活動データ
タイム
07:04
距離
10.4km
のぼり
794m
くだり
1005m
活動詳細
すべて見る「那須岳」 奥羽山脈の最南端の百名山へ(遠征最後の15座目) 那須連山は栃木県北部に位置します (那須火山帯の南部) 所在地は「栃木県」那須郡と「福島県」那須塩原市に属します 那須連山の代表的な山は「茶臼岳」、最高峰は「三本槍岳」となります 長い遠征の締めくくり 7月15日に四国を出発して8月になりました 行き当たりばったりで東日本を走り回り体力的にはまだ余裕がありましたがお金に余裕が無くなりました そろそろ旅を切り上げないと帰りのガソリン代が無くなります それで遠征最後の山を「那須岳」に決めました 何たって奥羽山脈の最南端の山でもあるし、那須の御用邸がある保養地ですからフィナーレにピッタンコです 西吾妻山から那須岳へ 前日、西吾妻山を下山して那須ロープウェイ駅へ移動して静かな駐車場を探します 三面ある駐車場の内、他の車が居ない場所で夕食を食べます 遠征前半ではコンビニで買い放題でしたが、この場に及んでは食費も倹約し残り物を極力使います ロープウェイ山麓駅の標高は1,390mですから涼しい車中泊です ロープウェイは片道使用で1200円(往復料金は1800円ですので片道は割高です) 老人の登山はロープウェイやリフトがあれば極力それを利用します 2023年8月3日(木) 那須岳は那須連山の総称 那須岳は不思議ですが栃木県では唯一の活火山です 一般的に那須岳と言うと「茶臼岳」を指したりする様ですが、日本百名山としては那須連山の最高峰「三本槍岳」を意味します 那須岳火山群の火山活動は先ず北側の甲子(かし)朝日岳付近が約50万年前、次に三本槍岳付近が約30万年前、朝日岳付近が約20万年前、そして最初に登る茶臼岳は1.6万年前に始まり現在に続いているそうです 火山学者や地質学者は○○万年とかの単位を事も無く簡単そうに使いますが人生80年前後の人間としてはどんな時代だったのか想像もつきません 茶臼岳 1,915m 朝08時30分のロープウェイ始発便に乗り山頂駅(8~9合目 標高1,684m)まで10分程です 山頂駅に着いて歩き辛い火山礫地を茶臼岳へ登って行きます 大きい溶岩が散らばる斜面にはウラジロタデ位しいか花はありません 地形図を見る事無く山頂部を目指して歩いていた為に途中の斜面に有る四等三角点(1,898m)を見逃してしまいました 後で軌跡ログを見ると三角点を通っていました こんな失敗は良く犯しがちで、特に日本百名山では標識が多いので地図を見るのをつい怠りがちになります 右手には朝日岳の赤茶けて抉れた崩壊地が見えます 茶臼岳の山頂手前には白い鳥居が立っているのでそこを目指します 鳥居に近づくと岩の間に祠が見えます 09時25分小高い「那須岳神社」の祠に立って記念写真をお願いします すぐ横に有る山頂標識には1,915mとあります 那須連山の最高峰「三本槍岳」の標高は1,916.9mですからたった2mしか変わりません 峰ノ茶屋へ下る 茶臼岳のトロイデと言われる溶岩円頂丘を時計回りに北側の三本槍岳へと進みます 円頂丘の中央部火口が凹んでいる事で茶臼の名が付けられた様です 現在噴煙を上げて火山活動をしている場所は西側斜面の「無間地獄」ですのでお鉢廻りは今の所安全です このお鉢廻りをしながら北側を眺めると目的地の三本槍岳が見えて、そこに至る稜線が右から左手へと回り込んでいます コル部付近から吹き上がってくるガスが迫力満点です 前方にはコル部に建つ「峰ノ茶屋(避難小屋)」の向こうに「剣ヶ峰」とその右手にパックリ裂けた茶色い崩壊地のピークに「朝日岳」が見えます その向こうに三本槍岳への稜線が続きますが雲に覆われています 溶岩円頂丘の北側に出ると朝日岳ピークとそこから緑切り裂いた崩壊地がくっきりと目に入ります なだらかな肩部を回り込んで下ると眼下に峠ノ茶屋(避難小屋)の赤い屋根が見えて来ました 避難小屋の手前には「硫黄鉱山跡」への分岐標識と番号が書かれています この番号は遭難連絡時の現在地確認になっているみたいです この場所は茶臼岳西斜面の無間地獄に有った硫黄鉱山の硫黄や鉱石の集積地だった所です 「峠ノ茶屋跡・避難小屋」 10時07分峠ノ茶屋(避難小屋)に着きました ここは先に述べた「無間地獄」付近の硫黄鉱山(江戸時代初期から昭和35年まで稼働)から産出した硫黄や鉱石の集積地近くにある休憩所だった所です 叉、峠の西側にある三斗小屋温泉の湯治客が一休みする所でもあり、石積みの壁の上に屋根が掛けられた素朴な小屋があったそうです 現在の建物は平成20年に避難小屋として立替えられた物でしっかりしています 叉、ここは硫黄精錬用の木材、薪を三斗小屋方面の山々から集め、それを牛の背中に乗せてこの峠を越え現在の県営駐車場付近にあった硫黄製錬所に運んでいたそうです 往時は牛や運搬人で賑わっていたのでしょう 新居浜の別子銅山でも銅精錬用の薪、木炭の運搬用馬道や牛車道や集積地(笹ヶ峰の宿やなすび平)がありましたから親近感が湧きます この峠は下山時に明礬(みょうばん)沢沿いに登山口の駐車場へ下る分岐になっています 明礬(みょうばん)? 