あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 新年初登りは「星田山」にしました。昨年来の宿題がありまして・・・懸案であった星田山頂の案内板修復をしたので、それを納めるためです。 修復の過程は最後のほうの写真ですが、スペイン・ボルハであったような《この人を見よ》が「サルのキリスト」にならないように気を配りましたが、ちょっとその傾向もあるか?背景の色がチョコブラックになったこと、馬が峯が馬が峰になったこと。この2点です。ご了承ください。 帰りは、また茄子石の谷を降って、謎の石積み遺構を見てきました。水利施設と思っていましたが、祭祀跡かなあ?結局何か分かりませんでした。 ■接近遭遇 新池堤防:凧揚げ3名(10m)、犬散歩1名(3m) ■訂正追記 #24の写真キャプションで「手前の石はたしか2016年の豪雨で崩れてきたものと理解していますが(当時はもっと白かった)、その記事が見当たりません。」と書きましたが、見つかりました。大間違いでした。 https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-150.html 2013/4/8の記事で、正しくは2012年8月14日の豪雨の傷跡でした。この日には義母の葬儀か命日かだったので、この豪雨は覚えています。この時、妙見東から妙見川を渡る古いコンクリート橋が跡形もなく流されたのです。ということは2013年以後茄子石の谷には入っていなかったか?
午前中は顔が赤かったのでPM始動です。遠回りになりますが妙見宮鳥居から。明日お参りに来るからね。
星田新池では親子三代?で凧揚げに来ていましたが、こどもは池に石投げに夢中。凧揚げに夢中はパパでした。
茄子石の谷から茄子石山を見る。
堰堤上の沖積地ですが、そこにこんな大岩があるとは知らなんだ。
石積み遺構。
遺構の上の方の壇上にはなにかの石碑がある。帰りに行ってみましょう。
星田山に到着
案内板修復完成です。
2017年はこんな感じでしたので雰囲気は再現できたか。
取り付け位置。真ん中に写っている木に取り付けようとしましたが、背が足りなくて残念。
南方向、皿谷山、山麓道方面
西方向、ボッテ谷方向
仕事を終えて、帰りには広望丘に寄ってみました。名物、ナントカの鐘。3回鳴らしてみました。
ポンポン山、天王山方面。
北山、比叡山方面は雲が降りている。時雨の最中か。
茄子石の谷を降ります。せっかくなんで茄子石滝(聖滝)を見物。
滝下のお地蔵さんも健在
見上げる。二筋の水流のはずですが、一筋だけ。落口の様子が変わったか?
茄子石滝の一段下には崩れた石積み?を介して人工的な平地があります。向こうに見えるは滝への道(崩落しているので巻道利用をおすすめ)
崩れた石積みのキワには、明らかに人工のコンクリ棒状物が残っています。崩落止め、水利施設と思っているのですが・・・
その平地の下側の石積み。水利施設でこんな造作をするかなあ?
石積みの上側の穴に文字らしきものが見えましたが、寄ってみてもそんなものは見られなかった。
石積み下のピットみたいなもの。導水かなにかの穴があります。
石積み下の第2段平地から見上げる。手前の石はたしか2016年の豪雨で崩れてきたものと理解していますが(当時はもっと白かった)、その記事が見当たりません。
第2段平地の奥にあった石碑
昭和47年3月26日? 北田久代 建
石碑のある平地の下はたて続けに2段の石積みがあります。上側。
狭い平地を介して下側の石積み。これは溝を作ってある。
下の平地から見る。樹木が茂ってあまり良く分かりませんが2段階の石積み。
2011年の見やすい写真 この右手奥には・・・
半分造作したような「滝」があります。いかにも滝行をしたような?
さらに下に回ると「長澤又吉霊」碑。裏には昭和二十一年十月二十八日 と書いてあるように見えます。この工事の功労者?もしくは犠牲になった人なのか? 左手のコンクリの土留があるのでてっきり水利施設と思ったのですが?
石碑の下にある平地はササが刈り払われて、水流の向こう側には変なレンガ積みがある? いよいよこの一連の施設は何かわからなくなりました。
星田新池の池尻まで降ってきました。蝙蝠岩やったかな?
上を通っている道から
快い道です。
これにて登り始め終了
■修復プロセス 採集時のもの。かなり欠損と腐食があります。
裏打ち
大きな隙間、凹みをエポキシパテ、アクリルで埋める。
追加埋め込み。 その後、塗装と字の補修を行う。