活動データ
タイム
05:36
距離
9.0km
のぼり
459m
くだり
294m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る伊勢本街道を歩く企画、第3回目です。本日は初瀬から榛原(はいばら)まで歩きます。 初瀬は長谷寺で有名ですが、元伊勢であるという点、ご存じでしょうか?日本書紀によると、11第垂仁天皇皇女の倭姫命が、磯城厳橿之本(しきいつかしのもと)に天照大神を祭ったといいます。倭姫命世記によると、第10代崇神天皇の皇女の豊鍬入姫命が、伊豆加志本宮(いつかしのもとのみや)において、8年間、天照大神を祭ったといいます。どちらが正しいのか、どちらも正しいのか、真偽のほどは不明ですが、初瀬に元伊勢伝承があるのは確実です。 初瀬の元伊勢の候補神社として、興喜天満神社(よきてんまんじんじゃ)と長谷山口坐神社(はせやまぐちにいますじんじゃ)があります。どちらが元伊勢なのか?両者を比較すると、どちらとも決めがたく、どちらもそれっぽい感じがします。が、私の個人的見解では、神社の立地に重きを置いて、興喜天満神社が元伊勢であろうと推測します。 興喜天満神社 ・ 御祭神: 菅原道真 ・ 式内社ではない ・ 初瀬街道がまっすぐ伸びた先の、与喜山(大泊瀬山、天神山)の中腹に鎮座 ・ 天照大神の磐座として鵝形石(がぎょういし)が残る ・ 与喜山の山中にも磐座が点在し、神体山であったと思われる 長谷山口坐神社 ・ 御祭神: 大山祇命、天手力雄神 ・ 式内大社 ・ 与喜山から伸びる尾根上に鎮座する ・ 元は興喜天満神社のある地にあったともいう また、天武天皇は、皇女の大来皇女を伊勢神宮斎王とするために、この地に泊瀬斎宮という潔斎の施設を設けたそうです。この地が伊勢神宮にとって重要な場所であったことの間接的証拠ですね。 ***** 話変わって、今回は伊勢本街道の2つ目の峠、墨坂/西峠を越えました。この峠は緩い登りが続くだけで、前回の化粧坂のような急峻なものではありません。地味な峠ですが、古事記や日本書紀に伝承が残っており、ロマンを感じる峠です。 日本書紀によると、初代神武天皇は東征の際、宇陀の磯城彦を攻めたとき、敵方は「いこり墨(山焼きの意味)」をもって防戦しましたが、皇軍は宇陀川の水を注いでこれを消し、戦いに勝利したと伝わります。これが墨坂の由縁です。ここが伊勢から大和へ向かう要地であったことがわまります。 また、古事記および日本書紀によると、第10代崇神天皇は、疫病が蔓延した際に、夢のお告げにより、墨坂に赤盾八枚・赤矛八竿を、大坂に黒盾八枚・黒矛八竿を祀りました。現在も、墨坂には墨坂神社が、大坂には大坂山口神社が鎮座しています。大和盆地に拠点を置いた場合、東の墨坂と西の大坂は、敵や疫病が侵入しやすい場所と考えられ、ここを守る必要があったようです。さらに、東の墨坂は日の出を象徴するので赤の盾矛、西の大坂は日没を象徴するので黒の盾矛を収めた、ともいいます。そいうわれてみると、墨坂神社の朱色は、鮮やかで活気を感じさせてくれます。 大昔はこの峠を墨坂と呼びましたが、近世の人々は、榛原の町のの西端にある峠ということで、西峠と呼ぶようになったとか。墨坂と呼称したほうが、なんとなく風情があると思いませんか。 【伊勢本街道シリーズ過去記事】 伊勢本街道1 関谷~大和八木 https://yamap.com/activities/19683889 伊勢本街道2 大和八木~初瀬 https://yamap.com/activities/19763326 伊勢本街道3 初瀬~榛原 本記事 伊勢本街道4 榛原〜上田口 https://yamap.com/activities/23062055 伊勢本街道5 上田口〜菅野 https://yamap.com/activities/23105532 伊勢本街道6 菅野~伊勢奥津 https://yamap.com/activities/23127139 伊勢本街道7 伊勢奥津~柿野 https://yamap.com/activities/28879298 伊勢本街道8 柿野~三疋田 https://yamap.com/activities/28909384 伊勢本街道9 三疋田〜田丸 https://yamap.com/activities/29166292 伊勢本街道10 田丸〜伊勢神宮 https://yamap.com/activities/29206958
活動の装備
- その他(Other)iPhone SE
- その他(Other)モバイルバッテリー
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