難しい漢字ですね 確かミョウバンは学校で理科の実験に使った記憶があります 詳しくは覚えていませんがこの結晶(硫酸カリウムアルミニウム)を水に入れて温度を高くすると飽和して見えなくなり、温度を低くすると白い結晶が現れるって実験だった様な・・・ この沢には天然の明礬(みょうばん)が採取出来たのでしょうか? 以前はこの下山路沿いに硫黄鉱石などを運ぶ索道があったそうです 「剣ヶ峰トラバース道」 峠から北側には剣ヶ峰(1,799m)が立ちはだかっておりとても直登出来そうにありません 尾根道を進むと右手にトラバース道がありホッとします ハクサンオミナエシ、ミヤマホツツジ、ヨツバヒヨドリ、ノリウツギが咲くトラバース道を剣ヶ峰の東を巻いて暫く上っていきます 先程茶臼岳で後ろからやって来て写真を撮りあった単独女性にここで又抜かれました 「剣ヶ峰」は小振りな岩峰で登山道はありません 朝日岳とのコル部に出ると剣ヶ峰の荒れた稜線上には「恵比寿大黒」と言われる尖った岩が2つセットで並んでいます 恵比寿様は漁業の神で釣竿と鯛を持って、大黒様は豊作の神で小槌と大袋を持って神棚に飾られている七福神です 朝日岳の北側に流れる沢は毘沙門沢と名付けられたり、もうここは神様仏様の名前を付け放題です 「朝日岳」は混雑で後回し コル部からは朝日岳の南崩落地を避けて西側をトラバース気味に上がって行きます ここから朝日岳の肩部までが一番面白い岩場歩きと言えます 10時30分一旦岩の尾根筋に上がると、風化した溶岩が立ち並び別世界の様です デカい茶臼岳を振り返ると手前の剣ヶ峰が低く見えます さらにそこから大きな岩峰の左手を巻いて進むのですが、まるで北アルプスを歩いている様でした 茶臼岳の山頂で会った単独女性は物凄く歩くのが早くて先を行ってましたが、岩場が苦手な様で足がすくんでおりここで追い越しました 「北アルプスみたいですね」と声をかけると「北アルプスへは未だ行った事がありません こんなのですか~」と不安そうに答えます 「慣れですから大丈夫ですよ」と言って先に行きます 10時40分「朝日の肩」の標識が立つ稜線部へ上がり着きました 分岐から朝日岳を見上げると大勢の登山者が登っています こりゃアカン ここは後回しにして先に三本槍岳へ行く事にします 三本槍への尾根縦走路 北側の尾根筋には熊見曽根分岐の1,889mピークが尾根の肩部奥に立ち上がって見えます 「熊見(くまみ)曽根」分岐って事ですから、このピークから西へ下る尾根の名前だと思われます この尾根を西に進むと「隠居倉」(1,819m)を経由して有名な露天風呂がある「三斗(さんど)小屋温泉」に至ります (この温泉から更に西に下った三斗小屋は旧会津中街道に当たり戊辰戦争の激戦地となった場所でもあります さて、熊見曽根分岐を少し進むと1900mピークを通過します ここから清水平へ下るのですが休憩している若者は「清水平からの上り返しがキツくて足が攣りました」と言っていました 叉、清水平から上がって来る登山者も「この坂は堪えます」と嘆いていす 「清水平」 1,810m 朝日岳の肩まではアルペンチックな道でしたが、ここから見る三本槍岳への尾根は平凡そうで退屈しそうな長さです 清水平の標高は1,810mですから標高差は90m程しかありません 何故先程会った登山者が口を揃えてキツいとか堪えたと言うのか不思議な気になりながらハイマツの登山道を下り11時30分木道と湿地がある「清水平」に着きました この遠征中色んな高層湿原を見て来たのでここの湿地帯は魅力に乏しい物でした 笹とハイマツ帯を15分程進むと「北温泉分岐」を通過します 地形図には「中ノ大倉尾根分岐」となっており、その先にロープウェイ駅の東側にある北温泉へ至るルートでした 三本槍岳 一等三角点「三倉山」 1,916.9m 笹深い登山道はそこそこ整備はされていますが、登山者の姿はありません 那須岳銀座は茶臼岳から朝日岳のエリアで、北側の三本槍岳は人気が無い場所の様です 