活動データ
タイム
08:04
距離
14.0km
のぼり
1249m
くだり
1405m
活動詳細
すべて見る2023年1月3日 2022年の山納めは奥多摩 大岳山だったので、2023年の山初めは隣りの御前山にしようと思い立ちました。 春にはカタクリの花の群生を楽しみに多くのハイカーが訪れる人気の山ですが、正月なら人も少なく静かな山歩きができるだろう、と狙って出かけました。 〈御前山の山名由来〉 大岳山、三頭山と共に「奥多摩三山」(名付け親は奥多摩山岳会の秋山平三氏で、昭和30年代後半以降に定着)の一つに数えられる御前山。 山名由来については、古くからの山岳信仰で知られる男性的な大岳山に対する「姫御前」という説、同じく大岳山の前衛としての「御前(オンマエ)山」であるとの説がありました。 しかし山体の根張りはむしろ大岳山よりも立派に見えますし標高は約150mも高く、前衛というには立派過ぎる山です。 また、信仰上は大岳山とは何ら関係が無く、御前山は西の肩に旧 小河内村の呼称で「前御前」(檜原村では惣岳山)、東の尾根上には檜原村で「前御前」と呼ばれた小突起を持つ事から、御前山はむしろ大岳山に比肩する独立した山という事になります。 また、地元での古称は「御前様(ゴゼンサマ)」であり、木暮理太郎の「山を御前様と敬稱する事は古くからの習慣であつた」が最もしっくり来る説のように思われます。 明治時代中頃までは山頂西側に小社があり、高神様として崇敬されて祭りの日には社前で盛大な獅子舞が行われていたとの言い伝えがあります。 一方、「山村民俗の会」の主宰者の一人であった加藤秀夫は【山と渓谷】奥多摩特輯(山と渓谷社 昭和二十一年)に「御前山對談」を発表し、御前山をめぐる信仰や歴史について詳述した上で、山名由来について新説を唱えました。 それがいわゆる「御前山飯盛山説」で、型は峻峰で強い円錐型をなし、一種の飯盛型(強飯盛りの型)をしており、これは近傍の甲斐郡内地方 中央線沿線に顕著な峰頭を擡げる四つの「御前山」も同様であるといいます。 加藤氏はこれらの御前山に程近い北都留の湯場に宿泊した翌朝、お婆さんが神前に捧げた強飯盛型の供物が山の形に似ているのを見て尋ねたところ、「神様にゴセンを献げています」との返事を得た時にその着想を得て全国にある御前山について調べ始めたと述べています。 この御前山、すなわち御膳、飯盛山説は、山名由来をめぐる幾つかの説の中で現在 有力説とされています。 高く秀でた孤山型、独立峰型という点では、 奥多摩の御前山も当てはまるのは周辺の山から眺めた時の秀麗な姿を思い起こせば私も実感として納得できるところです。 〈湯久保尾根〉 山頂から南東に長く伸びる湯久保尾根は御前山の登路の中で最も長大な尾根で、人気のハイキングコースである浅間尾根から眺めるとその全容がよく見えます。 下りに使うとモーテ(毛手)山、湯久保山、仏岩ノ頭などの小ピークを通りますがいずれも顕著なピークではなく、緩やかな尾根道が続きます。 人工林がメインですが一部に自然林もあり、変化があって退屈しません。 〈正月の山歩き〉 年が明けたばかりの正月とあって武蔵五日市駅発 藤倉行きのバスにハイカーの姿は疎らで、終点 藤倉で降りたのは私だけ、幸先の良いスタートです。 春日神社に参拝し、これが初詣となりましたが江戸時代末期の石燈籠を撮影して立ち上がった時に石の角に頭をぶつけて出血してしまいました。 正月だからと浮かれずにしっかり歩け!という神様からの叱咤と受け止めて、小河内峠道の陣場(陣馬)尾根を辿ります。 やがて猿江への分岐を経て尾根が平らになってくると明るい雑木林の冬木立越しに奥多摩湖岸の山々や目指す御前山の山体が見えてきます。 陣場尾根には交易路としての歴史を語る「荷付け場地蔵」の碑や縄文時代前期の「仲ノ平遺跡」があります。 小河内峠は前回歩いているので、この日は途中から適当な尾根を直登しました。 陽当たりが良く落ち葉が積もっている斜面には鹿が寝た痕跡がいくつかあり、ひとしきり登って一息つき、気配を感じて振り返ると一頭の鹿が逃げもせず佇立して私を見ていました。 小河内峠の北で登山道に合流し、防火帯のような広く明瞭な尾根をゆっくり登ります。 振り返ると富士山が見える場所もあり、励まされました。登山道の上に小ピークが見えたので立ち寄ってみると、そこが「ソーヤノ丸デッコ」でした。面白い山名ですが、奥多摩地名考証のパイオニア 宮内敏雄も山名の紹介のみで由来には触れていません。 西側は遮るもののない大展望で、実に爽快な眺めでした。 やがて登り着いた惣岳山(1349)は広場のような山頂で、すぐ東には目指す御前山の円やかな頂きが見えています。山は見る角度によって形が違うとはいえ、これがあの御前山か?と訝しく思えるほどです。 公園の遊歩道のような登山道を辿ると、やがて御前山(1405)の山頂に導かれました。 【秋川の山々】(東京瓦斯山岳會)(昭和15年刊、同52年復刻)では御前山を「器量良しの馬鹿娘」と評していますが、「遠くから眺めると登高欲をそそられる山、しかし登ってみればあまりにも平凡な山。」というその含意は、私にも実感として理解できました。 ここまで出会ったのはほんの数人で、山頂では50代くらいの女性が独りベンチに腰を下ろして湯を沸かしながら休んでいました。山頂の全景を撮ろうとすると女性が入ってしまうので控え、北側の山波を眺めて一息つきました。 山頂から少し下ったところにある御前山避難小屋はやや陰気な場所で、小屋の外観は黴臭さもありますが中は綺麗に使われています。 小屋からは大岳山と青梅の町が見えました。 この後は南東に長く緩やかに伸びる湯久保尾根をひたすら下るだけですが、時間の関係で岩塔や神社など幾つかの見どころを訪問できなかったのが残念でした。 下りついた小沢バス停のそばには、一群の石造物が並べられていました。 mixi 「丹沢を歩く会」コミュニティ 副管理人 S∞MЯK モリカワ ショウゴ (現 事務局長) YAMAP 山行記録アプリ アカウント https://yamap.com/users/446474 Twitterアカウント 主に山関連 https://twitter.com/moyanotabikai?s=09 (靄の旅会は「霧の旅会」へのオマージュです。)
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