.02.13 (土)日帰り
かつて、熊野と尾鷲を結ぶメインの交通路だった、矢ノ川(やのこ)峠。 この区間は、近年熊野尾鷲道路ができて随分と行き来が楽になりましたが、現国道42号が開通する前は、矢ノ川峠の峠道を越えていかなければなりませんでした。所要時間は2時間45分。 紀勢本線が昭和34年に全通し、昭和43年に現在の国道42号が開通したことにより、この峠道は過去のものとなってしまいました。 昭和初期には一部区間に旅客用としては日本初のロープウェイがかけられ、省営(後に国鉄)バスが運転され(難路ながらも23年間無事故)、峠の茶屋が賑わい… そんな往時の痕跡が今なお残っているかを確かめながら、矢ノ川トンネル手前の尾鷲側から探訪してきました。 素掘りのトンネル群を抜け、ロープウェイ駅跡に立ち寄り、そして、かつて何軒かの茶屋が営まれていたという矢ノ川峠へ。 少し開けたその場所には、茶屋の女将・稲田のぶへさんを偲ぶ小さな句碑が建てられていました。 「冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと 稲田のぶへ眠る」。 省営バスが行き交っていた日々に思いを馳せながら、静かになった矢ノ川峠でしばらく時間を過ごしました。 その後は熊野側へ。 林業や電力関係者、それに高峰山登山などの目的でまだ車が入っている感のある尾鷲側とは違って、熊野側はかつての道路に大きな落石がそのまま放置され、また木々が生え…。その上、道路が決壊している区間が複数。さらに落橋している箇所も。 辺りが自然に帰ろうとしてきている一方で、そのまま残された道路標識が健気にまだなお立っていて…。 哀愁感のある光景を目にしながら、熊野側の峠道終点へと辿り着きました。