途中でトレラン姿の若いカップルが挨拶をしながら追い越して行きます 前方に見える台形をした山に向かい辛抱強く上りを歩いて12時18分「三本槍岳」に着きました そこに有る一等三角点は地表高く飛び出しています 会津藩、白河藩、黒羽藩の三藩の境界を決めるとき、三藩の代表がそれぞれに槍を持って登り、槍を立てたところから名付けられたらしいです 四国で言えば南予の三本杭って所でしょうか 北の端に出て景色を眺めますが、先ほどから雲行きが怪しくなり雲が湧いています 山頂に居た若いカップルとこの辺りの山の話をして、四国からやって来たと言うと急に尊敬の念を持たれた様で親しく話が弾みました 四国から来たと言うと必ず石鎚山へ行ってみたいと言われます 80回以上石鎚山に登っていると言うと羨ましがられます 北海道の斜里岳でも明るいトレランの若者カップルに会って話をしましたがアスリート系の人は年寄りに対して礼儀正しく可愛いらしいです どうせ途中で抜かれるからと二人には先に行って貰いゆっくりと下山します 遠くで雷鳴が響いているので自然と早足になってしまいアッと言う間に清水平まで下りました すると先程の可愛いカップルがガスバーナーを出してカップ麺を悠々と食べています その余裕に用心深い年寄りとしてはヘンに尊敬してしまいました 13時25分頃には1900mピークから熊見尾根分岐まで帰り着きました すると雷鳴は轟いているものの尾根筋は雨の心配は無さそうでホッとしました 右側が抉れて左側に傾いて見える朝日岳の尾根分岐に13時40分に着き、人影が見えない山頂へ向かいます ロープウェイ駅からは「雷注意報が発令されているのでロープウェイが止る可能性がありますので至急山頂駅へお急ぎください」と言う様なアナウンスが聞こえてきます 13時50分今回遠征最後の山「那須・朝日岳」の山頂に立ちます 朝日岳の肩へ下り、アルペンチックな岩道を歩き14時40分「峠ノ茶屋」避難小屋に着きました ここからは「明礬(みょうばん)沢」に沿って登山口へと下ります 左手には朝日岳の鋭い崩壊壁が聳え、登山道は茶臼岳からの溶岩流と思われる岩道が25分程続きます 15時10分くらいから樹林帯に入り、最後は石畳で整備された遊歩道となります 15時40分県営駐車場に着きました 旅はまだ終わらない~♪ 日帰り温泉とコインランドリーと車中泊 「小鹿の湯」 さて、15座登山を締めくくる温泉です グールグマップで近くの温泉を検索すると「鹿の湯」(源泉かけ流し)がヒットして狭い路地に入り着替えを持って受付に入ります 小川の向こう側まで湯治場の小屋が続いています しかし、受付の女性から「ここは石鹸は使えません」・・・だって 山旅の終わりにシャンプーやボディソープが使えないなんて・・ 「下側に系列で小鹿の湯があってそこは石鹸OKです」と言うので移動します しかしこれ又マニアックな古い湯治温泉で石鹸は使えますが板張りで洗い場も少なく親子連れで混雑し不便な思いをしました やはり山を歩いた後に入る日帰り温泉は広くて明るくて清潔感がある銀山温泉や岩手山焼走り温泉などのスパ的な施設が良いと思った事でした 道の駅「那須高原 友愛の森」で車中泊 まあそれでも源泉掛け流しの白濁湯に入ってサッパリした後、車内に温泉の硫黄臭をさせながらコインランドリーで最後の洗濯をします これで家に帰った時の片付けが相当楽になります その後、コインランドリーを探している時に見付けていた道の駅「那須高原 友愛の森」で車中泊をします ここは物凄く広い駐車場の区画があり沢山の車中泊者が居ます 高速道路のPAと違ってリゾート地なのでトラックは居ません コンビニで買い足した食糧と残り物をここで使い切ります 翌朝8月4日(金)東北自動車道那須ICに入り首都県央道路~新東名高速~名神高速等を乗り継いで淡路SAで夜間割引(土曜割引)の時間調整、仮眠後翌8月5日四国に帰ってきました 去年夏の北海道もそうでしたが、日本百名山を目的にしないとこんな長旅は出来ません 費用を安上がりにする為に車中泊になりますが慣れれば気楽で良いです 何せ朝起きれば登山口ですから機能的です 見知らぬ土地の見知らぬ山を巡る非日常は平凡な老後生活の中で刺激的な体験になります 皆様におかれましても定年退職後のこんな山旅を楽しみに日々健康管理をされていて下さい 備忘録として自分流の長たらしい記録ですが、遠征に行かれる時の参考になれば幸いです エントツ山
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