活動データ
タイム
04:44
距離
21.9km
のぼり
187m
くだり
171m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る小牧長久手の戦いで、楽田城が秀吉軍の本陣と言われているが、本当だろうか? 秀吉軍の各砦を、回ってみた。どこにあったかも判らない砦も有るし、石碑が移設されたりして正確なことはわからないのだろう。 http://www.city.komaki.aichi.jp/admin/soshiki/kyoiku/bunkazai/1_1/2/bunkazai/9163.html この小牧市のホームページを参考にしたが、どうしても、楽田城がトリデ適地とは思えない。平地で絶対的に不用心、というか守れない。現在の犬山市の人口が7万3千人だが、それより多い十万とも言われる軍兵が何ヶ月も留まれる場所とも思えない。 楽田城は、織田信長が初めて殿主(天守)を設置した城として知られているが、その当時の戦闘は多くて数十人レベルではないか。 当時の絵図面にある、楽田砦を楽田城と思い込んでいるのではないか。 楽田砦と楽田城は別ものだったのかもしれない。 楽田山を歩き廻り、11番鉄塔西側の土塁や土壇、石垣を見つけた。これらは秀吉陣地跡なのではないか? 天守があったかどうかは不明だが、11番鉄塔は楽田山砦の天守台跡に建っている気がする。 https://yamap.com/activities/9438642 地図で道がなくなった先にも土壇、石垣が続いていた。安土城の大手道、石階段と思えないか? 昭和初期のみかん畠跡かもしれないが、楽田山の東側には石垣の類はまったく見当たらない。 小牧山をにらむ西側に土壇、石垣はある。小田原攻めの石垣山一夜城(262m)とも同類だろう 楽田山の標高は地図には222mとある。安土城跡の安土山は198mだ。雰囲気も安土山に似ている。 ふもとを上街道が巻いている。五条川の水運も利用できる。すこし離れて入鹿池が琵琶湖の代役としてひろがっている。 こんな絶好の地は他にはない。 小牧長久手の戦いが秀吉の関ヶ原と言われている。であるなら、楽田山の楽田砦は秀吉の安土城だったのではないか。 そう思える、今年の初夢。年初から歩いた楽田山周遊であった。
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