活動データ
タイム
26:59
距離
52.2km
のぼり
4183m
くだり
4043m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る昨年テレビで知った紀伊山地の吉野と熊野を結ぶの修験道、100km程あるという。宿はなく、ところどころに避難小屋があったり、10数キロ毎にやっと水が発見されているとこがあったり、常にテント、シュラフ、5日分の食料、水2ℓ、クッカー道具など背負っていないと生命の危険があると言う。1日目、午後のスタート、森の中にある金剛多和という祠の前で野営。ここでは暗がりの中でテント設営中に、森の中からヘッデンを揺らしながら元気のいい若者が駆け出してきて、本宮までどれくらいですかと聞いてきたので、あと10kmでゴールかな、だけど絶対に危険で無理と諭して、隣にテント張って2名野営。彼は聞くと今日で3日目だという。朝、近くで水場補給。2日目は、五大尊岳、大森山、玉置山、香精山、約5m程のクサリ垂直懸垂ありの地蔵岳などいくつもの山を越えて、フラフラ状態で水場がある森の中に付近に既にテント1張発見、私もすこし離れて野営。朝、水場まで100m程降り2ℓ補給。疲労回復しない足のまま3日目の朝。いきなり傘捨山の登り、ここでこの修行の敗北を悟りました。 登山を知って1年半、健脚ですねなどと言われ満更でもない感じもしていました。今回、重いザックを背負って名もないピークのアップダウンを繰り返すことで疲労感と虚無感が身体を蝕み、とうとうその苦痛から逃れたい、そして避難方法を考えている自分がいました。地図で確認し、持経の宿の避難小屋から3時間でバス停まで行けそうと分かり、ここで厄介になることに。ここには新宮山彦グループのボランティアの方が2名おられ、大峯奥駈南ルート復活活動話やこれに尽力された塩爺こと故塩川正十郎氏の逸話など奥駈道の貴重な生の話が聞けました。ここでは逆ルートで来られた方3人がリタイアされ一緒に下山。不思議とみんな明るい表情。私も悔いはない。四捨五入で60歳、登山始めて1年半、テントは2回目、そんな者が簡単に達成できるとこは修験道とは言えない。だから一千年以上も前から魅了しているだと分かりました。
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