今日は高野山森林鉄道跡を訪ねて花坂支線〜大門支線を周回した 花坂支線ルートは、概ね林道と並行して続いているが鉄路跡は前半がやや荒れ気味、後半の隧道前区間は線路跡がハッキリ判り歩き良かった。隧道から沢沿いに進んだが、滑りそうだったので斜面を登って尾根沿いのルートを歩いた(こちらが正解😄) 神谷駅近くでは推定インクラインルートを下った😋 でも、その後の駅への登りに使った破線道は、今日一番酷い路だった 今回の山旅で新しい高野山参詣道を見つけられた その名は高野山参詣トロッコ道😋 土木遺産に認定された高野山森林軌道の遺構群 ■受賞理由 高野山森林軌道の遺構群は、わが国で最初の森林軌道をルーツとし、その後の産業発展に貢献した森林軌道の盛衰を記録する歴史の証人として重要な土木遺産です ■所在地 和歌山県伊都郡九度山町、高野町 ■竣工年 明治42(1909)年 九度山貯木場~塵無土場
笠田駅発のかつらぎ町コミュニティバスに乗って花坂へ
史跡御室御陵伝承地
この地は、静覚入道親王の御陵と伝えられてきた場所です 静覚入道親王は、伏見宮邦康親王の子で、後に後花園上皇の猶子となった 仁和寺門跡第十八代であったが、応仁の乱による京の混乱と荒廃のため、応仁2(1468)年高野山の光臺院に逃れ、静覚入道親王は後光臺院と称した その後仁和寺領の高野山麓花坂に隠棲し、三十余年を経て文亀3(1503)年に65歳で薨去した
花坂第二隧道、その向こうに花坂隧道
鳴門谷林道出会いに有る鉄道橋跡
コンクリートの壁
概ね等高線に沿って緩やかに登っているが、荒廃が進んでいる
森林鉄道から林道になり、自然に還って森になる
森林鉄道が林道に代わった雰囲気が良く分かる
湯川隧道西口
隧道長は430mあるらしい 入口付近に水たまりが有りいきなり靴が水没😩
トロッコ跡参詣道を通って大門トウチャコ😋
弁天岳から壇上伽藍を望む😄 女人禁制の頃はこのような場所から高野山を拝んだのだろう🙏
弁天岳 山頂
弁天岳 三角点
不動坂 女人堂
不動隧道 初めて見た時はただの洞窟だと思っていたが。これが森林鉄道の不動隧道だったことを最近知ったので訪れた
入口付近は大量の土砂と岩で塞がれている
中を覗くと反対側の出口が確認できる
清不動堂 この「外の不動堂」は、もともと弘法大師の草創で、寛文年間に、備前の国上道郡金岡荘の野崎家久入道が再建したとされる その後、明治16(1883)年に焼失し、明治20年に大阪伏見町の上田みちという助産婦により再建された 大正4(1915)年に不動坂が全面改修され新しいルートとなったため、外の不動堂は荒廃していたが、大正9(1920)年に大阪の桝谷清吉、寅吉の親子が、新しい不動坂へ修復移転し、清不動堂を建立した
高野山ケーブル橋
レールを利用した道路ガード
森林鉄道の石組橋脚
森林鉄道のコンクリート橋脚
この軌道跡が県道を橋梁で跨いで南海 高野線のトンネル上を通過するインクラインと継っていた
在りし日の神谷インクラインの姿(LocalWikiより転載) 神谷インクラインは平均勾配2.01分1、延長295m、軌道2尺6寸、軌道18封度複線、直径8分の鋼鉄索(19本撚り6個合わせ・中心に麻を有す) 動作原理は基本的にケーブルカーと同じで、2台のトロッコをケーブルで結び、1台は山上に、1台は山麓に配置し、山上側のトロッコに木材を積むと、自重で下って行きます。このとき、山麓側の空のトロッコが曳揚げられます。下る側に制動装置さえあれば、このように動力装置なしで木材を降ろすことが出来ます 神谷インクラインの線路は写真のように複線化されてましたが、高野山ケーブルカーのように上下からやってきた車両がすれ違えるように、中央部分だけ複線化したものもある
この辺りに神谷インクラインがあったらしい
前回ミスったルートより樹間が広くて歩き易い
下って行くと何かの遺構があった
路肩? これもなにかの遺構?
河原まで降りてきた
かつてのリゾート地 販売中の看板もあったが・・・
紀伊神谷駅 駅舎
お迎えの電車が来た 帰りは山岳鉄道特有の鉄路と鉄輪のきしむ音の響きを聞きながら下って行きました 良ければ動画で鉄路と鉄輪のきしむ音を聴いて下さい。音で往年のトロッコ走行音がイメージ出来ます😊