さて、先週訪れた新城市、別所街道沿いの大野宿。 そこで訪れた「大野神社」の敷地内に、「服部神社」なるものがありました。 服部神社は「赤引糸の神様」を祀っていて、大野地区は古代から、伊勢神宮に奉納する神様の着物、神御衣=おんぞ作りに欠かせない養蚕を通して伊勢神宮と大きな関わりがあることを知りました。 その赤引糸のストーリーの続きにあたる神社が、浜松市の三ヶ日町🍊にあります。 実は、昔の三ヶ日は『浜名神戸』と呼ばれ、伊勢神宮⛩の領地でした❗️ 伊勢神宮は周辺に多くの領地を持っていましたが、三ヶ日もそのうちの1つです。 (天皇や伊勢神宮が持つ荘園のことを、神戸(かんべ)とか、御厨(みくりや)とか、御薗(みその)とか言います。磐田市に新しくできたJR御厨駅のあたりは鎌田御厨と呼ばれ、そこも伊勢神宮の領地でした。供物を納める代わりに、税が免除されたのです) 新城市・大野地区で取れた赤引糸🧵は ①まず浜松市三ヶ日町にある【初生衣(うぶぎぬ)神社】に運ばれて機織りされ、 ②すぐ近くにある【濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)】にて保管され、 ③さらに豊橋市の【湊神明社(みなとしんめいしゃ)】まで運ばれて神事を行い、 ④渥美半島・伊良湖港より船で伊勢神宮に奉献されます。 今回、伊勢神宮と養蚕の関係を調べていく中で、初めて知ったことが沢山ありすごく面白かったです。 本当は神社に行った後に登山もするつもりが、事情で神社歩きのみとなってしまいました。 一般的な登山日記とはちょっとズレてしまいますが、神社もこの大切な伝統を維持する為にクラウドファンディングなどもして苦労しているようで、ぜひたくさんの方に興味を持ってもらい、訪れてジャンジャンお賽銭を入れていただきたいのです(笑)❗️ こういった背景を知った上で、周辺の街道や山歩きをするとまた楽しいかも🌞 ご興味のある方は写真の説明の方へどうぞ〜😀
まず、新城市、三河大野宿にあった服部神社についての説明書きを再掲。 伊勢神宮に奉納される神御衣は、ここ三河大野地区の養蚕糸を使っています
神社に置いてあったパンフレットより。 江戸時代より前は、三ケ日から浜名湖を南下して新居から海沿いのルートを通り、同じく伊勢神宮領であった伊良湖より伊勢神宮に運んでいました。 地震・津波の影響により、江戸時代以降は、三ヶ日から本坂峠、牛川、豊橋を通るルートに変わりました。 御神衣に関わりがある神社では春に【おんぞ祭り】が行われますが、伊良湖にある伊良湖神社でもおんぞ祭りが行われています。
初生衣神社。オレンジロード沿いの道のすぐ横にある。 ぱっと見、一見どこにでもある地味な神社という印象。 一連のストーリーを知らなければ、まず来ないだろうなっていう😅
御祭神は、機織りの神様、天棚機姫神(あめのたなばたひめのみこと) 初生衣神社と、濱名惣社神明宮は【神服部家】が代々宮司をつとめており、その歴史は800年、44代にも渡ります。しかも子供のうちひとりしか神服部家を名乗れない。跡を継ぐ宮司さん、すごいプレッシャーありそう・・ 大野宿の服部神社に続き、ここでも「服部」が出てきましたね〜
初生衣神社の手水鉢には、トルコキキョウの花が。 コロナの影響で柄杓によるお清めはやめているそうですが、代わりに花手水で爽やかな気分で参拝して欲しいとのことです
参道には、おんぞ奉献の白いノボリがはためく
初生衣神社全景 鳥居の向こうが本殿、右手にある茅葺きの小屋が【織殿】と言い、非常に神聖な場所。 ここで神御衣が機織りされる。
織殿 中には、古い機織り機が収蔵されているとのこと 昔はこの織殿は、毎年壊して作り直していたらしい。 さすがに近年はそれは無理ってことで、現在の織殿は1801年に作られたもの
織殿 正面から 神衣の機織りは非常に神聖な作業で、神服部家の夫婦が身を清め、しめ縄を張ってから織殿にこもって行う 鶴の恩返しじゃないけど、見ちゃダメってやつ。
昭和2年に書かれた文章でちょっと読みにくいが、織殿についての説明書き。
本殿の建築も見事です
扉の装飾が豪華 しめ縄は金色
無人の販売所があり、お守りやら御朱印やら色々グッズが売られていました。 まゆみくじ、ひいてみました!
