活動データ
タイム
00:45
距離
1.0km
のぼり
50m
くだり
50m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る今日は四国の田舎へ所用で帰ったので、大洲城を尋ねた 大洲城: 肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元(1331)、年鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城された その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄した 明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されたが、明治21(1888)年老朽化により、天守は解体された 現在、江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓は国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されていた その後、大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、市民による寄付等によって平成16(2004)年に復元された 四層四階の複連結式天守の復元にあたっては、明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に当時の姿を正確に復元した。このように復元に必要な多くの資料が残っていることは大変稀なことで、大洲城の天守の復元は、まさに地元住民の想いと、史料研究の集大成である 戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、19.15mの高さも復元天守として日本一である また、本来なら建築基準法では認められない規模であり、当時、愛媛県から建設計画の認可を受けれなかったが、2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外となり、往年の複合連結式による天守群の復元に至った 使用された木材はすべて国産材で、天守の内部に足を踏み入れれば、城郭建築特有の迫力ある木組が訪れる人を驚かせる
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