繭の中におみくじが入ってます! てめぇは今年いっぱい繭のように引き篭もりやがれなんて書いてあったらどうしよう🤣 キュートなリボンで結ばれたせっかくの繭をぶち割るのは少々罪悪感があるが、なんたってモノホンの繭たんは、糸を取るのに生きたまま鍋で煮込まれるんだからね・・
中身は意外と普通のおみくじでした〜 末吉であまりよろしくないので、見なかったことにします
さて、今度は初生衣神社から歩いてすぐ近くの、濱名惣社神明宮。 第一鳥居。
第二鳥居の近くの建築物。 中には古い灯籠が入っていました
中をのぞいたら、こんな感じ
正面が拝殿 実は、拝殿・本殿はガッツリ伊勢神宮の方向を向いているんです。地図で見てみてください。 伊勢神宮のような圧巻の格式高さを感じさせる、迫力のある拝殿です。最後の灯籠の左右にさざれ石と万度石が配置されています。こちらも貴重です。
これが、国歌君が代の歌詞で有名な、さざれ石ですよ〜 初めて見た!! 千代八千代、長い年月をかけて小石が集まり、巌(いわお)となった状態がコレです!! 岐阜県春日村産出の、特別天然記念物だそう
拝殿は、問答無用でハハーッと平伏したくなる謎のオーラがあります
もちろんご祭神は天照皇大御神 もともとこの地域を統治していたのは濱名縣主という人でしたが、940年に伊勢神宮領となったことで、アマテラスに神様が置き換わったんですね
濱名惣社神明宮、惣社=総社というだけあって、天照大神だけでなくたくさんの神様が合祀されています 兄弟のスサノオと、スサノオとの子供、八柱神も。
もともと統治していた濱名縣主の神様、太田田根子命の社も拝殿近くに祀ってあります 伊勢神宮領になる前は、ここは英多(あがた)神社と呼ばれていたんですね〜
こちらは機織りの神様、天棚機媛命(あめのたなばたひめのみこと)の社。女性神。 4月の第2土曜日に行われるおんぞ祭りでは、初生衣神社から神御衣が運ばれ、お祓いした後に、この天棚機媛命社に一時保管されます。
拝殿の左側には、養蚕と機織りの神様、天羽槌雄命(あめのはづちをのみこと)の社。こちらは男神ですね。 日本書紀では建葉槌命(たけはずちのみこと)と言い、別名 倭文神(しとりのかみ、しずのかみ)などと呼ばれたりもして、日本の神様は同じ神様なのに色々な呼び方があってとにかくメンドクサイんです・・😅
迫力がある拝殿のはるか上のほうに、本殿があります。 立ち入り禁止で、これ以上は近づけない。 これは、現地に行って実際に見てみないとわからないのが残念ですが、すーーーごく、神々しいんです。オーラというか、雰囲気が。遠目から見ても。 神様だから神々しいのは当たり前なんだけど、なんかもう、別格なんです。ぜひ行ってみてほしい。 ホームページより 【本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われたと云われ、板倉造(井籠造)という全国でも類の少ない古式の形式で国の重要文化財に指定されている。】
参道の石段は、右寄りに斜めってます。 右手には、女性神の天棚機媛命があるので、そっちのが格上なのかな
左側、男性神の天羽槌雄命の社側からみると、本殿への参道が右手にずれているのがよくわかる
神池には、ロウバイの黄色い花が咲き始めて綺麗🌼 もうすぐ春ですね〜 4月には各神社でおんぞ祭りも行われるし、是非登山のついでに行ってみてくださいね! まだまだ、この養蚕に関わる謎の服部家の先祖、渡来人の古代豪族「秦氏」についても色々面白い話があります。 秦氏は実は私自身の先祖でもあり、習っている能楽の創始者、観阿弥・世阿弥にも関わるのです。(観阿弥の本名は、服部三郎清次と言います。観阿弥は伊賀服部なんです) またいつかの登山の機会に、書きたいと思いま〜す👍